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どうして、年上には「尊敬の念」を持って接しなければいけないのか?
どうして年上には「尊敬の念」を持って接しなければいけないのでしょうか?そんなに年上は偉いものなのでしょうか?確かに「技術」「知識」において凄い人はいます。そんな「凄い人」には「尊敬の念」を持って接しなければいけないというのは分かるのですが、そこまで「能力が無い人」にどうして「尊敬の念」を持って接しなければいけないのかが分からないのです。例えばイチローが凄いとして、イチローは50才のうだつの上がらないサラリーマンに、どうして「尊敬の念」を持って接するのか?先輩というだけで、そんなに偉いものなのでしょうか? 世間知らずなので宜しくお願いします。
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◆ 肉食獣や遊牧民の社会は、限られた草場を奪い合うイス取りゲームの社会です。先輩はおろか兄弟や親さえ互いにライバルとなって争うのです。 大きく見ても英雄がいないと群れごと全滅することだってあり得ます。年上を尊び年功序列でリーダーを作っていたら、強い英雄は生まれません。そこで肉食社会では全ての者を、平等対等に自由に競わせて、強い英雄を選びだす仕組みです。 逆に草食獣社会はリーダー不在の社会です。英雄も責任者も居ないので、何が起こっても誰も責任を取りません。今日本の社会は肉食民の制度を採りいれていますが、国の支配者の意識は草食民の江戸時代のままです。 ◆ 草食獣と草食の民は悪事は一切しないのに喰われるばかり。農民の心の支えが諦めの宗教と言われる仏教です。その暮らしの規範が儒教です。年長者を尊敬するのは儒教の基本精神のようです。 農民の生活を支える豊作は力ではなく、長老の経験と記憶だけが頼りだからです。種まきの時期一つ間違えても一家は飢え死にです。収穫は年に一度しかないからです。 その恐怖心の裏返しが年上尊敬(長老崇拝)の心ではないでしょうか。従って先輩を敬う心が強いのは、佛教や儒教思想の残る東南アジアに限られるはずです。 欧米のドラマが強調するのは「長幼の序」ではなくて、その逆の「子供を大人として扱う」シーンの方です。
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最近は、普通に生きている人でも突然死んでしまうことが多くなりました。(事故、病気、事件、etc) だから「一年でも長く生きれている」といういささか軍隊じみた「尊敬の念」を持っているからというのはどうでしょう。
- dulatour
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本来は、年長者は経験があり、経験を踏まえた判断によって適切な判断ができるために、それを尊重することが、自分の本当の気持ちから尊敬できたのでしょう。 ただ、現在は、社会のシステムが変わり、経験主義だけでは、その意見を尊重することはできません。 また、一般的に年功を積めば経験が豊富になるというのは個人差があります。そう考えると一般的に年功を尊重するというのは、経済効率からすると意味のないことです。 さて、とはいうものの、あなたより一年上の人間の人脈は、あなたより確実に広いはずです。と言うことを考えれば、その人脈を利用して更にあなたの人脈を増やしていくことが、あなたのためになるのではないでしょうか。 自分がのし上がるためには、幅広い人脈が必要です。
- lightgrid
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年上だからといって、尊敬の念を持って接する必要はないと思います。 しかし、そのようにいう人は、年下の人に尊敬の念を持って接して欲しいのでしょう。 戦前、日本は、江戸時代以来の伝統的な儒教の影響もあって、政府の政策で、そのような教育を受けさせられたのです。そのような考え方は、今でも残っているのだと思います。 年上には、尊敬の念ではなくて、人間として敬意を払えばよいと思います。 ですから、同年代の人や年下の人にも、同じく、人間として敬意を払う必要があると思います。
- 007yuuki
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べつに“尊敬の念”を持って接する必要は微塵もないでしょう。ただ、より生きやすくするために、“尊敬の念”を持ったフリはしたほうがいいと思います。世の中には“年上”ってことしか威張れるものがないのか、そういうかわいそうな人種もいますので、そういう人と衝突するのは百害あっても一利のないことですし、できるだけそのような無駄なトラブルを回避するためにも、“尊敬の念”を持ったフリして接した方がいいと思います。 要は“本音”と“建前”ですよね。心で舌を出しながら、顔は笑って頭を下げたりしておけばいいのではないでしょうか?もちろん付け上がってこない程度に賢く距離は保ちつつ・・。
- kneissl
- ベストアンサー率30% (97/320)
俺はあんまり詳しく知らないですけどね、これ、おそらく、儒教の考え方なんだと思うんですよ。 日本の道徳って割と儒教もとにしてるから、そういうとこから来てるんじゃないか、と。あんま知りませんけどね。 もう今の時代ですからね、別に「なければならない」で語る必要もないのかなと思うんですけどね。 「尊敬の念」は確かに持たなければならないかと言われると、俺はノーだと思いますけども、持ったフリをできるとやっぱり便利でしょうね。敬語と一緒ですよ。敬語喋れるのと喋られへんのやったら、やっぱり喋れたほうがいいわけでね。要は便利かどうかだけですけどね。中身なんて、確かめようないっすからね。だから、誰に対しても大上段に構えた態度でしか接せられないというのは、やっぱり生きにくいでしょうね。「尊敬の念」に対する反発から、余計にそれらを排除するのはあまり得策じゃないかも知れません。まあ、経験としては増えるかもしれないけれど、絶対必要なもんでもないかなと。ちなみに俺は、持ってません、まったく。
