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他人の心について教えてください。

自分の心が思っていることは確実として、それが、他人の心も同じ事を思っているか、また、同じ印象で思っているかどうかとか、どうやって、知ることができるのでしょうか。

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  • sokura
  • ベストアンサー率38% (40/103)
回答No.3

 私は「神」の存在を信じています、と言う人と「神」の存在を信じていない、と言う人は、「神」という言葉を介して、共通の話題を論じあっています。しかし、それでは、「心」というものは、どこにあるのでしょうか?「心」は存在しません。しかし、心、という言葉は存在します。  つまり、人は他人の「心」を「言葉」を通じて「認識」しあっています。  ところが、このとき、「言葉」の意味は二人とも同じ意味合いで使っているのでしょうか?  人は、それぞれ別々の「国語辞典」を所有しており、似てはいても、微妙に意味合いを違えて「言葉」を交わしあっています。その違いは、生まれや環境、社会的な役割、年齢、性差などによって生まれ出るものであり、全く同一な考えをとる、というような訳にはいきません。  3歳の子どもが、コップを倒して水をこぼしたとき、「このバカァ!」とどなる母親と「あら、お水かからなかったかい?」という母親では、受け取る「愛」の感情が全く違います。  人はそうやって、他人との違いを認識していくのです。私は、そうした、むしろ人と人はどうやっても共通認識に立つことはないのではないか、と疑い、悩むことが、大人になる、人を人として認め合う、ということにつながるのではないか、と思っています。  まさしく、相手がどのように思っているのか、という努力ではなく、「私が今考える言葉は、こういうことを意味していますが、その意味で、あなたに私の言葉が通じますか?」という努力を払わねば、言葉による誤解は、深まる一方なのです。  そして、誤解しあっているからこそ、話しあうことも出来るのですが…。

その他の回答 (4)

  • popesyu
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回答No.5

知ることが出きるかどうかで言えばこれは出来ないということになるかと思います。超能力者でもない限り。そもそも「自分か思っていることは確実」という前提すら不確実なことですから。 ただ社会学的に考えれば、互いの価値観はある程度共通であるとの共通認識が必要とされており、実際に貴方は見知らぬ他人にあってもいきなり殴りかかられたりしないという安心感をお持ちでしょう(最近はそうでもないですが)。この枠組みを大きな範囲で捉えた場合、例えば外国で出会った日本人をみるとほっとする、と同じ心境です。見知らぬ土地=既存の価値観からある程度はなれた土地の人よりも、言葉や文化が共通な人間の方に親近感をもつでしょう。なぜかと言えば同じ印象をもっているに違いないと感じるからで、実際にそのとおりである確率は高いかと思います。 学校での教育やら、小さい頃にみたテレビ番組やら、共通の経験を通しているからこそ同じ印象を持っているに違いないとなる訳です。宇宙人よりも地球人、外国人よりも日本人、他の学校の人間よりも母校が同じ人間に親近感を持ってしまうのは、そういった理由からかと思います。実際に「同じ印象を持っている」かどうかは大した問題ではありません。そう感じていることが重要です。

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.4

●他人の心を推し量るには 対象から得られるすべての情報(五感+六感)を分析し  過去のデーター(DNAに含まれるものも含んで)に照らして  その対象がどの辺に位置した存在(事象・論理)であるかを無意識に  判断しています。顕在意識で処理するものはごく一部です。 ●わたしが相手を見る時はまず形です。姿です。姿にはそのひとの人生が  出ています。次に顔です。顔にはそのひとの現在の気持ちが出ています。 ●わたしがいつも自分のそのような外に対して発する情報に心がけているのは  インテリジェンスとエロティシズムです・・・。

  • tweetie
  • ベストアンサー率26% (975/3649)
回答No.2

自分にとって重要な人に関しては、相手が同じ事を思い、衣装を持っていればわかるし、もっていなくてもわかります。科学的に嘘を言っているときにはこういう動作をする、というようなデータもあるのかもしれませんが・・・証拠の無い確信を感じることが出来ます。 また、100%一緒と言うことは無いかもしれませんが、私が同じだと確信できれば、それは私にとって、相手が言っているとおりに感じていると知ったことになります。不確かですが、信頼関係が全てではないでしょうか。

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.1

 人の心は、千差万別、虚ろぎ易く、儚いものです。増してや、それだけ、自分の気持ちを相手に伝えることは困難といえるでしょう。  一心同体ということがありますが、それは目的がいっしょで、その目的のために皆が邁進している姿であります。  でも、人の心は測り知り難く、縁に触れ、変わってしまいます。  ただ、目とか顔、言葉、行体に、その姿勢というのが現れるといわれます。身・口・意の三業ということで、行体が意(心)を変え、口に出して言う事により行動もそのようになっていく、意志により行動が変わる等々、相互関係により変わるとされております。  まず、自分が固い意志を持ち、それを相手に言うことにより、相手がどう変わるかでしょう。  それを見ていることで、見えてくるものがあると存じます。  如何でしょうか?

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