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資本主義と共産主義
学生時代からいくら考えても分からない事があります。 民主主義の対軸は封建制または君主制 >政治体制 資本主義の対軸は共産主義または社会主義 >経済体制 と学校で習ったのを覚えています。今私は民主主義、資本主義の世界に生きていますので、その良いところも悪いところも肌で感じて、知っているつもりです。 しかし、共産主義についてはいまいち分かりません。共産主義思想については、個人の私有財産を赦さないこと、皆平等という一般民衆に取ってはこんなすばらしい思想はないと思うんですが、現状では、ひどく忌むべき物のように嫌われています。 もちろん、社会主義の国で腐敗が進行していることは聞いていますが、その意味で言えば、資本主義国家でも、政治家、官僚、経済人の腐敗は枚挙にいとまがありません。 資本主義と民主主義が善で共産主義が悪で恐ろしいと言う考えは<何故> <何時頃から>世界中に行き渡ったのですか? どなたかこの私の長年の疑問にお答えください。 (私は思想的にはいずれに属しているわけでもありません。只どなたかの説を聞きたいだけですので、攻撃的、偏向的な意見はご遠慮ください)
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個人的な感想の範囲ですが・・・。 団塊の世代ですから、私が初めて読んだ政治的な文献はリーダーズ・ダイジェスト。 まあ、反共主義と米国万歳を満載した雑誌です。 そして、世界を見渡せば人権無きソ連の実態。 そして、あの無茶苦茶な中国の文化大革命と北朝鮮の独裁政治。 「共産主義=悪」と認識するに十分でしたね。 ところで、「共産主義=妖怪」という認識は登場した瞬間から。 これに関しては、かの有名な「共産党宣言」をお読み下さい。 そりゃー、資本主義の恩恵を受けている資本家の存在基盤を否定する思想だから当然。 ところで、第二次世界大戦後に成立した社会主義の実態で「共産主義=妖怪」に追い風が。 これは、先に書いた戦後ソ連の実相が風になったということです。 日本では、戦前に絶対主義天皇制を否定する政治思想の軸でしたから当然に妖怪なる思想。 日本では、そういう見方・考え方がソ連の対極にある米国の従属国になったのでますます。 「反共の防波堤」としての戦後日本資本主義の選択が日本における反共意識を更に醸成。 これは、前述のリーダーズ・ダイジェストを読み育って実感しています。 こうして、「共産主義は、妖怪から悪へ」と。 私は、「共産主義=悪」が流布するに至った事情をこのように理解しています。 補足: 「共産主義=悪」のイメージには、このように複雑な事情が介在していると思っています。 しかし、それは、「共産主義思想=誤り」を意味しないと確信しています。 「搾取も抑圧もない共同社会の建設」は、やはり、人類の目標じゃないですかね。 「二一世紀を、人類史的な前進の世紀に」の旗は、やっぱし、降ろせませんね。 これらの目標を字義通りに受け取るならば、「共産主義=善」じゃないですかね。 私は、「共産主義=悪」から「共産主義=善」への社会的な認識の転換が課題と思っています。 「共産主義=悪」が流布するに至った事情の解釈は評論家に任せよ。 我々にとって重要なのは、その認識を覆すこと。 マルクスなら、こう言うでしょうね。
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#8の一行目、「#5です。」は「#6です。」の誤りです。申し訳ありませんでした。もうボロボロです。
#5です。かえってご迷惑をおかけしました。忘れて下さい。まとめて頂いた内容は正しいと思います。 ご質問者への回答は、#5までの方で充分満たされていると思います。 ただ、#1の方は、ハイレベルな内容を非常に巧みにまとめておられ、直接的な回答ではなくとも、実に素晴らしいと思いますので、余計ついでに一言申し添えます。 以下は蛇足です。 #5でのご質問者の「経済体制にいくつあるか」とのご質問には、正直分かりませんと申し上げます。 ただ、資本主義、共産主義、社会主義は全て分類軸が異なります。私有財産制を否定するのが共産主義ですが、資本主義は私有財産制そのものではなく、私有財産制を絶対的基礎とする経済の仕組みのひとつで、資本主義が共産主義の対置概念ではないと思います。 