• 締切済み

哲学は何の役に立つのでしょうか

哲学という学問に漠然とした興味があるのですが、疑問があります。 哲学とは、何かの役に立つものなのでしょうか。 たとえば文学や宗教には ・物事をより良く理解できるようになる。 ・お金が儲かる。 ・社会や文化の発展に貢献する。 ・心の支えになる。 ・人を幸せにすることができる。 と言ったような、実用的な面がありますよね。 哲学はそういった意味で「役に立つ」物なのでしょうか。 それとも何事かを知りたいという衝動で学ぶものであって、実用性を求めるのは間違っているのでしょうか。 実用的な役に立つのか立たないのか、役に立つとしたらどういった面でか、どなたか意見をください。 専門的な知識はないので、できれば平易な言葉でお願いします。

みんなの回答

noname#20467
noname#20467
回答No.5

あと、 宗教は基本的には信じることで成り立ちますが、哲学は疑うことから始まる とは、よく言われますね。 別に宗教が悪いという意味ではないのですが、信じろということでは、信じられない人に対しては、何の意味もないことになりかねませんね。 何かを信じるのではなく、あくまでも、自分の頭と言葉で考えていくというのが哲学です。 どっちが良いということは一概に言えませんし、宗教と哲学が重なる部分もありますが、ものごとの前提や根拠から深く探っていくという意味では、宗教の分野でも、哲学的手法になるでしょうね。 哲学は、どこまでも最初から決まった前提を立てないし、人の言葉を吟味しないで流すこともしません。どこまでも可能な限り論理的であろうとし、その運用に厳密であろうとします。そして、なぜ?、どうして?をどこまでも自分でやっていく作業です。宗教は、必ず本に書いてあるから、神様が言ったから、という前提が必ずありますが、哲学にはありません(基本的にはね)。

hasenana2006
質問者

お礼

実は私は、宗教を信じたいけれど信じきれなかったために哲学に興味を持ち始めたという経緯があるので、このcyuubu-nさんのお答えに希望というか、可能性を感じました。 重ねてありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#20467
noname#20467
回答No.4

>たとえば文学や宗教には ・物事をより良く理解できるようになる。 ・お金が儲かる。 ・社会や文化の発展に貢献する。 ・心の支えになる。 ・人を幸せにすることができる。 と言ったような、実用的な面がありますよね。 このうち、1つめと3つめと4つめは、哲学にも効用があるのではないかと思います。 人を幸せにするは、少し違う場合もありますが、自分が幸せになるなら、哲学の内容によってはあると思います。 文学や宗教も必ずしも、世間的な意味での実用にならない点では同じです。 ただ哲学は方法論という面が、あとの二つよりしっかりしています。哲学の世界では、論理性が大切なのです。たとえば、法哲学という分野があります。法律家は、法律に従って社会を動かします。この時に、憲法や法律の根っこにある価値観を決めていくのが法哲学です。こうしたことは、宗教ではなく、哲学の分野の影響が大きいです。もちろん、国によっては、宗教が大きな力を持つ場合もありますが、近代国家の法概念はロゴスでものを組み立てます。 普遍性(たとえば死刑はいけない、とか、でも仕方ない死刑とはなんなのか?とか)を信仰ではなく、言葉によって組み立てていくわけです。 個人的な場合は別として、他者との関わりや社会的場面で語られる哲学は、その過程で論理を使うものであって、論理を尽くしていくものです。宗教でも良い場合もありますが、哲学では、人との議論が良いとされていること。これが違います。批判というものを哲学は内包していますし、表明しても良いのです。 中にはこれが理解できずに、考えの違いを糾弾されていると勝手に被害的に思いこんでいる人もいるようですが、あくまでも他人の言葉でなく、自分の言葉で定義と論理を明確に組み立てていないものは哲学としては認められないものです。論理の重要性は、哲学の最大の眼目の一つです。 ですから、なぜ人を殺してはいけないか?という問いを立てることは、宗教からはゆるせないかもしれないし、とにかく神が許さないという答えになりますが、哲学ではできるだけ論理的に答えなくてはいけません。これは社会哲学の分野や倫理学の分野になりますね。文学作品では論理としては普遍的なものにはなりませんね。 こういう方法論をもっているところが、文学などとは違うのです。宗教も場合によっては、こういう方法論を採ります。

hasenana2006
質問者

お礼

文学、宗教と哲学の違いがすごくわかりやすいです。 方法や使用場所の違いであって、どちらが役にたってどちらが役にたたないとかではないんですね。 哲学という物自体を良くわかっていなかったので、こういうふうに理路整然と説明していただけてありがたいです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.3

