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『こころ』の「上十五」2

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十五」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。結末部分はまだ読んでいないので解答の際には触れないでください。次は参考ページです。http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html​ 1.先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命(いのち)の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。 なぜ「私」は「先生の頭の中にある生命(いのち)の断片」になったのでしょうか。「生命(いのち)の断片」が何を指すのかはよくわかりません。 2.むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。 「妨げる」は現在でも使われるのでしょうか。読み方は覚えにくいです。 3.奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空(あ)けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。 (1)「気味をわるくする」とはどんな感覚でしょうか。 (2)「そこへ」はどういう意味でしょうか。 (3)「家を空ける」はどういう意味でしょうか。 (4)「事情ができてきた」の「くる」の使い方は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の「(ウ)ある事態が出現し、またある現象が現れる意を表す」という項目にあたるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AF%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 (5)「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているもの」という部分を「/」で区切っていただけませんか。この部分の構造がよくわかりません。 (6)「奉職」という言葉に「世間に認められる偉い仕事に勤める」というニュアンスが含まれているのでしょうか。 (7)先生の友人に対して、なぜ敬意を払うべき言い方「奉職している方」を使わずに、「奉職しているもの」とするのでしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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回答No.2

1 これもまた、文学的な修辞で、論理的に理解するのはなかなか難しいところです。解釈しようと思えば、どんなふうにでも解釈できてしまいそうです。以下は、あくまで個人的な読解を述べます。  まず、「生命の断片」になったのは「私」ではなく「その墓」です。「私は」は「受け入れた」にかかります。「先生の頭の中にある生命の断片として」や「その墓を」も、「受け入れた」にかかる副詞句です。「私」は主語ですね。  「先生」にとっては「その墓」は、重大な過去と結びつけられた、現在でも生き生きとした意味をもっている墓です。「私」にとっては、その墓はなんの意味もないただの墓ですから、「私」に「先生」の秘密を示してくれる役には立ちません。このことが「二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかった」と表現されています。すると「生命の扉を開ける」という表現は、「先生の生き方の真の意味を解き明かす」ということを意味していると考えられます。さて、墓は「私」の頭の中にも「先生」の頭の中にも受け入れられているわけですが、「先生」にとっての墓は、彼の過去と結びつき、彼の現在の全生活とも結びついた、まあ「先生」の「生きざま」の断片だということになります。そういうわけで、この「生命の断片」は、「先生の生きざまを示しているかけら」というぐらいに理解すればよいのではないでしょうか。  漱石の小説なんて、普通はなんとなく読み流すものですが、本気で解釈しようとすると、日本人でも大変です……。 2 読み方は「サマタげる」ですね。「妨害する」という意味で、現在でも普通に使われます。 3(1) 現代日本語では「気味悪い/気味悪くなる」などと、「を」を抜かして使います。「薄(うす)気味悪い」も同じ意味です。「嫌な気持ちになる/不安になる」という意味です。激しい恐怖や嫌悪ではなく、理由や対象がよく分からない曖昧な気持ち悪さのことです。 (2) 「そこへ」は場所ではなく状況を示しています。「奥さんが嫌な気持ちになっている状況があって、そういう状況の中で」という意味です。Infoseek の辞書(http://dictionary.www.infoseek.co.jp/)の格助詞「へ」の項目に、『(「…たところへ」「…ているところへ」などの形で)動作・作用の行われる事態を表す』という説明が載っています。 (3) 家から居なくなるということ、留守にするということです。 (4) (ウ)のような気もしますし、(オ)のような気もします。(オ)なら「だんだん事態が進行し、遂に留守にしなくてはならない状況にまで至った」という意味です。「友人が上京した」という事態が突発的なものなら(ウ)ですし、前からその計画を聞いていたのなら(オ)です。どちらで理解しても構いません。 (5) 「先生と同郷の」は「友人」にかかります。「地方の病院に」は「奉職している」にかかります。これらの修飾語句を削ると、「友人で奉職しているもの」ということになります。この「もの」は「者」であり、「友人」のことを意味しています。「友人であり、かつ、奉職している者であるような人」ということです。 (6) まあ含まれていますね。詳しいことを言うと、「偉い仕事」ではなく、「公共の職業(政府機関、学校、病院)」の場合にのみ使われる表現です。いくら偉い仕事であっても、たとえば「小説家」には「奉職」という言葉は使えません。 (7) 先生本人には敬意を払うべきですが、その友人にまで敬意を払う必要はないからではないでしょうか。特に小説の「地の文(小説における会話以外の文章)」では、敬意の表現は多く省略されます。この文章で「方」を使ってしまうと、「私」の直接の知人に直接敬意を払っているような印象をうけますし、女性的な表現のような印象もうけます(女性は敬意を払う表現を多用します)。とにかく、ここを「方」にしてしまうと、少し不自然になるでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 お礼が遅くなり申し訳ありません。いつもお世話になります。ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございました。「生命の断片」を詳しく説明していただき助かりました。私もできるだけ読み流しようとしていますが、どうしても想像をつけられないところなので伺いました。「妨げる」は五つの平仮名もあって覚えにくい単語です。やはり覚える必要があるんですね。繰り返し読むうちにできるだけ早く覚えるようにしたいです。「気味を悪くする」の「理由や対象がよく分からない曖昧な気持ち悪さ」のニュアンスは大変助かりました。私は「単にちょっと怒る」の意味と間違えました。「地の文(小説における会話以外の文章)」では「人」を「もの」と呼ぶのは初めて知りました。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。補足に対して、もう少しご意見を伺えば嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