また、社会主義も、資本主義や共産主義に対置される概念ではありません。社会主義は、経済放任主義とでも呼ぶべきものに対置される概念で、国家が私人の経済活動に積極目的で介入することを認める国家作用の概念です。 従って、#1が指摘しているように、資本主義国でありかつ社会主義国であることは何ら矛盾しておりません。 もうひとつの「共産主義思想そのものは私有財産を赦さず、皆、一様に働きその恩恵をうけるという理想的な思想なのに何故、何時から世界中で忌避され、悪とされるようになったのか」については、既に述べたように#5までの回答がよくできているので自説を述べませんでした。 あえて、出来が悪いのを承知で言うと、共産主義に問題があると言うよりは、その前提として採用された政治体制である「絶対民主政」に問題があると考えています。暴走しやすく歯止めが無い、からです。 元々、ギリシャの時代から民主政体が最良のものとは考えられていなかったことはご存じの通りです。 これに加えて、原則としての直接民主制及び意思決定の条件としての全員一致が、間接民主制及び多数決に妥協されるに至って、被統治者の総意(民意)が容易に変容されるようになりました。多数決で選ばれたエリートの多数決による決定意見が民意と異なるのは、日本でも容易に見聞されます。この意見が「絶対に正しい」として、三権分立や立憲主義といった安全装置を持たないのが、絶対民主政です。 このような政治体制下で、スターリンのような悪知恵の働く人物が政権を取ったらどうなるかは歴史が示しています。つまり、容易に独裁制になり(為政者が自分に都合の良いように法律を変えてしまえる)、かつそれに制限がかからない訳ですから、恐怖政治になる訳です。 さらに、民主政そのものにも恐怖政治に至る危険をはらんでいます。通常は権力と責任の所在は同一です。君主制では権力は王にあると共に悪政の責任も王にあるので、王が処刑されます。ところが、民主政では権力と責任が容易に分離してしまいます。権力の所在が何処にあるかに依らず、責任は常に被統治者に存するのです。ポルポト政権では「政治がうまく行かないのは、民衆のせいだ」として何百万人も殺されましたが、民主政では責任が被統治者にある訳ですから、論理必然だったのです。 このような危険は、絶対民主政の憲法を採択する時点で既に明らかでした。それにも関わらず、その憲法を採用した時点で共産主義国の恐怖は始まっていたというべきでしょう。 ただ、民主政の危うさは、立憲民主政を採る国も同様です。どんな悪政でも最終的な責任は、常に被統治者に被せられるのですから。
お礼
再度、ご丁寧な回答ありがとうございました 資本主義が共産主義及び社会主義の対置概念ではないという理論、目の前の幕がパラリと取れたような気がしますが、正直言って、別の紗がかかったような気分です。 しかし資本主義国でありかつ社会主義国である事は矛盾しないという事は理解出来ます。現実に北欧にはそのような国があると聞いております。 また、ご指摘の立憲民主政の危うさもつい最近の小泉純一郎氏の郵政民営化についての発言でもまざまざと、感じたばかりでございました。 いずれにしましても、立憲民主政治の国に住む我々はあらゆる事の責任は我々自身にあるという事になりますね。 たとえ、民意に反した決定がなされても、それが民意だと統治者が言える仕組みになっていますもの。 有り難うございました。
君主が天子であれば民主主義と対立軸とはならない。 王と領民は呼応する。 領民は王が象牙の箸を持つことを望まない。 孔子や孟子は君主のあり方を領民と共にある尭や舜の古聖に見出す。 資本主義社会は、野性的な自由競争主義により個の才能を伸ばし、生産性を上げられるが能力の差により貧富の差が拡大する。 共産主義社会は、貧富の差は無くなるが頑張った者が報われるという成果が感じられず、一生懸命やるのが馬鹿ばかしいと言う風潮になり全体的に生産性が落ちる。 と極端に単純化して考えるとそういう風なことだと思います。 では会社や国家としてのあり方はそうした夫々の欠点をどうカバー行くことがより好い社会となるかということなんですよね。
お礼
回答有り難うございました。
