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靖国神社や戦争問題について

私は、戦争を知らない(経験無い)時代に生まれた人です。 テレビで見たけど、特攻隊が「靖国神社で会おう」と言葉を残して戦争に向かう若者が多数いました。 靖国神社ってどのような存在なのでしょうか? A級戦犯が眠っているとの話を良く聞きますが、当時はA級戦犯は生きていた頃であれば、 「靖国神社で会おう」という言葉はどのような意味が込められていますか? 私が思うには 戦って死ねば、神の元へ行けるという話が信じられた時代であるため、「靖国神社で会おう」というのは、神の元へ行けるということなのでしょうか? 私が義務教育で勉強してきた歴史では、靖国神社のことがあったけど、A級戦犯が眠っているだけしか説明してくれませんでした。 歴史は発掘調査や史料などにより次々と塗り替えられており、正しい歴史を知るためにお勧めの書籍を教えて頂けますでしょうか? 靖国神社や特攻隊、日本の戦争など・・。

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  • a_student
  • ベストアンサー率38% (20/52)
回答No.4

東京裁判で卒業論文を書いた者です。 オンライン百科事典で、キーワード検索をして、背景を勉強されるのが手っ取り早いです。キーワード毎にリンクも貼られているので、サーフしていれば、かなり知識が付くと思います。 添付URLは、オンライン百科事典ウィキペディアで「靖国神社」を検索した結果のページをリンクしています。【沿革】の項目を見てみると、ザックリとした歴史が分かります。 質問者様が言われている「戦って死ねば、神の元へ行けるという話が信じられた時代。。。」とありますが、この「神」という概念は一神教の概念です。戦時中の日本の宗教は「神道」であり、神様はやおろず(八百万)の神です。靖国神社に祭られているのは、戦没者の霊ですから、戦没者は死して「神道」の神様の仲間入りをするわけです。 仏教に帰依していた人ならば、輪廻転生を信じていたでしょうが、個々人が心の中で、輪廻すると考えていたか、神道の神の仲間入りをすると考えていたかは定かではありません。 「靖国神社で会おう」とは、天国で会おうみたいな感覚です。天国という言葉自体がキリスト教的概念ですから、当時であれば、靖国へ行こうとなります。 「正しい歴史」というのは、学問上ありません。歴史学は、事実のみを重ねて、「ある事実」があったことを証明する学問です。いかにもあった事のように書いている本や、いかにも感情的に自国擁護に走ってしまう本もあります。なるべく、沢山の文献に目を通し、自分なりの解釈をされるのが宜しいかと思います。 例えば、「南京虐殺」に関してですが、起こったのか、起こっていないのか、国によって主張が違い、どちらが事実なのか分かりません。 分からないからといって、感情的に自国擁護に走るのは、真に国際的な人間の感覚とはかけ離れています。田舎の一般人で終わりたいなら話は別ですが。 キーワードは「植民地主義」「15年戦争」「国際軍事裁判(ドイツが裁かれた裁判です)」「極東軍事裁判(日本が裁かれた裁判です)」「パル判事」「ハルノート」「南京虐殺」などです。 ご参考まで。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
mabo241
質問者

お礼

ありがとうございました。 昔の考え方はそういうことだったのか・・。 オンライン百科事典で調べました。歴史一覧表が出ており、色々理解することが出来ました。 確かに正しい歴史は無く、自分の目で確かめて自分なりの解釈をしなければなりませんですね。 キーワードを使って、色々調べていきたいと思います。

その他の回答 (9)

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.10

私は65才、小泉首相と同学年です。 小泉首相の参拝は受け入れます。 だって、それが首相に当選する時の公約だから。 それが自民党です。 東西冷戦が終り、中国や韓国ともっと緊密な対話が必要です。 『新しいぶどう酒は新しい皮袋に』 冷戦後の日本を導ける能力が自民党にあるのか。それを真剣に考えるべき時である。 

mabo241
質問者

お礼

私もそう思いました。 祀っている人々に対して参拝するのは先祖様に感謝する気持ちを持っているからです。 先祖様がいたから今の私がいるからです。 そういう意味で、毎月、墓参りを欠かさずに行っています。 アジアに対して、もっと対話して欲しいですね。 ありがとうございました。

