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太陽はなぜ黄色? 眼の進化と関連して
全ての光を同じ強度で反射する物が「白」に見えるのに、その光の大元である太陽が「黄色」なのはなぜでしょうか。 有史以前から生物に当っていた光はほぼ全て太陽光なのですから、そのスペクトル分布にあわせて「白」が定義されてもいいように思います。
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こんにちは。おもしろい悩みですね。私も混ぜてください。 (私自身は専門ではないのですが、色についての専門家と少々お付き合いがありました。) 次のようなお話はいかがでしょう。 ポイントは、「太陽と青空を足して白!かな」 質問者さんは太陽を「黄色い」と言い切っておられます。これは、当然ご自身でもそう感じ、また一般的にそう言われているようなものを読まれたからでしょう。しかし、「色」は、個人差も多く、また、同じ色でも周辺の状況により感じ方が異なることから、「白」の定義は長く専門家をも悩ませてきています。 主なものを挙げてみましょう ○ 天文学的「白」;基本的には星の色はスペクトル型で表しますが、最も多い「主系列星」の「安定期」が標準であり、「白」と言えるでしょう。「巨星」が「赤い」、シリウスなどの高温の星が「青白い」と表現されます。この分野ではずばり太陽は「白」であり、歴史と身近さが標準を決めている点でも質問者さんのお考えに近いでしょう。ただし、質問者さんと同様に、もう少し青の強いスペクトルを「白い」と表現する場合もあります。 ○ 電磁気的「白」;光が電波である点から、その振幅の均一性で「白色」を定義します。いわゆる「すべての色の電波が物理的に同じ強さで混ざる状態」。人間の感覚とは少々異なり、太陽光に比べてかなり「青白い」状態をご想像いただきましょう。しかしこの表現はちょっと“エネルギー密度”の定義に問題があり、用途により個別にさらに定義して使う必要があります。(黒体輻射、色温度なども使用されます) ○ 照明・産業上の「白」;舞台照明、写真照明からテレビ画面の発光体に至るまで、利用の分野で色を定義し、調整を行う上で広く使われている「CIE色度図」がこれに当たり、今回のご質問に対する回答の本命でしょうか。視細胞の研究成果や入手しやすい工業用発光体物質の傾向など時代ごとに取り入れて微修正されますが、いわば「統計的に多くの人が白いと感じる白」です。ここでは白はいささかあいまいに広い範囲で定義されており、太陽がやや黄色側にあり、太陽+青空がほぼ中央(チョッと青側?)にあるように見えます(ただし、白の中心自体もあまり確定的でない) さて、そこでご質問の回答は次のようなことになると思いますがいかがでしょう。 ・自然光下の地上の物体は、太陽光(直射)と、青空(太陽光の散乱輻射)の両方に照らされており、これを標準と感じる感覚や文化が育ったので太陽光直射のみを見ると黄色っぽく感じる ・太陽光は空気の層で青を散乱して徐々に失うが、特にまぶしさが減り太陽を一瞥できるような高度では空気層通過が厚くなり、青成分が減っている(極端な例が夕焼け)ので、太陽は黄色~赤の印象・先入観が育ちやすい(子供の絵の太陽が赤く描かれる理由) ・晴天で太陽を見上げると周りが青空なので対比として黄色く感じる 最後の理由はばかげたことのように感じるかもしれませんが実は大問題になることも多いです。例えば、白熱電球の元でビデオカメラ(自動ホワイトバランス機能はオフ)で白い紙を撮影し、蛍光灯のついた部屋のテレビで見ると、思いのほか赤みの強い画面に見えるでしょう。ところが部屋の電気を消してしばらくこの画面を見ていると、10分程度で違和感が減少し、30分も経てば「ちょっと赤っぽい」くらいしか感じられなくなります。これが人間の「自動ホワイトバランス」(全体の平均を白に感じる調整機能)です。 このため、例えば最近のテレビ医療などでは、患部を撮影する光とこれを見る医師の部屋の明かりが近いものになるよう指導されたりしています。 この理論からは青空の中では、わずかな黄色味も強められて感じることは容易に想像されますね。 (ちなみに、生半可にこのような先入観があるからか、私は高高度の太陽を黄色いと感じることはほとんどありません。ま、これも個人差でしょうか) さらに、意識してみると分かりますが、「物を見る」場合、屋外であっても意外にに太陽の直射で物を見ている時間の比率は小さいことに気がつきます。 日陰では直射がなく、青空の青、木々の緑、最近では近くの建物からのベージュなど、以外に意識していない色の反射光が支配的であり、一生懸命撮影した写真の出来上がりが注意深く見ると多くの色ずれを持っていること驚くでしょう。 現場でこれに気づかないのは人間の「自動ホワイトバランス」のなせる業であり、これらの総合的な平均が無意識の中で「白」として進化・育成されたならば、地域や・民族の中でさらに複雑な差があっても良いかもしれませんね。(もともと動物の種類によっては感じるスペクトルがばらばら) さてさて長くなりましたがいかがでしょうか。 お役に立てば幸いです。
