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呉の国(三国志)

呉の国は孫権の政権下で240年代から10年ほど皇太子の孫和を王としようとする一派と三男の孫覇を王にしようとする一派が争ったらしいんですが、孫権が死ぬのが252年と考えると、なぜ孫権は両派の争いを止めることができなかったのでしょうか? ご存知の方お暇なときで結構ですので回答お願いします。

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  • mouryou
  • ベストアンサー率27% (229/826)
回答No.1

 その頃の孫権は以前の名君ではなく、暴君であり暗君であったようです。加齢による思考能力の低下などが考えられます。  こういったことは歴史上にはたびたびあることで、日本でも西郷隆盛が西南戦争を止められなかったのは鬱的傾向があったという説があります。  名馬も老いては度駄馬にも劣るといわれることと同じだと思います。

sixteenyers
質問者

お礼

初耳でした。回答ありがとうございます。孫権は孔明にほめられるほどの名君だったと聞いたのですが、やはり老いには勝てなかったようですね。

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