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坂本龍馬の実力

busido2006の回答

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回答No.2

あくまで私の個人的意見です。 小説「竜馬がいく」に登場する坂本竜馬は、北辰一刀流の免許皆伝で桂小五郎と試合をして、勝ったことになっていますが、これは司馬遼太郎による創作です。 現在の竜馬ファンは、竜馬が剣の達人でなければ気がすまないという方が多いようですね。竜馬は剣の達人でありながら生涯一度も人を斬らなかった、といことにカタルシスを感じるのでしょうか。 私は、坂本竜馬は剣で名をはせた人ではないので彼が剣豪である必要はないと思います。竜馬のなした偉業は、そういう次元のものではありません。 話が横道にそれましたね。。。 竜馬の剣の腕前を少し検証してみましょう。 竜馬は、江戸に出る前に小栗流の目録を受けていますが、江戸の小千葉道場で修業をしたのが一年半ほどです。いくら剣の才能がある者でもこんな短期間に免許を受けれるとは考えられません。 ご指摘のあった塾頭になれたのも、剣の腕前よりはむしろ竜馬の人柄を買われてのことではないでしょうか?おそらくは、後輩の面倒見のいい良き先輩だったのでしょうね。 では、竜馬は本当は弱かったのか? 剣の腕前は弱くはなかったと思います。いくら人柄を見初められても、そこそこの腕前がなければ塾頭には推薦されないでしょうね。 真の実力について、最も誠実にお答えするのなら実際に立ち合ってみないとわからない、ということでしょう。 竜馬は国事に疾走しだしてからは、ほとんど剣の稽古をしていた形跡が見られません。また、彼の自論として、拳銃などの新兵器や新時代を考えると剣術はもはや無用、という意識も持っていたようです。 こうした背景から、質問者様の疑問はおのずと解けるのではないでしょうか? 最後に余談になりますが、一般的に何々流の免許皆伝と言ってもこれもあまり力量を図る目安にはなりません。 例えば、道場が経済的に厳しくなってくると門下生を増やすために、道場側は簡単に免許を発行していたという背景があります。 こんなところで、よろしいでしょうか?

kazuki1119
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 たしかに言われてみれば龍馬が剣術の達人である必要はありませんよね。小説を見ると実力があるのに剣を使わずに最後に剣によって暗殺されてしまった龍馬に不思議さと魅力を感じた次第です。 もともと坂本龍馬を歴史で習った時は『薩長連合』の項であずか一行たらずの紹介でした。もちろん耳学問で多少の知識はあったのですが、最近、龍馬をいくを読む機会があったのでその時に様々な点で感銘を受けました。仮に小説よりも剣が弱かったとしても、逆に私にとっては凄さを感じてしまいます。新撰組やらいる京都に何度もいってるわけですから。。。。 >>江戸の小千葉道場で修業をしたのが一年半ほどです 確かにいかに才能があってもそのくらいの日数では剣を極めるのは難しいですね。高杉晋作も剣術ではなくピストルを愛用した聞いているので、両者にはやはり時代をみる力がすぐれていたのでしょうね。 大変勉強になりました。 どうもありがとうございました。

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