awayuki_ch
質問者

補足

1. >このことが「二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかった」と表現されています。 ここの「二人」とは「私」と先生を指すのでしょうか。それとも先生と先生の友人を指すのでしょうか。私は後者だと思うのですが、どうもtani_roheiさんの意味は前者のような気がします。 2. >現代日本語では「気味悪い/気味悪くなる」などと、「を」を抜かして使います。「薄(うす)気味悪い」も同じ意味です。「嫌な気持ちになる/不安になる」という意味です。 (1)奥さんは気味をわるくした。(夏目漱石の原文) (2)奥さんは気味がわるくなった。 (3)奥さんは気味わるくなった。 上の三文は奥さんの気味悪さの程度を順に並べていただけませんか。 3. >先生本人には敬意を払うべきですが、その友人にまで敬意を払う必要はないからではないでしょうか。特に小説の「地の文(小説における会話以外の文章)」では、敬意の表現は多く省略されます。この文章で「方」を使ってしまうと、「私」の直接の知人に直接敬意を払っているような印象をうけますし、女性的な表現のような印象もうけます(女性は敬意を払う表現を多用します)。とにかく、ここを「方」にしてしまうと、少し不自然になるでしょう。 「方」でなくても少なくともその友人を「人」と呼ぶ必要があるでしょう。私は他人を「もの」と呼ぶ使い方は、まだ慣れていないと思います。謙譲語のつもりでの「私は中国から来たものです」ならわかりますが、他人に「もの」を使うのは失礼にならないのでしょうか。また、「なにもの」という日本語はあまりきれいではないようですね。

その他の回答 (8)

回答No.9

 #6です。 (1)奥さんは気味をわるくした。(夏目漱石の原文) (2)奥さんは気味がわるくなった。 (3)奥さんは気味わるくなった。  うーん、そうですね、(1)はどちらかというと静的な表現で、(2)と(3)は動的な表現のような気がしますね。本当に、たいした違いもないんですが。「気味を悪くした」は客観的な表現で、奥さんの心理状態を他人が述べているような感じになりますが、(2)と(3)は、奥さんの心の中まで話者が知っているような感じがします。だから少し違和感があります。主語が一人称なら、「私は気味が悪くなった」というふうに、違和感のない表現になります。  でも、そんなに気になさる程の違いはないと思いますよ。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。本当に意地悪な質問ですね。自分でもその意地悪さがわかっています(^^;)。申し訳ありません。だいたいの感覚はつかめました。何度も親切に回答していただき本当にありがとうございました。

  • hakobulu
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回答No.8

#7です。 「じゃ」は下の「(2)疑問・質問の意を表す。…であるか。」ですね。 ただ、この辞書には「副詞を伴って」とありますが、「疑問の語を伴って」と解釈されると良いでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B8%A4%E3&kind=jn&mode=0&base=1&row=0 「(私にとっての)新しい発見」としてのパニックは大歓迎です。 「嬉しい悲鳴」といったところでしょうか。 こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。 ◆ 子供の頃は、スイカの種をできるだけ遠くへ飛ばす競争をよくしたものです。 プップッという音がまた良かったんでしょうね。 今は、種を取るのが面倒なのでスイカはあまり食べません。^^; でも食べるとおいしいですね。 こちらでは夏にならないとスイカは出回りません。 もう雪は降りそうにないので、昨日やっとスタッドレスタイヤから夏タイヤに交換しました。 雪の匂いに替わって、土の匂いが風に乗って流れてくるようになったみたいです。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。「じゃ」の使い方はよくわかりました。大変助かりました。怠け者なので、まだ田植え、稲刈りを覚えようとする気がありません……。  スイカの種を遠くへ飛ばす遊びをされたんですか。種のいたるところでスイカの花がぱっと咲き出したんでしょうか。どうもスイカの種は簡単に芽吹くことができないような気がします。小さい時、何回も植木鉢に種を埋めたんですが、スイカをなすどころか、一回も芽吹いてくれませんでした。植えたものは私の期待を裏切るのにもう慣れてきたかもしれません。  春はだんだん近づいてきましたね。その足音に耳を澄ませましょう♪。