- Buddha1219
- ベストアンサー率11% (2/18)
実に尊敬できる先輩(先人)を持つ人はしあわせである。 かれは、自分の未来のすがたについて、そのあり得べきかたちと希望とをすでに見いだし、自分自身をよく信頼しており、また他の人々への信頼を確立しているとのであると言えるからです。 人は、ただ年長であるというだけで尊敬に値するのではない。 その人が、ひととして為すべきことを為し終えず、知るべきことを知らず、為すべからざることを為し、知るべからざることに執著しているのであるならば、それではかれはただ年老いて衰えただけの人であると知られ、結局は本人もそれを認めざるを得ないでしょう。 しかしながら、ここなる人が聡明であって、よく経験を積み、学識があって、為すべきことを為し、為すべからざることを為さず、知るべきことを知っていて、知るべからざることについての興味が無く、温和であり、争わず、弱き人・劣った者の言葉をこそ恕(じょ)し、自己を制した人であるならば、かれこそ尊敬に値する人であると知られ、尊敬の念を以て人々から多く迎えられることになるでしょう。 もしそれを、自らの身に体現することを願うのであるならば、尊敬すべき人を尊敬し、他の人の行為はさておき、(自らの)行為の帰趨をこそ能く識り明らめて、よく気をつけて人生を歩み、他ならぬ自らがまさしく尊敬さるべき人になるべきです。 ***
- bo-suke
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もう一つ宜しいでしょうか。 尊敬の念というのは、年配者だけではなく全員に対して持つべき行為だと思います。 自分より実力が上の人には素直に。 自分と実力が大してかわらない人にも、自分と違う場所で優れている場所はあります。 そういったものが少ない人も、そういったところで尊敬すべきだし、そうでなくても相手のいいところを尊重することで、他の所も改善する可能性があります。それをする気がなくても、人と接する時に相手を敬う部分があったほうが、互いに尊重する機会ができていい関係が築けると思います。 問題は、相手が尊敬の念を盾に嫌なことをしてきた場合ですね。 その場合は、「申し訳ありませんが・・・」「先輩のおっしゃることごもっともですが、宜しいでしょうか、実はこういったデータが出ておりまして、これを考え合わせると別の結論に達します。どうお考えでしょうか・・・。」などと、上手くやる方法はいくらでもあるのです。少し抵抗を感じるかもしれませんが、これができると、「あの駄目な先輩にきちんと礼儀正しく接することができるのか」と評価も上がります。また先輩を立てる姿はそれをのぞいても立派な行為だと思いますよ。 こういったことを頑張ると、もう一段階上の人間になれますから、そういったことも含めて、「尊敬の念」を大いに活用してみる、というのも一意見としてあるのではないでしょうか。
- chibakenn
- ベストアンサー率23% (8/34)
すべての人に尊敬の念を持つということは、私にもできません。普段、口には出しませんが。 けれども社会人としての一般常識として、最低限のルールとマナーは守ったほうが良いと思います。 年上の人に対するタメ口は、単なる甘えとしか思えません。挨拶もしっかりしたほうが良いと思います。 たとえどんな人にでもです。能力が自分より劣っていると思った人にでもです。
- chibakenn
- ベストアンサー率23% (8/34)
すべての人に尊敬の念を持つということは、私にもできません。普段、口には出しませんが。 けれども社会人としての一般常識として、最低限のルールとマナーは守ったほうが良いと思います。 年上の人に対するタメ口は、単なる甘えとしか思えません。挨拶もしっかりしたほうが良いと思います。
- mehendy
- ベストアンサー率53% (16/30)
質問から、会社の先輩か上司とトラぶった感がありますが、まあ自分もそんな凄い人間ではないのだから気軽にやりましょう。 会社やご近所で人と付き合うとき「敬意の念」は必要だと思います。うまくやってください(笑) すごい人なのかどうか以前に、だったら年下だから蔑むかどうかです。人を見えている部分だけで自分の判断材料にするのは情報不足でしょ。 その人のすべてがわかったわけではないんだから、とりあえず自分より長く生きているということは、多く物を考えたり見たり経験したりしてるはずだから、敬意は払ってよいのでは? 私は年齢や肩書きは関係なく一人の人間として付き合いたいと思っていますが、先生がつく職業や、会社の上役のような仕事をしている方には、プライベートでもついこだわってしまう人も多いようですね。だからそういう人とは友達になれません。だからと言って誰にでもタメ口もかっこ悪いでしょ。大人だから。どんな相手にも敬意を払って丁寧な話し方をするのが、相手を知る始まりだと思います。 私が凄いと思う人は、生きてる長さじゃなく内容だと思うので、人がどうでも自分の為に日々充実して明日を迎えたいですね。 私は、偉ぶりたい人には威張ってもらって、押し付けてくる方とは最小限のお付き合いに控えています。時々鬱憤晴らしに、肩書きに頼らないと自己評価できないかわいそうな人だと心の中で哀れんだりしてね。
お礼
「先輩を敬う心が強いのは、佛教や儒教思想の残る東南アジアに限られるはず・・・」なるほど!!!とりあえずは、納得させられるな~。ありがとうございます^^