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ミッドウェイ海戦での主力部隊(大和以下)の位置

yakyutukuの回答

  • yakyutuku
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回答No.10

 目的は、ミッドウェー島への砲撃、そしてできれば敵太平洋艦隊との決戦でしょう。何日滞在できるか微妙ですが、もしミッドウェーに居座られたら米軍は全力で攻撃をかけるかハワイ放棄しかありません。いつでもハワイを攻撃にこれる距離ですから。  ちなみに空母と戦艦では足が違いすぎて一体運用はできません。そのためミッドウェーでの戦訓も含めて、南太平洋海戦あたりでは、戦艦が前衛を勤めています。できれば敵航空機の攻撃吸引もありますが、どうせ敵は無視して空母攻撃ですから、すきあれば敵艦隊に突撃しようという意図です。ちなみになぜかよくわかりませんが、実際にこの役目を実行したのは、前衛戦艦部隊の護衛についていた護衛空母準鷹とその護衛駆逐艦です。  ちなみに戦艦を空母に改造するくらいなら、一から空母を作ったほうが早くて安上がりです。活躍の場のなくなった戦艦は、抑止力としておいておくのが最上だったのでしょう。航空機優勢といっても、当時は嵐や夜間に艦隊の侵攻を抑えられるのは船だけですから。

A6M2-1941
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 皆さんのご回答で 空母と戦艦の艦隊編成は難しい事がわかりました。 ハワイの件ですが ハワイ占領と言うのは可能性はあったのでしょうかね?機会としては真珠湾攻撃から間もない時期 それから もしミッドウェイ作戦が成功していたら チャンスがあったかなとは思いますが、ただ陸上兵力もかなりいたかも知れませんので難しいかな? 戦艦を改装して空母にするのはそんなにコストがかかるのですか、艦隊決戦時代の遺産みたいな感じですね、そういえば真珠湾攻撃の時に在泊していた米戦艦は 同じ様な立場の戦艦ですね、米が真珠湾攻撃を予期していたという説には使い道の無いこれら戦艦を並べていたと言う話もありますね。

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