  • bazarakm
  • ベストアンサー率46% (65/141)
回答No.9

靖国神社ってどのような存在なのでしょうか? > 国の命令により戦地に赴き戦死した人の霊が祀ってある神社です 戦犯だけでなく坂本竜馬や吉田松陰も祀られています 「靖国神社で会おう」という言葉はどのような意味?・・・・・ >当時は名誉が大変に重んじられていた時代であり、学校では男子生徒に「大きくなったら軍人になって国のために働け」と教えていました 戦争は国の存亡をかけてすることですから参戦して相手を倒す、敵と戦って死んでも非常な名誉と思われていました。そして死ぬと国のために命をささげたとして靖国神社に祀られました。 「靖国で会おう」とは戦友同士が「死を恐れずに立派に戦って死のう」と励ましあったり、覚悟の程を示したりする言葉でした。 私の近所の方は遺書に、「靖国の桜の花の一輪は私です」と両親に書き残して出撃して行かれたと遺族から聞きました >正しい歴史を知るためにお勧めの書籍を教えて頂けますでしょうか? >靖国神社や特攻隊、日本の戦争など・・。 作家の上坂冬子さんが「戦争を知らない人のための”靖国問題”」 (¥720)という本を文春新書から出されています。 作家であるだけに解かり易く書いてあります、良書と思います

mabo241
質問者

お礼

ご丁寧な解説を頂きましてありがとうございました。 やはり、その時代の教育による影響で、そういう気持ちをお持ちになられたのでしょうね。 本のアドバイスをありがとうございました。早速、ネットで注文してみます。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.8

 靖国神社には軍人だけが合祀されているわけでは ないのですが、戦争中は、国のために死ねば 軍神となり靖国に祭られるとされていたんです。  本当に本人たちが神になれると信じていた とは思えませんが、少なくとも戦死すれば 靖国に名前が記録されるということで、 そこで再会できるという意味だったのだと 思いますが、本音はもう生きては会えない ということだったのでしょう。  特攻隊の場合、必ず死ぬわけですから。

mabo241
質問者

お礼

私も母から特攻隊について教えてもらったことがあり、国から命令を受けた特攻隊は、必ず死ぬことになります。 と・・。ちょっとショックを受けたけど、昔の考えはそうやって生きてきたそうです。 「生きたい」という気持ちが少なからず、残っていたかも知れません。

  • pluto002
  • ベストアンサー率22% (73/331)
回答No.7

「靖国神社で会おう」は信仰などとは別のものです。「あの世で会おう」「生まれ変わって、また、、、」とかと同じ意味です。勝てない戦争、命を捨てた特攻を命令されているわけですから。 「天皇万歳」と万歳三唱をする話にしてもそうですが、ドラマなどで駅のホームで見送りのシーンでそのようなシーンが多用されますが、あれは当時の時代背景を象徴するような出来事で、映画やドラマと時間の限られた中での"表現"として使用されるもので、そんなに誰も彼もがしていた事ではないのであまり、大げさに捕らえないほうがいいです。そういう人たちも中には居て、当時の人たちを表現するのにとても象徴的に表現できるものであるという事です。例えば質問者さんが映画監督だったとして、現代日本を表現しようとした場合何をカメラに収めるでしょうか?それと同じです。「靖国で会おう」というのもいわば象徴としての意味合いで、信仰とかはあまり関係ありません。 私は昨年、80歳以上の人たちと話しをする機会があって(別に戦争の話とかを聞きに行ったとかではないのですが)雑談の中で戦争の話題も少し出て、「バンザーイ、バンザーイ なんて見送りしている人、見た事もない」とかいう話もしていました。あと大和の乗組員だった人とかもいて(若かったので実戦の時には下ろされたそうです。)ヤマトについて自慢げに話していたりもしていました。あと、シベリア抑留された人などもいましたが、口数の少ない人で、あまり細かな事は聞けませんでしたが、いろいろと当時の事について不満を持っている感じでした。 当時は情報化社会ではないですし、情報源は統制された中での新聞程度で、たいていの人はよく分からずなんとなく時代に流されて(もちろんなんとなくとは言っても、現在のなんとなくとは意味が違います)戦争に巻き込まれていった人が大半だと思います。総力戦になっていろいろな統制がしかれ、「ほしがりません勝までは」なんてスローガンの宣伝などもしていたようですが、精神的に国家を信じて神と信仰していた人などはほんの一部でしかないと理解しても間違いではないです。占領期にマッカーサーへ何十万通ものファンレターが届いたなんてエピソードがそれを象徴しています。日本というのは天皇を頂点にし、国会議員が政治を行い、その下に軍隊がいるという制度上そのように存在していたわけですが、事実上は軍が政治を牛耳り、政治が天皇を支配しており、まるまる逆立ち状態でした。まー要するにそういう政治の実験を握っている人間や組織が腐っていたという事です。 保身の為に戦中は「非国民だ、売国奴だ」と勇んで回り、戦後は「戦犯、戦犯、」とい勇んで回る、そんな権力に媚を売るだけのふざけた人間が多数いたということです。 お勧めの本は、「プリンシプルのない日本」 著-白洲 次郎 などどうでしょうか。

