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『こころ』の「上九」1
日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上九」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかったけれども、座敷で私と対坐(たいざ)している時、先生は何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。 (1)「私」ならわかりますが、なぜ「私のこと」と書くのでしょうか。 (2)ここの「消息」は「動静。様子。状態」という意味でしょうか。こんな使い方の「消息」は現在でも使われますか。 (3)「何かのついでに」はどういう意味でしょうか。なぜ「何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。 2.返事をして出て来る奥さんの様子も甚(はなは)だ素直であった。 「素直」はここでどういう意味でしょうか。「返事をして出て来る奥さんの様子」の後ろに、「素直」と反対の意味を表したいなら、どのように表現するのでしょうか。 3.ときたまご馳走(ちそう)になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間(あいだ)に描(えが)き出されるようであった。 (1)「ときたまご馳走になって」の「ご」は「ときたまご」の「ご」ですか。それとも「ご馳走になって」の「ご」でしょうか。 (2)1(3)と同じような疑問で、なぜ「ときたまご馳走(ちそう)になって、奥さんが席へ現われる場合などには」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。 4.そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。 ここの「て来る」は次の辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目の使い方にあたるでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CD%E8%A4%EB&kind=jn&mode=1&base=1&row=2 また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。
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1、 (1)「私」ならわかりますが、なぜ「私のこと」と書くのでしょうか。 :「こと」は、下記URL(1)の「(ア)ある物事に関連する事柄。」ですね。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B3%A4%C8&kind=jn&mode=0&base=1&row=3 「私だから」という表現でも不自然ではありませんが、 「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない場合には、 「私のことだから」と表現すると良い、ということでしょう。 (ex) 「彼女が好き」と 「彼女のことが好き」では、 前者のほうが【好きな程度】は大きいということになります。 (2) a.ここの「消息」は「動静。様子。状態」という意味でしょうか。 :はい、そうです。 b.こんな使い方の「消息」は現在でも使われますか。 :使われますが、基本的には、 『あるものなどの状態を把握しているかどうか』という視点で使われることが殆んどだと思います。 つまり、単純に「動静。様子。状態」を言葉として置き換えると無理が生じる場合がある、ということです。 「消息は【不明】だ」 「消息が【明らか】になった」 「消息が【はっきり】する(しない)」などのような使い方になるのが殆んどでしょう。 (3) a.「何かの【ついで】に」は、 下記URLの「(2)主要な事にかこつけてその事ができるような場合。」ですね。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C4%A4%A4%A4%C7&search_history=%BE%C3%C2%A9&kind=jn&kwassist=0&mode=0&jn.x=30&jn.y=12 「何か」は、その時先生が必要とする事柄であれば何でも良いのですが、いずれにしても『些細な用事』です。 たとえば、 「お菓子を持ってきて」とか「今日の新聞が見たい」という依頼をする時に、 その依頼をする【必要に準じて】奥さんを呼ぶ、という意味です。 b.なぜ「何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。 :aで「その依頼をする【必要に準じて】奥さんを呼ぶ」と述べましたが、 『下女でも間に合う用事をわざわざ奥さんに頼む』のですから、 【必要に準じて(奥さんを呼ぶ)】というのは、あくまで建前で、 【顔を見たいので(奥さんを呼ぶ)】と判断するのが正解です。 先生の本音としては、決して【準じて】ではないわけです。 『新聞が読みたいな。妻の顔も見たかったし、妻に頼んで持ってきてもらおう。』 あるいはもっと積極的に、 『妻の顔を見たいな。 しかし、「顔を見たいからこっちへおいで」というのも照れくさい。 そうだ、お菓子を持ってきてもらう、という用事を頼もう。』 という(先生の)本音が「私」に強く感じられたのです。 これが本音であると感じられたのは、後に続く文にあるように、 「その呼びかたが私には優(やさ)しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚(はなは)だ素直であった。」 からです。 端的な回答としては、 「特に必要性が無くても、些細な用事にかこつけてまでお互い顔を合わせる事を楽しんでいたことが明らかだから」 ということになるでしょう。 2.{返事をして出て来る奥さんの様子も甚(はなは)だ素直であった。} a.「素直」は、ご存知のように「性格や態度にひねくれたところがない」という意味です。 返事の語調に嫌な感じが無かったのはもちろんですが、現われる時の態度も、 「いやいや、ふてくされたような、面倒くさそうな、だらだらした様子」ではなく、 「呼ばれたことを嫌がっている様子」が全く無かった、ということでしょう。 b.「素直」の対義語としては、#1さんおっしゃるように「反抗的」という言葉も良いと思います。 全体的な文として考えれば、 ・返事をして出て来る奥さんは甚(はなは)だ【ひねくれた】様子に見えた。 ・返事をして出て来る奥さんは甚(はなは)だ【ふてくされている】ような印象を受けた。 ・返事をして出て来る奥さんの様子は甚(はなは)だ【不機嫌】であった。 などという表現でも良いでしょう。 