• 締切済み

冠詞:Japanese history / the history of Japan について

paniniXの回答

  • paniniX
  • ベストアンサー率58% (10/17)
回答No.1

 「それも分かりやすいやつを。できれば根拠も」と注文をつけられるからにはそれらが用いられている文脈、題名であれば本文の具体的内容も載せる配慮があっていいと思います。 「**の文ではJapanese history なのに、~~ではthe histoy of Japanになっていました」という具合に。またここでは冠詞の問題だけでなく、品詞、語順、前置詞の有無の問題も絡んでいますので、質問は「『日本の』といいたい場合、名詞+of Japanと形容詞形Japanese+名詞ではどう違うのか、また前者に限りなぜtheがつくのか」というべきではないですか? 難解な文法用語を振りかざす回答も問題ですが、 具体例を挙げなければ、不毛なスコラ的議論に陥りかねません。

関連するQ&A

  • Goemon: The Robin Hood of Japanの冠詞の

    Goemon: The Robin Hood of Japanの冠詞の用法。 こんにちは、いつもお世話になります。 もしかしたらものすごく基本的な事かもしれない質問なので恥ずかしいのですが、、。 上記の英文は映画「GOEMON」の英語の副題です。 (http://www.imdb.com/title/tt1054122/) 意味的には「日本のロビンフッド」ということだと思うのですが、theの一体なんという用法なのでしょうか? ロビンフッドを「固有名詞」ではなくて、「役職」と考えて「(ただ一人の)日本におけるロビンフッド。」という意味になるのでしょうか? 「のような人」の場合は不定冠詞のaを使いますから、「A Goemon of Japan.」(日本のゴエモンのような人)と書いたら間違っているでしょうか? 簡単だと思うのですが、分かりそうで分かりません。(大泣)  教えていただけますか、よろしくお願い致します。 (今回はもしかしたらお礼が遅れて月曜日あたりになってしまうかも知れません。)

  • 無冠詞とゼロ冠詞について

    はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。  ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---)  この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。  ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。  私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。

  • そもそも冠詞はなんのためにあるのでしょうか。

    とても単純な質問で恐縮ですが、ふと素朴な疑問として感じました。 日本語にはない、a,an,theなどの冠詞は、なぜあるのでしょうか。 わたしとしては、「その後に名詞が来ることを示唆するため」と考えましたが、なんのためにそのようなことをするか、理由が思いつきません。 できれば、英語の言葉としての歴史(成り立ち)から説明をしていただけると助かります。 よろしくお願い致します。

  • 冠詞について質問させて下さい。

    冠詞について質問させて下さい。 定冠詞と不定冠詞の違いは相手が何を指しているか分かるかどうかとありますが、初めて話題に出すものでも相手が分かっているだろうと推測できる場合はtheで良いですか? 特に相手が親しい人の場合は説明しなくても何を指しているのか分かる場合が多いですが・・・。 また、逆に前に話したことがあることでも相手が何を指しているのか分かっていなさそうな場合はaにした方が良いですか? 会話の中で自分がこれから話そうとすることを相手は忘れていると気付いた時などです。

  • 冠詞の質問です!

    「○○○ユニットの部品を送ります。」 などという文章の場合の冠詞の付け方を教えてください。 "We will send the parts of ○○○ unit." でいいのでしょうか。 ○○○ unitの前にもtheはいりますか? partsの前には冠詞は必要ですか? なぜそうなるかもご説明いただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。

  • 何故この場合は無冠詞なんでしょうか?

    彼は部長に昇進するでしょうか? Will he get promoted to General Manager? という英文なのですが、 何故この場合General Managerは無冠詞で用いられているのでしょうか? 自分の予想なのですが、たとえば“I go to school.”のschoolは 学校という「建物・施設」自体をを表しているのではなく、 「学校教育」というschoolの持つ機能や目的を表すので無冠詞なんですよね。 なのでこの場合のGeneral Managerも機能や目的を表すので無冠詞なのかな…?と思ったのですが…。 どうかよろしくお願いいたします。

  • 英語の冠詞について質問です。

    There are rumors that he will run for mayor. という英文に出会ったのですが、自分はmayor の前に冠詞が必要ではないかと思いました。冠詞がないのは何故でしょうか?冠詞をつけると誤りなのでしょうか? もしも冠詞をつけても良い場合、冠詞をつけた場合と、つけなかった場合の意味が変わってくるでしょうか? また、冠詞をつけても良い場合、つけるべき冠詞は aでしょうか?それともtheでしょうか?

