• ベストアンサー

何故アジア、アフリカに人口が多いの?

稚拙な質問で申し訳ありませんが、何故アジア、アフリカ諸国は人口が過剰になり、西洋諸国はそうはならなかったのでしょうか。 参考になりそうな文献、書籍もご紹介いただければ幸甚に存じます。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数10

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pius
  • ベストアンサー率38% (73/191)
回答No.3

#2の方が指摘されている「地政学的要因」を前提とした上で、#1の方の指摘されている、「産業構造による影響」は無視できません。ただ、もう少し踏み込んで言うと「経済状況による影響」といっていいかもしれません。18世紀産業革命以前のことを考えると、少なくともヨーロッパにおける人口動態は経済に影響されていたことがわかっています。 一方で、温暖・寒冷のためと言うのでは温暖である南米などが説明し切れません。 産業革命以前が人口=国力とするなら、ヨーロッパは永久にアラブ世界には勝てません。ヨーロッパは土地が痩せていて十分に人々を養うだけの生産量がありませんから。これが前提になる部分です。 ではヨーロッパが世界経済を席巻し十分人々を養えるようになった時には、他の世界より人口も増えるのではないか?というとそうでもありません。 人々は経済的繁栄を享受すべく、子供は極力持たない傾向にはしります。現在でも先進国では1家庭につき平均1~3人ですよね。逆にいっぱいいると貧しくなるから。これと同じことが15世紀~16世紀にかけての欧州でも見られます(といっても今まで1家族7・8人生んでいたところを5人くらいに減らしたくらいです。結局2・3人は幼児期に亡くなってしまいますから)。 15世紀のペスト大流行後、ヨーロッパでは人口がなかなか回復しませんでした。以前は戦争の世紀に突入したためと言われていましたが、もっと見逃せない説が唱えられるようになってきました。それは「バースコントロール」です。ペスト流行後人口は減った一方で、人々の生活は若干向上しました。人口が減った分、食料が行き渡るようになったのです(荘園領主も少ない人手を確保するため、領民の待遇を改善し領民が外に逃げないようにしたため)。 また、先進国では晩婚化の傾向も示されていますね。晩婚化するということは、1人の女性が一生涯で子供を持つ数が少なくなることといえますね。 これも17世紀オランダや19世紀イギリスなど経済的繁栄を誇った国に見られる特徴です。経済的体力がないと女性には早く家を出て行ってもらった方が助かりますから。 結論として(本当は説明が足りないと思いますが・・・)、ヨーロッパは人口=国力と言う図式を技術力でカバーして、世界経済を席巻した。その経済的繁栄を享受すべく少子化傾向が現れた。一方でアジア・アフリカ地域では、人口=国力の時代が続き、それを支えるだけの生産性や高死亡率があった。ただ近年の人口爆発は、先進国主導による死亡率の低下が挙げられるかもしれません。 モンゴルに関しては、生産性よりも生活形態によるものかもしれません。伝統的遊牧生活では、妊婦や子供は移動の際に不自由しますから。中国領である内蒙古に住むモンゴル人はほとんどが定住生活していて1000万人以上の人口ですが、遊牧生活民も多い外蒙古(モンゴル国)の人口は250万人位の人口しかいませんから。 ここまで書いていて、大事なことを思い出しました。人口動態については「遺産の相続法」も重要なポイントとなってきます。詳しい分与方法を忘れてしまいましたが・・・。 ちなみに本なのですが、記述量は少ないですが中央公論の『世界の歴史』シリーズのヨーロッパに関する巻を読んでもらうと少しは分かるかもしれません。あと私の知っているのになると洋書になってしまいます。

ketese
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 大変興味深く拝見させていただきました。単純な問題でないことがさらによく分かりました。 当初、たいした根拠もなく、民族の情緒性や宗教との関わりなどを漠然と考えておりましたがどうも関係なさそうですね。

その他の回答 (3)

