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自殺

人はなぜ自殺をするのでしょうか。 いじめによる自殺、経営者、指導者による自殺、失恋による自殺、経済苦による自殺、高齢者の孤独に依る自殺、病気を苦にした自殺等、その原因は様々です。 自殺の無い社会を築く事は出来ないのでしょうか? なぜ誰にも相談することなく自殺していくのでしょうか? 人間は本来孤独なのでしょうか? 社会とか、家族とか、仲間とかの絆はそんなに役に立たないものなのでしょうか? 自殺のメカニズムが分かりません。

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  • ベストアンサー
  • tia-s
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回答No.18

自殺を考えたことは数え切れないほどあります。 何故そう思うのか。世界の全てに価値が感じられないからです。生きていて何になるのか。どんなに懸命に勉強し、仕事をし、税を納め続けたところで死んでしまえばそれまで。そして、そうした考えしか浮かばない自分には何の価値も意味もない。ただ無駄に酸素を吸い、二酸化炭素を増やしているだけ。私の場合はいじめが主な原因でしたね。どこにもない居場所。明日がくることが本当に嫌で苦痛で、嫌だ嫌だと思えば思うほど体調にも悪影響がおよびました。私はただでさえ体が弱かったので、マイナス思考のせいで余計に体調が悪化しあまり学校には通えず、健康な子たちよりも人と接する時間が少なかったのです。そのせいでしょうか、人と話すことが怖かったですね。それにひどく冷めた人間だったので、どうせ誰かに話したところで何にもなりはしないだろうとあきらめていました。実際、担任の教師がいる前で私がいじめられていても教師は見てみぬふりでしたし、クラス内の誰かが声をかけてくれるということもありませんでした。 今は死にたいなんて思いませんよ。むしろ、今死んでしまっては困ります。まだまだやりたいことはたくさんありますし。 私が変われたのは、はじめてできた友人のおかげだと思います。その子も私と同じようにいじめられていました。その子と同じクラスになって、お互い余り者どうしだったので、自然にくっついたという感じで、いつしか私とその子はよく一緒にいるようになりました。それでもいじめは続きました。そしてある日、私はこう思ったんです。 「自分はいじめられてもいい。せめてこの子だけは泣かないでいてほしい」 それからですね。私はまるで別人のようになりました。いじめっ子たちがどれだけ大勢で来ようと、私はその子を守るために出来うる限り反抗しました。元来泣き虫なのですが、それを押し殺して。本当に、あの頃から私の人格は激変しました。今でもつい泣いてしまうことはありますがそれでもその回数はめっきり減りましたし、言いたいことはしっかり言えるようになりましたし、何より友達がたくさんできました。ずっと孤独だった昔が嘘のように。いつのまにか私の自殺願望は薄まり消えていきました。それはやはり、はじめての友人と出会えたことによりもたらされたものだと思います。 かつての私は、おそらく死に依存していたのだと思います。死は生からの、苦痛からの解放であると。死ねば楽になれる、周りの人間も私がいないほうが幸せ。そう思っていた頃でも、死ぬことが怖くなかった訳ではありませんでした。恐れているのは生と死の狭間にある、今まさに死に逝こうという状態、つまり死にかけている時なのだと思います。現在の私は、この狭間を恐ろしいと感じることができます。しかしかつてはそうではありませんでした。狭間を感じることなく、一足飛びにその後ろにある死にあこがれていたのです。 自殺が復讐であるか否か。それは個々人によって異なると思います。私の場合は復讐であるというよりも、消えてしまいたいという願いだったのだと思います。復讐しようという気力すらも失ってしまっていましたから。 自殺のない社会を築くというのは、可能性としてありえないことではありませんが、とても難しいことでしょう。特に現在、自殺ブームのようなものが巻き起こってしまっていますし…。絆は尊いものであり、人間を救う力を充分に有していると思います。しかし実際に自殺を考えるまでに追い込まれたとき、そんなものは信じられなくなってしまうのです。目に見えるものでさえ信じられなくなっているというのに、ましてや目に見えない絆を信じることなどできないでしょう。 目に見えないものは、自分自身で気づかない限り感じることはできません。ですから自殺を望む人たちの死を少しでも先延ばしにして、彼らが目に見えないものを感じられるようになるようになるための猶予時間を与えてあげることが必要なのではないかと思います。積極的解決法では決してありませんが…。

