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戦国時代の馬の速さを知りたいです。
サラブレッドと違い、当時は小型(ポニー)というのは有名ですが、実際、速度はどれ位まで出たのでしょうか? 鎧をつけた人間が乗ると、速度も落ちると思いますが、通常の状態でどのくらいまで走れたのか、情報お待ちしています。
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秀吉の中国大返しは、6/6(当然旧暦)に始まり、6/10尼崎着で、一日約40kmの移動です。これは徒歩の兵士に合わせた移動スピードです。馬にとってはつらい移動でもないでしょう。 当時の馬に一番近い馬体は、木曾駒だそうです。小型で足の太いズングリムックリ型の馬型で、モンゴル馬とも全く異なります。従って最速でも30km/hはやっとで、何キロも走られるとは思えません。日頃TVや映画で見る騎馬シーンとは全く違っていたようです。八代将軍の吉宗は、長身であった為、足が地に着きそうであったとの伝聞もある位です。 秀吉は若き頃、信長の野駆けに走って従った様です。特別足が速かったとの伝承はないので、10~15km/h位のところがいいとこでしょう。伝説の武田騎馬隊も、世界水準よりまるで劣っていたようです。こんな訳で日露戦争当時もまだコサック騎兵に遠く及ばず、後方かく乱と斥候、伝令にしか使用されなかったようです。
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- Pinhole-09
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在来馬に体形が近いとされる木曾馬は、空の状態でも時速40キロメートル以下だそうです。 NHKの放送で体高130センチ、中世軍馬に近いものに、大学馬術部員と45キログラムの加重(大鎧と武器など相当)をつけ走らせる実験があったそうです。 戦国時代はもう少しよいデータでしょう。 川合 康「源平合戦の虚像を剥ぐ」 講談社 より
お礼
ご回答、有難うございます。空の状態で40k・・・・だと、重さで更に下がるのでしょうね。戦国時代は源平より鎧も軽量化になっていきますし、もう少し良いデーターというのは頷けます。本の紹介も有難うございました。
- a-koshino
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秀吉の中国大返しでは、秀吉一行だけが舟を使ったとの説もありますので、ここでは参考にしない方がよろしいかと。 姫路に軍勢がそろったのは、秀吉到着から2日後あたりと推測されますが、やはり馬の速度とは関係ないでしょう。
お礼
>秀吉の中国大返しでは、秀吉一行だけが舟を使ったとの説・・・は初めて知りました。ご回答、有難うございました。
在来種の馬は、馬高が120センチ程度だそうです。 モンゴル種の馬もさほど大きくないという資料がありました。 名馬と言われる馬は、やはり、大きかったです。 もちろんサラブレッド(170センチ)ほどでは、ありません。 甲冑をつけてのスピードを先陣争いというシュチュエーションで、試算しましたら、時速にして、やはり、30キロは、妥当だと思います。 重量が45キロでは・・・。 鎧も改良されて、だんだん軽くは、なりますが。 秀吉の中国大返しは、1日100キロで、軽装とあります。 馬は、なんども取り替えたでしょうが、1日数時間休んだとして、50キロ近いスピードがやや優良な普通の馬でも出せたということでは、ないでしょうか。
お礼
ご回答、有難うございました。甲冑をつけて、だとやはり大きく変わりますね。参考URLも有難うございました。
- nenbutu0011
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以前に読んだ本の記憶では、 人間が必死になって追いかけると、追いつけたそうなので、 最大時速30キロ、ほぼ自転車と同じ速度となりますね。
お礼
ご回答有難うございます。騎馬だけでなく、徒歩の兵もいますので、人間が必死になって~という文に納得しました。
源平の時代にモンゴル種の馬が入ってきたため、(日本の在来種より、気性が荒く、何回りか大きい)騎馬による合戦が始まったと考えています。 いわゆる名馬の速度は、計れるかと思います。 誇張もあるいは、あるかもしれませんが。 普通の馬は、それより、割引して考える・・・名馬の速度でもよろしいですか?
補足
ご回答有難うございます。名馬の速度でも構いません。宜しくお願いします。
お礼
ご回答有難うございます。先述の通り、徒歩の兵も一緒、となると馬のスピードもそんなに凄いものではなかったようですね。