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文章の一部

日本語を勉強しています。 「長い間、駅員をしてますとね。いろんな人生の場面を目撃することになります。出会い、別れ、喜び、悲しみ……少々のことじゃおどろきません。いつごろからですかね…。お客さんと私の間にね、見えないレールを敷いてしまうんですよ。お客さんの人生には立ち入らないようにね。私なんぞは、ただの駅員。そういう生き方が楽なんですかね。それでもね、心のふみきりが痛むときはありましたよ。戦争中のことでしたね。あのころは、つらい場面が多かったです…。いや、その話は、またの機会に…。」 「長い間、駅員をしてますとね」の「とね」は、どういう意味でしょうか? 「少々のことじゃおどろきません」は、どう理解すればいいのでしょうか?特に「少々」のあたりの意味はよくわかりません。 「いつごろからですかね…」の「かね」は、どういう意味でしょうか? 「そういう生き方が楽なんですかね」の「かね」は、どういう意味でしょうか? 「心のふみきりが痛むときはありましたよ」という話は、どういう意味でしょうか?「ふみきり」は、どういう意味でしょうか?

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

1、本来は「長い間、駅員をしてますと、いろんな人生の場面を目撃することになります。」という文章です。 【長い間、駅員をしてますとね。】と余韻を持たせて一旦区切ることで、後に続く内容に期待を持たせ、注目してもらうための表現方法と考えて良いと思います。 この場合は「【いろんな】人生」という点に注目して欲しいわけです。 「恐る恐る箱を開けてみました。そうすると、大きな蛇が入っていたんです。」と言うよりも、 『恐る恐る箱を開けてみました。そうするとね。大きな蛇が入っていたんです。』と言うほうが、 「【大きな】蛇」だったことに注目して欲しい気持ちが、より強く伝わるはずです。 2、「非常にうれしい場面・とても悲しい場面」を目撃してきたという意味です。 そのような【極端な場面】を何回も見慣れてしまったので、「少しうれしい場面・少し悲しい場面」ぐらいでは、普通の人ほど感動したりしない。 ということです。 『私は、子供の頃から真冬でもいつも半袖シャツ一枚でした。少々のことじゃ寒がりませんよ。』などとも言います。 3、この場合の「かね」は「自問」です。 「・・・」で少し考えた事を表わしていますが、結果としては思い出せなかったわけです。 しかし、本筋には影響が無いのでそのまま次の文章へと移行しています。 「いつごろからですかね…。そう言えば2,3年前ぐらいからでしょうか。」というような、「自答」が加わる展開になっても不自然ではありません。 4、この場合の「かね」も3と同じですが、「自問自答」まで含んでいるニュアンスを持っています。 「そういう生き方が楽なんでしょうね」と言っても不自然ではない場面です。 5、主人公は、お客さんの人生に立ち入らないためにお客さんとの間に「見えないレール」を敷いて、『お客さんの心の方へ簡単に渡れないようにしていた』わけです。 しかし、そのように決めていたにも拘わらず、どうしてもレールを渡ってお客さんの心の方へ歩み寄り、辛い気持ちを共有してあげたくなるような出来事はありました。 ということでしょう。 レールを渡るには踏み切りを使う必要があります。 「渡らないと決めた時の気持ち」と、「渡って辛さを分かち合ってあげたいという気持ち」が踏み切りの手前で綱引きをしていたのです。 それゆえの「痛み」ですね。

habataku
質問者

お礼

hakobuluさんのご回答も拝見いたしました。 例は、面白くて、わかりやすいです。 詳しく教えていただき、どうもありがとうございました。 ーーーーーーーーーーー いや~、心の底から感謝いたします。 いろいろと勉強になりました。 皆様、どうもありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • megukoko
  • ベストアンサー率57% (26/45)
回答No.5