weber7009
質問者

お礼

>「世界の全てに価値を感じられないから・・・」 前途絶望の境地ですかね。私はこんな感情を持った事はありません。自分と言う人間はこの世に二人としていないのだから、こんな価値ある存在は他にないという自負はありますが、他人がそれを認めてくれるかどうかは、また別の問題です。自分の価値を認めない他人は、節穴と思うことにしています。だた、一人ぐらいは認めて欲しい、というところが本音です。 >「私が変れたのは、はじめてできた友人のおかげ・・・」 人間は自分の為にだけに生きる事は、大変しんどいものです。友人という他人格が自分の心の中に入ってきた時、その友人の為に生きるという、新たな価値が生まれ、その価値が自分の生きる価値を生かしてくれる、といういい循環がはじまりました。 生きる価値を見出されて、本当に嬉しいです。 >「狭間を感じることなく、一足飛びに・・・」 狭間の概念、よく分かりました。死にあこがれることもあるのですね。勉強になりました。 >「積極的解決法では決して・・・」 目に見えないものを感じられるようにするには、どうしたらよいのか? 今、自問自答している最中です。 貴方の赤裸々な心情の吐露、ありがとう御座いました。 死を選ぶ人々の心の一端を知る事ができました。

その他の回答 (17)

  • Zuchi
  • ベストアンサー率19% (23/119)
回答No.7

まずは自殺に関するwiki 自殺 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA 自殺論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E8%AB%96 (1)自殺の無い社会を築く事は出来ないか? 無理です。減らす事はできても完全な撲滅はありえまえん。どんな法制度も政治制度も自殺を止める力は持ち合わせていません。自殺の理由も人それぞれで、中には「理由なくなぜか死にたかった」と言う人まで居ます。原因の特定と消去は不可能でしょう。 (2)なぜ誰にも相談することなく自殺していくのでしょうか? これは本人が答えを持っているので回答は不可能です。単純に推測できるものを挙げます。 ・相談したが判断は変わらなかった。 ・相談したいが相手がいなかった。 ・相談する気がそもそもなかった。 (3)人間は本来孤独なのでしょうか? これは意見が分かれるでしょう。 たった一人で生きていこうとすれば、人は獣か神になるしかない。(フリードリッヒ・ニーチェ) 何かを意志しようとするなら、信頼できるのは自分だけであることを第一に理解していなければならない。人はこの世にただ一人、無限の責任を負って産み落とされ、誰からの助けもなく、自分が掲げた目的だけを目指し、自分がつくり出した運命だけを頼りに生きるのである。(ジャン・ポール・サルトル) 孤独の定義にもよりますが、半分は孤独で半分は孤独ではありえないですね。なにせ生まれた瞬間には少なくとも産みの親はいるわけですから。 (4)社会とか、家族とか、仲間とかの絆はそんなに役に立たないものなのでしょうか? 場合によります。カウンセリングや援助で自殺の理由が消えてしまう事もありますし、消えない場合もあります。家族や仲間の存在そのものは自殺に対して抑制効果があるでしょうけれど、完璧なものではありませんね。個々のケースに合わせた対処を考えなければ無意味です。