3、 (1)「ときたまご馳走になって」の「ご」は「ご馳走になって」の「ご」です。 (2)>なぜ「ときたまご馳走(ちそう)になって、奥さんが席へ現われる場合などには」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。 :「奥さんが席へ現われるので仲の良い夫婦」という意味ではありません。 この場合の「ご馳走になる」は、特別おいしいものを食べさせてもらったという意味ではなく、「一緒の席で食事をすること」です。 当然、3人で過ごす時間が長くなります。 そういう時には、普段(ご馳走にならない時)よりも2人の仲睦まじい様子を「長く観察できた」ので、 「この(仲の良い)関係が一層明らかに二人の間(あいだ)に描(えが)き出されるようであった」 と「私」は感じることができたのです。 4.{そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。} 「(て)くる」は、(17)の「(オ)事態が進行してある段階に至る意を表す。」 と考えて良いと思います。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=0562230-0000&kind=jn&mode=5
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- hakobulu
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#8です。 ご返事ありがとうございました。 1、 (ウ)は「のこと」をうっかり忘れていました。 失礼しました。 正しくは、 「(ウ)軍人が次々戦死する戦争中【のこと】だから」であれば「彼もいつ徴兵されても不思議ではない」 です。 2、 「戦争中のことだから、砂糖を使った甘いお菓子などは一年に一度口にできれば良い【ほう】だった。」 下記の(3)「(ウ)どちらかと言うと、そういう性質のあるもの。たぐい(類)。」です。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%DB%A4%A6&kind=jn&mode=0&base=1&row=4 「戦争中のことだから、砂糖を使った甘いお菓子などは一年に一度口にできれば『どちらかと言えば良いと判断すべき性質の境遇』と言えた。」 ということです。 中には、毎日のように甘いものを食べている人もいたでしょうがほんの少数派だったでしょうし、全く食べられない人も大勢いたでしょう。 ですから、一年に一度でも食べられたら「どちらかと言えば良いと判断すべき境遇だ」と考えるべきだ、というような意味になります。 3、 >聞く人が「林さんがいつも遅く来ること」を知っていたとしたら、「いつも遅く来る」を省略してもしなくてもいいということでしょうか。 :そのとおりです。 ◆面白いURLをご存知ですね。 今では殆んど使いませんが、子供の頃よく使っていた方言がたくさん載っており、懐かしく拝見しました。 幼馴染の顔も一緒に浮かんできました。^^
お礼
疑問点はぜんぶ解け、すっきりした気分になりました。ありがとうございました。hakobuluさんの幼馴染が羨ましいです。
- hakobulu
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#7です。ご返事ありがとうございました。 【こと】は下記URLの(2)「(ア)ある物事に関連する事柄。」でしたね。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B3%A4%C8&kind=jn&mode=0&base=1&row=3 (ア)の意味で使われる場合、留意すべきは、 【こと】=「ある物事を包括的に捉えてはいない」、という点です。 1.{戦争中のことだから、何が起こるかわからない。} a.「戦争中のこと(だから)」と言う場合、 「戦争中の様々な場面」「戦争ゆえに起こる可能性のある様々な状況」というニュアンスが意図されています。 『(戦争に関する)個々の状況に注目して言及しようとしている』とお考えになっても良いでしょう。 「(ア)食料の非常に少ない戦争中のことだから」と言えば「野原にいる虫なども貴重な蛋白源になる」などという文が続くかもしれません。 「(イ)質素第一の戦争中のことだから」と言えば「華美な服装をしていると非国民と言われた」などとなります。 「(ウ)軍人が次々戦死する戦争中だから」であれば「彼もいつ徴兵されても不思議ではない」でしょう。 何の注釈もなく 「戦争中のことだから」と言えば、後の文は何が来ても自然です。 例文のように、 「戦争中のことだから、何が起こるかわからない。」 でも無論、自然な文章です。 上の例の(ア)(イ)(ウ)以外にも(エ)(オ)~~~など、 『戦争中に関連した、普段では考えられないような【あらゆる個々の状況】』のどれが起こっても不思議ではない、というニュアンスになります。 「戦争中だから、何が起こるかわからない。」でも意味は殆んど変わりませんが、 【あらゆる個々の状況】というニュアンスは消えています。 包括的に捉えており、『戦争中という【状況全体】』について言及していることになるでしょう。 b.【あらゆる個々の状況】について言及するためには、「戦争中」ということがどういう意味を持つのかお互いにわかっている必要はあるでしょうから、 『お互いにわかっている「~」から判断して』と言っても良いでしょう。 ただ、「戦争中のことだから、砂糖を使った甘いお菓子などは一年に一度口にできれば良いほうだった。」 などという表現も可能ですから、 『推量したことを言う時に使う。』とは限らないように思います。 『推量したり断定したりする時に使う』と表現すべきではないかという気がします。 2. 「林さん、遅いですね。来ないんでしょうか。」 「いや、いつも遅く来る彼のことだ。きっと20分ぐらいしたら来るよ。」 :この場合も、彼という人間全体について言うのではなく、【集合時間には遅れてくるという彼の習慣】といった部分に関して述べようとする意図が込められているのだと思います。 3.{健のことだ。怒ってカっとなったら、何をするかわからない。} :彼という人間全体について述べるのではなく、注釈にもあったように、【彼の短気な性格】という部分について述べていることになるでしょう。 4、 {家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかった} a.>「家庭の一員として暮した事のない私」は『お互いにわかっている「~」』と『話す人の主観的な判断のわけ』にあたり、「深い消息は無論解らなかった」は「話す人の主観的な判断」と「推量したことを言う」にあたると考えてよろしいでしょうか。 :そのとおりだと思います。 b.>でも、「家庭の一員として暮した事のない私」はたった一人のことで、「お互いに」と矛盾しているでしょうか。 :この場合の「お互いに」は、「私」と「読者」を指すことになると思います。 「私」が先生の家族でないことは読者も知っていますから、「私が家庭の一員として暮した事のないこと」は、『お互いにわかっている「~」』に該当することになります。 c.「★~~。3のように話す人と聞く人の間で【お互いにわかっている】こと(この場合は健の性格)は省略されることが多い。」 :健が短気な性格であることを、話す人、聞く人が【どちらも知っている】ので、 必ずしも『健がどういう性格であるのか』という点についてわざわざ述べる必要は無い(=省略される)、ということでしょう。 2の場合、『「いつも遅く来る」という【(主観的な判断の)わけ】』は、「お互いにわかっていること」ではない可能性があります。 聞く人が林さんを知らない場合には、【(主観的な判断の)わけ】を「お互いにわかっていること」にするために(話す人が)省略しないで述べる必要性があるわけです。 但し、聞く人が「林さんがいつも遅く来ること」を知っていたとしても、 「いつも遅く来る」を省略しないで話すことはあります。 d.>参考書の『お互いにわかっている「~」』と『話す人の主観的な判断のわけ』という解釈は「こと」の本質に触れていましたか。 :そう考えることもできると思います。 特に不都合があるとは思われませんし、このように覚えても問題はないでしょう。 ただ、本質という点から考えると、goo辞書の「(ア)ある物事に関連する事柄。」のほうに軍配を上げたいという気がします。 e.>>「こと=ある物事に関連する事柄。」という意味で、『ある物事に対する客観的な(=「突き放した」=「ワンクッションおいた」)視点』が関与していると考えて良いと思います。 >「のことだから」の中の「こと」は上の本質と一致しているのでしょうか。 :本質を解釈するための視点です。 ◆ 「おばんでした」という表現はどこで覚えたのでしょうか。^^ 北海道などで良く使う、夕方や夜の挨拶です。 ただ、「おばんでした」は、そこで会話が終わる印象があります。 軽くすれ違う時などに交わす挨拶、と捉えたほうが良いと思います。 これに対して、 「おばんです」という表現は万能です。 すれ違う時でも良いですし、 その後、立ち止まって話を続けたりしても不自然にはなりません。 「湯団」を八個も食べさせられたとのことで、 びっくりして「湯団」とはどのようなものか検索してみましたが、小さくて可愛らしいお団子なんですね。 そのページでは、お店で12個食べたと書いてありました。 awayuki_chさんも負けないで、いっぱい食べてください。(^^;)
お礼
ご返事ありがとうございました。本当に難しいですね。「ある物事を包括的に捉えてはいない」という点に留意しておきます。夏目漱石の「お互いに」は「私」と「読者」を指すことに納得できました。また、なぜ読者はわかっていないのに、この文型を使えるのかも理解できました。 次のページから「おばんでした」を習ったんですが、鵜呑みにしていたようです。「湯団」だったら、大変なことになります^^。次のページに「こんばんは」の言い方がいろいろあるようですが、笑顔がついている「おばんでした」にしました。「おばんでした」は微笑みながらあいさつをするという意味ではなかったんでしたね。 http://www6.shizuokanet.ne.jp/kirameki/hougen/hokkaidou.htm 豚の腹脂(ラード?)も嫌いだし、ゴマ餡入りもあまり好きでないし、母のお母さんが作ってくれる「専用湯団」しか食べません。世話の焼ける人なんです(^-^;)。
補足
1. > 「(ア)食料の非常に少ない戦争中のことだから」と言えば「野原にいる虫なども貴重な蛋白源になる」などという文が続くかもしれません。 「(イ)質素第一の戦争中のことだから」と言えば「華美な服装をしていると非国民と言われた」などとなります。 「(ウ)軍人が次々戦死する戦争中だから」であれば「彼もいつ徴兵されても不思議ではない」でしょう。 この三文は統一した形になっていないですね。(ア)、(イ)の「だから」の前の「のこと」はいらないのか、(ウ)の「のこと」は抜けているのか、のどちらかと考えています。 2. >「戦争中のことだから、砂糖を使った甘いお菓子などは一年に一度口にできれば良いほうだった。」 ここの「ほう」はどういう意味でしょうか。選択でしょうか。 3. >2の場合、『「いつも遅く来る」という【(主観的な判断の)わけ】』は、「お互いにわかっていること」ではない可能性があります。 聞く人が林さんを知らない場合には、【(主観的な判断の)わけ】を「お互いにわかっていること」にするために(話す人が)省略しないで述べる必要性があるわけです。 但し、聞く人が「林さんがいつも遅く来ること」を知っていたとしても、 「いつも遅く来る」を省略しないで話すことはあります。 この説明は大変助かりました。「お互いにわかっている」という参考書の説明にはどうしても納得できませんでした。いま、わかるようになりました。 聞く人が「林さんがいつも遅く来ること」を知っていたとしたら、「いつも遅く来る」を省略してもしなくてもいいということでしょうか。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#5です。ご返事ありがとうございました。 1、 「ときたま」が副詞であるという点を明確にしなかったのは、私も注意不足でした。 「>やっとわかりました」とのことで私もすっきりしました。^^ 「時々」と「たまに~」の合体した言葉と思っていただいて良いと思います。(意味は3つとも殆んど同じです) 「オウムライス」ではなく『オムライス』です。 オウムという鳥が入っているほうがおいしいかもしれませんが・・・。(^^;) 「あなた」という、たった3文字に込められた万感の思い。 胸にジーンと来ますね。 とてもいい話をありがとうございます。 2、 「なぜ、心理状態によって違ってくるのか、という点についても考えてみました。」 :この場合の「てくる」は、「事態が進行してある段階に至る意を表す」わけですが。 これは、【変化を重視した表現】と捉えて良いと思います。 『「真剣で切羽詰った心理の時」と「そうでない心理の時」でニュアンスが変わる』 ということを述べたわけですが、『なぜそういう結果に推移するのか』『なぜそのように変化するのか』というニュアンスが込められています。 変化を重視しないで、単なる違いを比較したい場合は、 「なぜ、心理状態によって違うのか、という点についても考えてみました。」 となります。 これも自然な表現です。 もし納得できれば、 「~てくる」の代表的な用法のひとつとして、 『~という結果に推移する』と覚えておくのも良いでしょう。 説明の難しい箇所です。 新たな角度から検討することもできると思うので、何度でも補足してください。 3、 ●ーーーーーーーーー→ >>「私はあなたが好きです」と言う場合。 