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「愛」という言葉

日本語の「愛」とは 何時頃発祥した言葉でしょうか。 当初は、現在と違い、 対等な者同士の結びつきでなく、 上位(為政者など)が 下位の者に対する 言ってみれば 「慈愛」の意味で使用されていたと 考察しています。 それなら、その変革時期も知りたいのですが。

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noname#118466
noname#118466
回答No.4

古代の日本人は人も動物も自然も同じように生き物として崇め共生していたと思われます。西欧世界も同じだったのではないかと思われますが、一神教の下で、神、人間、動物、植物が厳然と区別され、愛は人と神に専有されたのでしょう。神は人類を愛し、人は神に愛を捧げるとともに人をも愛する。 愛という言葉とその観念は漢字とともに中国からもたらされたと思います。その後、仏教とともに慈愛などの観念が持ち込まれたのでしょう。従って、日本人の愛には古代中国の愛、仏教用語の愛、やまとことばを置き換えた愛、明治維新後のキリスト教的な愛が混在しています。 めでる、いつくしむ、かわいがる、おしむ、おしい等はすべて今日の愛に関係する言葉ですが夫々がいつの時代から使い始められたかわかりません(知りません)。古代日本人が人、物、生き物の区別なくこのような細やかな愛情を抱いたのは事実でしょうが、それが漢字で愛となり、今日Loveとなって縄文から続く細やかな愛情表現が消えてしまったのは残念なことです。英語のloveも人、物、神への愛を表す言葉ですが、輸入語(外来語)としてのloveには神への愛、親子兄弟の愛、友人間の深い情愛の念などとは関係なく、男女間の愛の意味に限定されて使用されているようです。

mamaruru
質問者

お礼

なるほど、中国から齎されたのですか。 向こうでは、どのような意味を持つのでしょうね。 日本の書籍として 最古に「愛」が使われているのは なんの文献なのでしょう。 って、かなり難しい質問ですね。 解答がなくてもしょうがありません。 ただ、気になっていることは 他の方もおっしゃる通り、 現在の意味合いとしては やはりキリスト教伝導以降 定まった観念なんでしょうね。 という事は、こと現在の男女間の 恋愛に関しては、 それ以前に存在しなかった という事でしょう。 「恋」という語彙も 探索していきたいと思いますが、 旧来の日本人にとっての 男女の結びつきは やはりこの「恋」であった と考えています。 ぶっちゃけ、 愛に比べ 恋は自由で 例えば浮気など 容認されるモノでしょう。 たかだか、キリスト的 「愛」という言葉が大衆に浸透した 時間を考えるなら、 日本人の体質として さらに、信仰ももたずに この窮屈な「愛」が絶対視される ことには、納得がいかないのです。 なんだかんだと、 今回の質問は、この点から 出発しています。

その他の回答 (4)

