• 締切済み

裁判で勝つのは正義ではなく弁護士の腕(能力)による!?

職場の上司(女性)なんですが、日頃から幼児虐待を匂 わす言動があり、恐い人だな~っと感じていたんですが とうとう警察沙汰になり、裁判にまでなりました。 (病院からの通報らしいです) ※ちなみにこの子は実子ではなく亡くなった兄弟の  子で、仕方なく引き取ったのこと) 日頃の言動、また社内には子供が同じ学校に通うという ご近所さんもいて、彼らの情報からみても彼女の有罪 は間違いないと誰もが信じていました。 ところが判決は無罪! この件に限らず世の中(裁判では)正義うんぬん は通用(認めてもらえない)しないなと感じずには いられない事件や事故が多いですよね。 運命を決めるのは”弁護士さんの腕(能力)だな~と いうことをつくづく感じさせられます。 ぶっちゃけた話し、弁護士さんの意識の中でも 『勝てば官軍! 僕の腕が正義をつくるのさ!』 ・・・そんな感じなんでしょうか? ちなみに私はそういう考えを否定しているのではなく 賢い消費者になる為の参考として聞いています。 できれば現役の弁護士さんの御意見が聞きたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.8

単なるお金目当ての弁護士も中に入るとはおもいますが、みんながみなそうなわけないでしょう。 弁護士という仕事は、第一に自分の感情などを差し引いて依頼人を信用することから始まるのだと思います。たとえ状況が被害者の子供の同情を誘うような場合であったりしても、依頼人が無実だと言い張ればそれを信用するしかありません。もっとも、どうしても信用できなければ依頼を受けなければ良いわけですが、依頼人の言っていることが立証できるだけの証拠があるのに子供がかわいそうだからといった第三者の感情で勝手に判断して弁護を断るのはある意味弁護士として間違っていると思います。 同様に裁判官もはじめからどちらかに有利になるような立場で判断はできません。たとえ一方が正義で片方が悪のような裁判であったり、被告人や原告人の人間性が問われるからといって判決に影響させてはいけません。重要なのは、裁判に出されたすべての証拠(同僚の証言を含む)や主張をあくまで客観的な立場で聞いた上で主張の信憑性を判断することであって、たとえ被告人が裁判で「子供は親の奴隷だ」のような言動をしたからといって(もちろん印象は悪くなるし、どちらかというと不利だと思いますが)、その言動を虐待とする法律がなければ直接の罪としては問えません。 ただ、被告人や裁判官、弁護士も人間である以上腕というか説得力のある方の主張に左右される部分もあるでしょう。特に緊張している被告人や原告人を感情的にさせて不利な主張を誘うようなテクニックも聞いたことがありますが、実際どこまで意識してやっているのかは専門家に聞いてみたいところですね。 ちなみに、私は弁護士でもなければ、とりわけ法律に詳しいわけでもありません。 が、私の言っていることを弁護士の意見じゃないからといってはじめから無視すると質問者さんが考えたとしたら、そこにすでに「弁護士の言っていることしか正しくない」という偏見が入っているということです。世間一般に言う「正義」とは、たとえそれが正しいことであろうと、裁判では偏見みたいなものではないでしょうか?

noname#19191
noname#19191
回答No.7

弁護士ではありません。 裁判の仕組みについても全くわかってらっしゃらないようですので、それを踏まえて。 まず、刑事裁判で有罪とするためには、検察官が、被告人が当該犯罪を犯したと認めるにつき、合理的な疑いを挟む余地のないところまで証明しなければなりません。 仮にあなたが、「よくわかんないけど、こいつ顔が怖いし、近所で人殺しって言われてるから、死刑に処す!」とかやられたら、怖いでしょう。 とにかく、簡単に言うと、刑事裁判というのはそういう仕組みになっているのです。 そういう仕組みだから、ひょっとしたら、検察官や弁護人のやり方がうまいことが原因で、有罪、無罪が入れ替わることもある可能性があります。(そうならないように、様々な制度が完備されていますが、可能性は0ではありません。) だから、近所のうわさ話では、「あいつは子供を虐待しているに違いない」という意見で一致していたとしても、有罪になるとは限りません。 ところで、解せないのは、なぜ、そのうわさ話を正義だと決めるのですか? 自分が信じていることが正義で、そのほかの意見はすべて非正義だとでも言っているようにしか受け取れません。 正義というのは怖い言葉で、往々にしてそのように使われるのです。 だから、基本的に法律家は正義などという言葉を滅多に使わないのではないでしょうか。 弁護士法1条には、弁護士の責務として「社会正義を実現する」と書かれています。 これは、「正義」ではなく、「社会正義」です。 あくまで、社会の総体の考えるところの「正義」を実現するという意味であって、弁護士個人がその人の「正義」を実現するわけではないのです。 ただ、なにを「社会正義」と考えるかは、やはり個人の解釈にゆだねざるを得ません(イデオロギーの対立を見れば一目瞭然)から、「僕の腕が正義を作るのさ」に近いのかもしれないですけれどもね。

