• ベストアンサー

仏教の信仰の対象

仏教の信仰の対象ってなんですか? 神じゃないなら何?

  • myktk
  • お礼率52% (338/648)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mapato
  • ベストアンサー率69% (493/705)
回答No.3

こんにちは。 ほかの方も仰っていますが「神仏」とか「神様仏様」などというあの「仏様」達ですね。 仏教が出来た当初はその開祖であるお釈迦様への信仰(お釈迦様自身は「そんなことはしないように」と仰っていますが)でしたが、時代が経つに連れて「お釈迦様とは別の時代にも悟った人がいたのでは?」という考えから、様々な「如来」が生み出されました。 また仏教が広まっていく中で個人が悟りを開くだけでなく多くの人々を救うことが大切だという考え方も生まれてきまして、悟る力を持っているのにそれをせず人々を救う為に尽す「菩薩」という存在が生まれてきました。 また同時に生まれ故郷のインドで在来の宗教であるバラモン教・ヒンドゥー教の神々を吸収し、仏教を守る者達としていきます。 これは信仰宗教であった仏教が土地の人々に受け入れられる為に必要だった訳です。 こうして「明王」や「天」が生まれました。 日本に渡って来るまでも随分複雑な経緯を経ていますし、更に日本に入ってからも発展していますから中々簡単に説明することは出来ませんが、「仏像」が出来てからは概ねどこでもそれを信仰の対象にして拝んでいる訳です。 中には初期仏教のかたちのまま、お釈迦様のお骨を納めているとされる仏塔(仏舎利)や仏様達の世界を絵に描いた「曼荼羅」がその対象であることもあります。 では「神様」と「仏様」では何が違うかと言いますと、これは信仰の対象としてはあまりかわりませんね。 どちらにしても超常的な力を持つ人とは異なる存在ですから。 今ではもうキリスト教をはじめとする他の国々のものも「神様」と読んでいる訳ですから尚更です。 でも入ってきた当初は日本古来の「神様」達とはまた違ったものであるということできちんと区別して「仏様」と呼んだ訳です(勿論大陸のやり方に倣ってのことですが)。

その他の回答 (3)

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.4

NO.3さんのご回答、やっと、仏教を知ることができました。こういうことって、ここまでわかりやすくは、専門書でも、なかなか載っていないんですよね。。 ご近所に、お寺などありませんか? そのお寺の掲示板に、戒律(自分自身の戒めと、社会生活を送る上でのルール)のようなものが掲示してあると思うんです。「嘘をつかない」「よこしまな見方をしない」「二枚舌を使わない」などです。これらは何かというと、「人様」に対して、また自分自身に対しての、日々の行いを言っている訳です。昔の人は、「人の目はごまかせても、仏さまの目はごまかせない」と恐れ、恐れるがゆえに日々、気をつけ、仏像など、仏様と真正面から向き合い(信心し)、己の心を磨いていったものです。 あと、この辺も詳しくないのですが、間違っていたらご指摘ください。(愛の)道を追求するなら「神」を、人の心を知りたかったら「仏」を信仰しなさい、というようなことだったと思います。

  • mappy0213
  • ベストアンサー率26% (1706/6353)
回答No.2

仏教ですから仏さんですね。 宗教によって違うかも知れませんけど 如来を中心とし菩薩、明王、天部と位があります 大日如来、地蔵菩薩、不動明王って聞いたことないですかね? あれらはすべて仏です。

noname#42990
noname#42990
回答No.1

御釈迦さんを中心とする、如来・菩薩 等等。とはいっても、仏像とは限りません。まあ、神は神社・お寺は仏と簡単に考えたら。実際には、簡単ではないので、インターネットで検索してみたらどうですか?

myktk
質問者

お礼

ありがとうございます^^ いえ、調べてみたんですが詳しすぎてパッとわかる答えがなかったんです。

関連するQ&A

  • 仏教を信仰したい

    質問させていただきます。 仏教を信仰したいのですが 同時にお金に執着した生き方がしたいです。 簡潔に申しますと、株やFXでお金を増やしたいです。 これは仏教の考え方としてはよろしくないことでしょうか?

  • 日本人が持つ「見えないもの」に対しての信仰は?

    私たち、日本人にはキリスト教や仏教でもない神道という特異な信仰が根付いています。それはいつ頃、なぜ私たちの信仰の対象となったのでしょうか。 また他の宗教と違い、教義などもないと思います。(あれば教えて下さい)にもかかわらず、何千年も大切にされてきたのはなぜですか。 そして、あなたがその「見えないもの」である神を感じる瞬間というか、触れるときはどのような時ですか。

  • 七福神の信仰に関して

    みなさま、初めまして。 宗教カテゴリーがないので、ここのカテゴリーで良いのか悩みましたが、とりあえずご質問。 七福神は、日本の神、インドの神、道教の神等が混在している信仰形態ですが。 神道から生まれたのでしょうか?。 仏教から生まれたのでしょうか? 私的には、民間信仰から生まれたと思っておりますが、解る方申し訳ありませんが、ご教示願います。

  • 仏教を学んだ人で神を信じている人はほとんどいないのでしょうか?

    原始仏教で釈迦が最初の段階で衆生に 「信仰を捨てよ」と説いたらしいので 仏教を学んだ人で神を信じている人というのはほとんどいないのでしょうか? また、仏教以外の宗教で信仰を捨てよという教えのある宗教はありますか?