  • hakobulu
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回答No.7

#4です。 1. (1)奥さんは気味をわるくした。(夏目漱石の原文) (2)奥さんは気味がわるくなった。 (3)奥さんは気味わるくなった。 上の三文【を】奥さんの気味悪さの【】順に並べていただけませんか。 ーーーーーーーーーー :ここでの「気味悪さの程度」に順番は付けられないですね。 違いがあるとすれば、 (1)は、どちらかといえば奥さんの状況を客観的に見ている表現。 (2)は、奥さんに感情移入した表現。 (3)は、どちらとも言える。 という感じでしょうか。 『話し手が「奥さんの気味悪さ」を強く感じている程度の順』 ということであれば、 (2)>(3)>(1)となるかもしれません。 2. >逆の場合でも「家を空ける」を使えるのでしょうか。つまり、奥さんだけが家を離れて先生は家にいるような場合。 :使えます。 先生にすれば、「家内は今ちょっと家を空けております」などと言うことが可能です。 尤も、「家内は今ちょっと留守にしております」と言う場合の方が多いでしょうが。 3. >奥さんが気味悪がる状況が重なったので、「私」が留守番を頼まれることが自然な流れとして読者に感じられるわけです。 どうも私は勘違いしたようです。奥さんが気味をわるくした原因は、先生はたぶん一連の盗難の泥棒と思っているのではなかったのでしょうか。 ーーーーーーーーーー :勘違いではありません。 awayuki_chさんのおっしゃることが正しいのです。 私の表現が不正確だったということで、申し訳ありません。 「× 奥さんが気味悪がる状況が重なったので」ではなく、 『○ 奥さんが気味悪がる状況に拍車を掛けることになったので』とすべきでした。 4. >「有難がっていました」はどういう意味でしょうか。同じ意味の別の表現に言い換えていただけませんか。 :【大した価値も無いのに有難いと思うこと】を揶揄した表現です。 公共機関といえどもその重要性は他の仕事と大差ないわけですから、 意味も無く有難いと思うのは、強いものに阿る卑屈さの現われだ、といったようなニュアンスですね。 (ex)「いくらお腹が空いているといっても、こんなまずいものを有難がって食べるはずがない。」 言い換えるとすれば『意味もないのに特別値打ちがあるように思っていました』でしょうか。 >また、「奉げる」の読み方も教えてください。辞書で見つけられませんでした。「奉る」を見つけましたが、どうもこれではないような気がします。 :「奉げる(ささげる)」のつもりだったですが確かに辞書にはないですね。 「たてまつる」の他にも「ささげる」と読むと思っていたのですが、私の勘違いのようです。 ずっと間違って覚えていたのかもしれません。^^);;;;; ちょっと質問を立ててみますが、とりあえず「捧げる」に訂正させてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2873120.html 5. >私は自分を「もの」という謙譲語の「私は中国から来たものです」はよく理解できますが、他人に「もの」を使うのは失礼になる恐れがあります。 また、「なにもの」という表現はあまりきれいではないようですね。 :「もの」を使うと失礼になる場合も確かにあります。 ただ、使わないと「本質を適切に表現していない」という意味で逆に失礼になる場合もあります。 時代劇などで、武家屋敷に入った盗賊などに対して「なにものじゃ!」などと叫んでいる映画がよくあります。^^ この場合は無論、良い意味ではありません。 しかし、 「こんな素晴らしい絵を描くとは、一体彼はなにものだろう」などという文の場合は、【素晴らしい才能を持つもの】というニュアンスを強調することになり、むしろ褒め言葉になります。 これが、 「こんな素晴らしい絵を描くとは、一体彼は誰だろう」であれば、「才能」に対する【注目度】はグッと低くなります。 人物に興味があって、その才能は二の次、ということになってしまうからです。 本人が陰で聞いているとすれば、前者のように言われたほうが数倍うれしいはずです。 また、他人の長所を褒める時に、「大したものだ」という慣用句があります。 この場合は、「もの=者」ではありません。 「もの=(その人の)中身(=本質=長所)」です。 替わりに「大した人だ」という表現もできるのですが、本質が霞んでしまうでしょう。 ただ、これらはどちらも気さくな(=friendly)な表現ですから、堅苦しい場所で目上の人に使ったりするのは適当ではありません。 