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どうして「はにわ」は中空なんですか?

どうして「はにわ」は中空なんですか? 昨日、ぎりぎりで開催期間に間に合うかたちで「東京国立美術館」の「日本美術の歴史」のようなものを見てきました。 そこで、6世紀頃よく作られた「はにわ」についての質問です。僕はこの「はにわ」を見たときに何か、中から見つめられているような感覚を覚えました。あの、なんともいえない愛らしい表情をしているはにわに何か人格的なものを感じたのです。これは僕自身の勝手な思い込みだと思うのですが、どうして「はにわ」が中空なのかわかる人教えてください。 P.S.ついでに、同時代朝鮮半島から渡来してきた須恵器との関係も出来たらお願いします。

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noname#21649
noname#21649
回答No.4

「はにわ」は大体500度以上で焼いてつくります。水の沸点は100どですね。だから.粘土の中の水をうまく逃がさないと.粘土の中にできた水蒸気が膨張して爆発します。以前乾燥を手抜きした厚さ6cmを夜行としたらば.見事に爆発して.破片しか残りませんでした。 あとは.粘土の表面と内部との温度差が激しいと.焼くときに粘土の膨張率の違いでひびが入ります。厚さ2cm以上の土器ではこの問題が出ます。 関東地方の方でしたらば.栃木県益子のどこかで.埴輪を作っているところを見せてくれる場所があるので.益子の観光課などに聞いてみてください。

Evianus
質問者

お礼

おお、すごい実際に作っている人からの回答ですね。 茨城県の益子。覚えておきます。 そうですかー。実際そういう問題が起こるんですね。 経験者ならではの回答です。 お礼遅れてすいませんでした。

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その他の回答 (3)

  • tote81jp
  • ベストアンサー率36% (53/145)
回答No.3

まず第一に埴輪は「焼き物」ですから、中身が詰まっていては乾燥も出来ないし焼いたら割れてしまいます。 埴輪の起源はAD3Cの供献用の底抜けの壺でした。 人物埴輪が出現したのはAD5C後半からで、 特に流行したのは6Cの関東地方でした。 関東地方では儀式の様子を埴輪によって再現したので人物埴輪が必要だったのです。 須恵器と埴輪では焼成窯の形と焼成温度が異なります。 須恵器は酸化還元炎焼成という方法で焼かれています。 この方法は加熱の最中に酸素の供給を一定時間止める為、 通常は大型の登り窯で焼かれ灰色に堅く焼き締められています。 これに対し埴輪や土師器は特殊な窯を必要としません。 埴輪制作に携わっていた氏族は土師(はに・はじ)氏と推定されています。この氏族は埴輪だけではなく古墳の造営全般を担当した氏族と考えられています。 人物埴輪に「魂」がこもっているかどうかは不明という他は有りませんね。

Evianus
質問者

お礼

>関東地方では儀式の様子を埴輪によって再現したので人物埴輪が必要だったのです。 面白い。僕にとっては新事実です。 「魂」を感じたのは個人の思想の自由で許してください。 別に僕は無宗教ですが、こういうこと考えるの好きなのです。 お礼遅れてすいませんでした。 回答ありがとうございました。

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  • ZhakTin
  • ベストアンサー率30% (48/155)
回答No.2

埴輪って焼き物ですよね。 火を通すうえで、中空のほうが都合が良いのではと思います。 土で形を作った後、天日干しをして乾燥させるわけですが、中が詰まっていると乾かないでしょうね。 水分を含んだまま焼くと割れてしまうのではないでしょうか。 ちなみに私は中国の兵馬庸を観ていたく感動しました。

Evianus
質問者

お礼

兵馬用ですか、いいですね。僕も中国大好きなので、今度はそれを見に訪れたいと思います。 そうか、焼き物ということをわすれていました。 でも、なんかあの中空気になるんだよな… 返答ありがとうございました。

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回答No.1

埴輪は生贄の代わりのあの世への従者ということでたくさん作って権力者のお墓の周りに埋められたものですよね。 単純に、中までぎっしりだと粘土もようけいるし、それに埋めるのも重たくて大変だと思うんですけど。 類推でごめんなさい。 でも、類推するしかないわな。

Evianus
質問者

お礼

返答ありがとうございます。 中までぎっしりつめたら確かに粘土の使用量が圧倒的に増えてしまいますね。 あの中空に魂が宿るという考え方はどうですかね。僕も推論ですけど。

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