真剣で切羽詰った心理の時は、「あなた=あなたという存在そのもの全て」というニュアンスが込められるのだろうと思われます。 そこまで深く思いつめていない時には、「あなた=2人称としてのあなた」というニュアンスになるのではないでしょうか。 それに対して「私はあなたのことが好きです」の場合は、 「あなたのこと=あなたという人」で、単に2人称としてではない深いニュアンスが込められることになるように思います。 ただ、この「深さ」も真剣に思いつめている人にとっては不要のもので、深かろうが浅かろうが、ともかく「あなたという存在それ自体」が好きなのだ、と言いたい気持ちになるのではないかという気がします。 >私は特に次の二箇所がよくわかりません。 (1)真剣で切羽詰った心理の時は、「あなた=あなたという存在そのもの全て」 (2)ただ、この「深さ」も真剣に思いつめている人にとっては不要のもので、深かろうが浅かろうが、ともかく「あなたという存在それ自体」が好きなのだ ーーーーーーーーー→● :読み返してみると確かにわかりづらい表現です。 これは、誤解されるように書かれたと言われても止むを得ない、非常に稚拙な表現に終始している文章と言って良いでしょう。 お恥ずかしい次第です。 申し訳ありません。 ここで言いたかったことは「こと」の本質に関係があります。 同時に、「好き嫌い」の場面では解釈が少し複雑になるように思う、ということも述べています。 「こと=ある物事に関連する事柄。」という意味で、『ある物事に対する客観的な(=「突き放した」=「ワンクッションおいた」)視点』が関与していると考えて良いと思います。 A.特に切羽詰った心理ではない人の場合。 「あなたのことが好き(ア)」は、「客観的な視点で感じるのだが、実はあなたが好き」ということになると思います。 つまり、『漠然とあなたを見ているのではなく、客観的対象として改めて意識するほど好きなのです』というニュアンスが込められるような気がします。 (これが前回「深いニュアンス」と述べた箇所に該当します) 「あなたが好き(イ)」は、単なる2人称として使われる。 つまり、(ア)>(イ)。 B.真剣で切羽詰った心理の人の場合。 「あなたのことが好き(ア)」は、Aと同様に、「客観的な視点で感じるのだが、実はあなたが好き」ということになると思います。 しかし、【真剣で切羽詰った心理】なわけですから、 「あなたが好き(イ)」が、Aと同様に【単なる2人称】ということはないでしょう。 『客観的な視点云々、などという条件すら一切無用で、ただあなたという存在それ自体(存在そのもの)が好き』 ということになるように思います。 それで(イ)>(ア)です。 うまく説明できたか、まだ自信はありません。 納得いかない場合は、さらに補足していただけると有り難いと思います。 4、 >>「他人の正しい意見もありのままに受け止める純粋性も持ち合わせている」 >「正しい意見」の「正しい」は誰が判断を下すのでしょうか。 :鋭いご指摘ですね。 ただ、この場合はあまり深い意味はありません。 「常識的にいって正しいと思われる意見」です。 たとえば「なるべく早く寝るようにしなさい」とかいったような意見ですね。 >その意見に対して、自分の違う考え方を言ったら、「素直」と言えないのでしょうか :それは「素直」という言葉で表現するべき内容ではありません。 しかし、自分の考えをきちんと述べることができるのは、人間として大事なことです。 結局、 『素直になるべきところでは素直になり、自己主張すべきところは自己主張する』 という、時と場合に応じた臨機応変な対応ができるようになることが理想なのでしょう。 (尤も、理想と現実の違いは自分自身で十分実感していますが・・・。(^^;;)) ただ、この理想的姿勢を全て「素直」という言葉で表現することは難しい、ということになるでしょう。
お礼
おばんでした(意味は通じますか^^)。ご返事ありがとうございました。「ときたまご」のおかげで、「ときたま」という表現は絶対忘れません。「オムライス」も絶対間違えません。「オウムライス」……南無阿弥陀仏;;;;;。「てくる」のご説明に納得できました。「~という結果に推移する」と覚えておきます。「好き嫌い」の場面の説明の意味はよくわかりました。新しい文型を発見したので、夏目漱石の文に戻って、もう一度検討したいと思います。「なるべく早く寝るようにしなさい」は確かに「常識的にいって正しいと思われる意見」ですね^^。今日は元宵節(春節明けの十五日目)です。小雨ですが、相変わらず、爆竹と花火合戦が熱かったです。朝は、母に「湯団」をはっこ食べさせられました。そのおかげでお昼は何も食べられませんでした。でも、夜はまた「湯団」をはっこ……。今日のお腹の海に合計十六個の「湯団」が浮かんだり沈んだりしています……。
補足
No.6さんの「のことだから」を慣用句としての捉え方をきっかけに調べてみました。手元の日本人編集者による文型の本は次のように説明しています。不自然な例文と不適切な説明がありましたら、ぜひ教えてください。 …………………………………………………………………………………… 【~ことだから、~ことだ(なのだから)】 お互いにわかっている「~」から判断して、推量したことを言う時に使う。 1.戦争中のことだから、何が起こるかわからない。 2. 「林さん、遅いですね。来ないんでしょうか。」 「いや、いつも遅く来る彼のことだ。きっと20分ぐらいしたら来るよ。」 3.健のことだ。怒ってカっとなったら、何をするかわからない。 ★前の文で、話す人の主観的な判断のわけを言う。3のように話す人と聞く人の間でお互いにわかっていること(この場合は健の性格)は省略されることが多い。 …………………………………………………………………………………… 解釈を読んでもう一度「家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかった」という文を検討してみたいと思います。夏目漱石の文はこの文型に属すると思われますか。参考書の解釈とあわせて見たら、「家庭の一員として暮した事のない私」は『お互いにわかっている「~」』と『話す人の主観的な判断のわけ』にあたり、「深い消息は無論解らなかった」は「話す人の主観的な判断」と「推量したことを言う」にあたると考えてよろしいでしょうか。 でも、「家庭の一員として暮した事のない私」はたった一人のことで、「お互いに」と矛盾しているでしょうか。 また、★マークの後ろの説明もよくわかりません。どういうことなのか、教えていただけませんか。 参考書の『お互いにわかっている「~」』と『話す人の主観的な判断のわけ』という解釈は「こと」の本質に触れていましたか。 >「こと=ある物事に関連する事柄。」という意味で、『ある物事に対する客観的な(=「突き放した」=「ワンクッションおいた」)視点』が関与していると考えて良いと思います。 「のことだから」の中の「こと」は上の本質と一致しているのでしょうか。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
