• 締切済み

「精神の病」としての絶望

 先日、学校の授業で、キルケゴールの著書、「死に至る病」の中で述べられている「絶望」における3つのケースというものが取り上げられました。とりわけその中でも、「絶望して、自分自身であろうと欲する場合」についての説明が、私にはどうも納得のいくものではありませんでした。・・・というか、先生の説明が難しすぎて理解できませんでした。  そこで質問なのですが、「精神の病」としての絶望、とは何のことでしょうか?また、何故この場合(絶望して、自分自身であろうと欲する場合)の「絶望」が、「精神の病」としての絶望にあたるのでしょうか?  分かりにくい文章ですみませんが、どうかよろしくお願いしますm(_ _)m

  • tkzoi
  • お礼率100% (2/2)

みんなの回答

回答No.2

>絶望の3つのケース 1) 絶望の内にあって自己をもっているということを意識していない場合(非本来的絶望)。 2) 絶望して自己自身であろうと欲しない場合。 3) 絶望して自己自身であろうと欲する場合。 1)と2)は理解できてますね? 実は自殺を罪としない国である日本人としては2)の絶望までしか理解できなくて当然なのです。 「絶望とは死に至る病である」これは、新約聖書にある「これは死に至る病ではない」という言葉の裏返しです。 肉体的な病は精神的な死には至らない、しかし絶望は精神的に人を死に至らしめるのである、という考えがベースにあります。 (そしてキルケゴールは「人間は精神である」と定義しています) キルケゴールは絶望とは(キリスト教的な)罪である、と言っています。その理解に立てば「キリストに救ってもらえるという希望を失った状態(絶望)=キリストを信頼していない状態=罪」なのです。ですから、キリスト教哲学によれば2)からくる自殺も罪です(今でもカトリックが盛んな国では自殺者は教会の墓地に埋葬されない場合があります)同時に3)の自己に執着する姿勢も罪なのです。何故ならキリストに頼らないで自分を自分で絶望(罪)から救おうとしているからです(キリスト教は、特にルター派は他力本願ですからね→キルケゴールもルター派です) と、いったようにキルケゴールはキリスト教の影響が濃い哲学なので、理解するにはキリスト教の教義を知っている方が有利でしょう。 でも、キリスト教徒でなくても3)の絶望をある程度は理解できます。即ち、今の自分の実力や現状に失望した人が完璧な(本来の理想である自分)自分自身になろうと欲する場合は結局終わりが無いからです。試験に合格する程度の低い目標ではあれば、終わり(完成)がありますが、自らを高めるという作業には終わりが無いし、しかも寿命は有限です。その虚しい作業は絶望です。目的意識の低い人はこの手の絶望に関わる事は一生涯ありません(その人は1)の絶望しか知らないのです) SMAPの「世界に一つだけの花」を聞いて肯く人は3)の絶望とは無縁でいられるのですよ、今のままの自己を肯定するのですからね。 ※哲学科の人なら「死に至る病」は全部読んだ上で考えをまとめた方が良いと思います。また、これらの回答を元に学校で先生に解答しても単位は保障できません(笑)

tkzoi
質問者

お礼

 返信に対するお礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。キリスト教教義の視点にたった、非常に簡潔で分かりやすい解答、ありがとうございました。

回答No.1

精神の病といっても、種類はたくさんあります。 うつ病など・・統合失調症など。 私が考えるに、精神病になると、精神がパニック状態を起こして 理性を保てなくなるからではないでしょうか?; 気分が落ち込み、どんどん悪い方へと考え、自分に絶望し、 そして自分が自分ではなくなるような恐怖感が、自分自身を欲するように なってしまうのでは・・。 なんだか難しくてよく分かりませんが・・; これで納得がいくとは思いませんが、少しでも役にたてる回答だったら 良いと思います;

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/gatagoto/
tkzoi
質問者

お礼

 私が考えていた解答の方向性とは違う、新しい考え方ですね。参考にさせていただきました。ありがとうございました。あと、お礼をいうのが遅くなってしまって申し訳ございません。

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