  • 定冠詞・不定冠詞・無冠詞

    いつもお世話になっております。以前も同様の質問をさせていただきましたが、冠詞に関して依然naturalには決められない事があります。日本文を書くときはさほど迷う文法事項は無い為、まだnativeの感覚にはなっていないと思います。実際一番の問題点は文法書をできる限り細かく勉強して法則を覚えても、nativeの書いた文章を見ると法則と異なることが多々ある事だと思います。最近、自分が最終校閲した英語原著論文がそのまま出版(nativeによる査読のあと)されていますので、大勢には影響しないと思うのですが、もし迷ったときに規範となる良いtipをご教示いただけますと幸いです。 私自身は 1.単数の可算名詞の場合は必ず冠詞をつける。複数形でも文意が変わらない場合は冠詞を考える手間を省くため複数形で表記することがある。 2.不可算名詞を一般の意味で使う場合は無冠詞。可算名詞でも不可算名詞の用法がある場合は状況によって無冠詞。 3.唯一のもの、聞き手も知っているか、少なくとも聞いて想像できる名詞の場合はtheをつける(その前の文で既に使用されている場合など)。また、only/same/following/preceding/next/first/secondの形容詞などが名詞を修飾する場合はtheをつける。また、最大の場合/関係詞で限定される場合もtheをつける。 4.the+単数普通名詞で、典型・本質・抽象的性質を現す場合(the gentlemanなど) 5.その他自分の記憶に残っている文法事項には従う。例えば自分の専門である医学の場合は身体部位、臓器名、生体組織名を表す場合には定冠詞をつける。その他諸島・山脈・国名などにも。 以上の事を基本に下記の文について考えてみます。 Histone methylatyion influences mammalian development and cell differentiation by regulating transcription, chromatin structure, and epigenetic inheritance. For example, temporal changes in the methylation status of the histone are important for switching from neurogenesis to gliogenesis in late embryonic stage. Nativeが書いた文章ですが、methylation statusの前に付くtheは後の文で限定される為theは私でも付けますがhistoneの前のtheは何が規定しているか一般の読者には分からない気がします(histoneは数種類あり、そのmethylationパターンも数多くあるため)。というわけで、私だったらhistonesで複数形にするか、一般的な意味でhistoneと無冠詞にすると思います。勿論この論文を読む読者は知っていて当然だろうという意味で筆者はtheを付けたのかも知れませんが。 もし冠詞で迷ったときに良い秘訣など御座いましたらご教示いただけますと幸いです。

  • 定冠詞と不定冠詞

    定冠詞(the)は「特定された物」につく、と文法書では説明されます。しかし、 The dog is faithful. という頻繁に挙げられる例文でも簡単に「特定された物」ということでは説明出来ません。この文は二つの意味に取ることが出来ます。 1.「その犬は忠実である」 2.「犬というものは忠実である。」 1の場合はたしかに「特定された物」についています。しかし、2の場合はそうは言えません。あるサイトでは、 「種族」や「類」の全体を表すのに定冠詞を使う と説明しています。しかし「全体」とは「特定」の対立概念です。この説明は「AはAでありかつAではない」と言っているのと同じで、二律背反に陥っています。つまり説明になっていない、ということです。このような説明でこと足れりとするのは、一種の思考停止と言ってもいいでしょう。 私は、定冠詞は「全体、一般」対「特定」という視点ではなく、全く別の視点から説明すべきであると、考えています。それはこれら二つの文を共に許容する、これらの文に潜む共通性を説明する視点です。 これまで述べてきたことの裏返しが、 A dog is faithful. という文はなぜ成り立たないか、という疑問です。これが成り立つ、という意見の人があるかもしれません。またそう解説しているサイトもあります。しかし私はこの文は根本的におかしい、と思っていますので、その前提で話を進めます。 前に不定冠詞の質問をしたとき、不定冠詞の基本的な意味は「任意の」ということだ、という意見がありました。しかし「任意の」を英語に訳すとanyであってaではありません。そして Any dog is faithful. ならば問題なく成立します。なのになぜ、「任意の」という意味があるにしろ、ないにしろ A dog is faithful. という文が成り立たないのか。 The dog is faithful. も The dogs are faithful. も Dogs are faithful. も問題なく成り立つのに、なぜ A dog is faithful.だけは成り立たないのか? 「一匹の犬は忠実だ」という日本語が成り立たないのと同じ事だ、という意見があるかもしれません。その通りです。しかし私はここにこそ冠詞の問題の核心があると思っています。つまり、「一匹の犬は忠実だ」という、文法的にも、内容的にも間違っていないこの文がなぜ成り立たないのか。英語の冠詞の問題を、単なる英語の文法の問題としてでなく、おそらくあらゆる言語に共通な、言語の主体と客体と言語そのものの関係にかかわる問題としてとらえる視点へのヒントがここには隠されていると、考えています。 みなさんの、冠詞についての考え方を、できれば私の問題意識にそった形で聞かせていただければ、と思います。

