ひぐらしのなく頃に中止の理由とコナンやサスペンスとの比較

このQ&Aのポイント
  • 「ひぐらしのなく頃に」が中止になってしまった理由や、マスコミやテレビ局の偏向報道について心痛める人々がいる中で、他のコナンやサスペンス作品との比較をすると、ひぐらしの方が残虐性があると感じる。
  • コナンやサスペンスには露骨でリアルな残虐描写があり、事件の原因によって死体の断面が見える描写もあるが、ひぐらしのなく頃にもそれと同様のテーマを扱っている。
  • 中止は悲しいが、こじつけや過剰な批判は好ましくないという意見もある。自粛の要請や批判の度合いについて、皆さんの意見を聞かせてほしい。
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こじつけ・・・

手斧で殺害事件の件で 「ひぐらしのなく頃に」が中止になってしまい心を痛めている方がいらっしゃるかと思います。 自分もその一人ですが・・・・ ですがいろんな誹謗中傷を見ている中で よく分からないことがあるんですよね・・・ 「コナンやサスペンスはどうなんだ」 マスコミや偏向報道や中止したテレビ局を恨むのは一向に構いません。 しかし上記のことだけは納得いかないんですよね。 同じ「殺人」「推理」というテーマを扱っています。 ですが「殺害内容」に関しては圧倒的にひぐらしの方が残虐性があると思うんです。 (この先ネタバレ注意。念のため書いておきます。) コナンやサスペンスに 露骨でリアルな「爪剥ぎ、掻き毟り、殴打、首釣り」 そして事件の原因となった 「武器で脳天をぶった切り、そして斬った断面が見え」 ましたか? と思うんですよね・・・。 いくら中止が悲しすぎるからといって、こういったこじつけはよくないと思うんですよ・・・。 前にあった「ドラエモンの放送を自粛してほしい」という件も含めて。 皆さんはどう思いますか? また「この批判は言いすぎじゃないか」と思うところもあれば教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yueas
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.6

どっちともいえないな、という側の意見です。 ただ、こういう作品を自ら望んで見て、影響されて犯罪を行ったのであれば、 もしひぐらしを見ていなくてもなんらかの作品に影響される・・・ と、私は思います。 質問内容で言っていた方々は、 →ならばコナンなんて一般に浸透している、  人が毎週殺されるアニメなのだから、  たまに変わった密室トリックなどがあれば感化される →ならひぐらしが×ならコナンやサスペンスなんてもっとだめじゃないか ・・・ということでは? 自ら望んであの番組を見ていなかったにせよ、 コナンはゴールデンで、チャンネルを回せば普通に見れますが、 ひぐらし~はもともと深夜アニメです。 (残虐なシーンがあるからこそひぐらしは深夜になったのでしょう) 影響を受けやすい年齢の子は本来寝ているべき。 その時間に普通に起きていることがすでにおかしいのだから、 ひぐらしを事件に繋げるなら、コナンだって デメリット(言い方がおかしいかもしれませんが)を 足せば同じようなものじゃない! ・・・・ということではないでしょうか? まあ、最近はもう小学生でも深夜に起きているのですから 実際この理論は通じないでしょうけど^^;、 それを言い出せばそもそも話になりませんので。 私はサスペンス・コナンやひぐらしより、 海外のグロいドラマ映画が普通に地上波でやってる方が勘弁です。 ビビリなので^^; (ひぐらしもゲームは やってません。 アニメはかなり危ないシーンは黒くしてあって、 見えずらくなってますから・・・録画して昼間見て、 推理やどんでん返しを楽しんでます)

その他の回答 (5)

