• 締切済み

志を持っている人を信じられない人

私は世の中には、例えお金がからんでいても、人生の目標を人の幸せのために!と心に秘めている志を持った一般に言う大物だっていると思います。 前にそんな話をした時がありましたが、全面否定されました。 なぜ信じられないのでしょうか?全く理解できません。 こんな人達ばかりなのかと思いました。 『知らないというのはある意味幸福なんです。 物を考えないというのも楽で幸福です。』と・・・ なんの証拠もないのに、なぜそんなことが言えるのでしょうか? 確かに私もありませんが。。。

みんなの回答

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.16

「人生の目標を人の幸せのために」 ということは、その人物にとってのやりたいことがそれである、ということです。 やりたいことをやるのが人生であり、それがテロであっても救命であっても、価値は同じです。 「これ以上人類をはびこらせると地球は終わってしまう、だから人類を絶滅させる」 のも大物かもしれません。 大儀が大きい分だけ、「この養護施設に来る人たちを1人でも幸福にしてあげたい」人より、大物かもしれません。 志、などというものは他人が価値を測れるようなモノではないです。 みんなやりたいことをやるのが人生であり、あなたの人生も「大物」の人生も、他人が価値をつけることは不可能です。 価値を他人に押し付けたあなたの言うところの「大物論」が否定されたのです。 あなたはあなたの信じる価値で確固として生きるしかないのだから、 まだ同調する仲間を募る時期ではないという証です。 毅然と生きていれば、仲間は勝手に集まってきますよ。

  • chironero
  • ベストアンサー率11% (23/200)
回答No.15

人生の目標を人の幸せのために、或いは、志を持ってと云う事は、その人の『心』の持ちようであって、これを敢えて『大物』と云うのは当たらないと思います。それと、あなたの質問には『何』を答えて欲しいのか良く解りません。今一度整理をしてみては如何ですか。

  • netcatme
  • ベストアンサー率20% (76/371)
回答No.14

>なぜ信じられないのでしょうか?全く理解できません。 >こんな人達ばかりなのかと思いました。  「人生の目標を人の幸せのために!と心に秘めている志を持った一般に言う大物」もいるでしょうし、人を信じないという信念を持った人もいるでしょう。「こんな人達ばかりなのかと」思ったら同類になっていまいますよ。 >『知らないというのはある意味幸福なんです。 >物を考えないというのも楽で幸福です。』  まあ、ものは言い方です。この手の文章は幸福を不幸に置き換えても成り立つものです。哲学カテゴリーらしく定義をしっかりしたら言葉が通じるのではないかと思います。幸福とはストレスや苦痛がないことと定義したら、ほら成り立ちませんか。

noname#100659
noname#100659
回答No.13

たくさん回答がありますね。 きっと参考になる回答も多いと思うのですが、多いので目を通していません。既出でしたらご容赦ください。 >例えお金がからんでいても、人生の目標を人の幸せのために!と心に秘めている志を持った一般に言う大物だっていると思います。 大物か小物という価値判断は微妙な場合もあるとは思うんですが、 そういう人がおられることは事実だと思います。でも、理解はされにくいと思います。 江戸時代の話で古いのですが、有名な画僧がいたそうです。彼は、絵を高額で売っていたので、僧侶でありながら高額なもうけをとることで批判されてました。でも、そのお金は私腹を肥やすためではなくて、飢饉や災害の時に、貧民救済に使うためのものだったのです。 でも、飢饉が起きなければ、分かりませんでしたよね。それに、実際に救済しても、最初から救済に使う気はなかったに違いない、という人もいますでしょうし、こうなってくるとその人の本意を、明らかにするのはかなり難しいと思います。私自身は批判されまくっても、ぜいたくもせず貯金をしていた彼は(このへんが守銭奴としてまた批判されたらしいです)、最初から社会事業のことを考えていたと思います。 一般にお金がからむと、最初は遠大な理想を持っていても、私利私欲に走りやすいというのも、誤解を受けるもとになっていると思います。 >『知らないというのはある意味幸福なんです。 物を考えないというのも楽で幸福です。』と・・・ こんな風に決めつけて言うのは、どうかと思う場合もあるんですが、 「ある意味」なので、その人だけにとってそうだということなのだとすると、そうかもしれません。 私の場合だと、他人の本音なんかは、知らない方が良い場合もあるように思います。たとえば、顔が嫌いとか、そんな理由で嫌われてるのを知るのはかなりショックですし、思ってもいないような陰口もショックです。でも、これだって、いつも知らない方がいいとは言えないと思います。どうしても、たとえ傷ついても、知りたいと思うことだってあると思います。知らない苦しみよりも、知ってしまう苦しみの方を選択したい場合だってあると思います。たとえば癌の告知をして欲しいと思う人と、して欲しくない人といると思います。私は、今現在はして欲しいですけれど、その場になると変わるかもしれません。もちろん、人によっても違うと思います。そんな感じのものではないかと思うので、あくまでも「ある意味」でしかなくて、確定したような言い方には、適当に言ってるとしか思えません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.12

