• ベストアンサー

ε-δ論法のモヤっと感

ε-δ論法って数学的ではない気がするのですが、私だけでしょうか。なんかこじつけのような気がします。ある数に応じて、それより小さい数をいくつでも持ってこれるから・・・とか、数学の理論の中でも稀に見るこじつけ論法ですよね。ゼノンのパラドックスを数式混じりで綴っているだけのような気がしてなりません。理解不足なのかもしれないので、このモヤっと感を払拭して頂けませんでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

私もモヤット感があります. けどその一方できちんとした定義でもあると思ってます 高校で習う極限は限りなく近づくことを直感的に述べているだけで済ませてます.これは感覚的にはしっくりきますが数学的な厳密性に欠けると思います. 超準解析という分野があります(私は詳しくありませんが) これにより超実数を定義し、無限大、無限小を数学的対象として扱っています.超準解析はモヤット感の払拭と厳密性を求めようとして生まれたのかもしれません.ただ超準解析の理論を構築するまでに数学基礎論から始めてかなり大変らしいです.まだε-δ法の方が簡単なくらいのようです.ですが最近、実数体Rを数拡張するようにして超実数体R*を構成するやり方も知られているようです. 私は変分原理を理解しようとして物理で出てくる微小変化や微小量を数学的に理解しようとして超準解析に興味を持つきっかけとなりました.が未だよく分っておりません.

tuort_sig
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます εδ法も数学的な厳密性に欠けていると思いますけど。比べればεδの方が厳密ですが、決して完璧ではなく、感覚に頼っている。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (17)

  • masudaya
  • ベストアンサー率47% (250/524)
回答No.8

違和感があるのは分かりますが,数学ではないということはないと思いますよ. たとえば,高校のように直感的に考えると lim(n→∞) an=α のとき lim(n→∞) Σ(n=1 to ∞)an/n  はいくらになるか証明しなさい という問題は,解けません.感覚的にはαになるように思いますが,ほんとにそうなることを,ε-N論法を用いずに説明することはできないのではと思います.(答えはαでいいんですが),つまりεーδ論法はこのような直感で考えた場合の課題を反省して作られています.私が違和感を感じたのは,不等式をやたら使うところでしたが,なれるとそんなものかと思います.たとえば,田島先生の【εーδ】【解析入門】などを読んでみてはいかがでしょうか.この辺のことが丁寧に書かれています.

tuort_sig
質問者

お礼

読んでみます。 回答ありがとうございます

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.6

そのもやっとした感じがεδの強さの源かなという気がしています。いいたいことは多分、「εδは分るけどもっと直接的に∞ということを扱えるはずだ」と言う直感的なことではないんでしょうか? 私もはるか昔に勉強した頃にはなんともつかみ所のない論法だなという印象でした。それは、たぶん数学で無限ということに真っ向から立ち向かうと手に負えないという経験からきているのではないだろうかと私は思っています。 それでもεδは実際上十分なほどに強力です。実際にεδで関数の連続性の証明を試みてください。それとは別に自分の持っている直感的な連続性だけを頼りに証明を試みてください。自然とεδの便利さ、すごさが分ると思います。例えば次の関数の連続性を調べてください f(x)=1-x; 有理数x∈(0,1)   =x ; 無理数x∈(0,1) 直感に基づいて真っ向から連続性をしらべてその判断が可能でしょうか?少なくとも私には無理でした。 後は自分でεδに基づく連続性の定義が直感的なものと合致しているということをいくつかの例題を調べてなっとくしてください。

tuort_sig
質問者

お礼

すごいとは思いますが、連続性の証明にはなっていないですよね。εδは。 回答ありがとうございました

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobold
  • ベストアンサー率62% (20/32)
回答No.5

大学1年レベルのε-δ論法が理解できなくて、モヤッとしているのか、もっと深いレベルでの理解ができなくて、モヤッとしているのかが分かりませんから、 今あなたが理解しているε-δ論法を書いて説明してみて下さい。そして、どこがどのように「こじつけ」ているのかを説明してみて下さい。 もしそれも難しいようでしたら、ε-δ論法をきちんと理解している人に実際に会って話を聞けば、そう長くない時間で教えてもらえると思いますよ。

tuort_sig
質問者

お礼

>もしそれも難しいようでしたら、ε-δ論法をきちんと理解している人に実際に会って話を聞けば、そう長くない時間で教えてもらえると思いますよ。 ええ、それも難しいので、専門家であるkobold様にお訊ねしたい所存です。 アドバイスありがとうございました

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • KENZOU
  • ベストアンサー率54% (241/444)
回答No.4