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No.4です。 まず注意しなければならないのは、色とは物理的な光の振動数を表すものではなく、あくまで脳の情報処理に過ぎないということです。 私たちの脳が光を認知するとき、無意識にそれが直接光か間接光かを判断します。間接光と判断した場合は、照射光と反射光を比較し、照射光の色調で反射光の色調を補正します。照射光と反射光の色調が同じなら、実際の反射光のスペクトルがどのようなものであっても白と認識するのです。 一方直接光と認識した場合、そのような補正処理は行いません。これが太陽を直接見た場合黄色く感じるのに、ミー散乱する雲や雪を白く感じる理由です。 もっとも御質問の主旨は、直接光の場合の白の基準は何なのか、ということだと思います。ロドプシンとの関係はよく知りませんが、月光を白く感じるのは、青錐体の感度が、赤緑錐体に比べて光量が少ない時相対的に強まるからです。たしかに月光のスペクトル自体は褐色がかっていますが、光量が少ないため青が相対的に増幅され白っぽく感じます。 月光が白の基準になっているかどうかについては自信がありません。ただ、ヒトの眼球の網膜中心窩には青錐体はほとんど無く、大半が赤緑錐体であることから、ヒトの目が本質的に夜行性動物のものであることは確かです。ヒトの祖先が三原色の色覚を獲得したのはおよそ四千万年前で、この時には、まだサルというよりネズミに近い動物でした。色覚の進化について考える場合、このことも考慮しなければならないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >物理的な光の振動数を表すものではなく、あくまで脳の情報処理 まったくその通りだと思います。ですがそう考えると色の唯一の基準が不完全な人間の眼ということになり、厳密な議論が出来ません。 ですから光の振動数の対応で考えるより他ない場面もあると思います。 直接光と間接光については興味深い話ですね。これによってもまた判断が変わってくるでしょうね。 ヒトの祖先が夜行性だったのは知っていましたが、その頃から三原色色覚があったのなら確かに太陽光基準になる必然性はありませんね。すると月光も考えに入れなくてはならなそうです。 なんだか話がどんどん複雑になっていきますね…。
- chiezo2005
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#1,6です。 生物という言葉がでてきたので,色を識別できる生物はあまり多くはありません。鳥類と哺乳類の一部(サルなど)で,犬などは色を感じません。つまりモノクロの世界です。だから人間ももし色を感じなかったら,「白」から「黒」までの間の「灰色」にいろいろな名前をつけて呼んでいたかも知れませんね。 ちょっと質問とは直接関係ありませんが・・・ ところで,正午の太陽の色温度は約5500ケルビンです。これはCIEの色度図で言っても人間が白と認識するに十分な色温度です。その証拠に最近の車のライトにはHIDと呼ばれる放電管が使われていますが,あの青白い光でも5000ケルビン程度で太陽よりはむしろ黄色に近いのです。また太陽より白く見えると(私は思いますが)天頂にある満月の色温度は4300ケルビンでさらに低いです。 となると太陽が黄色く感じるのは#8さんがおっしゃられているように周りに青空があるから黄色く見えるといのが正解のような気がしてきました。
お礼
回答ありがとうございます。 そういえば犬はモノクロ世界と言う話は聞いたことがあります。「生物」は言い過ぎだったかもしれませんね。 人間の「白」の範囲は以外に広いのですね。HIDというものはちょっと知りませんが、人間に青白く見えたり黄色く見えたりというのは信用できませんね。そうなると太陽の色を「黄色だ」「白だ」ということにあまり意味は無いのかもと思い始めてきました。人によっても違い得ますし。 青空の対比効果も大きいでしょうね。
#2/3です。質問者の方、回答者の方皆様の考えをこねての練り直しになります。(毎度の悪文すみません。) 1.ヒトがあるものと白と思うとき、三種類の錐体が同程度に十分刺激されていると考えられる。(でよいでしょうか>#5さん) >人間の可視領域における全帯域の光が(おおむね)均等の強度で >観測される場合、その色は「白」と表現される。 >(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2) 2.もし、ヒトの錐体が緑と赤だけなら、(あるいは架空になりますがですが太陽光に合わせて575ナノメートル付近に感受性のピークを持つ黄色錐体ひとつだけなら)太陽光を見たとき、全ての(2つまたは1つ)錐体細胞が十分刺激されていると感じるであろう。 この場合、太陽光の色そのものが「白」と定義されていても不思議ではない。 とすると、どうやら太陽光が白にならなかったのは極端に言えばヒトには青色錐体が存在するからだということになるかと思います。また、錐体への刺激には飽和値あり、ある程度以上の刺激は全て同程度の刺激としてしか感知するとができないということも原因のひとつになるかも知れません。 3.何故青色錐体が存在するのか -分からないー #1/6さんの言われるように、反射光のスペクトル分布は太陽光のものと違っているので、実際物の色を識別するには太陽光付近の色のみを識別するだけでは不十分だった。とか、#4さんが言われるように動物・ヒトの祖先の歴史そのものが関わっているかもしれません。 4.何故、刺激に対して飽和値があるのか -分からないー CCDのように技術的な限界があるということでしょうか?