  • 信仰の種類

    世の中、神を信仰する宗教がメジャーとなっていますが、 現象や象徴、物体を信仰するものは神以外に何があるのか知りたいと思っています。 ・太陽信仰 ・炎信仰 ・男根崇拝 上記以外に何があるのか、また、崇拝対象にはどういった傾向があるのでしょうか。

  • 誰が最も信仰対象ですか?

    お世話になります、 神道の方にお伺いします。 貴方の前に 全く同時に 別天津神と 皆様に称される方 特に、 天之御中主神 と、 皆様に称される方 と、 天照大御神 と、 昭和天皇氏が 現れた場合、 どの方に 最も敬意を示されますか? どの方に、 忠誠を誓い 信仰を捧げますか? お教えください。

  • 中国人の信仰心

    欧米人やアラブ人、インド人と違い、中国人は宗教に対する信仰心が薄いような気がします。儒教や仏教、道教などの宗教があるようですが、傍目からは他の民族に比べ信仰心が薄いように見え、無宗教に近いところは日本人と似たようなものだと思うのですがどうでしょうか。だとしたら、その理由は日本人と同じ(やおよろずの神を拝むから?)なのでしょうか。よろしくおねがいします。

  • 何故宗教は信仰されるのでしょうか

    今現在、世界には様々な宗教があります。ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、オウム真理教など種類も信仰の対象も様々です。 しかし、私には何故宗教が信仰されるのか今ひとつ理解できません。 世界史的に見ればほとんどの宗教は神権政治や民衆反乱によってできた、つまり人が人を動かすために都合のよいからという理由で生まれてきているということです。そして宗教は基本的に神と呼ばれるものを信仰しますが、今日に至る過程の間に宗教同士が混ざり、神が混ざり、新たな神、信仰が作り出されるといったことが少なからずありました。現在においても同じ宗教でも考え方に相違がある、等ということがあります。 人類はここまで宗教のルーツについて客観的な調査ができています。それなのに何故、人類は人類自らが人民誘導のために作り出した宗教を何の疑いもなく信仰できるのでしょうか? 現在キリスト教には20億人の信者がいると言われています。そしてその起源はユダヤ教にあるとされています。そのユダヤ教もバビロン捕囚によって精神的に追い詰められたイスラエル民族がまとまりを取り戻し再び歩み出す際に生まれた宗教です。実際に誰も神の世界を見たわけではないですし、世界を想像した主が信じるものしか救わない、それも必ず救われるわけでもない。(信じて救われるのなら人は死にません。)そんな確かな存在証明もされていない神を本当に20億人もの人が信じているのでしょうか?(例えば、まだ宗教のルーツが完全に把握できておらず、なおかつ神がいたという古代人による表記が多数見つかっている、とかならまだ神はいないという意見に確証性が足りないので理解できないでもないですが・・・) 私は無宗教ですので宗教を信じる人の気持ちを理解しているわけではありません。しかしこうも条件がそろうと神を信じている人の言うことよりも神が人為的に作られた架空のものであるという考えのほうが辻褄があうのでは、と思います。 宗教の自由についてとやかく言うつもりはありませんが、一体何人の宗教信者が史実を理解し、それでも神はいるという確証性のある持論を持ち信仰をしているのか疑問に思います。 どなたか詳しい方ご教授をお願いします。 また、私は世界史についての学があるわけではないですし、宗教についても見当外れな知識や、差別的な見方を持っている可能性があります。この文を読んで不快感を覚えた方には深くお詫び申し上げます。

  • 複数の宗教を同時に信仰してる人っているのでしょうか

    ふと思ったのですが、キリスト教と仏教、イスラム教とヒンズー教、みたいに複数の宗教宗派を同時に信仰してる人っているのでしょうか。 日本人みたいに曖昧に複数の宗教の行事をやっている、というのではなく、意識的に宗教組織に所属したり、信仰してる人限定で。 とある仏教関係の宗教家が「どんな神を拝んでもいい。その信仰に誇りがあれば」というような言葉を残しているのを聞いたことがあります。また、神道系の武術の伝承者でありながらキリスト教の神父をやっている人もいたりします。 ならば、「私はキリストや聖書の教えを信じていますが、同時に釈尊の教えも素晴らしいと思うので悟りも目指しています。そしてその手段として神道の修行も取り入れています」なんて人もいる気もするのですが、どうなのでしょう? 釈尊の教えは聞いた限り、特定の神への信仰は含まれていませんし、あくまで個人の悟りを開くための哲学のように感じます。 ならば仏教とキリスト教は別に矛盾しない気がするのですよね。宗派にもよるかもしれませんが。アッラーのほかに神はなし、って言ってるイスラム教は難しそうですが。 そういう風に複数の宗教の同時信仰って実際やってる人はいるのか? また、同時信仰ってどう思いますか?

  • 信仰というものは?

    信仰というものは、団体に属さなければ実践できないものなのでしょうか? とくに仏教などは、本来、形式に囚われないものなのではないのでしょうか? 信者どうしのつながりは、ネットを通しても十分可能だと思えますし、とくに団体に属さなくても、個人で信仰することも十分可能だと思えるのですが。 どう思われますでしょうか?