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.4

ズバリ、主食の違いです。 主に主食とされる物として、米、トウモロコシ、雑穀、イモ、小麦、肉があります。 このうち、米は、単位面積あたりの収穫量も多く、条件さえあえば、年間4回の収穫も可能で、連作障害も起こさずに生産できます。 また、土地の栄養価が低くても生産でき、手を加えれば加えるほど生産性が伸びる特徴があります。 そのため、人間が主食とするには、最も適した作物なのですが、一方多量の水を必要とする事、温暖な気候を必要とする事から、乾燥地帯、寒冷地帯では生産できません。 また比較的手間のかかる作物であるため、人口が少なすぎる地域での栽培は難しくなります。 現在世界的に人口密度の高い地域は、米を主食とする地域です。 主に東アジア、東南アジア、南アジア地域になります。 イモは、米に次いで優れた主食で、単位面積あたりの収穫量は、米の次に多く、旱魃・冷害などにも比較的強い作物で、世界中で生産されています。 主に主食とするのは、南米高地、アフリカ、太平洋諸島などで、ジャガイモが、ヨーロッパにもたらされてから、ヨーロッパの人口が3倍に伸びました。 トウモロコシや雑穀は、イモ類よりもさらに乾燥に強く、手がかかる作物です。 単位面積あたりの収穫量は、コメやイモ類には及びません。 しかし、やせた土地などでも生産できるため、メキシコや中米、中国北部などで主に栽培されています。 小麦は、乾燥や旱魃、冷害などに強く、高緯度地方や乾燥地方での栽培の中心となっています。 ヨーロッパは、この小麦地帯です。 ただし小麦は、連作障害を起こしますので、二圃式農業や三圃式農業のように、一定期間の休耕を必要とし、単位あたりの収穫量も少なく、多くの人口を養えません。 そのため、中世から近世のヨーロッパでは、ペストなどの疫病で人口が大幅に減少する事が何回かあっても、少し回復すると、すぐに人口過剰に悩まされる事になります。 十字軍活動、ドイツ東方殖民、大航海時代、植民地活動は、ヨーロッパの人口過剰から引き起こされた面も有ります。 1500年中期のポルトガルの人口が100万、スペインで700万、最も人口の多かったフランスでも、1200万程度の人口であったのに対し、当時の日本では、2000万人以上の人口がいたとされています。 つまり、小麦と肉を主食とする限り、その程度の人口しか養えないのです。 肉を主食とする場合、さらに単位面積あたりの扶養人口は少なくなります。 モンゴルをはじめとする遊牧国家の人口がそれを示しています。 (キルギス人とカザフ人は実質同じ民族でしたが、遊牧を中心としたカザフ人は、移牧を中心としたキルギス人の2倍程度の人口しかいません。国土は14倍あり、山がちなキルギスに対しカザフスタンは平野部ばかりなのに対して) このように、各国の人口の多い少ないは、食生活に大いに関係してくるのです。

ketese
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 ヨーロッパがかつて食糧事情のため人口過剰に悩まさたとの記述、大変驚きました。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.2

温暖の国だから。 病で死ぬことはあっても、気候そのモノでで死ぬ事は少ない。と思います。 越冬が無いのはかなり良いんじゃないんでしょうか。 暑さには日陰や水辺で冷やす。 服がそれほど必要でない。 一年中生物が居るのでその気になれば食うに困らない。 いざとなれば虫という選択肢が・・・。 寒さには火というエネルギーがいる。 寒さに耐える防寒服が要る。 越冬する為に食料を貯蔵する必要がある。 気候的に温暖な地帯は人間に限らず、生物がたくさん居る。 越冬のある気候は冬に生物が極端に減る。 冬眠の無い人間は越冬が大問題。 後はこれに1さんのお話が加わるところでしょう。

ketese
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 暑くて一次産業中心でも人口の少ない国がありますので、単純ではなさそうですが、温暖な気候と人口増加の関係は確かに説得力がありますね。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.1

1つのポイントは産業構造, もっと端的にいうと「子供を労働力として使えるかどうか」だったと思います. 例えば農業や漁業などの第一次産業では, ある程度成長すれば子供でも労働力として使うことができるため, 多く子供を産むことが有利になる可能性があります. それに対し, 第二次産業や第三次産業ではそれなりに教育を施さないと労働力として期待できず, 従ってある程度産む子供の数を制限した方が有利になります. ということで第一次産業中心だと多産, 第二次・第三次産業中心になると少産になるという「おおざっぱな傾向」が現れます. 一方, 人口動態のもう 1つの要素である「死亡率」については, (それなりに) 医療が普及したことで (特に乳幼児の) 死亡率が減少してきました. その結果, ヨーロッパや北米・日本など高次産業が中心の地域では「少産少死」のパターンで人口増加率が減少し (あるは人口減少すら起きる), 一方で第一次産業中心の地域では「多産少死」のパターンで人口が増加するという傾向があります. 経済発展とともに「多産多死→多産少死→少産少死」と変化する, といわれていたりしますが, この変化の途中で止まっちゃってるって感じでしょうか.