> 「私」ならわかりますが、なぜ「私のこと」と書くのでしょうか。 【答】「のことだから」という慣用句です。「私は家庭の一員として暮らしたことがないので」と同じです。 例:彼のことだから、きっと合格するだろう(「彼は優秀だから」が暗黙の前提となっている)。 ××会社のことだから、心配しなくていいと思うよ(××会社は信頼できる企業なので)。 > ここの「消息」は「動静。様子。状態」という意味でしょうか。こんな使い方の「消息」は現在でも使われますか。 【答】その意味です。現在では、しばらく会わない人が今何をしているのか、という意味にだけ使います。 例:手紙も来ないし、彼の消息はさっぱり分からない。 > 「何かのついでに」はどういう意味でしょうか。 【答】ここでは「何か用がある場合に」です。現在は、次の例のような場合だけ使います。 例:東京へ来たついでに、君のところに会いに来た。 例:散歩のついでにタバコを買ってくる。 > ‥下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ‥は「仲のよい夫婦」の証拠でしょうか。 【答】分かりません(前後を読んでいないので)。 >「素直」はここでどういう意味でしょうか。 【答】従順、協力的 > 「素直」と反対の意味を表したいなら、どのように表現するのでしょうか。 【答】よく分かりませんが「不機嫌そう」とか。willing ←→ reluctant > 「ときたまご」の「ご」ですか。それとも「ご馳走になって」の「ご」でしょうか。 【答】「ご」+「馳走」です。現代では「ご」を付けない「馳走」は、ほとんど使われません。 > なぜ「ときたまご馳走(ちそう)になって、奥さんが席へ現われる場合などには」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。 【答】分かりません。 > 「て来る」は次の辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目の使い方にあたるでしょうか。 【答】すみません。ページが開けませんでした。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「のことだから」は慣用句なのですね。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
>例:彼のことだから、きっと合格するだろう(「彼は優秀だから」が暗黙の前提となっている)。 >××会社のことだから、心配しなくていいと思うよ(××会社は信頼できる企業なので)。 申し訳ありませんが、おっしゃる「のことだから」という慣用句はどういう意味でしょうか。例文をぜんぶ拝見しましたが、使い方はいまひとつよくわかりません。例の括弧の中の説明文字は何を意味されているのでしょうか。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2、#3です。 ご返事ありがとうございました。 1、 「彼女が好き」「彼女のことが好き」 >「彼女が好き」の「彼女」には「恋の好き」という気持ちではないような気がします。 :確かにおっしゃるとおりです。 そして、ネイティブと全く同じ感覚だと思います。 かといって、私の説明が間違いだということもないように思います。 考えてみたのですが、おそらくその言葉を発する時の【心理状態によって違ってくる】ような気がします。 前回、『>「彼女が好き」と「彼女のことが好き」では、前者のほうが【好きな程度】は大きいということになります。』 と述べましたが、これは非常にシリアスな場面を想定していただければ、と思います。 つまり「話者が非常に思いつめている場合」です。 もっとわかりやすい例を出してみましょう。 片思いの相手に告白する時、激しい感情をぶつけながら相手に言う言葉は、「私はあなたを愛しています」となるように思います。 「私はあなたのことを愛しています」とは、おそらく言わないでしょう。 言ったことがないので、はっきりとはわかりませんが。(^^;) そこまで切羽詰った心理状態でなければ、おっしゃるように、 「私はあなたが好きです」よりも、 「私はあなたのことが好きです」のほうが「恋の好き」という感情を表現できると思います。 なぜ、心理状態によって違ってくるのか、という点についても考えてみました。 「私はあなたが好きです」と言う場合。 真剣で切羽詰った心理の時は、「あなた=あなたという存在そのもの全て」というニュアンスが込められるのだろうと思われます。 そこまで深く思いつめていない時には、「あなた=2人称としてのあなた」というニュアンスになるのではないでしょうか。 それに対して「私はあなたのことが好きです」の場合は、 「あなたのこと=あなたという人」で、単に2人称としてではない深いニュアンスが込められることになるように思います。 ただ、この「深さ」も真剣に思いつめている人にとっては不要のもので、深かろうが浅かろうが、ともかく「あなたという存在それ自体」が好きなのだ、と言いたい気持ちになるのではないかという気がします。 2、 ●ーーーーーーーーー→ >なぜ『「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない』のでしょうか。ここの「こと」は「よう、らしい」のような不確かな感じの言葉でしょうか。確信がないということでしょうか。「こと」によって言葉を濁して曖昧な感じを出す役割があると思いますが、ここでなぜそんな必要があるのか知りたいです。「彼女のことが好き」のような恥ずかしいという気持ちはおそらくないでしょう。遠まわしの言い方の心理分析を読みたいです。『「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない』だけならなんだか納得できないような気がします。 ーーーーーーーーーーー→● :{家庭の一員として暮した事のない【私のことだから】、深い消息は無論解(わか)らなかったけれども} という箇所ですね。 「家庭の一員として暮した事のない【私だから】、深い消息は無論解(わか)らなかったけれども」 という文と比較してみましょう。 前半は、「深い消息は無論解(わか)らなかった」ことの理由を述べていることになります。 その理由を、 「家庭の一員として暮した事のない【私だから】」と表現すると、 【家庭の一員として暮らす可能性も多少はあった】というニュアンスになるように思われます。 「しかし、実際には一緒に暮らすという機会は無かった私だから」という感覚になるでしょう。 【私だから】と表現することによって、『「深い消息は無論解(わか)らなかった」ことの理由』について、 『私が家庭の一員として一緒に暮らしたことがないから』と述べていることになります。 