noname#80537
noname#80537
回答No.6

 弁護士じゃなくて裁判所の問題なんですよ、児童虐待については、裁判所は軽い罪で済ます傾向にあるのです。理由は、その子が親戚につまはじきにされる可能性があることや、その虐待した親の他の子供はどうするんだ?という問題が発生するからというのもありますし、肝心の被害者は証言できないことが多いので、立証できないとされがちだからです。  それに、裁判官は児童虐待に対して無理解な人も多く、有名な尊属殺人事件では、父親に長年レイプされてきて思い余って父親を殺害した被告人に対して、「お父さんの青春はどう考えているのか?」と裁判官は被告人に対して聞いたそうですよ。「子供は親に従え」ということですね、例え娘をレイプする親でも。

  • botabota9
  • ベストアンサー率45% (33/72)
回答No.5

>>この件に限らず世の中(裁判では)正義うんぬん は通用(認めてもらえない)しないなと感じずには いられない事件や事故が多いですよね 少なくとも裁判について言えば、法廷にはあなたが知っていることや報道されていることよりも遥かに多くの資料、事実が出てきます。 「正義は通用しない」と思うなら最低でも判決全文、できれば閲覧可能な全訴訟記録を検討したあとにしてください。 質問の事件でも、あなたは被告人や弁護人の主張を聞いて平等に検討しているのでしょうか? 当事者の普段の言動や周りの情報で「間違いない」と信じたものを「正義」とは裁判の場では言いません。

noname#80537
noname#80537
回答No.4

自分の実の赤ちゃんを殺しても執行猶予がつくのが児童虐待の現実です。

回答No.3

現役の弁護士です。 (と、書けば信用しますか?全くの素人です。) >運命を決めるのは”弁護士さんの腕(能力)だな~ いうことをつくづく感じさせられます。 >ぶっちゃけた話し、弁護士さんの意識の中でも 『勝てば官軍! 僕の腕が正義をつくるのさ!』 ・・・・・・という、軽薄愚劣・短絡的思考回路はどこから出てくるのでしょう? 弁護士という職業に対する重篤な冒涜・蔑視と思いませんか? こんな質問に本物の弁護士が回答すると思いますか? 弁護士に限らず、どんな職業でも、みんな自己の良心と良識に基づいて行動しています。 中には心違いの方もいるかもしれませんが。 全然、意に沿わない素人回答ですが、家裁事件でしょ? 本人が真摯に過去の行動を反省し、誠実に今後、その子の面倒をみることを裁判官に示せば、他に身よりはないんでしょ?彼女を有罪にして、その子を施設に入れるよりはということで情状を酌量し無罪という判断もあり得ます。内容がわからないので何とも言いかねますが。 こういう一定の職業を、意味不明の偏見?で決めつけ、訳のわからない回答をもとめるような不見識なことは止めましょう。 速やかに質問を閉じることをお勧めします。

  • n_kamyi
  • ベストアンサー率26% (1825/6766)
回答No.2

あ、失礼。 裁判ということは起訴されてるということですね。 家庭内のことで証拠不十分で公判が維持できなくなったとか、加害者に情状酌量すべき要因(心身喪失状態等)があったのではないですかね。

rika378
質問者

お礼

証拠は十分にあった様なんです。 行政も幾度となく、虐待の有無を確認するために 彼女の所へ出向いていたようですから。 それに彼女の口から『あんな厄介者、事故にでも遭って いっそ死んじゃったらいいのに・・・』などという 発言を聞いたという同僚もいましたし、また裁判でも その同僚は協力(証言)してました。 裁判で勝った彼女のセリフ。 『だから言ったじゃない、私は強運な女だって!』 私が直接聞いたわけではありませんが、それを聞いた 数人の人達が、どうゆう意味なんだろうね~!? という会話をしていました。 ほんと、ある意味、彼女って強運なのかも。

  • n_kamyi
  • ベストアンサー率26% (1825/6766)
回答No.1

弁護士ではありませんが。。。 裁判で刑事裁判ですよね? 私選弁護士でもつけたのでしょうか? 無罪というのがどういう意味かわかりませんが、検察が起訴相当に値しないと判断したのではないでしょうか? http://www.kensatsu-kyoukai.gr.jp/qa_ivst.html#q100 犯罪事実に争いがなければ、弁護士は情状酌量を狙うしかありませんので それほど弁護士の手腕は必要ないかと思いますが、事実関係を争うのであれば、多角的に証拠を収集する能力や、検察に対抗する手腕が必要になってきますよね。弁護士からすれば依頼人が「正義」ですから、正義を盾に戦っていると思いますよ。

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