お礼
何度も回答くださり、ありがとうございます。 太陽光のピークを外れた青錐体の存在はあまり問題ではないと思います。 それは白の基準を変えればよいだけで、 「赤1:緑1:青0.5 のとき白」と定義すれば青が弱くても白と判断されます。実際に人間の眼の特性は「赤299:緑587:青114」と言われています(データにより誤差はあるが)
- chiezo2005
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#1です。 物体色の白は光をエネルギー的にをすべて一様に反射する物体の色です。色相はありません。彩度もありません。 もし,太陽光と同じエネルギー分布で反射するものを白(実際には黄色)だとすると,それに太陽の光を当てると,さらに黄色が濃い色(橙?)になってしまいます。 つまり,当てた光に対して,色相,彩度が変わってしまいます。 何色の光を当てても,彩度,色相が変わらない色が白ということではないでしょうか? だとすると,太陽基準はおかしくて,エネルギーを一様に反射する色を持って,白と感じるというのがもっともな気がしますがどうでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 No10さんの直接光反射光の話と関連して考えると、反射光を考える場合には「エネルギーを一様に反射」でよさそうですね。 ちなみに私が考えていたのは、太陽光(黄色)を当てたときに白い反射光を出す物質。つまり白色光の下では青く見える物質です。
- suiran2
- ベストアンサー率55% (1516/2748)
太陽の色が温度が低く赤でも,黄色でも,もっと温度が高く青でも,我々には,白は白に見えるのではないかと思います。 物理的な「白色」と我々が感知する「白色」は,はたして同じ物なのでしょうか。スキーをしたことがある方なら誰しも経験することですが,ゴーグルやサングラスをかけても,雪を見ると初めは確かに色がつきますが直ぐに慣れて白く見えます。 色は脳で見ているのではないのかなと思うのです。白とはいかなる物を白と認識するのでしょう。回答者の皆さんいかがでしょう。
お礼
我々が感知する「白色」と太陽光の色が異なっていることが疑問なのですが、それについて答えていただけていますか? どうも私の疑問を再確認されているだけのように感じるのですが。 なんにせよ、回答いただきありがとうございます。
>有史以前から生物に当っていた光はほぼ全て太陽光なのですから かならずしもそうとは限りません。哺乳類は恐竜が全盛だった時代、夜行性だったと考えられています。そのため、哺乳類の錐体オプシンは、両生類や爬虫類とは極めて異なった進化を歩んでいるのです。 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/kawamura-lab/studyBackground.html また特に森林に住む哺乳類には、夜行性もしくは昼夜両行性のものが多く見受けられます。ヒトの祖先の霊長類も、森にいた時代には夜行性か昼夜両行性だったと考えられます。 「白」の感覚は月光のスペクトル分布に影響されている、と考えることも可能ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、確かに昔の哺乳類は夜行性が多かったですからね。 ただ、それにしても月光のスペクトルは太陽光より赤寄りです。青く見えるのはロドプシンの吸収スペクトルの影響らしく、そうなるとロドプシンと三種のオプシンを同様に扱っていいものか分かりません。
#2です。質問のタイトルを見直してみてこれってひょっとして、どうして黄色付近を検知する緑・赤錐体だけでなく(これなら、黄色が白と定義されたかもしれないですよね。)ずっと高波長の青色錐体があるのかという質問だったのかと今思いつきました。(またはずしてましたらすみません。) 以下のURLを参考にすると果物など食べ物の識別のためだったのでしょうか。 http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/kawamura-lab/studyBackground.html http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_209071.html
補足
えーと…、そんなに深い意味はありません。 単純に考えて太陽光基準にならないのはなぜかという質問です。
