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アメリカ文学に詳しい方

ghostbusterの回答

回答No.7

> 社会問題とはなるべく関係ないものを書いている女性作家を2,3人 う、これまた難問だ。 文学というのは、やはり人間を深く掘り下げていくものですから、その主人公が社会の出来事にたいしてどのように反応するか、というのは当然出てくるわけです。 たとえば下の方でも出ているパール・バックの『大地』(1931)、これもノーベル文学賞を取ってましたね、忘れてました、これだって、中国における「農奴問題」を扱った小説ともいえる。事実、作者のバックは、左翼的な思想を持った作家として、FBIの要注意人物のリストにも載ってしまう(載せる方に問題があるとは思うんですが)。 どういう形であれ、社会問題は遠景・近景に浮かびあがってくるものだし、それに対する作者の問題意識も、不可避的にあらわれてしまうわけです。そういう要素を排除してしまうと、もうロマンス小説にしか行きつかない。 ということで、政治的主張を前面に押し出さない作家、というふうに読み替えて、考えてみます。 まずは19世紀末から20世紀初頭のイーディス・ウォートン、『エイジ・オブ・イノセンス』(1920:邦訳によっては『無垢の時代』とも)は映画にもなりました。 この人はヘンリー・ジェイムズとも親交があって、心理描写などの面で大きな影響を受けていますが、本家にくらべるとずいぶん読みやすい。 ほんとはここでウィラ・キャザーやキャサリン・アン・ポーター、それから時代がくだってユードラ・ウェルティなんかもあげたいんだけど、翻訳はおっそろしく手に入りにくいので、パス。 ハーパー・リーの『アラバマ物語』(1960)はお読みですか。 これは人種問題をめぐる事件が大きな軸にはなっているけれど、基本は南部の田舎町で過ごす兄と妹の物語です。アメリカ文学のモダン・クラシックスというか、心のふるさと、というか。リーはこれ一作しかまとまったものは書いていないのですが、たぶん、これ一作で後世まで十分、残っていく作家だと思う。ロバート・R・マキャモンの『少年時代』も、おそらくこれに触発されて書いたものだろうし。 あとは誰だろうな、現代の作家はわたしもそれほど読んでいるわけではないのですが、やっぱりアン・タイラーかなぁ。この人は家庭内のことしか書かないのですが、それがどうしてこんなに深く掘り下げられるのか、と思うぐらいな深みを持っています。ああ、そういえば『カラマーゾフ』だって家庭内小説だったんだ、みたいに、わたしはこの人を読んで、逆にそのことに気がついた。もちろんそんなことは全然気にせず、読むこともできます。思想的な要素、政治的な要素は、ストイックなぐらいに排除してあります。 一冊、選ぶとしたら『夢見た旅』(1977)。 ただ、多くの作品は手に入れにくいし、手に入りやすい新作は、ここのところ読んでないので。 > 「アメリカ文学は肌に合わないのか」 うーん、こういう発想っていうのはね、「自分の好み」というモノサシを完成させたものである、ととらえるところから来てるかな、とわたしは思います。 わたしはこれといって自分の見方、感じ方、みたいなものが、あらかじめあるわけではないんです。もしかしたら、「自我」みたいなものが、極端に希薄なだけなのかもしれないけれど、逆に、強固にそういうものを持っている人を見ると、しんどいかな、と思います(あくまでもわたしの感じ方であって、だれかを批判する、とかそういう意図はまったくありません)。 すでにできあがった「自分の好み」というモノサシを、作品に照らし合わせて、これはダメ、これはo.k.って見るのは、確かにちょっと、しんどい。 現実に、わたしたちはAさんに出会ったときの態度と、Bさんに出会ったときの態度って、変えてますよね? 選ぶ話題も、話し方も。 なんで、本を相手にそれをしちゃいけないのか、って思うんです。 少し、自分の立ち位置を変えてみたり、読み方を変えてみたりするだけで、新しい人と親しくなれるように、新しい本ともいい関係が築いていけるんじゃないか。 わたしは「相手と呼吸を合わせる」みたいな言い方をしていますが、多くの作家っていうのは、格別によみやすい人を別とすれば、長編だったら、三分の一から半分ぐらいまで、読みながら、相手に呼吸を合わせていく作業が必要です。短編だったら、それをやってるうちに終わっちゃうってことが少なくない。だから、わたしはいきなり短編はあまり読まないんですが。 「呼吸を合わせる」みたいな感覚的な言い方しかできないんですが、少し、読むときに工夫してみてください。音読する。誰かの朗読で聞いてみる。誰かが読んでいる声を耳の内側で想像しながら読んでみる。 とにかく、相手にしているのは、ノッペラボーな字面じゃない。その向こうに「人」がいます。 嫌いな人とはつきあわない、みたいな生き方をすると、ほんとなら好きな人とだけつきあえて楽しいような気もするけれど、実際は逆に、あれヤダ、これヤダ、って、どんどん世間が狭くなって、かえって苦しくなるのと一緒だと思うんです。 もう少し、ラクに、自分の好みっていうのは、日々変わっていくものだ、どんどん作り上げていくもんだ、って見方を変えたほうが楽しいかなぁ、って思います。 だってわたし、本屋に行くと、ああ、こんなに読んだことのない本がある、と思って、うれしくってしょうがない。ここまでいくとすでに「変人」の領域かもしれませんが(笑)。 ちょっと越えた話でゴメンナサイ。