そのhasenana2006さんの文学や宗教の実用的な面というのを、哲学側の冷静な視点からすると、とても実用的じゃあないんです。 「物事をより良く理解できるようになる」というのは、下手すると間違ったことを鵜呑みにさせられて理解できたつもりにさせているのかもしれません。 「お金が儲かる」というのも、人からお金を巻き上げることができる、ということであり、そういう実用って果たしてどうなの?、と言いたくなります。 「社会や文化の発展に貢献する」といいますが、発展の陰で害悪になっている面もあると思います。差し引きしたらどうでしょう。 「心の支えになる」というのは、自分のわがままを認めてくれる、ととれば、ただの甘やかしであり、それが本当にその人のためになるかどうかは別の話です。 「人を幸せにすることができる」も、結局どうかわかりません。幸せという美名のもとに人を騙しているのではないかとも思えます。 まず、文学や宗教が役に立つという考えを捨ててください。 そういうことは、あなたが他人の言葉に惑わされているだけかもしれないからです。 さてその上で、なのですが。 疑えばきりがないことだらけの世の中で、それでは何が一体本当なのか、ということを探るのが哲学です。 本当のところはどうなのよ、と言いたくなることがあると思いますが、その雰囲気です。 実用性というのは随分と姑息なもので、その時その時の都合に合わせて判断されてしまうので、そんなものに惑わされて生きるのは、間違っているということはないにしても、思い込んで突っ走る危うさというのがあるなあ、と思いますね。 どうしても実用を求めるならば、哲学にも「プラグマティズム」という思潮がありますので、そちらを調べてみるとよいかもしれません。ただ、私から見ればそれは枝葉末節だと思いますが。

hasenana2006
質問者

お礼

nabayoshさんのおっしゃるとおり、文学や宗教が役にたつと言うのが誤解であったりマイナス面もあるでしょうが、それでも文学や宗教が役に立つというのは、個人的には譲れないところです。 人間が(というか、少なくとも私が)生きて行くには、曖昧さや些末な事やご都合主義でさえ必要だと感じるからです。 さらに言えば、人からお金を巻き上げなければご飯も食べられないわけで、そうなっては哲学どころじゃないと思うのです。 ですが、そういったこととは別に「本当」を探ろうという姿勢を心の内に持っているのといないのとでは、生き方に大きな差ができるだろうと思います。 プラグマティズムについても調べてみます。ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.2

哲学に投稿することによって、自分には思いつかない、他者の色々な考え方に触れることができます。 感心したり、驚いたり・・一番強烈なのは、他者が自分と全くの反対意見を持っている場合です。 対立意見者の中にはしつこく反対意見者を糾弾する人も居ます。 そういうやり取りの中で、自分自身と他者への礼儀と品位を守るための忍耐と、 他者の考えを、たとえそれが反対意見であろうとも、その立場になって理解できるかどうか、自分の心の柔軟性を試すための良い実験的経験になります。 私にとっては、自分の知りえていることの表明と、自分の忍耐向上、視野拡大の良いチャンスになっています。 勿論、知らなかった情報を得ることによって、新しい知識を獲得することも出来ます。 哲学で何を学ぶか、何を得るか、何に役立てるかはその人次第だと思います。 人は所詮、自分で思うようにしか行動できませんから。 哲学から何かを得ることにより少しずつ考えが変わり、行動が変わってくることも当然あるでしょうね。 以上、経験より書きました。

hasenana2006
質問者

お礼

>自分には思いつかない、他者の色々な考え方に触れることができます。 >自分の知りえていることの表明と、自分の忍耐向上、視野拡大の良いチャンス 日常ではなかなかできない心の訓練ができるわけですね! これは率直に、哲学を学びたくなりました。 魅力的な経験談をありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#25358
noname#25358
回答No.1