しかし、『私が家庭の一員として一緒に暮らしたことがない』のは(家族ではないので)当然のことであって、 「私が一緒に暮らしたことがないので」というよりも、 「【私の状況を客観的に】振り替えってみれば、一緒に暮らすということがあったはずもないので」 と表現すべきでしょう。 その意図を「私のこと」で表現していると思います。 『私の客観的立場としては』と捉えることも可能かもしれません。 (ex) awayuki_chさんが、友人から「夫とうまくいかなくて困っている」と、夫婦喧嘩についての相談を受けたと仮定しましょう。 awayuki_chさんは、どのように切り出すでしょうか。 次の二つから選んでください。 (ア)「あなたのご主人と一緒に暮らした事の無い私だから、詳しい事情はわからないけれど~~」 (イ)「あなたのご主人と一緒に暮らした事の無い私のことだから、詳しい事情はわからないけれど~~」 (ア)のほうは、awayuki_chさんが友人のご主人と一緒に暮らす可能性もあったような印象を受けないでしょうか。 (イ)は、「私の客観的状況を考えてみれば当然のことだが、あなたのご主人と一緒に暮らすという事は無かったわけだから~~」 というニュアンスが出ているでしょう。 ややこしい説明になってしまい、申し訳ありません。 視点を変えてご説明できるかもしれませんので、すっきりしない場合はお手数ですが再度補足をお願いいたします。 3、 a.>「素直」に「従順」という意味があるのでしょうか。漢字に影響されたかもしれませんが、「従順」というと、「言いなりになってなんでもする。唯唯諾諾と命令に従う」という意味を連想されやすいです。 :「素直」は「性格や態度にひねくれたところがない」という意味ですが、 「ひねくれた」というのは、「相手の言うことを不必要に曲解する」という意味ですから、 「素直」は逆に「相手の言うことをストレートに受け止める」という意味にもなります。 この意味で、「言いなりになってなんでもする。唯唯諾諾と命令に従う」という要素が「素直」の一側面としてあることは否めません。 ただ、この言葉の意味には「ありのまま。つくろわない。正直。純朴」などもあります。 要するに、バランスの問題でしょうね。 「つくろわない自分というものをきちんと持っている」が前提としてあり、その上で、 「他人の正しい意見もありのままに受け止める純粋性も持ち合わせている」 というのが本来の意味になると思われます。 ただ、その言葉を使う人によっては、「つくろわない自分」という要素を(「何も考えていないこと」と)誤解したり、「他者への従順」だけに比重を置こうとすることもある、ということでしょう。 「強い」と「乱暴」は意味が違いますが、「乱暴」な要素の全くない「強さ」というものが無いのと似ているかもしれません。 b.>素直との反対の意味の文を拝見しました。「奥さんは喜んで~した」のような文はだめでしょうか。 :喜んだ様子が明らかに出ていたわけではないと思います。 「先生を心底信頼しているからこその(呼ばれたことに対する)嬉しさが、目の表情や(おそらく)やわらかな物腰に滲み出ていた。」 ということで、「内側に秘めた喜び」「感情を顕わにしない慎ましさ」 などを表現している箇所ですね。 先生と奥さんの信頼関係を、(明示するのではなく)地下水が湧き出るような自然なものとして表現している箇所でしょう。 「喜んで~」という表現は適さない場面と考えて良いと思います。 4、 「>【ときたまごの食事】を書く理由もすっきりいたしました」は、冗談でおっしゃったのですよね。 あの場面で「ときたまご」が出てくることは絶対にありません。 説明が悪かったのかと、一瞬あせりました。(^^;) ときたまご(溶き卵)は子供の頃に、よくご飯に掛けて食べたものです。おいしかったですよ。 私の場合、今は殆んど、そういう食べ方はしません。 5、 「てくる」は、 「次第に強く認識するようになる」 「次第に強い感覚として心に伝わるようになる」 「(物理的、あるいは精神的に)次第に近づいてくる」 という捉え方も可能だと思います。 6、 >『「素直」はここで【は】どういう意味でしょうか』としたほうが良いですね。 「は」が二つあって大丈夫ですか。 :好ましくはありませんが絶対的な制約ではありません。 「素直の解釈は色々あるが、【ここで】ということに主題を絞ればどういう意味でしょうか」 という意味を明確にするためには、「ここでは」と表現したほうが良いとおもいます。 (ex) ・私はそれは間違いだと思う ・彼は私は悪くないと言っている ・今日は天気は良いが風が冷たい ◆ 次第に暖かくなってきますが、今年の異常気象でインフルエンザの発生時期がずれた可能性もあるそうです。 油断して風など引かないようにしてください。
お礼
ご返事ありがとうございました。「こと」の詳しい心理分析を興味深く拝見しました。以前どこかで聴いた物語を思い出しました。細かいところは覚え間違っているかもしれません。ご存知の物語でないように願います^^。昔の日本に仲がとてもよい恋人が二人いました。男性は仕事のために遠いところ(北氷洋の辺りみたい)へ行かざるをえませんでした。女性は男性が行ったあと彼のことを毎日、毎日思ってたまりません。彼にたくさんの話をしたいし、彼からもたくさんの話を聞きたいです。でも、当時は、メッセージを伝える一番早い方式は電報でした。しかも、料金はものすごく高かったです。その女性はたった三つの平仮名を男性に送りました。どんな平仮名だと思われますか。難問ですね。考えてみてください^^。あとで答えを発表します。 私の友人の主人の例はとても理解しやすいですね。『私の客観的立場としては』はよくわかりました。これで、夏目漱石の文の「こと」のニュアンスを理解できるようになりました。「素直」にバランスというものがあるんですね。私の「喜んで~した」がなぜ不合格なのか、その理由がわかりました。「てくる」についてさらに分かりやすく説明していただき助かりました。「は」のご意見は大変参考になりました。意識しておきます。「ときたまごの食事」は冗談のつもりではありません(^^;)。ネットで調べましたので。食事の感じに見えます。特に最後の写真は小さいですが、おいしそうです。 http://images.google.co.jp/images?hl=ja&newwindow=1&q=%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%BE%E3%81%94&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi 「ときたまご」は子どもの食べ物ですね。オウムライスも大好きで、これも子どもの食べ物だそうですね。でも、『冬のソナタ』も大好きなので、一応バランスを取れました。さて、さて、彼女の全ての話を「あなた」と三つの平仮名に凝縮しました^^。 今日は本当に熱かった一日でした。夕方の電車はエアコンを使ったらしいです。冷たい風にあたり、涼しい感じがします。風を引かないようにします。hakobuluさんはぜひ毎日毎日健康でありますように!
