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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:至急お願い!古文の訳が…)

古文の訳についての質問!至急お願いします!

miirumatsuの回答

回答No.2

「いづれの船に乗るべきぞ」は、道長の言葉ですが、それ以下は大納言公任の発言です。 二重カギカッコなんです。 「『いづれの船に乗るべきぞ』と仰せられしこそ心おごりせられしか。詩の船に乗りて、これ程の歌を作りたらましかば名はあげてまし」と後悔せられにけり。 です。 大納言公任が、のちに仰ったことには(言は「れ」けるはの「れ」は尊敬の助動詞「る」連用形)、「道長様が私に『公任さんはどの船に乗るおつもりか(あなたならどの船に乗っても通用するであろう)』と仰った時にはもう、我ながらつい鼻が高くなったものだよ。それにしても、漢詩の船で、あの程度の詩を作ったとしたならば、もっと私の名声を高めたであろうに(和歌の船になんぞ乗って、惜しいことをした)」と、後悔なさってしまった。 「心おごりせられしか」の「心おごりす」は、公任自身が、自分のことについて言った言葉で、時の関白太政大臣に自分の能力を高く評価されたことについて、我ながらつい自慢に思ってしまった、といっているのです。 「られ」は「自発」で取ります。 押しも押されもせぬ「一の人」に、人前で、「あなたはどの道にもご堪能だから」と褒められて、思わずいい気になってしまったよ、と言うのですね。 その後は話の向きが変わって、やっぱり漢詩の船に乗れば良かった、と言っている、ここが「後悔せられにけり」の内容です。 確か、このとき、公任は、紅葉がどうのこうのという和歌を詠んで(違ったらゴメンナサイ)、大好評を博し、道長の面目を立て、「さすがに自分から和歌の船に、と言い出しただけのことはある」と、歌人としての評判を高めたわけですが、秀才と名高い公任、後になってみれば欲が出たらしく、漢詩の船に乗れば良かったと後悔しているのです。 というのは、もし、漢詩の船で、この、和歌の船で詠んだ程度の出来栄えの漢詩を詠んでいたら、自分の名声は、今以上に高まっていただろうに、と思ったからです。 「ましかば~まし」は、反実仮想の構文で、実際にはそうならなかったことを、仮に~だったら~だろうになあ、と、述懐する意味をもちます。 平安時代、男性にとっては、「真名」つまり「漢字」を用いて、漢詩、漢文を正確に格調高く「作文(さくもん)」できることが、正式の学問として、絶対的価値を持っていました。 これができないと、官吏として仕事になりませんから。 正式文書は全て漢文で書くわけですものね。 でも、学問を修めて仕事がデキるだけではただのカタブツ。 これでは、出世できないのです。 男たるもの、仕事がデキることは当たり前として、色の道、ヤワラカ事、恋の情趣にも通じていなければ、女にモテない。 モテない男は出世しません。 何と言っても、一般貴族の男にとって、有力な家の女を妻にして、その女の父親の地位や財力を足掛かりにして出世街道を突っ走っていく、というのが、理想であり、王道ですからね。 (女の父親は、娘の幸せを願いますから、当然、婿に全面協力するわけです。婿が出世して高い地位に着き、若い頃に出世の踏み台になってくれた妻と舅に感謝して、娘を「北の方(正妻)」にしてくれたら、父親としては一安心です) ですから、「仮名」を用いた上品な「和歌」にも堪能で、女に気の利いた文の一つも書けなければ、いくら学問が一流で仕事ができても、一生うだつが上がらないのです。 (さらに管弦。音楽にも才能のあることが、この時代、モノになる男の必須条件です) そんな時代背景にあって、やはり、「漢詩」というのが、男社会の中では「和歌」よりも一段上に見られていたということが、公任のこの言葉からはっきりと分かりますね。 このような文脈の中で、紀貫之が、「土佐日記」を仮名文字で書いた、しかもそれを女が書いたように仮託した、ということの意味を考えてみると、さらに理解が深まりますよ。 さらに「古今和歌集」の「仮名序」と照らし合わせて、貫之の「和歌」「仮名文字」「国風文化」「やまと言葉」への屈折した情念を、じっくり読み取ってみると、無味乾燥と思っていた文学史が、生き生きとした、意味のある知識として根付いてくるはずです。 たった一つの問題文からでも、ここまで理解を広げ、深めることができる。 こういうことが、本当の意味での学問の面白さだと思います。 補足質問してくださり、このような助言の場を与えてくださったことを、私は喜んでおります。 質問者様が、今後とも、「生きた学問」を積み重ねていかれますよう。 また何かありましたら、できることであれば協力させていただきたいと思っております。

passingman
質問者

補足

回答ありがとうございます。 何度もすいません。更にこの後、 この歌、花山院、「拾遺集」を選ばせ給ふ時、紅葉の錦とかへて入るべきよし仰せられけるを、 大納言、しかるべからざるよし申されければ、もとのままにて入れにけり。 と続くのですが、やっぱり訳してみてもいまいち意味が繋がらないようなきがします・・・ 私はこの文を、 「この歌を花山院が『拾遺集』を編集なさる時に、『散る紅葉葉を』を『紅葉の錦』に代えて入れるのがよいという理由をつけておっしゃられたが、大納言はふさわしくない理由を花山院がおっしゃったので元のままで『拾遺集』に入れたそうだ」 と訳したのですが・・・ 辞書に載っているこの歌は『散る紅葉葉』が『紅葉の錦』に代わってるのに、代えずに入れた?など、疑問が残ります。 度々すいません、よろしくお願いします。

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