また、特に長所というわけでもないのに「大したものだ」と言うと揶揄表現としての侮蔑語になる危険性もありますから、使うタイミングには留意する必要があります。 相手を心から褒めたつもりでも、相手自身がそう思っていない場合もあるからです。 この表現は諸刃の剣と認識しておいてください。 >「人」としたら、「一般性」は失ったのでしょうか。「本筋とは全く関係の無い」の「本筋」とは何でしょうか。『その友人の「個」がクローズアップされてしまう』意味もよくわかりません。 :本筋=「こころ」という小説の流れ、です。 本筋では、「先生の友人が上京した」→「それで先生が出かけなければならなくなった」という流れさえ表現できれば十分なわけです。 その友人が病院に勤めていようが、八百屋さんであろうが全く関係ありません。 確かに、「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職している人」とするほうが丁寧です。 決して間違いではないのです。 平叙文においては、このように書くべきでしょう。 しかし、小説の流れという大筋を重視するならば、その筋に不要なことはあまり目立たせないほうが良い、ということです。 読者の立場からすれば、 「人」とすると、無意識的にせよ「どんな人なのか、もう少し知りたい」という興味も湧きます。 「クローズアップされる」という言葉は、このような意味で使いました。 「もの」とすることで、「友人に対する単なる(一般的な)説明」に留めておこうという意図が伝わるわけです。 (EX) 「一般性」という他例を挙げてみます。 とてもおいしいお菓子Aを食べた感想を日記に書く場合、 「他にも色々おいしそうなものがあったが、私はAが一番気に入った」と書くように思います。 「BやCもおいしそうだったが、私はAが一番気に入った」 「他のお菓子もおいしそうだったが、私はAが一番気に入った」 などと書くよりはAの「気に入り具合」が良く表現できるのではないでしょうか。 >もし、先生の友人を軽蔑したいニュアンスを出したいなら、原文の中の「もの」はそのばかにするニュアンスを伝えられるのでしょうか。「やつ」を使ったほうがよろしいのでしょうか。 :「もの」だけでは伝えられないと思います。後半に彼のことをもう少し詳しく書けば、結果としてばかにするニュアンスになるでしょう。 「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京した。彼の名前はBといって、先生とは大分親しそうだった。 内容は聞き取れなかったが、Bと先生はしきりに昔話をしては声を上げて笑っていた。」 このように詳しく言及するのであれば、先の「もの」というのは明らかに失礼になるか、または、ばかにする意図があることになります。 「私はBに対してどうしても良い印象を持つことができなかった」などという文が続くと、「もの」という表現が生きた自然な流れになります。 「やつ(=奴)」であれば確実に伝わるでしょう。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。「気味をわるくする」と「気味(が)わるくなる」の違いはだいたいわかりました。「家を空ける」は奥さんが留守にした場合で使っても構わないんですね。「拍車を掛ける」という表現は私にとって新しい表現です。覚えておきます。また、今回の「本質が霞む」と「諸刃の剣」とこの二つの表現も印象深いです。「有難がる」の使い方は勉強になりました。「奉げる」の読み方もよくわかりました。わざわざ質問を立てていただき心より感謝いたします。拝見しました。大変参考になりました。いつもパニック状態にさせてしまい申し訳ありません。「もの」と「人」の感覚の違いを詳しく説明していただき大変助かりました。「もの」の「諸刃の剣」の性質を認識してみます。「一般性」と「クローズアップされる」の意味もよくわかりました。汚い言葉を聞いてしまい申し訳ありません。私自分自身に使ったら大丈夫でしょう。言葉の力は時々信じたくなくなりました。こんなつもりでなかったのに、なぜ相手がこんな意味と取りたかったのかよく困ります。相手に誤解を招かないような言葉遣いを勉強したいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。今日スイカを食べました。今年の初めてのスイカです。おいしかったです。今年もやはり甘いお菓子の変わりに、新鮮な果物をたくさん食べたいです。

