• ベストアンサー

これからの自分。

こんばんは、世間に言い出すにはすごく抵抗があり、恥ずかしい事ですが、わたくしは吃音者です。吃音者をご存知でない方もいらっしゃると思いますが、吃音者とは人と会話をする場合、「どもり」が出てしまう人間です。 残念ながら、物心付いたときから吃音者でした。今まで生まれてこの方人との対話でどもらずに話せた記憶はありません。そして、幼い時から自己嫌愛に落ちるときもしばしばありました。今も人との対話ではどもりが発症し自己嫌愛に陥る事もあります。これまで、自分との葛藤の中でよく、生きてきたという実感があります。周りの人には自分が吃音者だということは誰にも話していませんが、当然、わたくしと話していれば気づいているでしょう。 これまで、吃音について色々な情報を得てきました。吃音を治す方法などを探っていた時期もありました。しかし、どれもこれも何処かのクリニックに行きそこで、治療するというようなものばかりでした。そのようなお金もありませんし、近場ではそのようなクリニックもありませんでした。そのような、ところに大金をつぎ込んで治る保障も一切ないことも分かりました。 わたくしなりに、吃音は自然治療法で治すのが一番だという結論に至りました。そして、自分が吃音だということを忘れる為に、吃音について情報を得ることをやめました。 しかし、やはり吃音は治りませんでした。もう、仕方ありませんが一生この吃音から逃れることは出来ないと諦めています。とても悔しい気持ちですし、情けなく、当たり前のことが出来ない自分に腹ただしい気持ちでいっぱいです。少なからず、周りの人間からもバカにされたりしたこともありました。 わたくしは、来年度から社会へと出ます。これまでより視野が広くなることで、人と対話することが多くなり、それと同時に、大勢の前で話すことも多々あることでしょう。吃音者であるわたくしに対しての批判もあり、今以上にバカにされることもあり、そのことに対して心から苦しむこともあるでしょう。 わたくしの様な人間はどのようにして社会でやっていけばよいのでしょうか?

noname#114486
noname#114486

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

答えになっているかはわかりませんが・・・  昔からいじめられている生徒に対して用いる教師の常とう句に、「あなたをいじめる人なんて関係ない、まずはあなた自身が自分を好きになることが大切だ。」というようなニュアンスの発言をすると聞いたことがあります。  自分はこの考えに強い疑念を持っています。人から認められず、いじめられる自分という存在に対し、どうしてに自らの好きな点を見つけることが出来ようか・・・と第三者視点から思ってしまいます。  話が逸れているいるように感じるかもしれませんが、自分が言いたいのはつまり、あなたが自分の病状に関して十分な知識をもっているなら、あとはどこかで割り切って積極的に他者とかかわるべきだという事です。軽々しく口にするなと言われるかもしれません。しかしキツイこともあっても、あなたが他者とかかわり続ければ、きっと認めてくれる人もいるはずです。  自らの殻に閉じこもるのは簡単です。でも、あなたは文章を読むと外へ羽ばたこうとしていることがわかります。あなたのその姿勢があればきっと大丈夫ですよ!

noname#114486
質問者

お礼

回答ありがとうございます。元々、人と接するとこは嫌いではないので社会へ出るにあたっても、多く人と接していけるように努力していきたいです。

その他の回答 (2)