ε-δ論法を数学的にキチットやれば集合論の知識が必要になってくるので,ここではその話は兎も角として(←ほとんど知らない)、実数(有理数+無理数)には稠密性というのがありますね。簡単に言えば、例えば数直線上のある区間を区切って、その中に存在する数字を拾い上げていくとすると、汲めども尽きず、いくらでも数字がでてくる。。。、例えば3を2で割り、その商をまた2で割るということをず~っと繰り返しても小数点以下0が一杯つくが数字はちゃんとある。つまり大小区分できる数字が無限にでてくる。この辺の事情が >それより小さい数をいくつでも持ってこれるから というあたりの理解に結びつけばいいのですが。。。

tuort_sig
質問者

お礼

ありがとうございます >つまり大小区分できる数字が無限にでてくる ことを自明のことと扱っていますよね。モヤっとしませんか?それこそ感覚的ですし。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.3

私はまったくそうは思わず、数学的に極めて明確な、スッキリした定義方法だと思いますが。 単に、「ある数に応じて、それより小さい数をいくつでも持ってこれる」という明々白々な「状態」・「状況」を極限の「定義」としているだけであって、全然こじつけではないのでは。

tuort_sig
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 しかしゼノンのパラドックス的ですよね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • N64
  • ベストアンサー率25% (160/622)
回答No.2

これも、結局、無限という言葉を使わず、正確で矛盾のない理論のためなのだなー、と思います。類似の議論が、ここにあります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2052019

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2052019
tuort_sig
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kabugogo
  • ベストアンサー率23% (52/223)
回答No.1

まったく初めて聞く話ですが、『悪名高きε-δ論法』と書いている人もいるので、難しいものなのではないでしょうか。 極限 http://phaos.hp.infoseek.co.jp/part2/sequence/limit/limit.htm#epsilondelta 参考URLはウィキペディアです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%83%B3-%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E8%AB%96%E6%B3%95
tuort_sig
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 ε-δ論法がとても難しい理論だというのは知ってます。でも、そもそも数学的にどうなのかと思ったのです。極限を、高校数学のように感覚的に扱うのを避けるための理論だというのに、より感覚的になっているというか、こじつけ感が増しているような気がします。確かにεやδなどといった数学独特の記述を多用してあるので、厳密さがあるのかもしれませんが、純粋に内容はというと・・・

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • パラドックスの授業をします。

    今週授業でパラドックスについて発表します。 双子のパラドックスについて発表しようと考えていたのですが、わたしにとっては難解すぎて断念しようかと思い始めました。 なぜ、時間の流れが遅くなったり速くなったりするのかを数式を用いたりして完璧に説明することは苦手だからです。 そこで、ほかに扱いやすいパラドックスがありましたら教えていただきたく質問しました。 うそつきのパラドックス・抜き打ちテストのパラドックス・ゼノンのパラドックス以外で簡単かつ理論的に説明できるものを紹介していただけたら幸いです。 まだ解決されていないものでもかまいません。 よろしくお願いします。

  • こういう論法に名前がありましたら教えてください

    以下例です。 「目前で人が殺されているときに 加害者と被害者の生い立ちをじっくり調べてから「殺すな!」って言うのかよ。(A) まずは「殺すな!」って叫ぶのが人間じゃないのか?(B)」 被害者だけではなく、加害者がなぜ殺人に及んだということを考えることも防犯や人間理解のひとつが(B)ですが、これを否定したい、この例の発言者が(A)の理屈を用いています。 この一見矛盾した理屈を用いる論法についての概念(〇〇論法など)がありましたら教えてください。 また何か違和感を感じましたら、理論的に教えてください。

  • ε‐δ論法について

    大学1年生です。数学の授業で課題としてε‐δの問題がでたのですが、その問題というのが授業でやった問題と形が違うので解き方が分からず困っています。 授業でやったことでさえまだまだ理解できていないのでできれば解き方の解説もしてもらえれればとても嬉しいです。 さすがに問題そのものを教えてもらうのは気が引けるので、問題の数値を変えましたので誰か教えていただけないでしょうか? 問題 n→∞のときX_n→aならば、X_1+X_2+X_3+・・・・・・+X_n/n→a であることをε‐δ論法で証明せよ。

