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名君(古今東西を問わず)
こんにちは。 歴史を紐解いてみると、様々にあだ名されている権力者が 数多くいますが、みなさんはその中で名君だ!と思われる方はどなたでしょう。もちろん最近の人、まだご存命の人でも構いません。評価がどうあれ、名君だと思えば、教えて下さい。よろしくお願いします。 私は歴史好きなだけでマニアではなく、政治にも詳しくないので、その理由もお書きいただければ幸いです。 私自身はといいますと、反論もあるかもしれませんが。 エカチェリーナ2世 クーデターで即位した人ですが、 ロシアの発展に貢献していると思います。ポーランドにはひどい人なのかもしれませんが。 ビスマルク 名君かはわかりませんが、その外交手腕に感動してしまって……。 サラディン 文武に優れた、異教徒にも寛大な君主。こういう人もいるんだな、と思いまして。
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- putitoma
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織田信長は残酷だから嫌いと言う人もいますが、私は紛れもなく日本の名君だと思います。 比叡山の焼き討ちなど、批判材料にされますがこの時代の僧籍者は武装しており武士と殆ど変わりません。 しかも国主のようなものでひとつの国と考えられるものでした。(政治勢力) しかも今日日本人が宗教戦争から開放されているのは(この結果、宗教音痴にもなってますが・・・)信長が宗教勢力と戦い続け終わらせたおかげだそうです。 信長の一番の功績はこれに尽きるそうです。 (ローマ人の物語の著者の方が書かれてました。)
- kumonomoto
- ベストアンサー率41% (12/29)
中国史上で唯一、王朝の復興を成功させた光武帝を推します。 史書の書かれたことをそのまま信じるならば、 人物、政策ともに非の打ち所がないくらいの名君です。 降兵数十万の中を鎧もつけずに巡回する豪胆さ。 戦場では先頭に立って自ら武を振るう勇猛さ。 家臣や民の不遜な言葉を全て笑って許す寛容さ。 酒を好まず、詔勅などの文書は全て自筆で書き、 太守から県令に至るまで、一人一人自分で面接するほどの政務熱心さ。 役所、官吏の削減や減税。 徴兵制の廃止と軍縮。 奴隷解放や人身売買の規制。 豪族制圧などによる犯罪の抑止。 弱者に対する食料の配給。 役所が半分以下になったり、税が三十分の一になったり、 犯罪が五分の一に減少したりと凄かったらしいです。 反面、官僚には苛烈で、士大夫からは不評だったそうですが、 庶民にとってはこの上ないくらいの名君だったと思います。
お礼
光武帝、劉秀ですね。 彼がそんなに立派な人だと知りませんでした。 むしろ、豪族の力を借りて王朝を復興させたために王権が弱まった、と聞いていて、あまりいいイメージではありませんでした。私は中国史が苦手なので、上記の情報は間違いなのかもしれません。 今、さらっと光武帝について調べたところ、ユーモアの溢れる名君、という感じですね。 素晴らしい人物を教えてくださり、ありがとうございました。
- tachiuo
- ベストアンサー率32% (92/279)
名君というのは難しいですね。例えば、 「財政が窮地に陥っていたのを見事に立て直した」 と書けば、名君ですが、これを裏返せば、 「それまで、ええかげんやった税の取立てを厳しくし」、しかも「緊縮財政で、経済を沈滞させた」という評価も可能です(例えば徳川吉宗)。因みに、吉宗の緊縮財政の時代、尾張の徳川宗春は、その逆を行って、名古屋の経済を活性化させました。 評価が定着している人としては、既に名が挙げられている上杉鷹山は、すごい人ですね。婿養子として入った上杉家を見事に立て直しています。 まだ名が挙がっていない人では、田沼意次。幕府が、旧来の自給自足的経済に立脚する農民からの年貢収入に依存する中で、商業資本に注目した点。親から相続した時には僅か600石だったが、約100倍の石高の大名に昇進し、老中になりました。ただ、守旧派が彼を妬み、また賄賂が横行し、評判の悪い存在でもありますが(現代で同様の人物としては、田中角栄が思い当たります)。まあ、カネまみれ、という点ではけしからん、というところではありますが、カネさえあれば身分は関係ないという点では、先進的でしょう。
お礼
名君と名づけるのは確かに難しいですね。 そんななかで上杉鷹山は二度も名があがりました。 余程すごい人なのでしょう。なかなか詳しい資料がなかったのですが。 田沼意次はどちらかといえば、「悪」として知られていますよね(日本史は詳しくありません)ですが、石高を百倍にするとはよほどのやり手だったのですね。 まあ、お金さえあれば、というのはいつの時代も評価のわかれるところなのでしょう。 どうもありがとうございました。
上杉鷹山!日向高鍋藩秋月家という貧乏家から、当時、名門ではあるが破局的な財政状況にあった上杉家に養子となり、農村復興・殖産興業・倹約の奨励など藩政改革を行った名君ですが、常に「国の民はわが子も同様」とした愛民思想の持ち主で、やはり当時では考えられないものでした。襲封してまもなく江戸城の普請を命じられた時に領民に発した直書に「西丸ご普請の仰せは有難いが、このように衰微した米沢藩では千万嘆かわしい。もとより国家長久、安民を願うからには窮乏した人民を子として養う我が身に何の栄華を望もうか。…………これまでに衰えた人民にどうして普請の負担をかけられようか。国の民は我が子である。我が子の物を貪り、子の泣くのを喜ぶ父はいない」……襲封してまもなくだから、当時、19歳だったと思います。アメリカ大統領故ケネディが唯一知っている日本人として有名です。