alchera
質問者

お礼

わたしは根本的には小説読みではありません。フィクションを読むのなら、出来れば現実世界とは全く離れたものを読みたいと思っています。人生の艱難辛苦やどろどろを、わざわざ字によって追体験せずとも良いのです。なので、ジャンルで言えば好きなのはミステリとファンタジー。他に、歴史小説は現実から時間的に隔たっているということで、安心して読めます。といっても、ミステリとファンタジーと歴史物に限っても、好きだと思えるものはそうないのですが。 ……が、まあそれだけじゃあ読むものがないので、最近は多少範囲を広げる努力をして(^_^;)。でもそうそう楽しい出会いがあるかと言うとそうではない。しかしあんまり贅沢を言っていると、出会いもありませんからねー。とりあえず読んでみないことにははじまらない。(ここまでは普通の話。) わたしは好き嫌いを基準にして考えています。自分の好き嫌いをとても大事にしたいのです。作品に寄り添って、(客観的に)美点を見つけていく読み方もあるでしょうが、そういう寛容な見方をしたくはない。そういう方法の方が、幸福量総体としては多いのかもしれない、多分。 ……しかし、そうではない見方があってもいい。星の数ほどある書物を、思い切り自分の我儘な見方で「コッチ側」「アッチ側」と分ける。数をこなしていくうちに、コッチ側の本の数も増えますが、それに伴ってその中でもさらにコッチ側とアッチ側に分かれていく。 そして、どんどんどんどんコッチ側が尖っていって、だんだん高く突き出る。(その背後には「アッチ側」の死屍が累々。)その突き出た部分はどこまで行くのか、どんな姿をとるのか、というのがわたしの興味の方向です。だから、わたしはなるべく狭める方向で物を見ます。 例えば水鉄砲。どんどん穴を小さくすれば、同じ時間をかけて穴を通過する水量はわずかになりますが、しかし遠くまで飛ぶようになる。わたしが求めているのはそういう方向です。※

alchera
質問者

補足

※その過程で、一応色々な出会いが(好き嫌いに関わらず)展開されていくわけですから、それにつれて自分の好みも変化します。(あまり変化したくないけど。でも変化しないことも不可能でしょう?)ただ、変化したものも「自分の好み」に間違いないから、それが基準であることは変わらない。モノサシという言い方で言えば、不定形ではありますね。その不定形で計るのですから、客観性というものは全くない。しかしわたしに関して言えばそれでいいのです。いわばわたしの王国内の出来事ですから。 かなり恣意的に書きましたが、言いたいことは伝わるでしょうか。伝わらないかもしれないけど(^_^;)。 まあ「呼吸を合わせる」方向には興味がないということですね。わたしにとっては……こんなことを言うと、実は身もフタもないのだが(^_^;)、あまり好きな(あるいは良い)物ばっかり増えても仕方ないのです。いかに削ぎ落としていくか、というのが大事なので。 ご回答の前半に関しましては、面倒なお題にご回答くださりありがとうございました。一昨日数えてみたところ、みなさんの回答を合わせて40冊ちょっと……。このくらいで打ち止めにしたいと考えております(^_^;)。というか、わたしは割合律儀なので、「一作家一冊というのはかなり賭けじゃないか?」とか考えそうです。かといって二、三冊ずつ読むことにすると、あっという間に100冊超えてしまうのだが。……足元だけを見つめて歩こう。 再再再度の回答ありがとうございました。

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