ketese
質問者

補足

ご回答ありがとうがざいました。 産業構造ですか。 第一次産業中心のモンゴルに人口増加が見られないのは厳しい気候(低い生産性)のせいなのでしょうか。

関連するQ&A

  • アフリカの発展

    近年のアフリカ諸国の発展とそのヨーロッパ諸国との関係について学びたいのですが、何か良い参考文献はありますか?

  • アフリカ諸国・東南アジアへ中古日本車を輸出したい

    アフリカ諸国・東南アジアへ中古日本車を輸出したいのですが、 そのために、日本国内で活動する、これらの国々の貿易会社(個人・法人)と知り合いたいのです。 私が直接、海外へ輸出しないで、日本国内にある貿易会社を通じて輸出したいのですが、 どうすれば、日本国内で、これらの国々の貿易会社にコンタクトがとれる、紹介を得られるでしょうか? 教えていただければ幸甚です。

  • Asia

    もともと、アジアは世界のトップだったと思います。 インドにはスパイスがあって貿易も盛んだったし、 中国も歴史が深く、アジアで2つも文明が誕生しました。 ところが、いつからか世界は西洋に支配されるようになりました。 いってみれば、アジアが遅れてしまったのです。 それは、どうしてなんでしょうか? どうして西洋は植民地を増やし、アジアやアフリカを支配することができたのでしょうか。 もうひとつ、私はアジアがこれから変わっていくことによって世界がかわるのではないかと思っていますが、 みなさんはどう思われますか? また、どうすればアジアが変わっていくと思いますか?アジアの発展を妨げる問題は何だと思いますか? たくさん質問してすいません。アジアに関心深い方、詳しい方、回答をお願いします。

  • GDP、人口のデータ

    大学の課題で、ASEAN諸国のいずれか一カ国の経済や人口の推移のデータが必要なのですが、過去50年分が必要なんです。 そこで、初歩的な質問なのですが、このような過去50年分のGDPとか人口とかが載っているようなサイトもしくは参考書、文献などは具体的にどのようなものがあるのでしょうか? インターネットで調べても、多くて過去10年分ほどしかのっていませんでした。 可能ならばGDPの構成比率(農業やら工業やらの比率)がのっているものがありがたいのですが。 詳しい方、ご存知の方いましたらよろしくお願いいたします。

  • カレーが美味いのはアジアだけ?

    みんな大好き、カレーの質問です。 カレーといえば、インドやタイでは主食ですし、日本でも日本人向けにアレンジされているとはいえ、最もポピュラーな料理の一つとして認知されてますよね? 実際、とても美味しいと思うし、僕は1週間ずーっとカレーでも構わないくらいです。 でもアジア人以外で、よくカレー食べてる外人っているんでしょうか? 西洋系の人にしても、アフリカ系の人にしても、カレー食べてるとこが想像つかないんですよねー。 過去の質問を検索したところ、アメリカにもカレーはあると書いてありました。が、あくまでも「インド料理屋のカレー」であり、ほとんど食べられる事は無いのだとか・・・・。 何故?!美味いのに!!あの味のすばらしさがわかるのはアジア人だけなの??? 日本に住んでる外人の人も、カレーは余り食べないのかなぁ・・・・。

  • 日本がアジアに対する侵略を行わなければ今の日本やアジアはどうなっていたのでしょうか?

