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高校野球に球数制限を設けるべきでは?アメリカではどうなってるの?

 早稲田実業と駒大苫小牧の決勝戦が引き分け再試合となり、もし早稲田の斉藤投手が登板することになると、4連投でこの大会で900球を越える球数を投げることになるかもしれません。  これでは、肩がだめになってしまい彼の野球人生に大きく影響するかもしれません。野球解説者の方も高校球児の肩の消耗について問題提起している方もいますよね。  しかし、実際に球数制限や登板間隔の制限などは設けないんでしょうか?。自分は高野連にそういう動きは無いと思うんですが、どうしてそういう動きが生まれないんでしょうか?。  球数制限といえば、メジャーリーグでは100球をめどに交代させるのが当たり前とされていますよね。メジャーリーグのスカウトも日本の有望投手をチェックするのに、「たとえ少ない回数であったとしても、公式戦で150球以上投げた経験があると、将来的に故障のリスク有りと判断されランクが下がるし、実際にそうなる」と言っていました。  アメリカではハイスクールでも同じように球数制限を重視するのが当たり前なんでしょうか?。アメリカに日本のような甲子園大会みたいのがあるかは知りませんが、公式戦や全国大会は普通にありますよね。その大会ルールとして投手の球数などは制限されているんでしょうか?。 それとも具体的なルールがないにしても、監督の判断として日本のように連投に継ぐ連投というのは、ありえない起用なんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • MisterH
  • ベストアンサー率31% (15/47)
回答No.5

結局のところ、本人次第だと思います。 MAJORという漫画の受け売りですが、将来、プロになるために野球をしているのではなく、今このときのために野球をしている人にとって、怪我の問題なんか二の次だと思います。 実際、メジャーリーグの球数制限だって、あくまで目安であって、別に何百球だって投げても問題ありません。(強いていうなら、WBCくらいですかね、実際に制限があるのは) ただ、プロはまだまだ先があるので、怪我を防いで長く活躍するという考え方ができますが、高校生(に限らず、トーナメント形式の場合)は負ければそこまでです。 まぁ、1,2年生ならまだ先があると言えますが、3年生は本当に最後です。 もし、こういった大会で球数制限を設けるのであれば、それは球児達の夢を奪う形となってしまうと思います。 確かに、甲子園で活躍した選手がプロになったとき、プロでどんな活躍をするかというのは興味がありますが、それ以上に優勝を目指して最後の瞬間まで頑張り通してほしいと思います。 逆に、本人が将来プロで活躍したい、プロになるために野球をしているという意識であるなら、むしろ自分から断るんじゃないでしょうか? まぁ、チームの立場や責任からそう言えない選手がいるのも実情でしょうが… 私の勝手な思いこみですが、例え早実の斉藤投手がこの大会の連投が原因となって野球人生を左右するような怪我をしたとしても、おそらく悔いは残らないのではないかと思います。 球児の体を気遣って球数制限を設けたとしても、義務ではなくせめて目安という形にしてほしいと思います。

noname#200375
質問者

お礼

本田吾郎も横浜リトル戦にすべてをかけていましたよね。 しかし、若い頃の恋愛のように一時の感情にながされて公開する人もいるかもしれません。 また逆に全力を出し切りたいという気持ちもあるかもしれませんよね。 日程で調整するしかないですね~。

その他の回答 (4)

回答No.4

難しい問題ですよね 変に球数制限を設けてしまい、好投のエースから変わった二番手三番手が打ち込まれたら エースの心境はどうなのでしょうか? また、打ち込まれたピッチャーは、学校でも色々言われそうだし また本人にも傷が残るかもしれません 球数制限とかではなく 日程的に一日あけてあげたいですよね

noname#200375
質問者

お礼

まあ、そういう問題もありますね。 やっぱ、日程に余裕を作る事でしか調整できませんね。

  • ozunu
  • ベストアンサー率14% (240/1644)
回答No.3

投球制限すると、ある程度の投手を揃えなければならなくなって、今以上に差別化が進む、という思いもあるのかもしれませんね。 むしろ、試合日程を何とかしてやれよ、と個人的には思います。

noname#200375
質問者

お礼

確かに、一部の強豪チームしか出れない状況になりますね。 そうなると、日程と延長制限などのルールでの調整でしか改善できませんね。 決勝の再試合を翌日とはね・・・。

回答No.2

何か大きなきっかけがないと変わらないと思います。 甲子園の歴史の中で数々の名勝負が行われてきました。それらの積み重ねがいわゆる日本的な美学となっていることも否めませんし、純粋な高校生がくりなす爽やかな感動が深く日本人の心に根ざしていると思います。 また高校野球も教育の一環として扱われていて、あの炎天下での死闘が高校球児ばかりでなく多くの高校生の人生観に影響を与えているのも事実だと思います。 全校あげての応援とか地域のバックアップ等があり、そういう大きな流れに乗ってしまっているような気がします。 おそらく高野連の中にも改革しなくては・・と思う方々もいらっしゃるでしょうが、主催者側とかメディア側の反対があるように思われてしかたがないです。 甲子園も一種の興行化されていることに問題があるように思われます。 例えば、怪物と謳われた大投手が甲子園の連投で肩を壊し、将来を棒に振る・・・それにたいして国民的な批判が主催者側に沸騰し、改革へと進む・・・のようなことが起きないと変わらないんじゃないでしょうか。

noname#200375
質問者

お礼

確かに、根性という美学は日本にありますよね。 もし、斉藤投手がプロに入ってまったく成績があげられなかったら、そういう流れになるんでしょうか?。 そうなってほしいわけではありませんが。 でも既に元オリックス川口とか元中日愛甲とかの例もあると思うんですけどね。 確かに、良い試合でしたけどね~。

  • doraroku
  • ベストアンサー率30% (261/843)
回答No.1

難しい問題です。 高校野球は、ある意味プロ野球よりも社会注目度が高くなっているとも言えると思います。 したがって、優勝となれば、それこそ選手にとって監督にとって学校にとって非常に高い名誉となります。 なので、勝敗が最も重要視され、選手の健康は二の次となっている現状が問題とされています。 そのために、チームで最も信頼のおける投手を起用せざるを得なく、エースの負担が非常に大きくなっている現状があります。 重要な試合や場面でエースを起用しなければ、チーム関係者から監督が非難されてしまうこともあります。 ましてや、むちゃくちゃに酷使し、それこそ体を削ってまで戦うことが美学とされる馬鹿げた日本人の感性もあります。 昔から問題となっていたことですが、この問題は改善されていません。(せいぜい延長回数が18回から15回に縮小されたくらい・・・) もちろん高野連は何も考えていないのではなく、対策の議論は行われています。 (でも、実際何も変わっていないので、何もしていないのと同じことですね・・・)

noname#200375
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 結局、斉藤投手は完投しましたね。 15回に延長が縮小されたのはせめてもの改善点でしょうが、この先斉藤投手はどうなるのは心配です。 あくまで高校野球なので、教育の一環として捉えてもらいたいですね。 野球人生まだこれからという人もいるんですから

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