補足
1. やっとわかりました。なぜ私の「ときたまごの食事」が冗談なのかとおっしゃる理由が。お礼を書いた時も気づきませんでした。「ときたまご」という食べ物は最初からはなかったんでしたね。「ときたま」は「ときたまご」の省略だと勘違いしてしまいました。「ときたま」という副詞はあるんでしたね。3人でときたまごを一緒に食べると勘違いしてしまいました;;;;;。 2. >なぜ、心理状態によって違ってくるのか、という点についても考えてみました。 「違ってくる」の「てくる」はまたよく理解できません。 3. >「私はあなたが好きです」と言う場合。 真剣で切羽詰った心理の時は、「あなた=あなたという存在そのもの全て」というニュアンスが込められるのだろうと思われます。 そこまで深く思いつめていない時には、「あなた=2人称としてのあなた」というニュアンスになるのではないでしょうか。 それに対して「私はあなたのことが好きです」の場合は、 「あなたのこと=あなたという人」で、単に2人称としてではない深いニュアンスが込められることになるように思います。 ただ、この「深さ」も真剣に思いつめている人にとっては不要のもので、深かろうが浅かろうが、ともかく「あなたという存在それ自体」が好きなのだ、と言いたい気持ちになるのではないかという気がします。 夏目漱石の例はわかりましたが、上の説明がやはりよくわかりません。「こと」の本質と関係があるのでしょうか。それとも好き嫌いの時に限ってこのようなニュアンスがあるのでしょうか。私は特に次の二箇所がよくわかりません。 (1)真剣で切羽詰った心理の時は、「あなた=あなたという存在そのもの全て」 (2)ただ、この「深さ」も真剣に思いつめている人にとっては不要のもので、深かろうが浅かろうが、ともかく「あなたという存在それ自体」が好きなのだ、 4. >「他人の正しい意見もありのままに受け止める純粋性も持ち合わせている」 「正しい意見」の「正しい」は誰が判断を下すのでしょうか。その意見に対して、自分の違う考え方を言ったら、「素直」と言えないのでしょうか。
- tani_rohei
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#1です。補足コメントにお答えさせていただきます。 1 確かに、日本語の「こと」は多義的で、難しいかもしれませんね。「意味する実体」という説明は『広辞苑』(辞書)に載っていました。「私のことを愛して!」と言う場合などの「こと」は「意味する実体」です。「私」という言葉で表現されている実体(言語学ではシニフィエと言うのだったかな?)を愛して欲しいということです。「A」という概念を「Aのこと」と表現する傾向が、確かに日本語にはあります。ご説明するのは難しいですが。言葉のひびきや文のリズムも勘案されているのでしょう。「こと」をつけると、それがクッション(緩衝材)になって、少し柔らかく聴こえるようです(「私を愛して!」は命令的で、「私のことを愛して!」と表現すると陳情的です)。 「私のことは気にするな」も、仮にこの「こと」が thing の意味だとしたら「私の事情は気にするな」という意味になり、そう理解しても意味に違いはありませんが、やはりこれも、ぼくの感覚では「意味する実体」の「こと」だと思います(確証はないですが)。 2 「この子は素直に言うことをきく」というような表現もあります。唯唯諾諾とまで言ってしまうと言い過ぎですが、やはり「素直」には「従順」の意味が含まれています。日本で「素直な子供」と言うと、大人の言うことによく従う子供のことです。日本の古い道徳意識では、子供や妻は、大人や夫に従順であることが「自然」で「素朴」だと考えられていたのでしょう。 3 そうですね。「ときたまご」を「ときたま」と略すのも不自然ですし。
お礼
早速ご親切に回答していただき誠にありがとうございます。「こと」をつけると、クッションになって、少し柔らかく聴こえるのようですね。でも、夏目漱石の文のニュアンスがまだよくわかりません。「素直」には「従順」の意味が含まれてることはわかりました。『日本の古い道徳意識では、子供や妻は、大人や夫に従順であることが「自然」で「素朴」』は知りませんでした。勉強になりました。本当にありがとうございました。大変参考になりました。
補足
>「こと」をつけると、それがクッション(緩衝材)になって、少し柔らかく聴こえるようです。 「家庭の一員として暮した事のない私のことだから」の「こと」がなかったら、どのように聞こえるでしょうか。あったほうが少し柔らかく聴こえるのでしょうか。それとも言葉の響きやリズムがよく感じられるのでしょうか。 >「私のことは気にするな」 「私のことは気にするな」と同じ意味のつもりの「私は気にするな」はあるでしょうか。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2です。 ご質問文の添削を追加させていただきます。 1、<こんな使い方の「消息」は現在でも使われますか。> :【こんな】でも良いですが、『このような』のほうが上品な表現です。(「上九」2で詳しく述べてあります) また、「使いかた」と「使われますか」は重複です。 『現在でも「消息」がこのような意味で使われることはありますか』 などとすると良いでしょう。 2、<なぜ「何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠でしょうか。> :文法的な間違いはありません。 ただ、【「仲の好(い)い夫婦」の証拠】と断定してしまう点に、やや違和感を覚えます。 『なぜ「何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった」は「仲の好(い)い夫婦」の証拠【ということになるの】でしょうか。』 としたほうが印象は自然になります。 3、<「素直」は【ここで】どういう意味でしょうか> :「ここで~」という形が適する場合もありますが、ここでは、 『「素直」はここで【は】どういう意味でしょうか』としたほうが良いですね。 (ex)彼は彼女の前ではいつも素直だ。 4、<「返事をして出て来る奥さんの様子」の後ろに、「素直」と反対の意味を【表したいなら】、どのように表現するのでしょうか。> :間違いとは言えませんが稚拙な表現と受け取られます。 『表わしたい場合』 『表わすとすれば』 などとすると良いでしょう。
お礼