    日本はロシアの南下政策を襲れたために日露戦争を行って朝鮮を自国の植民地としました。 東南アジア各国もイギリスやフランス、オランダなどの白人国家が跋扈していたためにそこも日本が侵略することにしました。 中国は・・・、これはまた別の問題ですね。日中戦争は中国とのいがみ合いと、不況下に落ちた日本を立て直すための純正な侵略行為で欧米の国々は関係ないでしょうし。 とにかく、日本は第二次世界大戦において戦争を行うことで結果的には白人の影響を退けていました。 日本はアジアを白人から開放するために戦争をしたなんて、まるで日本が善意のために戦争をしたかのような恩着せがましいことをいうつもりはありません。 ですが、日本人は白人によるアジアの支配を恐れていたんだと思います。そこには、アジアを自国の領土にすることで国力をつけ、欧米諸国に張り合おうという気があったのかもしれません。 日本は白人たちを退け、アジアの国々を手に入れることで日本を守ろうとしたのだと思います。 そこで質問があります。もし日本が純粋に自国を守るだけでアジア諸国にはまったく手をつけず、ロシアの南下政策もほったらかしで朝鮮半島や満州はロシアの領土、ビルマもイギリスの支配下のままでインドシナはフランスの支配下のまま、インドネシアはオランダの支配下のままだったら、今のアジアや日本はどうなっていたのでしょうか? ヨーロッパ諸国から侵略されていたアフリカだって後々開放されたしイギリスだって香港を返したのですから、アジア諸国が白人たちに侵略されたところで後々開放してもらえるかとは思いますが、その頃には日本はどうなっているのでしょうかね?

  • 19世紀のヨーロッパのアジア進出について

    19世紀のヨーロッパのアジア進出の流れは ヨーロッパの進出→アジアの反抗戦争(勝てない)→アジアの西洋技術の導入→民衆反乱→政治的近代化という感じだと思うのですが、これについていくつか質問があります。 1、西洋技術の導入でなぜ民衆反乱が起こるのでしょうか? 参考書などでは載っていないのですが、具体的にどのような反乱が起きたのでしょうか? 2、反抗戦争は中国ではアロー戦争のことだと思うのですが、オスマン帝国の場合は何の戦争のことでしょうか? 3、オスマン帝国や中国以外の地域にもこの流れは見られるのでしょうか? 自分の勘違いもあるかもしれませんが、回答よろしくお願いします。

  • アジア経済危機と欧米諸国

    最近このカテゴリーで同じような質問ばかりさせていただいて申し訳ありません。 先日からアジア経済危機についての調査を続けていて、おおよその流れは掴めたのですが、いまだにどうしてもわからない部分があります。それはアジアの経済危機に欧米諸国がどのように関与したのかということです。以前に何方かが質問された回答にアジアの経済危機は欧米によって起こされたと書いてあったんですが、一体欧米の国々がどのようにしてアジアの経済危機を起こしたのかという点とその目的は何だったのかという点がわかりません。アジアの経済危機でアメリカやヨーロッパの国々も経済的な被害を被ったはずなのに、どうして経済危機を起こす必要があったのか? 何分経済に関してはまだまだまったくの初心者なので、できるだけ簡単な言葉でお願いいたします。 度重なる質問である上に、自分勝手な質問で申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。

  • 人類の繁栄はあと50年大丈夫でしょうか?

    中国、インド、アジア諸国、中南米諸国、それにアフリカ諸国の 経済発展と人口増加、生活水準向上による知的階級の増大など すでにいつ国連の崩壊が起こっても不思議はありません。 というか国連は本当に共通の価値観など持っているのでしょうか? イスラムの破壊活動だけでなくほぼ戦闘状態の地域が増大する 一方のように感じています。 人類は現状レベルを50年後まで維持できるのでしょうか? その時日本人はどうなっているのでしょうか? よろしくお教えください。

  • 東南アジアにおける戦争

    こんにちは。 以前から、過去の戦争について興味があったのですが、 実際にしっかり勉強する機会があまりなかったのですが、 先日ちょっとしたことをきっかけに、きちんと勉強してみようかなと 思っています。韓国に関しては何かと話題になることが多いと思うのですが、 東南アジアに関してはあまり話題になることが少ないのが現状だと思います。 そこで、みなさんがご存知の東南アジアにおける戦争(とりあえずは第2次世界大戦)について教えてください。 フィリピンでも、インドシナでも、インドネシアでも、タイでも、ビルマ(ミャンマー)でもどこでも(場合によっては、ニューギニアや南洋諸島でも)構いません。 現地の立場から見た戦争、日本の立場から見た戦争、どちらでも(あるいは欧米列強の立場から見たものでも)構いません。より広い視点から見た過去の戦争について考えていきたいと思っているので、どんなことでもよいので、よろしくお願いします。 また、参考URLや文献・書籍をご存知でしたらあわせてお願いします。