mabo241
質問者

お礼

色々知ることができ、ありがとうございました。 戦争中に生きた人々はそのような考え方を知ることが出来て、テレビなど見たイメージとは違った気持ちでした。 もう少し勉強して、色々知ってみたいと思います。 本のアドバイスもありがとうございました。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.6

「靖国で会おう」という言葉は、例えば * 戦時中に陸軍士官学校を卒業した同期生たちが実戦部隊に散る。 * 苛烈な戦況下、戦死者が続出する可能性が高い。戦死する場所や時期は千差万別。 * いつどこで戦死するか分からないし、再会できない同期生も多かろう。 * 戦死した英霊は靖国神社に集まってくる。(戦死して少しは良いことがあるかもしれない) このようなことを「靖国で会おう」と表現したのでしょう。実際にそういう言葉が交わされたかどうかは分かりません。 「歴史は発掘調査や史料などにより次々と塗り替えられており、正しい歴史を知るためにお勧めの書籍を教えて頂けますでしょうか?靖国神社や特攻隊、日本の戦争など・・。」 特攻隊についてですが、海軍に予科練として身を投じ、特攻隊員として終戦の日を迎えられた方がホームページを公開しています。掲示板などで質問に答えてくださいます。実際の体験者の声を生で聞き、疑問点を質問できる稀なサイトですので紹介します。 海軍航空隊の想い出「蒼空の果てに」 http://www.warbirds.jp/senri/

mabo241
質問者

お礼

靖国に会おうという言葉は、そういう表現から来ていたのか・・。 ホームページを拝見させて頂きました。特攻隊に対する知識を深めることが出来ました。 ありがとうございました。

  • kmue70
  • ベストアンサー率6% (7/102)
回答No.5

国の安泰の為、学業半ば、命ぜられるまま、志願して、 特攻隊、「もう親、兄弟、祖父母に、会えない、」ただ奥底では、 泣けるばかり、苦しい心境で、靖国より我が家のお墓に頼むと・・・ 靖国に対する当時の心境の一部です。 良く見ますと、戦死者、国の為の、犠牲者、出身地域で丁重に、 祀られご供養されてますね。 ご参考まで、

mabo241
質問者

お礼

昔の状況がそういう風に結び付けられたのが理解できました。 戦争に関わった全ての人々が丁寧に祀られていたことも理解できました。 ありがとうございました。

  • OPAQWN
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.3

まずは靖国神社のサイトに行ってみてはどうでしょうか。 そこの概要には「戊辰戦争で斃(タオ)れた人達を祀るために創建された。」と書いてあります。 また西南戦争後は「外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。」ともあります。 これを踏まえれば、第二次世界大戦の時に特攻隊が「靖国神社で会おう」と言葉を残すのは不思議なことではないと思います。 ご質問の趣旨と違った回答かもしれませんが、ご容赦ください。

参考URL:
http://www.yasukuni.or.jp
mabo241
質問者

お礼

サイトに行って見ました。 確かに、国を守る為に斃れた人々を祀る神社でありますね。 特攻隊がそういう言葉を発したのも納得できました。 ありがとうございました。

回答No.2

漫画で分かりやすい 小林よしのり著「戦争論」「いわゆるA級戦犯」をお薦めします。 A級戦犯といっても悪い事をしたのでは有りません。

mabo241
質問者

お礼

「いわゆるA級戦犯」を購入しました。漫画でとても分かりやすく描かれてありました。 確かに、テレビや新聞で言うように悪い事をしたとは思えません。 何回も読み直して、更なる理解を深めたいと思います。 ありがとうございました。

  • R32C
  • ベストアンサー率39% (115/290)
回答No.1

A級戦犯を判決するドキュメンタリー映画 「東京裁判」 今でもDVD等入手可能です。 ありのままの映像ですので、脚色がすくなく、お薦めです。

mabo241
質問者

お礼

ありがとうございました。 DVDサイトを見て、購入を考えたいと思います。

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