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キリスト教の教え
よく、子どもの時には誰でも「親(年上の人)に文句を言ってはいけない」と教えられた記憶がありますが、私が小学校6年生のときに(私はキリスト教の学校ではなく、普通の公立の学校です)、当時4年生だった人が小学校1年~10歳くらい向けの、キリスト教の童話を図書館で借りてきて、その中で「年上の人は年下の人に文句を言ってはいけない」と書いてあるのを見つけ、どう勘違いされたのか「では、年下の人は年上の人に文句を言ってもいいのですね」と勘違いされたことがあり、図に乗って年上の人に突っかかったりしてたことがありました。 そこで、キリスト教を実際に信仰されている方、信者ではないけど、キリスト教の学校に行かれてた方に質問なんですが、キリスト教には聖書と言うものがあって学校などではそれを読む時間とかもあるということを聞きますが、実際に「年上の人が年下の人に文句を言ってはいけない」という教え(似たようなものでもいいです)はあるのでしょうか?逆に「年下の人が年上の人に文句を言ってもいい」というのはどうでしょう? そのことについて、何か知っていたら教えてください。
- kao77
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- 1katyan
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文句を言ってはいけない。というのはないと思いますね 親の言うことを聞きなさい。大事にしなさいという感じの場所はありましたが、どちらにしてもお互いに愛というものは必要です。 文句では言い合いになりますよね。 そうじゃなく「なぜする必要があるのですか?」「どうして?」 私はこのほうがいいと思うんだけど、間違っていますか? と聞きましょうよ。なるべく穏やかに、従うときも必要ですよ (訓練としてね) なんでも自分の意見が通るものではありません。 あなたのために色々してくれている親だから感謝してね
基本的に…相手の年齢に関係なく「文句は言わない」はずです。 仕返しとか、(理論で)改心させるということもしないはず。 ま、いろんな宗派があるし、そのグループ(1教会なり、会衆なり…)のトップの考え方次第ということも大きいので…聖書に書いてあっても、曲がった解釈をする偉い人もいるってことです…
お礼
ありがとうございます。
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