前半の理解は少し荒い気がします。 一、政治体制の二軸 統治者(主権者)が被統治者と一致するか否かで、民主主義か否かが決まるのですが、これとは別の軸があり、主権者の決定事項に制限が有るか否かで、「絶対的」と「立憲的」に分かれます。立憲的とは、主権者の意思でも侵し得ない権利や制度の存在を認める立場で、主権者の意思を制限する法規範を「憲法」と言うところにその名の根拠があります。 つまり、民主主義にも二種類有り、絶対民主政と立憲民主政に分かれると言うことです。絶対民主政では「多数決で、何でも決定できる」、つまり個人の内心でも財産でも国家の自由になるということです。立憲民主政では、憲法で侵すべからずと定めてある領域では「多数決でも侵し得ない」ことになります。 なお、絶対民主政の国でも国家の基本法としての憲法は絶対に必要です。為念。 二、私有財産制 全ての財産を公共のものとして私有財産を認めないのを共産主義、私有財産を認めるのを資本主義と言います。 つまり、私有財産制という制度を認めるか否かで、経済体制(?)が二分される訳です。私有財産制と言う制度の保障は、人権概念を持たない憲法下でも可能です。人権概念を持つ憲法ではもっと直接的に「財産権の保障」がされていますが、これは私有財産制という制度の保障に反するものではなく、さらに一歩進めたものです。 三、両者の関係 絶対民主政では「多数決でなんでも決定できる」のですから、私有財産制を認めるか否かは、国家の自由です。また、ある決定が、私有財産を侵すことになったら、その私有財産は侵されるだけです。 つまり、絶対民主政では私有財産制の保障は原則的に存在しませんので、全ての財産を国家のものとする共産主義に非常になじみやすいと言えます。 立憲民主制では、憲法上、私有財産制の保障や、財産権の保障が規定されていれば、国家は侵し得ません。 資本主義は、私有財産制の保障の下でしか存在しません。従って、立憲民主主義に非常になじみやすいと言えます。 四、絶対民主政の問題点 絶対民主政の正当化根拠は、統治者と被統治者が一致しているから、国家が被統治者の困る意思決定はしないだろうという信頼です。 ところが、意思決定の暴走を想定していないので、暴走したら歯止めがありません。現実の暴走が共産主義に対する恐怖の原因でしょう。 五、資本主義の問題点 近代憲法(除共産主義国)は、私有財産制を教条主義的に守り、国家は夜警だけやっていれば良いという「自由国家感」に依拠していました。 これにより、金持ちはますます金持ちに、貧乏人は限りなく貧乏になり、世界恐慌も発生して、これじゃ駄目だということになりました。 そこで、日本国憲法もですが、経済的自由権の積極的規制と社会権の保障(両者はセットですね)を認める「社会的(福祉)国家観」の憲法が資本主義国の主流になりました。これは、共産主義の長所を採り入れたものと言えます。 以上、前半部分のご質問に対する私見です。
お礼
こんにちは ご回答は私には少し難しすぎましたが、解釈としては 民主主義には二種類ある 1)立憲民主政 主権者の暴走を赦さない、憲法があり資本主義になじみやすい 問題点として貧富の差の拡大が起こりやすくその結果、社会主義の要素(福祉)を取り入れる傾向にある。 2絶対民主政 憲法はあるが、多数決で何でも決めるのでその決定結果によっては個人の財産が侵されることもある。またこれは共産主義になじみやすい 問題点としては統治者の暴走が起こりやすい。 とおおまかに解しましたが、結局、世界には経済体制は資本主義、共産主義、社会主義の他いくつある事になるのでしょうか? また、私の質問は共産主義思想そのものは私有財産を赦さず、皆、一様に働きその恩恵をうけるという理想的な思想なのに何故、何時から世界中で忌避され、悪とされるようになったのかということでございましたが、拙文のため、誤解があったようです。 しかし、認識不足のため知らないことなどもあり、勉強になりました。有り難うございました。