  • 高学歴でも使えない人は使えない。という論法について

    こちらの数学カテゴリの方にお聞きします。 このOKWave以外でもネット上などで「高学歴でも使えない人は使えない」 というような論法を良く目にします。 これは 1.多数の高学歴者の中から「使えない人」だけを抽出した。 2.抽出された「使えない人」は「使えなかった」 という演繹なのかなと思いました。 これを聞く限り「高学歴で使えない人」が「使えない」のは当たり前じゃん。 という印象を受けました。 そこで、質問なのですが 質問A.この論法はおかしな論法でしょうか? 推論A.高学歴者1万人と低学歴者1万人の使える人を調べた場合     高学歴者の方が「使える人」が多いのではないか? この推論に対して、この「高学歴でも使えない人は使えない」という主張は 質問B.推論Aを否定する材料と成り得るのか? 質問C.推論Aが「どうである」といっているのか?     例・高学歴者全てが「使える人」ではない。という否定であり       高学歴者の方が「使える人」が多い。を否定するものではない。     例・高学歴者全てが「使えない人」であるということを的確に表している。 質問D.推論Aを否定するには、どのような論法を行うべきなのか? ※数学カテゴリの方への質問ですので  この数学カテでの回答数が多い方の意見を  特に参考にさせていただきたいと思います。  それをご理解いただいた上で回答していただけると幸いです。 ※高学歴者とは旧帝大4年生の22歳の人  低学歴者とは偏差値50以下の高校卒業後大学進学しなかった人を指すものとします。 ※使える人の定義は1部上場企業のホワイトカラーの人事採用担当者10名が  学歴を見ずにSPI・面接を通じて「使えそう」と判断した人。とします。 ※推論Aを導いた演繹については質問文が長くなるのは避けるため1番目に回答していただいた方の補足欄で補足させていただきます。

  • アキレスと亀のパラドックスについて

    アキレスと亀のパラドックスについて質問です。 このパラドックスを説明するのにほとんどが無限等比級数を使って、説明していますが理解に苦しんでいます。ゼノンは今回出る無限等比級数の和を本当はある値に収束するのにもかかわらず無限であると勘違いしたんですよね。しかし仮に今回の無限等比級数の和がある値に収束したわかってたとしても、それは無限の操作をし終えてやっと追いつくんではないんですか?でも実際に無限の操作をし終えるというのは数学上でも現実ではありえないことです。でも現実ではおいついている・・・。もう訳がわかりません。どんなサイトでも、最終的に得意の無限等比級数を登場させて、「はい、収束するでしょう、だから追いつくのです。」と説明していますが、理解に苦しみます。 実際には中学一年生の速さの問題で出るような程度の数学で追いつく時間や距離が求まることは知っていますが・・・。でも実際追いつこうとしているときはゼノンが言っているとおり、毎回亀の位置にアキレスは到達しているし・・・。つまり距離自体は有限だが勝手にゼノンが無限分割しているだけだというのもわかりますが、実際追いつこうとするときその無限分割した点を通ってるし・・。 誰かご教授してください!!

  • 対角線論法(?)について

    オートマトン言語理論計算論I(サイエンス社)という本の第7、8ページに すべての無限集合が等しい濃度を持つわけではない例として、 「整数全体の集合と実数全体の集合について考えてみよう。仮に、実数の 全体が正整数と1対1に対応づけられたとする。そのとき、各 i=1,2,3,… について小数点以下 i 桁目が、第 i 番目の実数(上の対応で正整数 i に 対応づけられた実数)の小数点以下 i 桁目の数字に法10のもとで5を加え た数であるような実数を考える。するとこれは上で正整数と対応づけられた どの実数とも異なる数である。このことから、実数全体と正整数を1対1に 対応づけることがそもそも不可能だったことがわかる。」 とあり、この議論が対角線論法と呼ばれるそうですが、何度読んでもさっぱ り理解できないのです。 特に 「そのとき、各 i=1,2,3,…について小数点以下 i 桁目が、第 i 番目の実数 (上の対応で正整数 i に対応づけられた実数)の小数点以下 i 桁目の数字に 法10のもとで5を加えた数であるような実数を考える」 がイメージできないのです。 もし対角線論法について理解されてる方がいらっしゃいましたら、是非とも ご教授願いませんでしょうか? よろしくお願いします。

  • 頭に靄がかかる感じについて

    現在、僕は学生なのですが、頭にもやがかかり記憶力や思考力が落ちているような感じがして困っています。 僕の勘違いなら良いのですが、ここ一年半、勉強や物事がなかなか覚えられないという状態です。 二年ほど前までは4、5回の繰り返しで勉強内容はだいたい覚えられていたのですが、最近では十回以上同じところを学習しているのに少ししか覚えられないと行った状態です。 学年が上がるのに連れて勉強は難しくなっているためかと思っていたのですが。先生に教えてもらっても理解が出来ず、やっと理解したことですら家に帰る頃には忘れてしまう状態です。 その為、テストでも前日まで何時間も勉強したことが思い出せなかったりといった具合のため、歴史などの記憶すればいいような教科が点数がからっきしといった状態です。 また、生活の中では、口に出して言おうとした事を忘れたり、持っていかなければならないものを机の上に出してその隣にメモを置いているにもかかわらず忘れたりといった具合です。 一度、母や先生には相談したのですが、母や先生からは「お前の集中力が足りないせいだ」とか「覚えようという必死さがお前にはないからだ」と言われて怒られてしまいました。また、頭に靄がかかる感じの事も「寝不足なだけ」と言う一言で一蹴されてしまいました。 そのため勉強時間を最低4時間、夜は十二時には就寝といった具合でやっているのですが、一向に忘れると頭に靄がかかる感じが治りません。 他の方の相談を見たのですが、病院に行くことを勧めている方が多いため、この質問をさせて頂こうと思い投稿しました。 上記の症状を病院に行かずに自分だけで治す方法はありませんか?