  • Depponty
  • ベストアンサー率48% (73/150)
回答No.3

大学院で障害学を研究している学生です。 といっても、医者ではないので、もっぱら対人関係の問題について考えています。 あなたは社会でうまくやっていけないのではないかと不安に感じているようですが、私に言わせれば吃音のある方を批判したり、バカにしたりする社会のあり方自体がそもそも間違っていると思います。それさえなければ、自己嫌悪も強く持たずに済んだのではないかと思います。貴方にとって問題なのは、自分の吃音より、周りの人の態度なのではないかと思いました。 来年度から社会に出るとのこと、それは少なくともあなたを受け入れてくれる「場」があるということですよね? 私は吃音とは別の症状なのですが、社会に出るのが怖かった面もあり、自分をバカにしない人たちが多く居る場所(研究者・専門家の多い場所)に逃げてしまいました。 でも、社会から理解を得られるのが難しいとわかっていながら、homisaさんは逃げずにそこに飛び込もうとしていますよね。それだけでも、社会に適応しようとするエネルギーが備わっていると思います。何の気なしになんとなく社会になじめてしまう人よりも、社会に出ることで色々な実りがあるのではないかと思います。そう願っております。 楽観的な回答に思われるかもしれませんが、私はただ割り切ってしまうよりも、悩んでいるからこそ、パワーが生まれると思っています。少なくとも私自身は、何も考えていない人よりも社会に対して悩みに悩んだ経験がある人のほうが、社会の中で何かの壁にぶち当たったとき、強いのだと信じて生きています。

noname#114486
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 >貴方にとって問題なのは、自分の吃音より、周りの人の態度なのではないかと思いました。 周りの態度だとおっしゃていますが、それは違います。やはり、他人と違う自分にストレスを感じます。

  • k-ren
  • ベストアンサー率44% (367/820)
回答No.2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%83%E9%9F%B3 自分に負けるな! 自分の心に負けるな! 世の中そんな甘い所でないよ。それが判っているなら、開き直って頑張れ! 貴方の人生、今しかないのだから!後にも先にもこれっきりしかない人生なのだから!

noname#114486
質問者

お礼

回答ありがとうございます。励ましありがとうございます。

関連するQ&A

  • こんな自分を受け入れて生きていくには?

    私は吃音者の男です。吃音をご存知でない方もいらっしゃると思いますが、言語障害だと思ってください。物心ついた時から自分には「どもり」がありました。吃音は人間に与えられた、言葉を発しコミュニケーションを取るということに対して悪い意味で妨げになっています。 そのため、小学校から吃音に対しては心の底から悩まされてきました。悔しい気持ち、悲しい気持ち、情けない気持ち、劣等感に襲われる気持ち、自己嫌愛に陥る気持ち、死を考えたことなど。実際、周りの人間からあざ笑い受けたり、まねをされたりして、嫌な気持ちになったこともありますし、今でもそうです。言葉を発することが億劫なることもあります。 人には一つぐらいは悩みがあると言われますが、私のように吃音者の場合は、悩み(会社、学校、恋愛など)+自分は吃音者である悩み、というように、必ずプラスαで吃音者であるという悩みが付きまとっています。例えば、人前での発表や面接など人間ならだれもが苦労することを私の場合は二倍も三倍も苦労しなけらばなりません。さらに、これまで、吃音者であるため自分の挑戦したいことにセーブをかけ、可能性を縮めたこともありました。 そして、吃音という悩みは障害なので、自分自身を受け入れ、私がこの世を去るまで付きまとう悩みとなり私から一生消えることはないでしょう。今のところ、確立した治療法がないのが現状です。度々ネット内で吃音の治療法などが紹介されていますが、それを利用しお金儲けを考えている残念な人間がいるのも現実です。 私自身、毎日どうして自分は吃音なんだろうと考えたり、特に人と話すときは条件反射的に吃音のことが脳裏に浮かんできます。自分が吃音者であると長時間考えなくてよいときは眠っている時だけです。 吃音という障害と一生付き合って生きて行かなければならないのかと思うと、心が痛みます。ちなみに、自分自身が吃音者であること以外は自分のことが全て好きです。特技とはいえませんが、歳を重ねるにつれて人の何かしらの悩みや失敗などの痛みが分かる人間になってきたような気がします。 私は学生ですが、来年から社会へ出て働くわけですが、これまでのように仲の良く気の会う仲間と一緒にいれば良いという甘い世界ではなく、今まで以上に吃音者をあざ笑い批判する人間に出くわすことが多々あることでしょう。私はまだ、学生で真面目に誠実に事を進めてきた自信はありますが、社会では結果を求められる場であり、吃音が本当に壁になることも心配です。 私はこれから社会で生きていく中で吃音をどのように自分自身を受け入れ、生きていけば良いのでしょうか?社会は受け入れてくれるのでしょうか? また、今まで恋愛に臆病になっていた自分もいますが、このような人間をきちんと受け入れてくれる女性の方はいるのでしょうか? 長々と分かりにくい文章でしたがよろしくお願いします。