 この質問そのものが回答になると思います。  あなたはこの質問が、何の役にも立たないと思いますか?  もしそう思っていたとしても、気になってた問題を解決することに意味があるわけですよね。  それと同じではないでしょうか。  哲学ってのはもともと、人間の頭の中で生じうる当然の疑問を集大成したようなものですから、そういうジャンルの学問があること自体に意味があるんじゃないかと思うのです。

hasenana2006
質問者

お礼

>哲学ってのはもともと、人間の頭の中で生じうる当然の疑問を集大成したようなもの なるほどと思いました。 そういうものであれば、確かにそういうことを専門に考える人達がいることは不思議ではないですね。 というか、生まれてくるのが当然の学問なのかもしれませんね。 ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 哲学者について教えて下さい

    哲学者は自然科学の人みたいに実験や観察はしないんですよね。 他の学問みたいに発掘や統計の分析や解剖や意識調査のアンケートとかもしませんよね。 座って考えることだけが哲学的作業なのでしょうか?それとも哲学にも他の学問みたいに研究「作業」があるのでしょうか? 宗教の人達は山林修行とか瞑想とか座禅とか実技をしますよね。 哲学者は宗教的な要素を抜きにしてそういう実技は行なわないんでしょうか? それとも哲学者が実技を行なうと無条件に宗教家と定義されてしまうんでしょうか? ただ考えることが哲学なのであれば、その優劣は非常に曖昧だと思うのですが…。哲学者の優劣はどうやって決まるんでしょう?文学であれば、個々人の感性で味わえば良いのでしょうが、哲学は一応真理を追究するんですよね。他の哲学者が評価するんでしょうか? よろしくお願いします。

  • 「役に立つ学問」「役に立たない学問」とは?

    学問の存立する根拠は、「役に立つこと」のみに存しないのはいまさら言うまでもないと思います。しかし一方で「役に立つこと」が学問の契機になることもあります。古代エジプト人は、東方起源の学問を発達させながら、それを例えば測量術や建築術のような実用と決して離さなかったといわれます。しかし古代ギリシア人は、幾何学や哲学、その他の諸学を日常の実用から切り離して、日暮し天空を眺めてすごすような、純粋な精神的境地を開き、そうした境地が人生にとって「役に立つ」つまり意義深いと考えていたようです。 僕は大学で建築を学んでおり、大学院では建築論という建築の哲学みたいなことを研究します。なぜ建築するのか?などについてアリストテレスやウィトルウィウスの本を読み研究しています。こんな役に立たない学問を研究して意味があるのか?と言われるときがあります。大学は役に立たないといわれている学問を研究する場ではないのかと自分では思っています。学問の在り方について教えていただけませんか?

  • 哲学の役割は?

    私は、哲学にとても興味があります。ただ哲学が何か、哲学がどういうものかいまいちというより、かなり掴みきれませ何ん。哲学がかを考えるときに強いストレスを感じます。原因は私の無知です。年齢は20代前半です。以下、失礼に値する文章かとは思いますが、どうか皆様の的確なご指摘やご指導があれば幸いです。 『哲学の目的』はなんでしょうか?『哲学には社会に対して何ができる』のでしょうか?『哲学の役割』は? 物理学なら、明晰かつ斬新な物理モデルを発見することによって、技術発展を通してひいては医療・貧困・飢餓の問題の解決の一助に成り得るでしょう。 法律学なら、より良い少数派や弱者を救う法的プロセスを発見し法制化することによって、より人々が安心して暮らしやすい社会づくりをすることができるでしょう。 会計学なら、より適切な会計的手法を編み出すことによって、利害関係者のより一層の保護を図り、健全な経済の発展に資することができでしょう。 どの学問もそれぞれにそれぞれの前提と研究方法が確立されていて、それがひいては何らかの形で、その学問以外の社会や第三者のためへの貢献へとつながっているように思えます。 それに対して、哲学はどうでしょうか?哲学には社会に対して何か貢献できるという確固たるものがありますか?正直に申し上げて私はそれを感じることができません。良い言葉ではありませんが、哲学は単なる自己満足で終わってませんか?自分たちなりに自分たちが粋だと思ってる思索・研究ができれば、それを是とする、という。どうでしょう?哲学が学問として単なる自己満で終わってるという私の見解は。どうか皆様の御指摘・御指導お聞かせください。 よろしくお願いします。