共産主義が悪というのは、イデオロギー対立の次元の問題だと想います。そういうのは、昔の学生運動の反動の問題で、別に共産主義と言う考えもそれ自体はありな考え方で、決して悪ではなく、単に現実に機能しにくい制度だと考えるべきでしょう。 基本的には、共産主義は冷戦の崩壊により、1990年ごろに実質的に「やはりダメな制度だ」と言う風に認知されたと思います。 市場主義経済が人々の利己的な経済活動から、全体の効率を引き出すように組織されるということであれば、やはり合理的な制度です。 それに対して、共産主義の全ての経済活動を国が管理するという制度では、非効率的で、人々のインセンティブも働かないため、経済的には北朝鮮のような、餓死者が多数出るという悲惨な結果になるのです。 しかし、勿論市場経済にも問題があり、格差拡大社会になるため、福祉主義国家としては、累進課税にしたり、何らかの形で富の再分配を図る必要があります。そういう意味では実質的な意味で共産主義の理念を、修正資本主義と言う形で生かすということは、現在もなされています。また、ハイエクなどの考える「小さい政府」という考え方も、ある意味共産主義の発想に似ているといえば似ています。リバタリアンの考え方ですね。 民主主義が善というのも、単純な考えで、憲法学者、法哲学者は決して民主主義を善と考えているわけではありません。ナチスドイツは完璧な民主主義国家から生まれた体制であり、「ならず者国家アメリカ」も民主主義国家です。 イデオロギー対立に飲まれて、単純にどちらかが悪で、どちらかが善だという二分論は、現実社会では危険だということだと思います。 お答えにはなっていないと思いますが、こうも考えられるという趣旨でお答えしました。
お礼
こんにちは 資本主義がある意味で合理的であるということは理解しています。 しかし、その合理的な市場主義経済も、地球上の99%の富を1%の人々が所有するであろうと予測されている今、これも「ダメな制度」と認識される時が来ないとは言えないでしょうね。 ご指摘の通り、憲法学者、法学者など、学問をしたひとは、民主主義=善などと短絡的なことは主張しないでしょうし、単純な二分論は危険ですが、現実社会ではそのような傾向の考え方が多いのは事実で非常に残念と思います。 参考になりました。有り難うございます。
- cse_ri2
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共産主義思想というのは、マルクスというある意味天才的な学者が、生涯をかけて練り上げた思想なので、実に緻密によく出来ています。 で、そのマルクスの思想を頭だけで考えると、考えれば考えるほど孔明の罠じゃなかった、マルクスの思想の渦に飲み込まれていきます。 頭のよい人ほど、実は引っかかりやすいのですね。 私の場合、ある考え方が正しいかどうかは、それが行われた結果を見て判断します。 例えばアインシュタインの相対性理論。これも実に難しいですが、やはり相対性理論を持ち出さないと、特に光速に近い世界では説明できないこともあります。 まあ、専門の物理学者ではないので、実際の現象を見てその理論が正しいかどうかを判断しているわけです。 さて、共産主義についてですが、やはり20世紀に起きた世界の出来事をつぶさに眺めると、やはりどこかおかしかったと判断せざるをえません。 ソ連を始め、最盛期には世界の1/3くらいの国が共産主義を採用しましたが、どこの国も政治は独裁化し、また経済運営につまづいたのが歴史に現れた事実です。 結果だけを見ると、共産主義はどこか間違っていただろうと、判断せざるをえません。 実は、共産主義のどこがおかしかったかについては、ある程度自分なりの見解はあるのですが、それについて触れると長くなるのでここでは述べません。 興味があるのであれば、下記のサイトの記事を参照してください。 参考:依存症の独り言『共産主義はなぜ破綻したのか?(1)』 http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2007/07/post_2596.html もちろん、共産主義が間違ってるからといって、資本主義がすべて正しいとは思いません。 今の日本の社会を見てもわかるように、様々な問題を抱えており、それらについては改善が必要だと思います。 私の考えでは、 >資本主義の対軸は共産主義または社会主義 という考えが間違いではないでしょうか。 二つにしか分けないから、どちらを選ぶかという狭い選択肢しか見えなくなっているのではないかと、私は考えています。 人間の思考というのは、もっと自由で柔軟性のあるものです。 わざわざ視野を好んで狭くする必要は何もないのですから、問題の解決に向けて新たな道を模索することを期待します。
お礼
大変貴重なご意見有り難うございました。
- gaisei