質問が高度で的をかなりはずしている気もするのですが。(^^;)しかも推測を書くのが好きなので内容も間違いだらけかも知れません。 太陽がスペクトル型が黄色でも、昼間まともに太陽を見る機会はすごく少なかったのではないでしょうか。昔も現在も同様。また仮に無理して見てもとても強い光なので(多分錐体細胞が飽和状態になって)黄色くは感じられない気がします。実際白いものが白く見えるほどは強力だと思います。まともに見ることができる太陽の色は夕焼けどきの赤です。実際、太陽は赤いという認識も普遍的だったようです。また、電気のない時代夜を照らすに重要だったであろう月は白色だと思います。 参考URLを読むと古代日本に存在した色は「アカークロ、シローアオ」とあります。全くの憶測ですが、自然界を見わたすとこの4色だけで全てを分類できるはずはないし、アオの対としてのシロならば、アオの補色が黄色ならば、シロには黄色の要素が含まれていたのかも知れないとも想像します。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに太陽を直視するとまともに色を感知できませんが、「太陽は黄色」というのは科学的には広く言われているのでこれ自体は間違いないと思います。 >白いものが白く見えるほどは強力 この辺がポイントかもしれないと思いました。 つまり、直射日光の下で物を見たときは眼がオーバーレンジで正しくスペクトル分布を判断できず、実際より青寄りに感じてしまう。(太陽光に青成分は少ないので) その分布を弱い光のときでも再現するには実際に青寄りの分布を作らなければならない。 色のスペクトルを決めたのは人間がまともに見られる弱い光に対してだったので、その分布を太陽に当てはめると「黄色」となってしまう。 …と、一人で納得してしまったんですが、この説はどうなんでしょう。詳しい方、批評お願いします。 あと、月のスペクトルは太陽より赤寄りらしいです。 アオ-シロについてですが、昔の色名は今より広い範囲を含んでいたので、それに今の青を当てはめるのは不適当だと思います。例えば日本語で青は古くから緑も内包していました。 それに太陽が黄色なのは日本に限りません。
- chiezo2005
- ベストアンサー率41% (634/1537)
面白い質問ですね。 人工物でない白いものといえば,雲,雪でしょうか? また,白い紙は太陽光の下で見ても白く見えると思います。 確かに直視した太陽は白くは見えませんが,太陽から降り注いでいる光で反射して見えているそのほかのもので白く見えるものは結構多いのです。なので白の定義も太陽自身の色を使っていません。 ついでに,人間が白と感じる色の範囲はかなり広くて,色温度でいうと4000度くらいから12000度くらいまでは白と認識します。もちろん4000度の白と12000度の白を同時に見ると前者は黄色く,後者は青く見えますが,どちらかしか見なければ白く見えます。 以下のホームページが参考になると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >白の定義も太陽自身の色を使っていません それがなぜなのか疑問なのです。 太陽光の下で、太陽光と違う分布の色を反射するものを「白」と呼んでいるということですよね。 そのようなものの方が一般的だったのでしょうか。 雲や雪は黄色い太陽光の下で白い光を反射するのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 はい。見事に考えから抜けていましたね、"青空"。 青空からの光と太陽からの光を合わせれば白くなるのも当然ですね。(青空の光ってそんなに強かったけ、とちょっと気にはなりますが) どうやらこれが私の疑問への一番の答えのようです。 >太陽を「黄色い」と言い切って 自分でも一応そう感じてはいたのですが、青空との対比を考えるとあまり確実ではありませんね。 私の読んだ本は「天文学的白」の「もう少し青の強いスペクトルを「白い」と表現する場合も」の方だったようです。 電磁気的「白」と言うのはホワイトノイズのようなものでしょうか。太陽のスペクトルは青が少ないですからこちらは青くなるわけですね。 照明・産業上の「白」、やはり厳密には定まらないのですね。 考えを変えれば、もし電磁気的白を標準とする世界で暮らせば白の定義も変わってくるのかも知れませんね。 >地域や・民族の中でさらに複雑な差 というのもありえることだと思います。