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心療内科の治療ってどういうものですか?
精神疾患は、理不尽なめにあったときのトラウマや、価値観の違い等から社会不適応を起こしたことなどにより引き起こされることが多いと思いますが、投薬以外にどのような治療がなされるのでしょうか? 例えば、北朝鮮に拉致された人が、拉致という理不尽なめにあったことと、現地社会の考え方になじめないということにより、現地で精神疾患を起こした場合、その人が日本に帰ってこれないという前提で、現地の精神科医が、拉致被害者に治療を行うとすると、どのような治療が行われるのでしょうか?
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う~ん。。。何とお答えしようかと迷ってしまいました。 それで、やはり正直な気持ちをお伝えするのが一番かと。。。 私自身、精神科の治療について、良いイメージをもっていないのです。 でも、一般論によってすべての精神科医を否定する気持ちもないのです。 価値観って人それぞれだと思うし、その価値観を他人に押し付ける行為が強弱関係・上下関係とも絡んで精神のひずみを作り出す元になってもいるんでしょうね。 そして現代の医療は、『社会適応=健全』という価値観の基に、いかにして社会に適応させるかを第一目標として行われるのだと思います。 でも、どんな世の中も、価値観の違いを認め合った上でお互いの価値観を尊重しながら、、、なんていう人間関係は期待できないというのも事実かと。。。医療の世界でも・・・って感じです、自分の意見としては(笑) 非指示的カウンセリングの創始者であるカール・ロジャーズが当時のセラピスト達に力説したのが、まさにこの点だったのでしょう。 『セラピストは、自分の価値観をしっかりもっている事を意識した上で、患者の話を患者の価値観に基づいて聴いていかなければならない。価値観が大きく異なっていて患者の話を理解出来ない場合には、自分には理解出来ないと正直に伝えるべき』そんな感じです。(価値観ではなく内的照合枠という言葉を使っていますが) あとは、個々のお医者さんがどう考えるかなんでしょうね。。。 『医者との相性』っていうのも、こんな感じなのでしょうか? あー、また回答になっていませんね(笑)
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- aoki_momoto
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認知の歪みは、主にうつ病の世界で使われる事が多いです。そして後天的に学習した思考パターンではないかと思います。 例えばある人が『もう日本には帰れない』と悲観してうつ症状に陥ったとすれば、一見するとその原因は母国から引き離されたという『喪失体験』ですが、それにとらわれて発症までしてしまった根本的な原因は『死ぬまで日本には帰れない』という決めつけ、そして『日本に帰れないから私の人生はもう終わりだ』という極端な思い込みにあると捉えるわけです。 先程ご紹介した本は、興味があれば是非読んでみてください。 患者との対話によって精神疾患を治すという事に関して、治療者に必要な心構えがとてもよく分かります。たとえばこんな文章が書いてあります。 『重症神経症の精神療法のポイントは、治療者が治せると強がらないことである。「甘えたくても甘えられない」人と接すれば、治療者は「助けたいが助けられない」心理を体験する。その心理は治療者にとっても居心地が悪い。そこで、つい、早わかりをしてしまう。重い神経症症状は本人が自力で抜け出す他ない。治療者はそれに付き合うだけである。私は未だに、患者と、「困ったね。どうしたら良いだろう」と頭をひねっている。自信がないスタッフに限って、何々療法と名乗っては自分が治すと力む。こじれると人格障害の診断名を付ける。そんなに無理することはない。自信なければベテランの精神療法家のいるクリニックを紹介すれば良い。精神分析法、森田療法、認知行動療法などを名乗る専門家は多数いる。受け取ってくれる専門家を見つけられれば大成功である。但し、その後のフォローを適切に行うことは忘れてはならない』 (回答にかなり自分の主観が入ってしまいました。その点は割り引いて考えてくださいね)
お礼
たびたびご回答いただき恐縮です。 >『死ぬまで日本には帰れない』という決めつけ 北朝鮮の例を出したのは、医師と患者に価値観の違いがあるということを特徴づけたかったからです。 この場合、北朝鮮の医師が治療にあたるわけですから、どっちかというと医師は患者が「『死ぬまで北朝鮮にはなじめない』と決め付けている」と考えるわけですよね? 私は、人生の早い時期ではなく、後天的に発症するうつ病は、自分の価値観を人生の中途で否定されるような出来事にあった人に出ることが多いのではないかと思っています(会社に尽くしたつもりだったのにリストラされた中高年のうつ病などもそうでしょう)。 で若い医者が中高年の言い分に共感できなかった場合、どっちの価値観が正しいんでしょうか?どっちの価値観も間違っていないことも多いです。 だけど世間はリストラされた中高年に厳しい。患者は世の中が理不尽だと思っているのに、世間や医師はリストラされた中高年のアラ探しをしたがるわけです。 このような場合、認知療法はどこに「認知の歪み」を見つけるのでしょうか? 現実的に、その中高年の患者が悲観的になったとして、冷静に考えて実際悲観的なら、認知の歪みは存在しているのでしょうか? そのように考えると、明らかに間違っていない患者の価値観に「認知の歪み」を発見して矯正を試みるのは中々難しいようにも思えます。 そして実際人の価値観や、何を幸せだと感じるかは、人それぞれだと言っていいでしょうから、それを歪みと称するのは、何だか単に強者のエゴのようにも思えます。
- aoki_momoto
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お返事ありがとうございます。 「治療者の判断に基づいて患者との合意の下に行われるべき」これが私の考えです。 認知の歪みって、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思うのです。ですから、病気の症状としての『極端な認知の歪み』があるかどうかは、治療者が判断するのだと思います。 もし矯正する事が必要と判断されれば患者との合意の下で治療が開始されるのでしょう。 が、『病前性格』という言葉は、「元々認知の歪みがあるから病気になった」と安易に決め付ける様な誤った印象を与えてしまう危険があって、患者の性格をかなり割り引いてしまう様で私は個人的には好きじゃないです。 私にはこんな事しか言えないです。ごめんなさいね。 『精神疾患の面接法』という面白い本があります。是非読んでみてください。
- 参考URL:
- http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31100510&introd_id=Xmo46Wkooo6A9m91i81Wi1X86oG93A63&pg_from=u
お礼
2回目のご回答ありがとうございます。 参考URLを見たところ、具体例がないのではっきりとはわかりませんが「認知のゆがみ」とは先天的なもので後天的なものではないような印象があります。でも実際、心療内科を訪れる人は、何も生まれつきずっと性格等に問題を抱えた人ばかりじゃないですよね。 極端な「認知のゆがみ」(総合失調症とかがそれでしょうか?)はない人のほうが今どきの患者には多いような気がしますが 心療内科の治療としては主流の治療方法なのでしょうか?