awayuki_ch
質問者

補足

>時代劇などで、武家屋敷に入った盗賊などに対して「なにものじゃ!」などと叫んでいる映画がよくあります。^^ 申し訳ありませんが、古文はぜんぜんわからない者でございます。「なにものじゃ!」の「じゃ」はどういう意味でしょうか。

回答No.6

 #2です。 >ここの「二人」とは「私」と先生を指すのでしょうか。それとも先生と先生の友人を指すのでしょうか。私は後者だと思うのですが、どうもtani_roheiさんの意味は前者のような気がします。  そうですね、ぼくは前者の意味で理解しました。後者だと考えても、解釈できないことはありませんが、やはり前者で理解するのが自然だと思います。文脈を考えてみましょう。「私」と「先生」は、その墓を頭の中に共有しているのです。共有物があるということは、普通に考えれば、おたがいの心の繋がりをより緊密にしそうなものです。ところが、「先生」にとってその墓は生きており、「私」にとってその墓は死んでいるので、ちっともおたがいを親密にさせる役に立たないどころか、逆に心の繋がりを阻害するのです。ぼくは、そういう逆説的な文脈だと理解しました。 >上の三文は奥さんの気味悪さの程度を順に並べていただけませんか。  気味悪さの程度はすべて同じです。どれを使っても、ほとんど違いはありません。「気味の悪さを感じた」など、ほかにも言い方はありますが、どれも気味悪さの程度は変わりません。  なお、質問文の添削をさせて頂くと、『上の三文「を」奥さんの気味悪さの程度「の」順に並べていただけませんか』と書くのが自然です。 >他人に「もの」を使うのは失礼にならないのでしょうか。また、「なにもの」という日本語はあまりきれいではないようですね。  「人」と「者」のニュアンスの違いは、とても微妙です。どちらを使っても構わない場合もありますし、片方しか使えない場合もあります。  「者」には、確かに、使われた人間を低めるようなニュアンスもあります。だから、自分や身内に「者」を使うと、謙譲の意味が出るわけです。しかし、尊敬語や謙譲語は、自分と相手に関係がある場合にしか使いません。自分と利害関係がない他人、自分がこれまで喋ったこともないし、これからも喋ることがないような他人にむけては、尊敬語も謙譲語も使う必要がないのです。  「者」という言葉は、誰かと会話している場合や、自分もしくは自分と関係の深い人間に使う場合、この言葉を使った相手を低めるようなニュアンスが混じります。だから「家(うち)の者が××だと申しておりました」などと使うと謙譲になります。この例文では「人」を使うと不自然になります。  しかし、自分と関係のない本当の他人のことを「者」と表現する場合、そこには低めるニュアンスは混じりません。なんの感情も含められていないのです。そういう場合、「者」という言葉は単純に「人」という意味です。「奉職している人」と表現しても、ニュアンスは変わらないわけです。「者」の方が、少し書き言葉的な表現になりますが、それだけの違いです。特に小説文というのは、作者による客観的な描写ですから、感情を含めるような表現(敬意表現)は少なくなります。小説の「地の文」の中なら、「社長は××とおっしゃった」と表現しても「社長は××と言った」と表現しても、どちらでも構いません(むしろ後者の方が自然です)。  小説中でも敬意表現が多用されるのは、まあ天皇/皇族/貴族の場合だけでしょうね(貴族なんて、今は存在しませんが)。  それから「何者」という表現も、別に汚いということはありません。目の前の泥棒に対して「何者だ!」と叫ぶ場合は、少し低めるニュアンスも入ってきますが、「一瞬で十人の敵を倒してしまうなんて、彼は何者だろう?」などと言う場合は、汚くもありませんし低めてもいません。「者」という言葉は、あまり感情が込められていない表現ではありますが、侮蔑語ではないということです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。「二人」の意味はよく理解できました。助かりました。補足の文を添削していただき大変嬉しいです。今度気をつけるようにします。「人」と「者」のニュアンスについて詳しく説明していただきありがとうございました。だいたいの感覚はわかりました。本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>> (1)奥さんは気味をわるくした。(夏目漱石の原文) (2)奥さんは気味がわるくなった。 (3)奥さんは気味わるくなった。 >気味悪さの程度はすべて同じです。どれを使っても、ほとんど違いはありません。 ほとんど違いはないとおっしゃっていても、少なくとも(1)と(2)の違い、あるいは(1)と(3)の違いを知りたかったのです。「気味を悪くする」と「気味(が)悪くなる」の中では、気味悪さを表現するために、どちらがより効果的な表現なのか知りたかったのです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

#4です。 訂正箇所がありますので再度おじゃまいたします。 × しかし、このへんの助詞関係を完全に操れるようになれば、awayuki_chさんが【中国の方だとは誰も信用しなくなる】でしょうね。(^^;) ○ しかし、このへんの助詞関係を完全に操れるようになれば、awayuki_chさんが『中国の方だとは誰も思わなくなる』でしょうね。(^^;) または、 ○ しかし、このへんの助詞関係を完全に操れるようになれば、awayuki_chさんが『中国の方だと言っても誰も信用しなくなる』でしょうね。(^^;) 普段偉そうに言っていても、こういう間違いを平気で犯しているのがネイティブの現状です。(^^;);;  

awayuki_ch
質問者

お礼

 はい、了解しました。この回答は面白いデザインになっていますね。シャーロックホームズの『踊る人形』の暗号みたいです^^。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