  • 自分の事を受け入れてくれる異性

    このような場所で述べるのも心苦しいと思っていますが、幼い時から吃音という言語的な障害があります。これまで、幾度もなくこの障害に悩まされてきましたし、一日に何回もこの障害のことを考えていますし、人と話すときはこのことが絶対に頭をよぎるます。もちろん、世間からバカにされることもありました。 残念ながら吃音とは、私がこの世から消え去るまで付き合うことでしょう。今まで真ともに私の吃音について他人に語ったことは一度もありません。親は私が吃音だということを100%気づいていますが、親とも面と向かって話したことはありません。 友達も含め周りの人間もおそらく何かしら気づいているのでしょうが、自分の口から話せるわけがありません。理由は語るまでもありませんが。 今は大学生(男)ですが、4月から社会人になります。歳も歳ですし、これまで異性ともお付き合いしたことがないのですが、本気でお付き合いしたいと思っていますが、こんな自分を男として見てくれる異性はいるのでしょうか? 社会へ出えれば、もっと自分が吃音者であることをさらすことになるのですが、本当に心の優しい女性はいらっしゃるのでしょうか? もし、私の口から自分が吃音者であることを切り出した時、僻んだり、見下したり、バカにしたりして逃げ出したりしないのでしょうか? 半ば恋愛は諦めて一人で生きていくことになるのかと考えたりしていますが、自分の事を分かってくれるパートナーがいないと寂しい気持ちになってきます。 まとまりのない文章で申し訳ございませんでした。

  • 話せない訳・・・自分には障害が・・・

    今日、2回目の質問です。大学生(男)です。 私は、良く声をかけづらいと言われます。とてもクールでシャイな人間だと思われています。特に女性から言われます。もっと話しかけて欲しいとも言われます。自分でも確かにクールな人間だと思っています。 私ももちろんたくさん声をかけたいし、もっと面白く、たくさん話かけたいのですが、なかなかできません。それには理由があります。 私は話す時にどもりがあります。自分でもそうだと確信したくありませんが吃音者です。もう、物心ついた時からそうでした。いろいろと嫌な思いばかりしたりしてきました。本当に苦しい思いばかりしてきました。男のくせに、一人泣いていたりしました。なんで自分だけ吃音になったんだろうと思い、親を憎んだ時もあります。 喉をかき切って死んでしまおうと思ったことも何度もありました。 吃音ぐらいたいしたこともないと思っている人もいるこかもしれませんが、これは本当に苦しいです。逃げたくなることも多々あります。 みんなが普通に話している様に、私も普通でいいから話をしたいと何度思ったことか。 こんな私でも男友達は普通にいます。しかし、恋人はまったくできません。 特に女性には声をかけにくく、恋人が出来ない。そのことを吃音のせいにしてばかりいます。 こんな吃音をもっている男を受け入れてくれる女性はいますか? また、これから就職など社会にでれば多くの困難が待ち構えていると思います。社会では、吃音者は排除されたりはしませんか? これから先、私は吃音とどのように付き合っていけばよいのでしょうか?何でもいいのでアドバイスをください。

  • 吃音、どもりの悩み

    吃音という声が不自由な症状が昔からあり、とても悩んでいます。 吃音やどもりには色々な治療法があるようですが、どれがいいのかもよく分かりません。 もうすぐ新しい年度で初めて会う人と会わなくてはいけないので困っています。 吃音、どもりの何か良い治療法はありませんでしょうか?

