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貨幣経済の浸透

日本の歴史で、貨幣経済の浸透って何世紀からですかね?13世紀という理解でいいでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • Pinhole-09
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回答No.4

貨幣の流通には、貨幣の十分な供給が必要でした。 まったく不十分な状態を改善すべく、平清盛は宋銭の輸入を始めました(十一世紀後半)。  その後も、中国よりの銭の供給が続き、十三世紀前半には、布で収めた年貢が代銭納でよく、後半には米の年貢が代銭納でよくなり、十四世紀前半には、すべての年貢が同様になったと云われています。 米の代わりに銭で納め始めた、十三世紀後半が貨幣の末端への浸透と、云えるでしょう。

その他の回答 (3)

  • Kitami
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回答No.3

貨幣経済の浸透は都市部と農村部では、ずれがかなりあると思います。鋳造貨幣の流通であれば平城京、平安京の奈良時代、平安時代でも都ではある程度は行われていたはずです。しかし、地方では自給自足の経済であり、貨幣の流通はほとんどなかったはずです。ただし、米、絹、布などの物品を貨幣とする経済は古墳時代からあったことが「日本書紀」などの記録から確認できます。また地方でもあったと考えられます。ご指摘の通り、鎌倉時代くらいから、地方にも港や神社や寺の門前町、交通の要所などに市がたったり、それが定期市などに発展し、鋳造貨幣の流通が活発化したと考えられます。このころの貨幣は中国から輸入された渡来銭だったようです。しかし、全国的な規模で貨幣経済が行きわたったのは、江戸時代までかかるのではないかと考えます。そう考えるわけは、自給自足の農村(農家)が綿、菜種、藍、櫨、漆、和紙などの商品作物を栽培し、金肥や道具の購入、嗜好品や贅沢品の購入のために本格的に貨幣を使うようになるのは、やはり江戸時代だからです。

回答No.2

織田信長が大掛かりな銭で雇った傭兵制度を導入しています。この制度がある意味織田軍の機動力のバックボーンとなり他家を圧倒していった側面を考えますと、戦国時代に兵を貨幣で調達する価値観はまだ一般的では無かったと考えています。信長によって銭の価値観への見直しが提案され、その実力・実績によって、あるいはその継承者である秀吉の栄華により広く世に認知されたのではないでしょうか。No.1の方と同じ意見です。

  • at9_am
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回答No.1

どこまでの普及を浸透と見なすかが難しいですね。また、貨幣を(貝や絹などの)いわゆる代用貨幣を含めて良いかという問題もありますが、概ね戦国時代中期~末期に浸透したと考えて良いと思います。ですので、13世紀頃というのは妥当な線だと思います。 ただし、地域によっても差はありますが、農民にまで浸透するのは安土桃山時代かその直前期(14世紀後半)であったと考えられます。というのも、それ以前の交易は大名や寺院中心であり、農村は塩以外は自給自足の閉鎖的な経済を形成していたからです。

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