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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:勝小吉の喧嘩について(江戸時代の喧嘩のルール))

江戸時代の喧嘩のルールと勝小吉の喧嘩について

fujic-1990の回答

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 勝海舟のおじいさん(曾祖父?)は、越後の盲目の按摩さんです。江戸に来て、旗本・御家人株を買って、長男は、ヤットー道場で有名な男谷家(旗本)に婿入りさせ、弟を御家人の勝家に婿入りさせたんではなかったかな。  うろおぼえのため、出典とか聞かれると返事はできませんが、何かの本で、 (1) 兄貴の男谷精十郎の地位、人望が高く、いつも尻ぬぐいしてくれていた。 (2) 小吉が暴れたのは、界隈の庶民を救うためだった(相手はやくざみたいなヤツ)ことが多く、なにかあると嘆願書が多数よせられた。 (3) にくみがたい性格で、界隈の庶民から好かれていた。 (4) サムライと言えるかどうか、場合によってはあれはサムライとはいえません的に逃げることができるほど、本当に低い身分だった。  などの理由で大事にはならなかったみたいです。  性格ってのは大事でねえ。真面目な私が島田紳助みたいなことを言っていたらたちまち牢屋入りでしょう (^o^; 。  なお、一般常識として武士の立場は、質問者さんや1番さんがお書きの通りだと思います。

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