1、 {先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命(いのち)の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。} :『先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、【その墓を】先生の頭の中にある生命(いのち)の断片として、私の頭の中にも受け入れた。』 ということです。 2、 「妨げる」はよく使われます。 発音しづらい音なので確かに覚えにくいと思います。 3、 {奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空(あ)けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。} (1)「気味をわるくする」とはどんな感覚でしょうか。 :「不安で、ちょっと怖い気持ち」です。 夜道を一人で歩いていると四角い箱が落ちていました。 何が入っているのかわかりませんが、ごそごそと音がして箱全体が少しづつ動いています。 こういう光景を見た時の感覚も含まれるでしょう。 書いていて自分で気味悪くなりました。(^^;) ただ、現在では「気味を悪くした」という表現はあまり使わないように思います。 「気味悪い」というひとつの単語として使われるでしょう。 ・気味悪く思った ・気味悪く感じた などと言うと思います。 (2)「そこへ」はどういう意味でしょうか。 :『そういう状況のところへ』『そういう状況の時に』という意味です。 おまけですが、 「待(ま)ちぼうけ 待ちぼうけ  ある日 せっせと 野良(のら)かせぎ  そこへ兎(うさぎ)が飛んで出て  ころり ころげた 木のねっこ」 という歌があります。 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html (3)「家を空ける」はどういう意味でしょうか。 :「家から離れる」という意味です。 家に誰もいなくなるという意味になることもありますが、原作のように先生だけが家を離れて他の人は家にいるような場合でも使える表現です。 (4)「事情ができてきた」の「くる」の使い方は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の「(ウ)ある事態が出現し、またある現象が現れる意を表す」という項目にあたるのでしょうか。 ​http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AF%A4%EB&kind=jn&...​ :そのとおりです。 「事情ができた」という状況が現れたということです。 「事情ができた」ではなく「事情ができてきた」としたのは、 『(盗難が続いて)奥さんが気味悪がっている状況』 のところへ 『「先生が家を空けなければならない事情ができる」という状況』 が【現れた】。 という2つの状況の関連性を明確にするためでしょう。 奥さんが気味悪がる状況が重なったので、「私」が留守番を頼まれることが自然な流れとして読者に感じられるわけです。 「事情ができた」だけであれば【現れた】というニュアンスが弱くなるために、2つの状況の関連性を強く印象付ける効果が薄くなってしまいます。 厳密に言えば、その効果が薄くなると「私」が留守番をする必然性も薄くなりますから、話の展開に不自然な印象を与えることになるでしょう。 {先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ} という箇所の必然性を確定するためには、 「事情ができた」ではなく「事情ができてきた」のほうが効果的である、ということになるのではないかという気がします。 (5)「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているもの」という部分を「/」で区切っていただけませんか。この部分の構造がよくわかりません。 :「先生と同郷の友人 / で / 地方の病院に奉職しているもの」 「で」は並列(同格)を表すとお考えになって良いでしょう。 下記(一)の「(4)並列・添加・対比などを表す。」だと思います。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=1323360-0000&kind=jn&mode=5 (6)「奉職」という言葉に「世間に認められる偉い仕事に勤める」というニュアンスが含まれているのでしょうか。 :「奉ずる」は、仕える、奉仕するという意味です。 日本では昔から政府機関を「お上」などと言って有難がっていましたから、公共機関に勤めることをそのように言うようになったのでしょう。 「偉い仕事に勤める」というよりは、「自分を公的な仕事に奉げる」というようなニュアンスがあったのだろうと思います。 現在はあまり聞くことのない言葉です。 (7)先生の友人に対して、なぜ敬意を払うべき言い方「奉職している方」を使わずに、「奉職しているもの」とするのでしょうか。 :「もの」というのは基本的に本質を表すように思います。 ただ、ここでは本質というよりも「一般性」を意図しているのではないかと思われます。 前後の状況において、先生の友人であることさえ明示できればよいのであって、 「病院に奉職している人間である」ということは本筋とは全く関係の無いことです。 「病院に奉職している【人】」とするとその友人の「個」がクローズアップされてしまうので、それを嫌って、あえて「もの」という一般的表現を使ったのだと思います。 ◆ご質問文の添削◆ A.<結末部分はまだ読んでいないので【解答】の際には触れないでください。> :せっかく他の部分で敬語をお使いなのですから、ここでも『ご回答(因みに「解答」ではありません)』としたほうが良いでしょう。 B.<「生命(いのち)の断片」が何を指すのか【は】よくわかりません。> :全く同じ文章で「は」を使うのが適当なシチュエーションもありますが、ここでは不要です。 『「生命(いのち)の断片」が何を指すのかよくわかりません。』 と直接的に表現したほうが数倍自然です。 『「○×▲□」が何を意味するのかわかりません。』 などと言う場合と同じです。 他の部分はよく理解できた。 しかし、『「生命(いのち)の断片」が何を指すのか』ということがどうもよくわからない。 という場合に、 『「生命(いのち)の断片」が何を指すのかはよくわかりません。』 という表現をしたほうが良いこともあります。 『「生命(いのち)の断片」が何を指すのか』ということを主題として提示した上で「その主題に関して言ってみれば、それはよくわかりません」、 という構成にする必要があるからです。 今回の場合、 『「生命(いのち)の断片」が何を指すのか』は、 提示すべき主題ではなく「よくわからない」ことの対象になっているわけです。 ですから、むしろ、 『「生命(いのち)の断片」が何を指すのか【が】よくわかりません。』 としても自然になります。 しかし、このへんの助詞関係を完全に操れるようになれば、awayuki_chさんが中国の方だとは誰も信用しなくなるでしょうね。(^^;) 気長に慣れるつもりでいてください。 ましてや、ネイティブでも完全に使いこなしているとは限らないのです。^^;; その他は、とても自然な日本語になっています。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 お礼が遅くなり申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。1は確かに文の構造を間違えました。「妨げる」は五つの平仮名もあって記憶の限度を超えたような気がします。よく使う単語からには、覚えるようにします。「気味をわるくする」を「単にちょっと怒る」の意味と間違えました。「そこへ」に関する童謡の紹介に感謝いたします。童謡の中で生き生きした表現が多いですね。「寒い北風 木のねっこ」は日本版らしいですね。中国語版は最後の一句はなかったです。「家を空ける」の意味はわかりました。「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているもの」の構造は理解できました。「もの」についての感覚ですが、どうも中日のこの言葉の感覚はちょっと違うような気がします。いつも質問文を添削していただきありがとうございます。以前「は」と書いた時、誉められた記憶が残っているので、虚栄心という悪魔のたたりです(^-^;)。藤田淑子の「ははうえさま」はご存知でしょうか。「お上」を見た時、この歌を思い出されました。一休さんの主題歌です(http://61.186.151.236/blog/UploadFiles/2005-11/1128375616.wma)。小さい時、大好きなアニメでした。本当に懐かしいです。初めて覚えた日本語の歌です(ローマ字で覚えた^^)。当時、日本語の意味はぜんぜんわかりませんが、強く胸を打たれた記憶が残っています。