質問文を添削していただきありがとうございました。不自然なところに今度から気をつけます。いまどんな表現が稚拙な表現なのかよくわかりません。早く大人の日本語になりたいです。今日は雨でした。傘が花のように咲いていました。先ほど名前が知らない虫は一匹外から飛んできたようです。そろそろ春ですね♪。
補足
>『「素直」はここで【は】どういう意味でしょうか』としたほうが良いですね。 「は」が二つあって大丈夫ですか。読みづらくならないのでしょうか。私も、もともとは「は」を書きましたが、「は」が二つあってよくないと思って「ここで」の後ろの「は」を消しました。
- tani_rohei
- ベストアンサー率33% (8/24)
1-(1) こういう「こと」の使い方は、よくしますね。辞書を引いてみると、「こと」の意味に「事情」とか「意味する実体」とかいう説明があります。「私のことは気にするな」などと使いますね。あまり深い意味はないでしょう。 (2) 現在ではほとんど使われません。「動静」という理解でよいと思います。この文の場合だと「感情の機微」というニュアンスでしょうね。 (3) この場合の「ついで」は「機会」という意味ですね。「何かをするいろいろな機会に際して」ということです。どうして「仲の好い夫婦」の証拠になるのかは、ぼくにもハッキリとは分かりません。 2 素朴/従順という意味だと思います。いろんなニュアンスがありますので、反対の意味にしたい場合、いろんな言葉を入れることができます。「不自然」とか「反抗的」とか。 3-(1) 明らかに「ご馳走になって」の「ご」です。「ご馳走になる」を「馳走になる」とはあまり言いませんし、もし「馳走になる」だとしても「ときたまごを馳走になって」と「を」を入れる筈です。 (2) 多分「奥さんが席へ現われる場合」の、二人の間の雰囲気が良かったのでしょう。関係ないですが、現代では「あらわれる」には「現れる」と送り仮名をつけます。 4 (オ)です。(ウ)と理解しても、あまり違いはありません。厳密に区別する必要はないと思います。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。「消息」はここで「動静」の意味なのですね。現在では「あらわれる」には「現れる」と送り仮名をつけるまでも教えていただきありがたく思います。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。
補足
1. >辞書を引いてみると、「こと」の意味に「事情」とか「意味する実体」とかいう説明があります。「私のことは気にするな」などと使いますね。あまり深い意味はないでしょう。 日本語の「こと」は英語の「thing」より難しいと思います。特に、おっしゃる「意味する実体」という使い方がよくわかりません。「A」という概念を表現するのに、「Aのこと」と表現する傾向が日本語にはあるような気がします。1の中の「こと」の有無によってニュアンスはどのように違うのか教えていただければ助かります。 また、「私のことは気にするな」は本当のthingの意味の「こと」ではないでしょうか。「私」という概念を表されたいのでしょうか。 2. >素朴/従順 この組み合わせは意外です。「素朴」と「従順」はぜんぜんイメージが違うような気がします。「素朴」はよくわかります。中国語に「返朴帰真」という言葉もあります。外の飾りを外し、素朴さに帰るのような意味だと思います。冬に葉の落ちた幹がまっすぐで高い木を見た時、特に「素直」という言葉を想起されやすいです。飾りがない、シンプル、わざとらしくない雰囲気だと思います。 漢字に影響されたかもしれませんが、「従順」というと、「言いなりになってなんでもする。唯唯諾諾と命令に従う」という意味を思い出します。「素直」とはそんな意味なのでしょうか。 3. >もし「馳走になる」だとしても「ときたまごを馳走になって」と「を」を入れる筈です。 「ときたまをご馳走になって」にもなっていないようですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。「消息」はわかりました。「何かのついでに」もよく理解できました。妻の顔を見たいという先生の気持ちに気づきませんでした。反省します。ときたまごの食事を書く理由もすっきりいたしました。先生ご夫婦の仲睦まじい様子を「長く観察できた」ということなんですね。「てくる」の文中のような使い方が苦手です。練習してみます。確か以前中秋節の作文にもありましたね。ときたまごはおいしいですか^^。私は食べたことがありません。
補足
1. >「彼女が好き」と 「彼女のことが好き」では、 前者のほうが【好きな程度】は大きいということになります。 まず、この二文から。「彼女が好き」の「彼女」には「恋の好き」という気持ちではないような気がします。たとえば、祖母とか、先生とか。恥ずかしいと感じる必要はないので、はっきりと自分の好き嫌いが言えるわけです。でも、「彼女のことが好き」の「彼女」にはおそらく「恋の好き」という気持ちでしょう。恥ずかしいので、なかなかストレートには自分の気持ちを言えないような気がします。「こと」によって言葉を濁して曖昧な感じを出す役割があると思います。なぜそんな必要があるかというと、恥ずかしいからです。好きな程度とは関係がないと外国人の私は思うのですが、やはりネイティブの方の感覚とは違いますね^^。勉強になりました。 >「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない場合には、「私のことだから」と表現すると良い、ということでしょう。 なぜ『「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない』のでしょうか。ここの「こと」は「よう、らしい」のような不確かな感じの言葉でしょうか。確信がないということでしょうか。「こと」によって言葉を濁して曖昧な感じを出す役割があると思いますが、ここでなぜそんな必要があるのか知りたいです。「彼女のことが好き」のような恥ずかしいという気持ちはおそらくないでしょう。遠まわしの言い方の心理分析を読みたいです。『「私」と「深い消息は無論解(わか)らなかった」ということの関連性をあまり深く捉えたくない』だけならなんだか納得できないような気がします。 2. 「素直」に「従順」という意味があるのでしょうか。漢字に影響されたかもしれませんが、「従順」というと、「言いなりになってなんでもする。唯唯諾諾と命令に従う」という意味を連想されやすいです。素直との反対の意味の文を拝見しました。「奥さんは喜んで~した」のような文はだめでしょうか。