  • mt52525
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回答No.5

 規制に反対する側の意識としては、ガイドラインが曖昧になってしまう事への不安と反発があります。  今回の事件にひぐらしとの関連が仮にあったとしても「殺害方法の一例を示した」って所でしょうけど、コナンもある意味では毎週にわたって殺害方法を例示してくれているようなものです。ひぐらしのような露骨な殺害描写が今回の事件に大きく影響したという事が立証されない限り、「表現がソフトな殺害シーン」ならOKとか「世間に認知されているアニメなら毎週人を殺してもOK」なんて、何の法にも基づかない理由で規制に差が出るんではたまったものではない、という事でしょう。明確なガイドラインを定められるのも嫌な話ですが、それも無いのに規制するって事は、任意の判断でいかようにも表現の自由は侵す事ができると言ってるようなものですから。  ただ一方で、今回の規制自体は個々の作品を潰すのを目的としているわけではなく、「そんな事件が起きている最中にこういう番組を流すのはいかがなものか」という自粛の意味合いの方が強いと思われます。  酒鬼薔薇事件の直後に、「TVチャンピオン」で特殊メイクの達人が作った自分の生首を放映してしまい抗議が殺到したなんて事もありましたし、木村拓哉主演の「ギフト」ですら、ナイフを使うシーンがあったってだけで少年犯罪との関連を取り沙汰され封印作品と化してしまったくらいですから、アニメに限った話ではなく「空気を読め」という事です。なまじひぐらしとの関連性が注目されたのは、視聴者でもあるネット住人達自身が騒いだ事が発端という面もあるわけですから…  そんな状況で構わず放映し自称識者やら市民団体やらの目に触れてしまったら、それこそどんな言いがかりをつけられるかわかったものではありません。放映されないのは残念かもしれませんが、ある意味ではむしろ作品を生き残らせる為の苦渋の決断でもあったと捉える事も必要ではないでしょうか。まぁ放映自粛が余計騒動に油を注ぐ、なんて事になったら本末転倒ですけど…

回答No.4

サスペンスなどの実写作品の場合、放送中止すると出演している俳優とその所属プロダクションに対して迷惑が掛かり、賠償金などを支払わなくてはいけないような事態になるそうです。 ヘタに大物俳優や、ジャニーズが出ていたりしたら、それこそとんでもないことになります。 対して、アニメは絵ですからそんなことしても誰にも迷惑掛からないと思っているのが実情です。 だから、アニメだけが簡単にスケープゴートにされるのです。 (情報源:放送局勤務の友人より) コナンは10年放送している日本テレビの看板番組の一つですので、簡単にそういうのが出来ないのでしょう。 ドラエもんに関しては、する必要無し。 あれは罪を免れる為に、頭可笑しいをわざと装う為の芝居ですから。 それをやったら、どの犯罪者もそれをやるぞ。 そしたら、罪に問える犯罪者が存在しなくなる。 へんな法律だよね。日本は。 頭が可笑しければ無罪かい。 殺人を犯す人間が、まともな訳ないのに。

  • KOOL_Lv30
  • ベストアンサー率14% (9/63)
回答No.3

コナンの第一話でジェットコースターで首が切り飛ばされるという映像がありましたね。 断面は見えませんでしたし、血も赤じゃなくて白だかそんな感じの色になってましたが、当時はあいた口が塞がらなかったというか、とても残酷に思えました。 コナンはどちらかといえばまだ子供向けですが、金田一少年とかだと所謂グロい表現は無いにしても、残虐なシーンはいくつもあったと思いますが。

回答No.2

 こじつけって……。「事件が起きた時点では放送されていなかったもの」を放送中止にしたから問題はないという理屈の方がよっぽどこじつけではないでしょうか。 「すでに放送していたものが悪影響を与えていた」というのであれば、逆に放送中止程度じゃ生ぬるい。製作責任者の首飛ばすぐらいでないと。

回答No.1

 同じ理由かどうか知りませんけど、SchoolDaysも放映当日になって突然の自主規制には閉口しました。  アニメの世界はあくまでも架空の世界なのでそれを現実世界とごちゃまぜにして考えようとするので、奇妙な自主規制が発生してみたり。  アニメの世界とは別にTVゲームの世界も自主規制が強化されるようですし。  かなり昔の話になるけど、将棋は戦争を連想して物騒だから廃止すべきだ!って読者投稿欄に投稿が掲載されていた人がいたり。  アニメの世界っていろいろな世界観を楽しめるからこそ楽しいと思うのですけどね。

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