weber7009
質問者

お礼

大変参考になりました。 ありがとう御座います。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.6

>人はなぜ自殺をするのでしょうか。 「死」という「希望」にすがりつくためでしょう。 「天国」や「極楽浄土」をイメージする事が出来た結果、「死は希望になる」のです。 もっとも、自殺する人が「天国」や「極楽浄土」を明確にイメージしているかというとそうでは無いと思いますが。 しかし、「生き地獄よりはマシ」という思考に陥っていることは考えられます。 >自殺の無い社会を築く事は出来ないのでしょうか? これは、人が人である限りなくならないと思います。(死に希望を見いだせる生き物だから) ただ、イジメや経営難といった社会的要因を理由に自殺する人を予防する事は出来ると信じたいです。 >なぜ誰にも相談することなく自殺していくのでしょうか? 相談することが出来ない、あるいは誰に相談したらいいか分からないからだと思います。 そこには、人間不信・社会不信が「自殺者」を支配しているのでしょうね。 >社会とか、家族とか、仲間とかの絆はそんなに役に立たないものなのでしょうか? これは、人間不信・社会不信が決定的に支配する前でないと役に立たなくなるのでしょう。 以下は少し話がずれますが。 少し前に、イジメを考えるとかいうTV番組で子供達に座談会をさせるというものがありました。 そこで、ある子供が「親や先生に相談しないのでは無く、相談できない」という趣旨の発言をし、それに周りが同意するという場面がありました。 その後の大人達の反応に「相談して」という発言がありましたが、この大人は子供の意見をちゃんと理解したのだろうかと思いました。 「相談出来ない」のだから「相談して」と言っても無駄です。 ならば、注意深く観察して防ぐことが大事なのではないでしょうか?

weber7009
質問者

お礼

死が希望? よく理解が出来ません。 この考えも自殺のメカニズムの一つなのでしょうか。 ご回答ありがとう御座います。

noname#21507
noname#21507
回答No.5

自殺対策基本法の理念的なところに 「死ぬのは個人の都合でしょ」から「いや社会にも原因はあるはずだ」に変わっていかなければ自殺は減っていかないだろうという部分があります。 自殺が「個人問題」から「社会問題」に変化はしていると言うことです。 ここ↓が詳しい 自殺対策支援センター http://www.lifelink.or.jp/hp/syomei_kadai.html

weber7009
質問者

お礼

個人が社会と関わりなく生きていけない以上、間違いなく自殺は「社会問題」です。 ご回答ありがとう御座います。

  • sklmm
  • ベストアンサー率11% (11/97)
回答No.4

>人はなぜ自殺するのでしょう 妄想するという行動の一種で逃避に近いと思っています。 >なぜ誰にも相談することなく自殺していくのでしょう。 自殺する人の傾向は一人で考え込む人、責任感の強い人、周りに相談できたり心の許せる人がいない人が多いです。 >社会とか、家族とか、仲間とかの絆はそんなに役に立たないものなのでしょうか? 自殺するころには、家族や仲間とか頭にないと思います。 自殺してしまう人は、あまり絆とかはあまり重要に思っていないんじゃないんでしょうか。

weber7009
質問者

お礼

自殺に関するメカニズムを分かりやすく説明して頂きました。 ありがとう御座います。

  • kamikazek
  • ベストアンサー率11% (284/2372)
回答No.3

生理・習性・本能面から言うと 人は自殺が出来る生物なので 自殺はします。 格言で「元来。人は一人で生まれてきて、 一人で死ぬものである。 大勢の中にいても、 ひとりなのは 当たり前のことである」 という言葉があります。真理そのものです。 自殺する人としない人の違いは そのことを本能で 認めてるか認めてないかでしょう。