  • εーδ論法の表記方法と意味

    数学表記とその意味についての質問です。 εーδ論法を例にとります。 ∀ε>0, ∃δ>0 s.t. ∀x∈R, 0<|x-a|<δ⇒|f(x)-b|<ε は、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 ということであり、 「s.t. は such that の略で ∃ の条件を示し、 s.t. 以後の条件を満たすような正の数 δ が存在するということである。」 ということであり、 「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |x - a| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) - b| < ε が成り立つ。」 という意味であるとありました。 表記と意味についてすっきりと理解できないので、質問させてください。 (1) 変数についての定義は、xは実数(∀x∈R)とだけあるのですが、他の変数のε,a,bに対する定義はありません。なぜ、xのみを実数であると定義するのですか。定義しないと何か困るのですか。なぜ、εとa,bは定義の必要はないのでしょうか。定義しなくてもεとaは実数であると必然的になるということですか。通常は「<」は複素数では使用できないので、必然的にε,a,bは実数になるということですか。 (2) ∀ε>0, ∃δ>0は、「任意の正の数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して」と読んでますが、その中の「に対し」が表記のどこの部分から読み取ることができるのですか。∀ε>0と∃δ>0は、「,」で分けられているだけなので、「に対し」と読むことがすっきりと理解できません。単に、”全てのεが0より大きい”ことと、”0より大きいδが存在する”こと、の並列的な記述としてなら理解できます。なぜ「に対し」が必要なのか、「に対し」と読まないといけない理由も教えてください。 (3) 「∀ε>0, ∃δ>0」を「∃ε>0, ∀δ>0」と書くと間違いになるのですか。日常的な感覚からいうと、0<|x-a|<δ において、あるδを与えると、|f(x)-b|<ε を満たすεがかならず存在する、と考えるのが自然な感じがします。なので、「∃ε>0, ∀δ>0」の方が自然に理解できそうなのですが、間違いでしょうか。このような理解の方法はよくないのでしょうか。 (4)「∃ε>0, ∃δ>0」と書くと間違いになるのでしょうか。「 |f(x) - b| < ε 」はあるεでは成り立つが、成り立たないεも存在します。つまり、「∀ε>0」で定義したεの内、あるεだけが式を成り立たせるので、はじめから「∀ε>0」ではなく「∃ε>0」する方が正しいように思いますし、自然な感じがします。 私の印象ですが、数学的な表記(言語)は日常的な思考とは何かが異なる感じがします。若いときに数学を専攻していれば、“そういうもの”として受入られるのかもしれませんが、他の専門分野の人(私のように)にとっては“なぜ”と思うことが多いように思います。 文化の違いもあると思いますので、すみませんが、分かりやすく、教えて頂けないでしょうか。宜しくお願い致します。

  • なんであんなに難しい問題が解けるのでしょうか?

    僕は工学部の4回生ですが、物理学科の学生が使うような量子力学とか古典力学とかの教科書を見ても数式が難しすぎて理解できません。物理学(理学)と比べると工学は求められている数学のレベルが低いような気がします。物理学科の学生は超弦理論とかの数学を授業でやるのでしょうか?それとも独学ですか?

  • 理論物理学の数式は一般の人でも理解可能ですか?

    理論物理学の数式は学べば誰でも理解できるものなのでしょうか。それても一部の人しか理解できないものなのでしょうか。 NHK特集で「神の数式」という番組を見ました。無知の私でも最新の素粒子理論や宇宙論の雰囲気を感じることができて感動しました。数式ひとつで理論を作り出すという作業に憧れを感じました。 しかし実際の数式は四則演算や微分積分記号以外は全く理解不能です。一般の人でも大学の専門領域でステップを踏んで学べばある程度は理解できるのでしょうか?それとも抽象的な高等数学の理解等が前提であり、一部の人しか理解できないものなのでしょうか? もちろん私はすでに時間切れですが、たとえば子供がこのような世界に憧れをもった場合は、努力次第である程度理解できるようになるのでしょうか。(自動車や飛行機の原理や、経済システムなどは大学である程度理解できると思うのですが・・・。理論物理学の分野は・・・・やはり無理なのでしょうか?) 難解な数式で思考する場面はよくテレビなどでよく見ますが、以上の肝心なところが分かりません。実際に携わっている方だけではなく、様々な方のご意見をお教え下さい。