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キリスト教では 人は 究極的に 肉体を持ったまま永遠の命?

熱心なキリスト教(宗派は知りません)を信ずる友人から聞いたのですが、この世の万物は神の計画に基づき作られ、神は地上を永遠の楽園にすることが目的だと。さらに、人は肉体を持ったまま永遠の命を得るのだと。 さらに、この計画は成就間近だと。 これ、ホントにキリスト教が説いていることなのでしょうか?信者の方々信じているのでしょうか?(事実なら凄いことですからね) 自然科学を学んだ者として抵抗があります。 友人の解釈だけの話なのでしょうか。 浅学の私に、お教えください。

みんなの回答

noname#32551
noname#32551
回答No.1

エホバの証人かな… キリスト教というより…エホバ教ですよ キリスト教=十字架やキリスト像に祈るでしょ? キリストは神じゃない(そりゃそうだ と思うけど)。 神は神 人間じゃないから 像も要らない 十字架も無意味だそうです。 でも…人間や宇宙と作った神だったら 別にできないことじゃないと思うよ? それを信じるかどうかは別として…

toyakoyou
質問者

補足

早々の書き込みありがとうございます。 エホバの証人 ですか。 これって 正統 キリスト教では ないのですね。 これ 信者って かなり 多そうですね。

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