  • アドバイスをよろしくお願いします。

    私は吃音という障害を抱える人間です。吃音という障害をご存知でない方もいらっしゃると思いますが所謂、言語障害の一種です。 私の場合、言葉(単語)を発する時に一瞬頭の中で、口に出そうとしている言葉(単語)が言えるかどうか考えてしまって言い難い言葉(単語)だと「どもり」が発生します。また、長い文章を発する場合、途中で言葉が途切れてしまい、元に戻そうとすると「どもり」が発生します。ご存知でない方は何を言っているのか理解できないかもしれませんが、ご了承ください。 今でも毎日、吃音を気にして生きています。気にしなくていいのは睡眠をとっている時のみです。吃音について考えているだけで頭が痛くなります。自分のことを憎んだり、親を憎んだりします。吃音以外は自分のことが好きですが。 吃音のため、周りとのコミュニケーションに不安を感じていますが、これまでの友達とのコミュニケーションは何とかやってこれました。 私はこれから社会へ出ますが、本当に社会でやっていけるのか不安です。また、これまで異性に対しては吃音でうまく自分のことを表現できませんでしたが、そろそろ恋人もほしい年頃です。 私のように障害を抱えている人間が社会へ出る時のアドバイスまた、恋愛面でのアドバイスをお持ちの方はよろしくお願いします。

  • 私のような人間はどうですか??

    突然申し訳ございません。私は先週、就職活動を無事に終えて、来年度から社会人になる大学生の男です。 突然ですが、私には幼い頃から悩みがあります。ここのカテで相談するのも戸惑いましたが、私には「どもり」を持つ人間だということです。自分では思いたくないのですが、「どもり」をもつ人間は吃音者だということです。いわゆる、言語障害者だということです。 私は、物心ついた時から今まで、この「どもり」に悩んできました。もちろん、人前で「どもり」が出るため、人からバカにされることもありました。本人は軽い冗談でバカにしているつもりでも私の心は傷ついていました。今ではほとんどバカにされることはありませんが… 「どもり」があるために、自分のしゃべりが憎くなり死にたいという気持ちになったことも何度かありました。 人前での発表をする時も、大恥をかくとことも多々あり、日頃、友達や先生方、知り合い、知り合いではない人の前でも恥をかくことも日常的です。受験や就職活動の面接などでも大恥ばかりで、話しをするだけで他人の何倍も非常に苦労しました。悔しい気持ち、悲しい気持ちを何度も経験しました。 全てを「どもり」のせいにするのはよくないと思いますが、「どもり」があるために、極端に人前で話すアルバイトや職業である教師などの夢をあきらめたりセーブしたりもしました。 人前で、「どもって」もあまり気にするしぐさをせずに、ポジティブに振舞っていますが内心は良い気持ちではありません。 しかし、悪い事ばかりではありません。まだ、この歳で彼女はいたことはありませんが、こんな私でも自分に「どもり」があるということ意外は何でも話せる親友や友達は普通にいます。親友や友達には恵まれていると思っています。親友や友達は私に「どもり」があるという事は気づいていると確信していますが… あと、自慢ではありませんが、毎日「どもって」失敗しているために、他人の失敗が心に響くほどよく分かるという事です。 そこで、本題ですが「どもり」をもっている人間は社会人としてやっていけるものなのですか?学生である今までは、ダマしゴマしながら生きてきましたが、社会人になるとそうはいかないと考えていますがどうでしょか? 面接では「どもり」ぱっなしでしたが、何とか運よく内定を頂く事ができましたが、やはり不安です。 また、もう来年度から社会人なり、この歳ではさすがに彼女のいないのも寂しい気持ちですが、こんな「どもり」を持っているような人間でも私を受け入れてくれる女の方はいらっしゃるのでしょうか?もちろん、自分から頑張らないといけないと自負しています。 長々と書かせていただきましたが、よろしくお願いいたします。

  • 言語障害?

