食事に求める美味しさの変遷。
農業カテで戦国時代の米が旨かったかという質問があり、味の具体的な違いも知りたいところなのですが、現代人はかなり美味い不味いで食生活を取捨選択していると思います。
歴史的に旨さの価値はどれほどあったのでしょう。皆無という事であれば旨さの格差が人間社会に与える影響も無かった事になります。
当方塩すら要らない味覚段階ですがお節料理はいかに空腹でも旨いと思えません。素材を殺すように不味いです。ごった煮の方が旨いです。人並みに手をかけたものの味を知っているせいか今の私の口には気取って手をかけたものほど不味い傾向にあります。甘党ですが昔は喜んで食べてた金平糖など口に入れたくもありません。どうも食の粗末な時代の人々と旨さの価値が交錯するのです。だから昔の味覚の実際は歴史的な問題が大きいのではないかとの思いに至りました。つまり日本人の味覚は生物学ではなく、かなり日本史的な性質ではないかと。美味さの感覚は後天的な化けの皮が厚くその価値観は積層的。
個人的には、河豚の旨さなんかは終生意味不明です。霜降り和牛なんかゲロですね。和食の肉料理進出で世界の味覚が狂い出したと思います。(和食)料理人の出自(やお客の対象者)が貧乏人という流れの歴史でしょうか。
出来るだけ食料品不足に逃げない視点でご教授いただきたいです。漠然としていますが宜しくお願いします。
お礼
ありがとうございました