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熱心に共産主義を勉強したわけではなのですが、私の知ってる限り述べたいと思います。ソ連が、ロマノフ王朝を打倒して労働者階級が樹立されました。当時の列強各国は領土の分捕り合戦で、ソ連の行動はそんなに影響がないと思われていた。しかし、その影響で第一次大戦が終わってしまう。確か戦後賠償求めなかった。しかし、その影響は、日本にも伝わった。そこで、日本国内では、治安維持法を作って防止しようとした。日本では、うまくいったが第二次大戦後中国や東ヨーロッパに共産主義が浸透した。そして、朝鮮やベトナムにも。しかし、スターリンが政権を把握したせいで、独裁が始まりそれで権力闘争が始まり恐怖政治が始まった。第二次ベトナム戦争も始めは民族闘争でしたが、ベトナム共産党が利用して最後には民族主義者を追放してベトナム全土を占領してしまった。そして、北朝鮮の金日成と金正日という親子の独裁体制ができあがりました。どうして悪なのか。マルクスやレーニンの思想が生きていたと思う。農民や労働者の搾取や植民地の開放に対して熱心にやっていたと思う。しかし、スターリンが出るとフィンランドの侵略やナチスのポーランド分割などちょっと思想と違う方向にむかったと思う。共産主義は、独裁者の生まれる体制がなければ生きていかれなかったと思う。そして、独裁者には逆らえないのでまずくなっても改革出来ないと言う欠点があった。それで、一部の国を残してなくなりました。しかし、この国も修正の共産主義です。簡単ですが、資本主義は、腐敗がありますがまだ修正がきく余力があると思う。共産主義の理想は、まだどこかで生かせると思う。だから、いちがいに善悪で判断できないのではないでしょうか。知っている限り述べたので間違いがあったらすいません。
お礼
こんにちは やはり、ソ連の共産主義は、スターリンから変質したことは間違いないでしょうね。 共産主義そのものはすばらしい思想に違いないし、すばらしい思想家、作家、芸術家など、キラ星のようにいるのに、共産主義国家=悪で語られるのは残念です。 回答有り難うございました。
- gungnir7
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まずは時代背景を読み取ることです。 マルクスの思想は19世紀のものであって現在では共産主義の意味も変遷しています。 世界において最も社会主義が浸透している国の1つが日本といえば驚くでしょうか? 以下は以前回答したものを編集したものです。 社会主義が誕生したときは民衆が主役(民主)で富を公平に分配し、 なおかつ社会的立場もみな平等にしようということを目指しました。 18、19世紀ですからヨーロッパでも民衆の貧富の格差は激しく、 また奴隷制度なども残っていた時代ですから、 とにかくこれらの解放、すなわち社会主義の実現がまず先でした。 民衆が主役の時代になってそれが成熟してくれば、 今度は福祉などが充実した共産主義へ移行していくと考えられていました。 ロシアでは1917年のロシア革命で共産党政権が権力を握り、 社会主義と結びついて国内の改革を暴力的に推し進めたため、 風向きが変わってこれらをソ連型社会主義とよびます。 ソ連型は独裁政権をつくるには非常に適したモデルです。 一方、従来の社会主義は民主社会主義とよばれ明確に区別されます。 日本の場合は国民総てが近代的な生活を送ることが可能で、 更には年金、福祉の実現のために労働者層はかなりの負担を強いられています。 弱者には非常にありがたいシステムで、ある意味マルクスの理想といえましょう。
お礼
はい、驚きました。 日本が世界で最も、社会主義が浸透した国の一つとは思ったこともありませんでした。 スウェーデンなどは福祉が充実しているとは思っていましたが。 しかし考え方によっては、つい最近までは国民なべて中流意識と揶揄される位の国ですから、ご指摘のような考え方もあるのかも知れませんね しかし、社会主義=悪の考え方の日本人は肝をつぶすでしょうね。 有り難うございました。
お礼
丁寧な、ご説明ありがとうございます。 やはり、反共の思想が醸成され、流布され、人心に染み込むには、ご指摘の時代背景と、格好のモデルになる国があったということでしょうか。 しかし、目の前の世界を見渡せば、搾取も抑圧もない社会は気が遠くなるような彼方ですね。