awayuki_ch
質問者

補足

1. (1)奥さんは気味をわるくした。(夏目漱石の原文) (2)奥さんは気味がわるくなった。 (3)奥さんは気味わるくなった。 上の三文は奥さんの気味悪さの程度を順に並べていただけませんか。 2. >家に誰もいなくなるという意味になることもありますが、原作のように先生だけが家を離れて他の人は家にいるような場合でも使える表現です。 逆の場合でも「家を空ける」を使えるのでしょうか。つまり、奥さんだけが家を離れて先生は家にいるような場合。 3. >奥さんが気味悪がる状況が重なったので、「私」が留守番を頼まれることが自然な流れとして読者に感じられるわけです。 どうも私は勘違いしたようです。奥さんが気味をわるくした原因は、先生はたぶん一連の盗難の泥棒と思っているのではなかったのでしょうか。 4. >日本では昔から政府機関を「お上」などと言って有難がっていましたから、公共機関に勤めることをそのように言うようになったのでしょう。「偉い仕事に勤める」というよりは、「自分を公的な仕事に奉げる」というようなニュアンスがあったのだろうと思います。 「有難がっていました」はどういう意味でしょうか。同じ意味の別の表現に言い換えていただけませんか。 また、「奉げる」の読み方も教えてください。辞書で見つけられませんでした。「奉る」を見つけましたが、どうもこれではないような気がします。 5. >ただ、ここでは本質というよりも「一般性」を意図しているのではないかと思われます。前後の状況において、先生の友人であることさえ明示できればよいのであって、「病院に奉職している人間である」ということは本筋とは全く関係の無いことです。「病院に奉職している【人】」とするとその友人の「個」がクローズアップされてしまうので、それを嫌って、あえて「もの」という一般的表現を使ったのだと思います。 「人」としたら、「一般性」は失ったのでしょうか。「本筋とは全く関係の無い」の「本筋」とは何でしょうか。『その友人の「個」がクローズアップされてしまう』意味もよくわかりません。どうも難しい感覚です。敬語の「方」でなくても少なくともその友人を「人」と呼ぶ必要があると思います。 私は他人を「もの」と呼ぶ使い方は、よく慣れていないと思います。これはたぶん中国語に影響されたと思います。中国語の場合は、「人」を「もの」に呼ぶのは失礼な言い方にあたります。日本語の場合は以前教えていただいた本質という使い方以外、失礼にならない場合もあるのでしょうか。 私は自分を「もの」という謙譲語の「私は中国から来たものです」はよく理解できますが、他人に「もの」を使うのは失礼になる恐れがあります。また、「なにもの」という表現はあまりきれいではないようですね。 もし、先生の友人を軽蔑したいニュアンスを出したいなら、原文の中の「もの」はそのばかにするニュアンスを伝えられるのでしょうか。「やつ」を使ったほうがよろしいのでしょうか。