「駅員をしていますとね」の「ね」に意味はありません。言葉の調子を整えるために、文章の途中の切れ目に差しはさむ言葉です。 本来この文章は、「長い間、駅員をしていますと、いろんな人生の……」という一続きの文章です。 駅員さんの柔らかい語り口を表すために、「ね」をはさんでわざと文章をきったのではないでしょうか。 この「ね」は、「お客さんとの間にね、」の「ね」と同じものです。 「少々の……」は、《少しぐらいのことでは驚かない》という意味です。お客さんのいろんな人生の場面=出会い、別れ、喜び、悲しみを長い間見てきたので、お客さんの人生のどんな場面を見せられても驚かなくなった、ということです。 「いつごろからですかね…」の「かね」は、質問です。「いつ頃からでしょうか?」と聞いているのです。「そういう生き方がラクなんですかね」の「かね」も同じです。 では、誰に聞いているのかというと、自分に聞いているのです。 自分で自分の心の動きがよく分からないことってありますよね。そこで、「いつごろからですかね」と自分に聞いて、「自分でもよく分からないんですけどね」と答えを出します。文中では答えの部分は省略されていますが、「いつ頃からですかね」と自分へ問いかけることで、聞き手に、「そのあたりの心の動きは、実は自分でも分かりかねるんですけどね」ということを伝えるのです。 「心の踏切が痛むときはありましたよ」は、お客さんの人生には立ち入らないようにしてきたけれど、お客さんのあまりにもつらい場面に、思わず立ち入りたくなるときがあった、ということです。 駅員さんは心の中で、お客さんと自分との間に見えないレールを敷いています。つまり、お客さんと自分は、レールの向こうとこっちに居て、間には遮断機の下りた踏切があって、自分はお客さんのところへ行くことはできないのです。なんのためにそんなことをするのかというと、お客さんの人生に立ち入らないようにするためです。 その「踏み切り」を思わず開けてしまいそうになるくらい=立ち入るまいとしたお客さんの人生に立ち入ってしまいそうになるくらい《心が痛んだ》…ということを、「心の踏切が痛む」という言葉で表現しているのです。

habataku
質問者

お礼

megukokoさんも「踏切」について、また新しい考えですね。わかりやすくて、納得できます。これは読みの面白いところなんですね。 ご丁寧に教えていただき、どうもありがとうございました。

回答No.4

「とね」「かね」は話し言葉として使われていますが、 「駅員をしてますとね」「駅員をしてますとね~」などは、「駅員をしていると ですね~」と、「駅員をしている」という状態を強調したり、相手に印象付けたりする効果があります。 「そういう生き方がらくなんですかね」の「かね」は「そういう生き方が楽なんでしょうかね~」と「楽なんでしょうか、どうでしょうか」と相手に自分の考え方を伝えながら、相手の気持も訊いている言葉遣いです。 「少々のことじゃあ」は言い換えると、「ちょっとしたことでは」「ちょっとやそっとのことでは」などになりますが、「みんなが驚くようなことでも」「少しぐらいのことでは」「よほどじゃないと」「普通のことでは」「あたりまえのことでは」などの意味で使われていると思います。 「心のふみきり」とは、「心の中にふみきりがあるわけは無く、心の中の或る部分というより、心そのもの」を意味していると思います。 駅員にとって「踏切り」は、通行人にとっても、自動車にとっても、電車にとっても、すべてにとって非常に重要なものです。心の中の重要なものが痛むということは、心そのものが痛むという、鉄道関係者ならではの比喩ではないでしょうか。 航空関係者であれば「心の中の管制塔が傷む」とか、「心の中の滑走路が痛む」と言うかどうかは分かりませんが、その人にとって大切なものを「踏切り」のところに置き換えることが出来るのではないでしょうか。

habataku
質問者

お礼

最後の一段、面白いですね。 「踏切」の意味について、思わず「へ~こんな考えもできるんだ」と感心しています。 shigure136産、どうもありがとうございました。

  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.3

と、ね と、分けてみるとわかりやすいでしょうか。 長い間、駅員をしてますと、ね(こうして離して言う人もいますし、とね、と続ける人もいます。気分です) 少々のこと……料理の時に、塩を少々、などという表現があります。 どれくらいか、具体的数値にはならないけれど、ちょっとはある、ぐらいの量です。 ちょっとした出来事では驚かないという意味です。 後の、そういう生き方が楽なんですかね……は、かねぇ……と、同意を求めているようにも解釈できます。 たいてい、自問自答です。 心の踏切 踏切(鉄道)には遮断機がつきものですから、きっと、他人と自分の心を隔てるものを例えたのでしょう。

habataku
質問者

お礼

memokoさん、回答どうもありがとうございました。 助けていただき、本当にうれしいです。

  • sak_sak
  • ベストアンサー率20% (112/548)
回答No.2

「少々のこと」=「些細(ささい)なこと」という意味です。 直前の「出会い、別れ、喜び、悲しみ……」のことを指していると思います。 「ふみきり」はご存知ですよね。電車・列車が通るときに道路の通行を妨げるものです。 駅員さんの心の中で「お客さんの人生には立ち入らないように」する気持ちが働いているわけですが、その気持ちの動きのことを言っているのでしょう。 お客さんのつらい場面を見てしまい、自分もつらかったということだと思います。

habataku
質問者

お礼

いろいろ教えていただき、心から感謝しています。 どうもありがとうございました。

  • sak_sak
  • ベストアンサー率20% (112/548)
回答No.1

「ね」は会話の中で使われる言葉で、特に意味は無いです。 「とね」→「と」、「かね」→「か」と置き換えても意味は変わらないと思います。 「ふみきり」に特別な意味はありません。 鉄道関係の方の話のようですから、何かにたとえているのだと思います。

habataku
質問者

お礼

sak_sakさん、早速返事どうもありがとうございました。

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