お礼
ありがとうございます。 全然知らない名前でした。 19歳の言葉とは思えませんね。詳しく調べてみたいと思います。
- n34156
- ベストアンサー率15% (53/352)
1970年代、キッシンジャーという名の大統領補佐官が、ニクソン政権のときにいました。彼は米中の平和的融和を図った人物として有名です。旧ソ連との友好も取り持った人でもあります。その学者的なお顔は、世界中の人々から尊敬されているそうです。
お礼
ありがとうございます。 確か、彼はノーベル平和賞を受賞してますよね。 外交の舵取りは難しいですが、すごい人がいるもんです。
- subaru361
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吉良上野介。名君として地元では今も慕われる。作法にも詳しいことが仇となり、田舎侍の逆恨みを受けた上、その元配下たちのスタンドプレーの犠牲となり、非業の死を遂げる。 ・・・・ま、歴史上の人物もいろいろです。いわゆる正史側の人物はよく書かれるし、書いた人の立場によってもいろいろ。
お礼
ありがとうございます。 歴史は勝者の者だ、とよくいわれますよね。 蘇我入鹿が歴史書を編纂したそうですが、現代には伝わっていないのだそうです。 彼自身のイメージもあまり良くない気がします。 よく忠臣蔵がドラマ化されますが、吉良上野介を題材に してみたらおもしろいかもしれません。
人知れず埋もれた名君が好きですが 「徳川綱吉」 一般には犬公方として悪名高い人物ですが、文治政治を推し進め「天和の治」と呼ばれる善政を布きました。 彼以前は戦国の殺伐とした雰囲気が残り、犬を打ち殺して犬鍋にして食べてしまったり、今のやくざ同様に、往来で目が合ったとかいう些細なことで刀を抜いて切りあうことも珍しくなく、あの水戸の黄門様も刀の試し切りに荒れ寺の軒下に住む乞食を引きずり出して理不尽にも切り捨てると言う時代でした。 彼によりこうした戦国の遺風は一掃され、後に8代将軍吉宗も彼を手本に享保の改革を行いました。 彼の場合は晩年は行き過ぎた面もあり、それを正した甥で後継者の徳川家宣と一体で考えるとよいと思います。 「徳川慶喜」 彼も日和見的な姿勢が不人気ですが、日本の国を大局に立って見ることが出来る政治家で、幕府の軍制は彼によってフランス式に近代化され、外交内政でも前代とはかなり異なってきていましたから、優秀な政治家です。 彼の真骨頂は見切りで、幕府が足掻けば日本はイギリス・フランスの代理戦争になって植民地化すると見抜き、あっさり白旗を掲げたこと。 世間では秀才が泥水を飲むことを避けたとか、評判は今一ですが、彼であったからこそ、日本の独立が保たれたと思います。 「足利義教」 天台宗座主から6代将軍に転じた人物で、最後に家来の赤松満祐の館に酒を飲みに行って暗殺されたので、印象の悪い将軍ですが、織田信長などに匹敵する改革者です。 彼により関東・九州が平定され、この時代に足利幕府の最大領土となり、これまで幕府に逆らった古巣の比叡山の僧兵を屈服させ、幕府の全盛期になりました。 この絶頂期に先に書いた「嘉吉の乱」で暗殺され、幕府の権威は急坂を転がり落ち、ついに復活することなく15代を持って滅亡します。 「ユリアヌス帝」 背教者としてキリスト教徒には評判が悪いローマ皇帝ですが、彼は宗教の自由を宣言し、キリスト教の特権を廃止しました。 今であれば信教の自由は当然ですが、当時はキリスト教は国教として様々な国の援助があったのです。 軍団の支持も絶大で、ローマに侵攻してきたササン朝ペルシアを追い払い、ローマに平和をもたらしますが、その過程で戦死し、この後ローマは混乱の時代になります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9
お礼
ご回答有難うございます。とてもおもしろかったです。 綱吉が名君……驚きです。吉宗は評価が高いですが、その彼が手本にしていたとは。晩年に善政と呼べなくなってしまうのは、玄宗皇帝など、よくあることで、彼もその部類なのでしょうか。 徳川慶喜についたはあまり詳しくないのですが、 各派閥の争いを列強に利用された国々は多いです。 そう考えると、あっさり白旗、というのはすごいです。 足利義教は全く知りませんでした。足利と言えば三代目と八代目ぐらいしか。でも、比叡山を屈服させたりするのは 信長に似てますね。 ユリアヌス帝 背教者としか知りませんでした。イメージもあまり良いものではありませんでした。 キリスト教が国教になっていたので、悪く描かれること 多いのかもしれません。そういえば、べつにキリスト教を迫害していたわけでもないんですよね。
お礼
織田信長。最近大河やドラマで彼の周辺の人が主人公になるので、 よく取り上げられる人ですね。 名君には時には残虐性も必要なのかもしれません。 時と状況によって何が賢い選択なのかは変わりますから、 今の私達から見ると残虐な事も戦乱の世には必要な事だった のでしょうか…。 後の長きに渡る太平の世が彼の下積みのおかげとも聞いたことがあります。 ご回答ありがとうございました。