  • 哲学はまだ進歩しますか?

    哲学はまだ進歩しますか? 自動車がまだ進歩しますか?という問いには多くの人が、是、と答えるでしょう。 そして、多くの人が、まだ使える13年前の旧型自動車を新型自動車に買い替えたりします。 文学がまだ進歩しますか?という問いに、私は、否、と答えます。 100年前の文学が最新の文学よりも劣っているとはどうしても思えないからです。 音楽に関しても、私の評価は同じです。 ただし、100年程度の時間軸の中での答えです。 さて、 哲学はまだ進歩しますか? 100年程度の時間軸です。 この問は大変に深刻な問いです。 すなわち、自分の余命を考えた時、選択をさまられるわけです。 新型哲学の理解に時間を使ってしまい、19世紀の哲学に対する時間配分が取れなくなくて良いのか、 それとも、100年前までの哲学に集中し、新型哲学のほうは「またにしておきます」と、断るか。 問い: 19世紀の哲学と比べて最新の哲学は進歩していますか? 注); 進歩(しんぽ)とは望ましい方向へ(物事や文化、文明などが)進んでいくことである。対義語は退歩(たいほ)。類義語は発展、及び発達。また生物学の分野では進化がよく混同される。 哲学が進歩していると思われる方が、ぜひ、その根拠を教えてください。 旧型の哲学を廃車にして、すべて新型哲学に一新しましょう。

  • 哲学の研究は成果がでているのか

    考えることが好きで哲学も好きなんですが、そもそもがよくわかりません。 物理学や数学はそれを応用して機械を作り、今の社会の基礎と発展に貢献しています。 ですが哲学は、万学の祖というように哲学の研究がいろいろな学問へと繋がったのはわかります。 ですがそれ以外で、古代から様々な哲学者が思考を重ねて研究をしていますが、学問としても成立しているのに明確な内容がよくわかりません。 研究するからには解決すべき問題があったからだと思うんですが、その結果なにか成果はでたんでしょうか? 哲学は「神はいるのか」とか、誰もが不思議に思うけれど途方も無いことを探求して真理を見つける学問だと思っているんですが、だとしたら考え方っていうのは人それぞれなので答えはたくさんあるだろうし、 だとすると哲学の研究っていうのは何を研究しているんですか? また、哲学の進歩は人間を進歩させていますか。 例えば人殺しや戦争を哲学的に研究した結果、世界中の人々が戦争の無意味さを自然に知るようになったとか(=短い期間では認識できないが少しずつでも賢くなりつつあるのか)。 科学の目的は世の中を便利にするとか具体的な想像がついて、それに伴って機械が生まれるなど成果があります。 でも哲学の目的はうまく想像できず、学問の一つなんだから成果はでているんでしょうが機械のように具体例がわかりません。 個人的な意見ですが哲学の目的は賢くなることで、今の科学の発展が人間が賢くなった成果といえるでしょうか。 素人質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

  • 哲学科って何するとこですか?