「志」とは何か。「人の幸せのため」とは何か。といったようなことを少し考えさせられました。 まず、「>志を持っている人を信じられない」というのは至極当然のことだと私は思います。 「志」は「結果」でしか証明できないからですし、何と言っても個人の自己表現にすぎないからです。 無論「>こんな人達ばかり」ということはないでしょう。 あなたと同じ自己表現の方法を取る方もいらっしゃるはずですから。 他は具体的な結果の積み重ねによって、その志の意義を証明していくしかないでしょう。 焦る必要はありません。 釈迦もキリストもその考えを広めるのには長い年月を要したはずです。 さて、実は私がここで言いたいことはもう少し別のことです。 >前にそんな話をした時がありましたが、全面否定されました。 :ここに危うさ・未熟さを感じます。否定されるような話し方よりできなかったことについての反省はありますか? あなたの自己実現に他人を付き合わせようとしただけではないのですか? であれば、「志」を理解できたとしても共に行動することは拒否されるでしょうね。 逆の立場になってみればわかることです。 >なぜ信じられないのでしょうか?全く理解できません。 :意見が違えば、人の気持ちが理解できないのですか? 異質なものを理解しようとする勇気(あるいはキャパシティ)の不足こそが、根源的な人間の不幸ではないでしょうか。 『知らないというのはある意味幸福なんです。物を考えないというのも楽で幸福です。』という人がいても仕方ないのではありませんか? 人は自ら変革できる生き物です。そういう人がどのような過程を経て、あるいはどのようなきっかけで他者へ思いを致すことができるようになるのか。 これも「人の幸せのため」に考えてみる価値は大いにありそうです。 人間の幸せ、人間の真に求めているもの。それは何でしょうか? 一切れのパン・一枚の毛布が緊急的に必要とされることを否定するものではありませんが、根本的には自分で自分を認識できる精神のゆとりが持てるということではないでしょうか。 昔の人の言葉ですが次のような箴言もあります。 『力無き正義は弾劾される』 ご自愛ください。

manabu3345
質問者

お礼

>まず、「>志を持っている人を信じられない」というのは至極当然のことだと私は思います。 「志」は「結果」でしか証明できないからですし、何と言っても個人の自己表現にすぎないからです。 なるほど・・・ >無論「>こんな人達ばかり」ということはないでしょう。 あなたと同じ自己表現の方法を取る方もいらっしゃるはずですから。 なるほど。 >他は具体的な結果の積み重ねによって、その志の意義を証明していくしかないでしょう。 焦る必要はありません。 釈迦もキリストもその考えを広めるのには長い年月を要したはずです。 確かにそうですね。 >さて、実は私がここで言いたいことはもう少し別のことです。 >前にそんな話をした時がありましたが、全面否定されました。 :ここに危うさ・未熟さを感じます。否定されるような話し方よりできなかったことについての反省はありますか? ないとは言い切れません。 >あなたの自己実現に他人を付き合わせようとしただけではないのですか? であれば、「志」を理解できたとしても共に行動することは拒否されるでしょうね。 いえ、付き合わせようとしただけというのは思ってもみませんでした。 >>なぜ信じられないのでしょうか?全く理解できません。 :意見が違えば、人の気持ちが理解できないのですか? 今は信じれない相手の気持ちは理解しました。 しかし、お互い理にかなった話をしているのに、絶対にいないとは理にかなっていないと思いましたし、反論といえば『知らないというのはある意味幸福なんです。物を考えないというのも楽で幸福です。』と、なぜそうなるのか、とその時は理解できないと思いましたが、彼らなりの言い分だったんですね。 >異質なものを理解しようとする勇気(あるいはキャパシティ)の不足こそが、根源的な人間の不幸ではないでしょうか。 『知らないというのはある意味幸福なんです。物を考えないというのも楽で幸福です。』<制限省略;;> これも「人の幸せのため」に考えてみる価値は大いにありそうです。 そうですね。しっかり考えてみます。 >昔の人の言葉ですが次のような箴言もあります。 『力無き正義は弾劾される』 ご自愛ください。 ご自愛します。ありがとうございました!!