weber7009
質問者

お礼

「一人で死ぬ」のは、分かりますが、多くの人々は、「自ら命を絶つ」ことはありません。 ご回答ありがとう御座いました。

回答No.2

正解の無い問題ですね。 死んだ人は、本音を語れませんから。。。 私は、自殺する人は、いくつかのグループに分けられると思います。 基本的に皆、気が小さいのだとは思います。 また、プライドが高い人もいると思います。 例えば、会社の金を横領していた人(つまり金持ち)が、警察に捕まりそうになって自殺する場合、それは、世間や家族から白い目でみられるという屈辱に耐えられない、というプライドの高さから、死を選ぶのではないでしょうか? ひょっとすると、刑務所なんかで暮らせるか!みたいなプライドかもしれませんね。 いじめ問題で校長先生が自殺したケースについては、ただ単に気が小さいのだと思います。 しっかり世間に頭を下げ、自分の力でなんとかいじめの無い学校を作ってやるっ!というガッツの無い、逃げ腰な性格なのでしょう。 または、自分と職場仲間(学校の教員仲間(つまり部下たち))との間の風通しが悪かったのではないでしょうか? 教員達に若干嫌われている校長を想像してみてください。 画工にいじめ問題がおきて、マスコミに叩かれだしたとき、校長以下教員みんなが一丸となっていくことができるでしょうか? でも、一丸とならなければイジメ問題は解決しませんよね? 部下を、そして学校全体をまとめる能力の無い人間が校長になったのでしょう。 さらに気の弱さも手伝い、自殺という逃げ道に入ってしまったのではないでしょうか。 いじめられた生徒の自殺は、いろいろな理由が考えられます。 普通は親や先生や親友に相談したらいいと思うのですが、 そういう相談仲間が居なかったのでしょう。 例えば、先生は、クラスは一部の人間とばかり仲良くしている、とか、 おやは、子供とコミュニケーションをとろうとしない、とか、 親友と呼べる人間がいない、などです。 それにしても自殺はタンラク的すぎますね。 子供の場合は、ひょっとしたら、マジメに死後の世界(つまり天国や地獄)というのを信じていて、いつかは生まれ変われる・・・と本当に心のそこから考えているのかもしれませんね。 大人でも、霊とか前世とかを信じてる人がいるくらいですから。。。 ということで、現世から逃げて、後世に賭けようと思うのかもしれないですね。 全体としていえるのは、 自殺したあとに残された事態に対する「無責任さ」はありますね。 そうです。無責任な人間のすることですね。 あと、自分が死ぬことによって悲しんだり、辛い思いをしたりする人がいることを考えない人ですね。 自分勝手、わがまま、としか言い様がありません。 さっきのとは逆の意見になりますが、 死後の世界が無いことを知っているからこそ、死んだら全てが終わると思い、自殺する人もいるかもしれませんね。 子供の自殺は、大人(親など)の責任。 大人の自殺は、本人のワガママ・身勝手・無責任の問題だと思います。 (ちなみに私は、これらの話とは全く違った意味で、自殺否定論者なわけではありません)

weber7009
質問者

お礼

自殺=気が小さい、プライドが高い この欄でも自殺の基本的なメカニズムの一つが明らかにされています。 ご回答ありがとう御座います。

  • taachin
  • ベストアンサー率25% (12/48)
回答No.1

私のような人間が回答をしていいかわかりませんが 自殺行為は『逃げ』だと思います。人間は弱い生き物ですよね…。 今現在、小学生・中学生・高校生のいじめによる自殺のニュースが頻繁に取り立たされています。 正直、私もいじめられていました。 ですが、『自殺したら逃げになる。負けたくない』 という強い意志により自殺せずいじめられながらも耐え抜きました。 今の日本人は弱すぎるのではないかとも思いますが…。 あとは、流行。これは怖いです。 ニュースでやっていたから俺も…とか思ってやってるような気もしますが…。 とにかく、精神的に追い込まれ、相談しても考えてもどうしようもなくなったとき、自殺に走るのだと思います。

weber7009
質問者

お礼

貴方は強い人なのですね。 『強い』という事と『耐え抜く』と言う事が貴方にとって同義語なのですね。 『自殺したら逃げになる。・・・』自殺=逃げ。これも自殺のメカニズムの一つでしょうか。 ご回答ありがとう御座います。

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