    僕は、今年高校3年になった受験生です。しかしいまだに進路について迷ってます、、 僕は大学で、「人間とは何か」とか「生と死」とか宗教とか思想について学びたいと思っているので、哲学科に進もうかと思っているのですが、なんか色々調べてみると、哲学科に行っても「言語を学んで終わりだ」とか、「後悔する」とか書いてあります。。それに、そもそも僕が哲学に向いているのかが分かりません。哲学科って実際にどんなことをするのかも分からないし、それに僕は本を読むことがすごく苦手で、苦痛に感じることがたまにあるし、哲学は、他の学問に比べて本を読むことが多いって聞いたことがるから、自分がついていけるか心配です。あと、哲学を勉強すると人間が広く豊かになるとかよく言うけど、学校の国語の教師って、なんか偏見的で生徒に対して上目線で接する人多くないですか?僕そういう人すごく嫌いなんです…。だから、文学系の勉強をしても、人間を成長させることは出来ないんじゃないかって思うんですが… 長文になってすみません。。

  • 今後の哲学は他の学問に発展しますか?

    今後の哲学は他の学問に発展しますか? 例えば、認識論が脳科学に発展した、みたいな感じで… というより、実際的に何かの役にたちますか? 言葉を操る、こねくる以外の意義はありますか? またはすでに、そのような哲学は存在していますか? 書籍など挙げていただけると助かります。 (僕は今のところ入門書のようなもの数冊しか読んで居ないという理由で、めちゃくちゃな事もしくは分かりきったこと言ってしまっているかも知れません。 質問が意図通り伝わる事を願います。 回答お待ちしています。)

  • 哲学における研究とは。

    哲学における研究とは。 研究の基本は、何か明らかにすべき問題があり、それを明らかにする事によって、何かに貢献できる。ということが、物事を研究する意義であると感じています。まして、大学等に所属している研究職などはそういった事が求められると思っています。 しかし、浅学の身ではありますが、哲学の分野では、確かに問題はあると思います。しかし、それを明らかにする事がどのような意義を持つのかがいまいち良く分からないのですが。 例えば、哲学研究者などがフッサールやハイデガーといった哲学者のさらに細かな視点について論文を書く、又は卒論・修論・博論などはよく「~(哲学者などの人物)について論じた」といった様な表現も聞きます。問題を設定することはできると思います。既存研究を検討して、明らかになっていない事を見つけるのですから。しかし、そのような論文の背景や目的を読んでも、それを明らかにする事がどのような意義があり学術的な貢献ができるのか、その部分が書かれていないような気がします。自分の好きなことを勉強するだけ、自分の知識を増やすだけなら、研究論文として表現する必要はなく、そういった研究職でなくても良い訳ですよね。 哲学に限らず、文学、歴史学などもそのように感じます。決して、批判ではありません。自己満足ならそれで充分だと思っています。自分もそうであってほしいと思います。 しかし、そうはいっても、科研費など研究費を取ってこないといけないですよね。そういった研究費を取る時には、研究の意義などはどのように書いているのか、それも疑問に思います。 長くなり、分かりにくい質問ですみません。「哲学研究の意義」といったものが知りたいです。

  • 今の若者に(現代に)哲学は必要か?

    最近の若い人はと ローマ時代から?言われてたそうですが 30代の人に聞いたら 自民党と共産党の違いもわからないと言う 哲学の言葉を使うと「〇〇さんは学生運動の世代なんでしょ?」と これまた見当違いな事を言う人達 若い人達がこれで 将来はどうなるのだろうか? 政治や宗教の話も 否定や批判ばかりで 結論らしきものが出ないし まず話が劣化しています。 これからの若い世代が倫社も学ばない人も多く 哲学もしないとすれば 理想とか夢はみな、お花畑として否定され 現実はちっとも良くならないのではと危惧します それとももう哲学は必要ないのでしょうか? 私も「哲学」という学問は何だか柔軟性がなく 融通が利かない気がします。 この難しいばかりで役に立たない哲学は、もう要らないものとして 消え去ろうとしているのでしょうか? 哲学が結論を出していかない事が役に立たない理由でしょうけど 方便でもいいから今の時代を救う結論を出していくべきなのではないでしょうか? 皆さんどう思われますか?

  • 東洋大の2部のインド哲学と大東文化大の文学部、どっちがいいのでしょうか?

    東洋大の2部のインド哲学と大東文化大の文学部が受かったのですが、日東駒専の2部と大東亜帝国、どっちがいいのでしょうか? 主に就職面などでの事です。