  • 不可視の冠詞について

    以前<無冠詞とゼロ冠詞について>という質問投稿をしました。その時に検討課題として残しておいた問題を再度取り上げたいと思います。これから、無冠詞についての説明を行いますがおかしいと思われる点があればご指摘下さい。テーマは働きや性質が異なる無冠詞を区別する際に、どのようなやり方があるかということです。この議論を進めるからには、このような区別にたしかに意味があるとする前提で話を進めなければなりません。ご了承をお願いします。  説明の際には、最初に登場する無冠詞を無冠詞Aとし、ついで無冠詞Aと明らかに働きや性質が異なると思われる無冠詞を無冠詞B, C, ---とする、という体勢で臨みたいと思います。  まず、無冠詞(冠詞がつかないこと)がどのような事態なのかを説明します。そのためには、冠詞(不定冠詞)がつくことがどういう事態なのかという議論から始めなければなりません。(なお、今回の議論においては定冠詞は関係のない話題なので、これ以降、不定冠詞は単に冠詞という言い方で話を進めます) 冠詞が使用されるようになったのは、数えられるものに対して、数えられるものであることを示すための目印をつけるようになったことに始まります。例えば、ライオンであれば、それまでLion is running toward us. (現代英語で使用される語彙を使っています)だったのが、A lion is running toward us. となったわけです。何のためにそのようなルールを作ったかということですが、数えられるものと数えられないものの識別が文中において目に見える形でなされてほしいという要請によるものだったと推測されます。 その場合に、あるものが数えられることを示す要件は、そのものが空間的に一つのまとまりを持つと認められることでした。a lionは空間的にひとまとまりのものとしてとらえられるライオンの姿を表すわけです。  逆に、数えられないものは空間的なまとまりを持たないものです。それにはどのようなものがあるのでしょうか。  一般に<もの>は必ずカテゴリーと実体を表します。カテゴリーは概念によって表されるものなので(概念は心の中にあるものなので)数えることはできません。よって、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)を数えることはできません。 ただし、数えられるものの場合は、例えばライオンの場合、カテゴリーを表すのはa lion とthe lionとlionsです。--- A lion is a wild animal. / The lion is a wild animal. / Lions are wild animals. ここでのa lion, the lion, lionsは概念ではありません。lionという概念の外延でしかないものなのに(上のような特殊な文中において)内包的な働きを行い、カテゴリー(ライオンの種族)を表します。 この時、カテゴリーを表す普通名詞lionには冠詞がつくのに、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)にはつきません。統語的に偏りが存在すると言えます。この偏りを改善しようとすれば、water, love, John Smithに不可視の冠詞がついているのだと考える必要があります。この場合の無冠詞を無冠詞Aとしておきます。無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものということになります。  では、実体の方はどうなのでしょうか。a lionは空間的なまとまりを持つ実体(実物)としてのライオンを表しますが、普通名詞ではなく数えられないもの-water, love, John Smith-の場合はどうなるのでしょうか。実体であっても空間的に一つのまとまりを持たないもの-数えられないものには冠詞がつかないはずですが、実際、waterには冠詞がつきません。loveも同様です。(なお、不可算名詞の可算名詞用法(a water 湖 / a love (of art) / a John Smithは可算名詞の用法に準じます) ところが、固有名詞のJohn Smithは実物として一つのまとまりを持つものです。現実に身長や体積を測定することができます。ところが、実物のJohn Smithはこの世に一つしかないものと想定されるので数えることができません。よって、不定冠詞をつけることができません。 物質名詞(waterなど)や抽象名詞(loveなど)は実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たないので冠詞つかないわけですが、それらには実は不可視の冠詞がついているのだと考えることができます。