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明智光秀はどんな人だったの?

明智光秀の性格を教えてください どんな人物でどんな性格だったのかがわかる、エピソードなり諸説を 知っている方いたら、ぜひ教えてください。 例えば、疑りやすい性格だったから、信長を信じきれずに 討ってしまったなど… 意外と知られていない情報があればすごく助かります。 できれば、その情報が載っている本やアドレスも教えてください。 よろしくお願いします

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回答No.6

人柄ということですので、ちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。 光秀の奥さんは、煕子さんという人だったのですが、 実はこの煕子さんは、光秀の元にお嫁に来る前に疱瘡という病気にかかり 顔に醜い痕が残ってしまったそうです。 煕子さんの実家では、織田の重臣明智光秀の嫁になる人だ 醜い煕子でなく、親戚の子を煕子ということにして、 光秀の下に送ろうと決めました。 だけど、光秀は偽者である事をすぐに見抜いてしまいます。 そして、煕子の実家に使者を送りこう告げます。 「約束の煕子さんが、疱瘡にかかったと噂は聞いてます。  ですが、何も気にしないで、どうかお嫁に来てください。」と こうして煕子は、無事に光秀の元に嫁入りします。 しかも、光秀は側室を持たず、この煕子を生涯ただ一人の妻として愛します。 以上のエピソードから、光秀は大変潔癖な人物であり、 とても優しい人柄を持ち合わせた、戦国時代には珍しいタイプの人だったようです。

その他の回答 (5)

回答No.5

個人的意見として書きます。 革新的な信長を倒し、貴族や将軍と関係が深かったことと礼儀作法を信長に説教したことから、既存秩序を重んじる生真面目で保守的思考の持ち主だったようです。 苦労をともにした夫人・部下や領民をいつくしんだので、情の篤い人でした。賢夫人が髪を売った話は知ってますか?また信長に背いた荒木村重を親交の深かった光秀は説得しようとしています。 疑いやすい性格ということはないと思います。それは信長のほうです。信長に甲州平定後「骨折った甲斐がありました」と冗談?を言ったとき、しゃれの通じない信長を激怒させています。 苦労人で人間性は現代なら抜群ではないでしょうか。

  • Pinhole-09
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回答No.4

No.3の続きです。 小文ですが 菊池 寛 「日本武将譚」       海音寺潮五郎 「武将列伝」 などの類書の中にあるでしょう。 この中で菊池寛氏が述べている、「信長は褒める時は子供を褒めるようだったが、一度怒ると嘲罵至らざるなく、荒武者たちも堪えられないほどだったという。 光秀にすれば骨身惜しまず働いているのに、その心情を理解されないでつらい、しゃあしゃあとしている秀吉なら受け流せたが、真面目一徹の光秀は堪えられなかった。 とにかく性格的に二人の関係は、そりが合わないのだ。  光秀の反逆は宿命的なものがある」 このへんが当たっていると思います。  

  • Pinhole-09
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回答No.3

小説ばかりですが 早乙女 貢 「明智 光秀」 南條 範夫 「桔梗の旗風」 藤沢 周平 「逆軍の旗」  皆文庫本もあると思います。

回答No.2

   闇の史実、空想の描写、虚々実々の演技。    史実を裏付ける資料は、いかにも専門的であり、おおむね退屈です。  しかし、自由な虚構で描かれる小説は、あまりに独善的なのです。  かたや、映像を演じる俳優は、それなりに迫真のイメージを伝えます。   ── 吉川 英治《新書太閤記 1939 連載》→《太閤記 19640103-1226 NHK》 ── 司馬 遼太郎《国盗り物語(三)19711220 新潮文庫 19730107-1230 NHK》   ── 明智光秀の流浪時代を丹念に描いた小説を読んだのは、初めてだ った。明智光秀という人物は、結構好きなので、本書も非常に興味深い。 もっと早く読めばよかった。  自分の才能信じつつも、不遇を嘆く明智光秀。足利義輝に仕える細川 藤孝と懇意になり、自信の能力を足利幕府に尽くすことになる。義輝が 松永久秀に殺された後は、足利義昭と苦労をともにする。 http://homepage3.nifty.com/fwnn7163/books/200202.html   ── 司馬遼太郎《国取り物語》によると、報奨金を小出しにしていた 信長に比べて、光秀の“三日天下”では、とても気前よくバラ撒いたの に、まるで効果がなかったそうです(真偽不詳)。 http://q.hatena.ne.jp/1096480416#a173526 <PRE>  吉川 英治  作家 18920811 神奈川 19620907 70 /~《新書太閤記 1939》  司馬 遼太郎 作家 19230807 大阪  19960212 72 /~《国取り物語 1971》  佐藤 慶   俳優 19281221 福島 /籍=佐藤 慶之助~《太閤記 1964 NHK》  近藤 正臣  俳優 19420215 京都 /籍=川口 正臣/~《国盗り物語 1973》 </PRE>   ── (近藤 正臣は)I973年NHK大河ドラマ《国盗り物語》で明智 光秀を演じて一挙に人気を得た。類型的な仇役だった光秀像は、先の 《太閤記 1964》では佐藤 慶の強い個性で注目され、さらに近藤 正臣 の現代的な絶望感を秘めた演技が評価された。 

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

ほとんどのエピソードが江戸時代に創作されたものなので、実際はよくわかりません。こうじゃないかな?というのを書きます。 ・信長の正室、美濃御前(斉藤道三の娘)とは、いとこの関係。 ・室町幕府に仕え、足利義輝の奉公衆(将軍直轄の親衛隊)の一員となるも、義輝が三好・松永らに惨殺されると、足利義昭と共に朝倉義景へ身を寄せる。 ・足利義昭と織田信長のつなぎ役となるが、両者が対立すると信長に味方。 ・信長からの信頼厚く、信長が佐久間信盛らの無能を糾弾した折檻状には、有能家臣の筆頭にあげられた。

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