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.3

「妨げる」は現在でも使われるのでしょうか。読み方は覚えにくいです。 【答】非常に多く使われます。 3.奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空(あ)けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。 (2)「そこへ」はどういう意味でしょうか。 【答】さらに、その上に、 (3)「家を空ける」はどういう意味でしょうか。 【答】留守にする。現代の用法ならば、だれもいない状況を指しますが、当時としては、家族がいても、主人を中心として考え「主人がいない状態」でも使いました。 (4)「事情ができてきた」の「くる」の使い方は‥‥ 【答】ふつうは「次第にそうなってくる」ときの用法ですが、ここでは「事情ができた」とほとんど同じでしょう。 (5)「先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているもの」 【答】おそらく「先生の友人で、先生の故郷に昔から住んでいて、その地方の病院に勤務している者」でしょう。文の構造から見れば不完全かもしれません。 (6)「奉職」という言葉に「世間に認められる偉い仕事に勤める」というニュアンスが含まれているのでしょうか。 【答】いません。勤務先が官庁とか大病院とか立派なところである場合に使います。仕事は、雑役などであっても構いません。 (7)先生の友人に対して、なぜ敬意を払うべき言い方「奉職している方」を使わずに、「奉職しているもの」とするのでしょうか。 【答】もともと「先生」に対しても、あまり敬語を使っていません。この小説自体が、登場人物を客観的に見ているので、敬語の必要を感じていないようです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 お礼が遅くなり申し訳ありません。いつもお世話になっております。ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。昔は家族がいても、主人を中心として考え「主人がいない状態」でも「家を空ける」を使えるのですね。「奉職」は偉そうな感じがしましたが、官庁とか大病院とか立派なところで雑役などの仕事であっても構わないのですね。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。補足に対してもう少しご意見を伺うことができればありがたく思います。よろしくお願いいたします。

awayuki_ch
質問者

補足

>この小説自体が、登場人物を客観的に見ているので、敬語の必要を感じていないようです。 敬語の「方」でなくても少なくともその友人を「人」と呼ぶ必要があるでしょう。私は他人を「もの」と呼ぶ使い方は、いまひとつよく慣れていないと思います。たぶん中国語に影響されたと思います。中国語の場合は、「人」を「もの」に呼ぶのは失礼な言い方にあたります。謙譲語の「私は中国から来たものです」なら理解できますが、他人に「もの」を使うのは失礼にならないのでしょうか。また、「なにもの」という日本語はあまりきれいではないようですね。

noname#62522
noname#62522
回答No.1

熱心に勉強されていますね(^^) 私は日本人ですが、夏目漱石の文は今の日本語と少し異なり、難しいです。 「こころ」は高校で習いました。 参照先のURLが出ないので、1以外をお答えします。 2.「妨(さまた)げる」は、今も使います。 「妨害する」でも通じますし、「邪魔(を)する」、「遮(さえぎ)る」も大体同じ意味です。 3.奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空(あ)けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。 (1)気分を悪くする・機嫌を悪くする の意味に近いと思います。 (2)そこへ=その上に、そのとき つまり、奥さんが気味をわるくしているときに (3)「家を空ける」=留守にする 家が空(から)っぽになることから (4)「事情ができてきた」=できてしまった、できた の意味です。 今、事情ができてきたという使い方はしません。 (5)「先生と同郷の友人で/地方の病院に奉職しているもの」 「で」は、でありの意味です。 つまり、地方の病院に奉職している友人 の意味です。 (6)「奉職」=公(おおやけ)の職につくことです。 たとえば、公務員などがそうです。 (7)奉職している「もの」 たとえば、物を買うときに 『この赤い「の」下さい』と言うでしょう? それと同じで、あまり意味はありません。 私が答えたのは完璧ではありません。 分かりにくかったら、言ってください。

awayuki_ch
質問者

お礼

 お礼が遅くなり申し訳ありません。ご親切に教えていただき誠にありがとうございました。わかりやすいと思いました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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