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明治の都市の家族について

明治時代になって都市ではサラリーマン化 した事もあり日雇いや殖産興業労働者の様な 生活が厳しかった者は除いて官僚や巡査、記者などの 様に生活に余裕があった家族は現代の我々の様に核家族化 していたと思われるのですがどうなんでしょうか? やはり天皇制もあり裕福な都市の家族でも核家族化 しているとは言え、その中では農村の様に家父長的な面が 強かったのでしょうか? お願いします。

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  • ベストアンサー
  • komes
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回答No.2

ご質問の趣旨が今ひとつ理解し難いのですが。 明治時代はまだ過去の時代をかなり引きずっていましたから、一般家庭と商家などとは異なっていました。 まだ家族制度の観念が強く女性は抑圧されている時代です。 「生めよ増やせよ」とまでは行きませんが家族数は多い方でした。 特に裕福な家庭は子守女、女中、下男は普通で女中も座敷担当の上女中と土間担当の下女中、炊事担当の飯炊きと担当部署を区別した程です。 下女中は座敷に上がる事は許されませんでした。 家父長の権限は絶大で「亭主関白」が普通の存在でした。 商家での跡継ぎ(嫡男)の待遇は家父長に次ぎ、正面位置に並んで食卓につき、他の家族は順位順に別の食卓に並ぶという配置がまもられました。 使用人達は遙かの下座で別の食卓でした。  主人より早く箸をとることはゆるされず、早く座を立つことも許されませんでした。 政治家や官僚の場合書生という寄宿人がいて雑用、護衛役にあたり、人により家庭教師的な役割を行いましたが、基本的には躾は妻女の役目でした。

siniti009
質問者

お礼

ありがとうございました。 一般的な家庭とは都市の家族ですか? 都市ではサラリーマン化した事もあり今までの 農村とは違い夫婦中心の家族になる家もあると思ったので その様な家族の中でも家父長制は存在していたのかと言う意味です 意味が分からないと言うだけじゃなく 何が分からないのか言って欲しかったです。 ありがとうございます

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  • tanuki4u
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回答No.1

1:核家族は日本では基本 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%AE%B6%E6%97%8F 歴史人口学関係の本にありました。 歴史人口学で見た日本 (文春新書) (新書) 速水 融 (著)  などです。 2:都市の中間層 女中部屋があるのが当たり前だった。 友人の祖父が、戦前に大学教授だったそうで、その家に友人は住んでいました。普通に女中部屋があったそうです。この意味では、核家族とは言えないかと思います。

siniti009
質問者

お礼

ありがとうございました。