  • neil_2112
  • ベストアンサー率73% (196/268)
回答No.5

限定的な回答しかできませんが、仏教との関係からコメントさせて頂きます。 「愛」という言葉は、仏教ではあまり一般的な言葉ではありませんが、阿含経や法句経などの古い経典の漢訳に出てくる言葉です。従って、わが国への経典の導入と同時に「愛」という語の仏教的な意味が伝わったことになります。 しかしながら、その意味合いは、ほとんどが否定的なものです。 もともと仏教では「愛」といえば「渇愛」の意味が多く、「水が欲しくてたまらない状態」のように、欲望にとらわれた状態を指す事が多いのです。はっきりと、「愛」が「煩悩」の意味で使われている場合もあるくらいです。 例えば法句経には、 「愛より愁いは生じ、愛より恐れは生ずる。愛を超えし人に愁いはなし」と書かれていて、乗り越えるべき障害とされていることがはっきりわかります。 なぜそのような意味に使われるかというと、仏教は愛の根底に自己愛を見るからです。人が何かを愛するというのは、結局自分との関係においてそうするのであって、自我への執着があるためだ、と考えるのです。 従って、愛はむしろ苦しみのもと、でもあるわけなのです。 しかし、その苦しみを体験した者こそ他人の苦しみに真に共感できるわけで、そこから生まれる感情や行いを「慈悲」と呼びます。(サンスクリット語では慈は憐れみ、悲は友情といった意味) つまり、現在我々が使っているような肯定的な意味の「愛」の概念は、もともと仏教では「慈悲」という言葉が包含していたわけです。 (「慈愛」という言葉も確かにありますが、成立としては比較的遅いようです) またこの慈悲というのは、お弟子の釈迦さんへの行為を表現して使われている例もありますので、上下関係に関わりのない言葉です。 無論、古い経典にも、「やさしい心のこもった言葉」というようなニュアンスの「愛言」「愛語」といった言葉がありますので、「愛」が必ずしも否定の意味ばかりだったわけではありません。 この混乱は複数のサンスクリット語を同じ「愛」と翻訳したせいなのですが、少なくとも「愛」という言葉を「自己への執着」が生み出す苦しみに関係づけた点だけは、どれも共通していると言えます。(愛語とは、つまり愛の苦しみを知って初めて語れる言葉、ということです) このような意味を考えれば、本来否定的意味合いだった「愛」も、肯定的な意味に転化する素地がもともと内包されていたとも言えるでしょう。 西洋的な概念が輸入と同時にすんなり受け入れられた一因は、それまでの「愛」という言葉の歴史の中にあるのではないか、というのが私の感覚です。 (仏教のことばかりで、またあまり実証的ではないので質問者さんのお役には立たないかも知れませんが、ご寛容を願います)

  • Alicelove
  • ベストアンサー率35% (199/558)
回答No.3

元来、愛という字は「愛づ」で使われていたのではないでしょうか? 万葉集の時代から、深い寵愛を示す言葉として「愛での盛り」という 愛する、褒める、賞する、心惹かれるという意味で使われてきました。 英語のloveの訳に「愛する」があてられましたが、 厳密に言えば、現在、日本で使われている愛すると、loveも違いますよね。 英語のloveは、恋愛感情というよりも、まず神への愛があり 続いて親などへの感情、つまり尊敬の気持ちが強いと思います。 あまりに I love you.のイメージが強いから、ごく近年に Love =愛する→恋愛感情を表すようになってきたのかもしれませんね。 愛の語源、字源を調べたわけでもないし、まして専門家ではありませんから あくまでも個人的な推察でごめんなさい。

mamaruru
質問者

お礼

ありがとうございます。 万葉集に「愛」という字が 使用されているのですか。 今までは 大石蔵之介が子息に宛てた手紙 で使用されていた 以前は知りませんでした。 しかし、 「愛での盛り」という意味が良く解かりません。 それでも 皆さんがおっしゃる通り やはり意味が大分違いますよね。 やはり宗教(キリスト)の教えを 訳した時点から 意味合いが変遷したと捉えていいのでしょうかね。

noname#12373
noname#12373
回答No.2

聖書を訳すときにできた言葉だとか。 英語の“love”を表す適当な日本語がなかったそうです。昔は「御大切」と言っていたらしいという記憶もあるのですが、いかんせん素人の頼りない記憶ですので、違いましたらごめんなさい。

mamaruru
質問者

お礼

聖書を訳したものであるなら ザビエル以降という事でしょうか。 それ以前にも文献に 意味は違えど登場していたようですので 疑問に思います。 ありがとうございました。

  • katori
  • ベストアンサー率26% (215/810)
回答No.1

英語の「Love」を翻訳する時に、該当する日本語が見当たらず、 その時に生まれた言葉だと聞いていますが・・・。

mamaruru
質問者

お礼

ありがとうございます。 けれど、英語の翻訳という事は 江戸時代以降という事になりますが、 実際それ以前の文献に登場しているようなので ご指摘は残念ながら違うようです。

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