    私は今高校3年生です。 幼い頃から吃音症(吃り症)と言う障害を持っています。 症状は軽い方です。 クラスのほとんどは気づいていません。 吃りに気づいていても何で噛むのって聞かれるぐらいです。 話しててまたになるぐらいです。 落ち着いて話せばなりません。 でも皆の前で話したり緊張するとメチャクチャ吃ります。 しかも極度の上がり症です。顔が赤くなるほど 学生時代まではいいのですがですが今後社会に出て人前で話したりするとき吃りがでたら困ります。 吃音症は治療方法がなくて突然に治るものだとインターネットに書いてありました。 でも自分は1日でも早く吃音症を治したいです。効果的な方法を教えてください。 後、お客様と関わらない仕事なんてありませんけど少しでもお客様と関わらない仕事があれば教えてください。

  • どもりを克服したい どもりの治し方教えて

    どもり(吃音症)を克服したいです。 話し方教室やカウンセリング、言語療法でどもりを治療しようと頑張ってきましたが、どうもうまく進んでいません。 あせりは禁物ですが、どもりの治し方を、どもりを実際に克服した人に教えてもらいたくここで質問しようと思いました。

  • 『どもり』と『吃音(きつおん)』について

    私が『吃音』という言葉を初めて知ったのは大学を出てからネットで調べてで今まで『どもり』は治るものだと思っていただけに吃音という《言語障害の一種》とホームページ上に書いてあり、どもりに悩んでいる人のどもりというのは言語障害にあたるのかとショックでした。 皆さんの中で『吃音』と『どもり』の意味合いはどのように区別されていますか? たとえば、どもりは努力してしゃべる訓練を重ねれば治る、また吃音は症状がなくならず常にその症状による対人恐怖、不安が頭にいっぱいに広がりやりたい行動を制限し続けるもの。

  • 『どもること (きつおん)』人の言動・態度をどうお考えですか?

    皆さんにお聞きしたいのですが、『どもる』人を見かけた方は多いと思いますが、どういった話し方をする人かといとこちらが「あなたのお名前は?」と聞くと『どもる』人は「た、た、た、たろう」または相手が言おうとする瞬間から3,4秒後にやっと「・・・・たろう」としゃべる話し方ですが、こういった返事を聞いてどのような人と受け止めますが? ある著名な心理学者の方が言うには、 このようなどもる人は『他者への関心の欠如』から生じているといわれています。またはどもる人は「他の人間と一緒になれないという『無能力』を示している」とも言っています。 どもる人の話し方には『ためらいの姿勢』が見られる。彼にも社会感情が残っているので仲間たちと関係を持つように迫られるのだが、彼は『自分を低く評価』していて、『試されるのではないか』と恐れるために、それが彼の社会感情と争うことになり、話すときにためらうことになる。 また、きつおん(どもり)のある人は他者と交わろうとはしませんが、1人のときはたいてい上手に話せるという証拠を私はたくさん持っています。見事に読んだり、朗詠することさえできるかもしれません。 それゆえ、どもりは『他者に対する態度の表現としか解釈することしかできません』 どもりが何か微妙でわけの分からない器質的な欠陥によって引き起こされると私が考えているとしたら、どうしてどもりのある人を治療することができるでしょう。1人でいるときはすんなりしゃべれるのに人前でいつもどもってしまうのは『どもりが患者の周囲の人に出しているサイン』だからです。 患者は信用されている場面では、どもりの強さと数が減るが、『強調能力が限界に達するとどもりが強くみられる』。電話をかけているときにどもるのは『相手への思いやりの無さ』を相手に伝えようとしているからと考えられている。 どもりの治療は『どもることへのこだわり』をやめさせることです。 患者の訴えは『症状へ目を向けさせるものなのです』。 と心理学者は言っておられます。 私は、どもったりするのは人を変えよう変えようとしているため自分はこんなにどもることに苦しんでいるんだということを相手に訴え続け常に人を非難し続けている(または人を信頼できない)が原因、ひきがねとなってどもる症状が出ていると思われるのですが、かといってそのようなことが分からなければ、症状は出続けるでしょう。ただし、どのような悲惨な環境で育ってきていてもどもらない人はどもらないし、どもりを治す努力をこれでもかというぐらい何十年にわたって努力し続けてもちっとも良くならない。だから、どもりを治す努力をすること自体に時間を費やすこと自体がどもりをさらに悪化させているような気がします。また、自分はどもるから他のことでは人には負けないとそのほかのことをすることつまりどもりと関係のないことに努力を費やすこと自体もどもりを治すことになっていると思われ、結局なにも努力するな(がんばることをやめろ)ということになると思われます。