- aoki_momoto
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ただのヒマな素人の想像ですが。。。 まず診察して症状を的確に把握し、病名を付ける事が必要ですね。 そしてその病気を治すための処置を行う。 永久に投薬を続けるというのも、ある意味では選択肢の一つかも知れません。でも、薬物療法の目的で最も多いのは、とりあえず症状を落ち着かせる為のものでしょう。そして落ち着いてきたら心理療法を施すというのが本来の治療なんじゃないのかな?って個人として勝手に思っています。 そして、心理療法ですが、まず第一に思い浮かぶのは、分析的療法。過去を振り返って、心の傷を受けた記憶などを意識に浮かび上がらせる方法。どうして自分がこういう症状を起こしてしまうのかをある程度しっかり把握する。そうやって自分の過去を認め、前向きに生きられる様にする。ただ、こんな事してる暇のないお医者さんも多んでしょうか・・・?? また、うつ病治療で流行り(?)の認知行動療法っていうのがよく出てきますね。基本は、過去を振り返るのではなく患者の歪んだ認知を矯正する為の心理療法です。野村さんの本なんかを読むと、『病前性格』という言葉が出てきて、性格改善が目的みたいに見えちゃいますね。 最後になりますが、ここが大変重要な所だと思うので書かせてくださいね。 精神医学や心理臨床にとって最も重要なのは、『治療者は、一人の患者の為に社会自体を変えようとはしない』そういう前提だと思います。社会がどれだけ歪んでいたとしても『患者が今の社会に適応出来る様に』という事を第一目的にする筈です。 当然の事ながら、拉致被害者などでも、拉致された事にとらわれて社会に適応しようという意思に乏しいケースでは治療は効果を現しにくいと思います。
お礼
ご回答ありあがとうございます。 >うつ病治療で流行り(?)の認知行動療法っていうのがよく出てきますね。 >基本は、過去を振り返るのではなく患者の歪んだ認知を矯正する為の心理療法です。 患者の認知が歪んでいるかどうかの基準は、担当する医師の価値観で決まるんでしょうか? 例えば、北朝鮮にいる精神科医にとっては、日本人としての価値観を捨てられない患者(拉致被害者)は「認知が歪んでいる」ということになってしまうと思いますが。 「拉致されたこと」もトラウマでしょうが、そのトラウマ以前に、その患者がそれまでの人生で形成した人格そのものが「歪んでいる」とみなされるということです。
お礼
回答者さんのこれまでのご回答を読んだかぎりでは、 やはり私は患者自身の人格を尊重するという観点からは たとえ精神疾患を生じている人であっても、その人の価値観以外の 思考回路が正常である場合、 むやみに心療内科に行って心理療法を受けることをやみくもに勧めるべきじゃないし、ましてや強要するべきではないという印象を持ちました。 >そして現代の医療は、『社会適応=健全』という価値観の基に、いかにして社会に適応させるかを第一目標として行われるのだと思います 私は社会不適応者を多く出してしまう社会というのは、社会不適応者の問題というよりも、本質論としてはやはりそういう社会不適応者を多くだしてしまう社会の問題だという気が強くしています。 もちろん医者が社会を動かすことはできないし、働きかけるのは個人レベルにならざるをえないけれど、社会不適応者を少なくするためにどんな社会が望ましいのか、情報発信をすることはできるはずです。 ところが日本の精神科医の書いた本などを読むと、いわば患者叩きとでもいうべき患者にのみ問題を帰しているものばかりであるのには失望しています。 それで心療内科で実際に行われている治療とはどういうものなのか興味を持ったのですが、お話をうかがって、結論としてやはり私の印象は外れていないように思えてしまいました。