その場合の無冠詞を無冠詞Bとしておきます。 John Smith(固有名詞)は実体であって空間的なまとまりを持つものですが、冠詞がつきません。その場合の無冠詞を無冠詞Cとしておきます。 冠詞のつかない状況を3種類紹介したことになりますが、もう一つ抑えなければならないものがあります。先ほど紹介したカテゴリーを表すlionsです。(Lions are wild animals.) 無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものでしたが、lionsはカテゴリーを表す可算名詞です。それなのに冠詞がついていません。 形態素の- s -は名詞が数えられるものであることを示すために登場しました。ところが、それは同時に複数のものであることを示すものだったので、単数でありかつ数えられるものであることを示す働きを持つものとして不定冠詞が登場しました。そうすると、- s - が複数を表すものであるだけに、oneの意味(一つという意味)が残っている不定冠詞を- s - と共起させることはまずいということになります。その場合、lionsは1ではない自然数のライオンたちということになります(1<X <∞)。ということは、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない集団だということになります。この場合に使われる冠詞を無冠詞Dとしておきます。 ところで、When the hunters got out of the jeep, they saw lions running in the prairie. という文も書けます。実物を表すlionsですが、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない表現です。この場合に使われる冠詞を無冠詞Eとしておきます。 結局、無冠詞が5種類取り出されました。これは面倒だということで、区別することを放棄して一括して「無冠詞」として扱うことも可能です、実際、冠詞の解説書の多くがそうしています。  5種類のすべてを認めることは非効率的です。可視の冠詞でさえ2つしかないわけですから、実際的な面、例えば冠詞の指導といった面を考えると、せいぜい2つに絞るべきだと思います。実際、ゼロ冠詞とナル冠詞という呼び名が流布されていることだし、その線で考察を進めたいと思います。では、5つの無冠詞をどう調整するかということですが、ここで整理しておきます。  無冠詞A-カテゴリーを表す不可算名詞につけられるもの (water, love, John Smith) 無冠詞B-実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たない不可算名詞につけられる もの (water, love) 無冠詞C-実体であって空間的なまとまりを持つにもかかわらず数えられないもの (John Smith) 無冠詞D-カテゴリーを表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつ      けられるもの (lions) 無冠詞E-実体を表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつけられ     るもの (lions) 絞り込みのやり方として、もっとも適当と思われるやり方を考えてみたいと思います。絞り込む前に、不定冠詞がいかなる目的のために作られたものであるかを再確認しておきます。要は、数えられるものと数えられないものを区別するためのものだったわけですが、それは空間的なまとまりをとらえることができるかどうかという問題と関わっていました。そうであるなら、絞り込みのポイントはそうした観点から考察するのが適当だと考えます。 5つの無冠詞のうち空間的なまとまりをとらえることができる(限定詞と同じ発想の)ものは無冠詞Cだけです。そうすると、無冠詞Cとそれ以外の無冠詞(無冠詞A,B,D,E)を区別するのが本義に沿うやり方ではないかと思います。 ところで、付け足しになりますが、固有名詞John Smithの実体(外延)であるJohn Smithは言語共同体において唯一のものと承認されているものなので、定冠詞がついているのと同じ効果を持ちます。そのことも考慮に入れると、やはり、無冠詞Cは別格の存在ではないかと思います。 これ以外の区別の仕方として、カテゴリーか実体かというのもありますが、あまり本質的な着目ではないという気がします。ご意見をお待ちします。