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立憲主義と平和主義は相反するのでしょうか?

長谷部恭男氏は、著書 憲法と平和を問い直す、のなかで、立憲主義と平和主義は互いに緊張関係にあると書いています。 が、具体的にはどうしてか、、ということは書いていませんでした。 もしよろしければ、同じように相反すると思われる方、理由を教えてください。宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • C-Brass
  • ベストアンサー率23% (7/30)
回答No.1

 その書著は知りませんが、そもそも「平和主義」というものはたいていどんな実効的な政策とも相反するものです。  国家の使命は国家の独立を維持し、それを通じて国民を守ることです。平和主義とは、この最優先の使命を放棄してまで戦争というものを避けようとする考え方です。極端に言えば、奴隷にされようと皆殺しにされようと戦争さえなければいいという歪んだ思想です。  そもそもの発端は第一次世界大戦におけるメガデスで戦争アレルギーになった人たちが冷静でない状態で言い出した代物ですからね。

johnyangel
質問者

お礼

専門家の方なのですね。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

 こんばんは、初めまして・・・難しい問題なので、かなり抽象的なお話になってしまうと思いますがごめんなさい・・・  まず調べてみたのですが、長谷部先生の「立憲主義」の理解の方法・内容は、通説と大きく食い違うようです。詳しくは、こちらのページをご覧下さい。  【日本記者クラブ・会見リポート】  http://www.jnpc.or.jp/cgi-bin/pb/article.php?id=563  以上を前提に、お話を進めたいと思います。  「近代立憲主義は人民に一定の価値観を押し付ける性質のものではなく、多角的な価値観の存在を前提として、その各々の価値観を尊重するものである」というのが長谷部先生の立場です。  ところで、憲法9条の解釈で「非武装中立」論を採用した場合、「外国が日本国に攻め込んだ場合でも、日本国は、それを排除するために武力を行使することができない」ことになります(憲法学会の多数説)。この非武装中立論をもっと突っ込んで説明しますと、「外国が日本国に武力行使をした場合、日本国は、国民を守るためであっても、国として武力をもってこれを排除することができない」ことになります(自衛権の否認)。  ここで国の自衛権を否認するということは、突き詰めていえば「このような場合は、国家が、国民に黙って死を選ばせるしかない」という結論に、実質的につながりやすいわけです(国として組織だった防衛行動ができない以上、一部国民によるレジスタンス活動だけでは、質・量ともに圧倒的に有利な立場にある外国正規軍に対して有効な反撃手段となりにくいためです)。そう考えると、「非武装中立」論は「何とかして、祖国でがんばって生き延びたいと考える人の価値観を否定することにつながる」ので、「多角的な価値観の存在を前提として、その各々の価値観を尊重する近代立憲主義の立場とは相容れない」と考えるのです。  余談ですが、長谷部先生は、憲法9条を全否定なさっているわけではないようです。いろいろ調べていくと、むしろ「9条と非武装中立論を切り離し」た上で「9条の解釈論として、自衛権をいかにして認め得るか」という見地からお考えになっているような気がします。私はアマチュアとして憲法13条あたりから自衛権を引き出せないかを考えている一人なので、長谷部先生の学説の進捗に大いなる興味を寄せているところです。  説明が下手でごめんなさい・・・  【ご参照:Google 「『憲法と平和を問いなおす』を読む」読書会(2005年9月、12月)報告】  http://www.geocities.jp/philosophia_shizuoka/html/constitutionalismPeace.html

johnyangel
質問者

お礼

す、、すごい、、すごすぎます。有り難うございます。ずっときになっていたことだったのに、こんなにあっさり解決してしまうとは。。。 有り難うございます。

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