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近藤勇の養子
大河ドラマ新撰組を見て知ったのですが、勇は養子を1人とっていて、その子は剣は苦手だが学問が得意だったので、勇はその子に生き延びて学問で身を立てるよう進めていたそうです。その養子は、勇の死後どうなったのですか。
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大河ドラマは見ていないので、よくわからないのですが・・・ 谷周平(近藤周平)・・・谷三十郎と谷万太郎の実弟で近藤勇の養子となり、その後、養子縁組を解消されたこの人の場合は、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗退した後、新撰組が大阪から海路、江戸に戻った時に脱走。 大阪で脱走との説もあります。しばらくは消息不明になります。 再び姿を現したのは、明治になってからで故郷の備中松山に戻ってきました。その後、再び故郷を出て、神戸で鉄道会社に勤務。53歳で病死したそうです。結婚もしており、娘が一人いたそうです。 近藤勇五郎・・・この人は近藤勇が京にいく前に娘の婚約者にした人物で、近藤勇の処刑後、その遺体を引き取り龍源寺に埋葬。明治9年に近藤勇の一人娘「たま」と結婚。剣術道場を開きます。83歳で死去。
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- mat983
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回答No.1
道場を開いています。下記を参照下さい。 近藤勇の養子で天然理心流五代目宗家、近藤勇五郎が開いた天然理心流の道場。http://www.osk.3web.ne.jp/~wolfshan/edosiseki/hatuun.html
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。記憶があいまいなので私のまちがいかもしれませんが、養子になった人は剣がだめだったので、維新後、政治家になった?とどこかで聞いたような気がしていました。ご回答どうりなら、私の思い違いか、養子は2人以上いたのでしょうか。確かにドラマでは剣は苦手とされていたので、後に努力して上達したのでしょうか。
お礼
教えていただきありがとうございます。大河ドラマで私が印象に残っていたのは、谷周平さんの方だと思います。ドラマでは、勇の温情で、むしろ離縁したほうが罪人の子として生きるよりはいいだろうとのはからいがあったとのことです。ぽっぽやさんになったとは意外でしたが、しかし当時の鉄道員というのはかなりのエリートだったのではないかと思います。