  • 1941
  • ベストアンサー率14% (4/28)
回答No.11

私は、自分のしたちょっとした行為で人が喜んでくれたりよかったなーと思ってくれたとき充足感と幸せを感じるときがよくあります。  多くの人の心の中には、人のために役に立ちたい、と言う気持ちがあると思います。ただその気持ちが祖直に発揮できない社会的制約があまりに多いのだと思います。     1・厳しい生存競争のなかで人のことなど考えている余裕は無い。と  言う思い込み。[日本はまだまだ開発途上国で社会資本、保険制度  の遅れはとても先進国とは思えない。]  2・これは歴史、風土の影響ですが、極東の島国のため国際社会の影  響が少なく、箱庭の中での縄張り、利権争いに関心が集中せざるを  得なかった。[私は、日本人は、目先の小さな損得、面子に異常に  こだわる心の貧しい人が多いと思います。]    このような日本人の精神的風土は、消して日本人の本来的性格で   はなく歴史的、社会的条件から規制されたものだと思います。

manabu3345
質問者

お礼

>私は、自分のしたちょっとした行為で人が喜んでくれたりよかったなーと思ってくれたとき充足感と幸せを感じるときがよくあります。 素直に素晴らしいと思います。 >多くの人の心の中には、人のために役に立ちたい、と言う気持ちがあると思います。ただその気持ちが祖直に発揮できない社会的制約があまりに多いのだと思います。 確かにそうですね。なるほどです。    >1・厳しい生存競争のなかで人のことなど考えている余裕は無い。と言う思い込み。[日本はまだまだ開発途上国で社会資本、保険制度  の遅れはとても先進国とは思えない。] 2・これは歴史、風土の影響ですが、極東の島国のため国際社会の影響が少なく、箱庭の中での縄張り、利権争いに関心が集中せざるを得なかった。[私は、日本人は、目先の小さな損得、面子に異常にこだわる心の貧しい人が多いと思います。] このような日本人の精神的風土は、消して日本人の本来的性格ではなく歴史的、社会的条件から規制されたものだと思います。 なるほど。確かに共感します。 どうもありがとうございました!

noname#31063
noname#31063
回答No.10

おはようございます。昨日は回答して正解と思いました。自分の感性の鈍さが解って良かったのかもしれません。 >世の中うまいことなっていると思います。いろいろな問題があるのになにがうまいことなっているだ!と言われるかもしれませんが… 本当にうまく行ってますよ。スラムでゴミ拾いをしている親子の笑顔が素晴らしく笑い方を教わった事、宿代を浮かす為にスラムに住んでみたら逆に励まされたりしたこと。路上で手を伸ばし死んでいる少年の横を牛が通る。友人は良い写真がとれたと喜んでいました。死を待つ人の家でボランティアを申し出たのに馬鹿な日本人と見られ(間違いではないが)断られたこと。私は偉くなる資格はないようで、でも世界中の貧しさが私をいつも励ますよ。何も力がなく自分が満足したいだけで、これも心の貧しさです。富めるものは満足せず、奉仕をして下さい。私の力量では奉仕することすら差し計れないのです。 一生偉くも余裕のある生活も出来ない。私の考え方に共感したら先人が苦労して作り上げた文明が滅びます(笑)でも人生が面白かったらよい? 

manabu3345
質問者

お礼

再度ありがとうございます! なるほど・・・共感して頂いてありがとうございます! どうもありがとうございました!

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.9

質問者様の嘆きはよく分かります。 しかし「例えお金が絡んでいても、人生の目標を人の幸せのために!と心に秘めている志を持っている人」が非常に少ないのが「この世の中」です。 だから以前のご質問の回答者さんの中にもそういう少数派がたまたま居なかったわけです。 人は自分のことしか理解できません。 自分の考え以外の考えは理解したり、説明したりすることができないのです。 そして人は自分と同じような波長の、気の合う人を友だちに選びます。 だから、奉仕することに全く興味の無い人に、奉仕することに自分の人生の意味を見出している人が、親しみを感じて友人になりたいと近づいてくることはないでしょう。 だから、奉仕に興味の無い人の周囲に奉仕者がいる可能性は皆無とは言えないにしても、低いです。 ですから自分と自分の周りの状況をみて 「そんなキトクな人はこの世にいない。」 となるのではないでしょうか。 質問者様はきっと「例え、お金が絡んでも、奉仕を喜びにしよう!したい!」と考えている方なのでしょうね。 いますよ!質問者様のような方は少ないけれど確実にい ます! そういう方は真の魂の永遠の喜びを知っている幸せな方です。 霊的に1歩も2歩も先を歩む方です。 一般の人々の手本となり、目標となるべき使命を負った方です。 時代の霊的進化を先取りしている方です。 だからこそ、少数派で心細くもあるのです。 でも、周りを気にせず信念を貫いてください。 貴方様の目に見えない味方、応援者がきっと沢山いるはずです。 そういう方々からきっと力強いパワーが注がれているはずです。送られてくるはずです。 一般受けはあきらめて下さい。 先を歩む人は常に大変な辛さと心細さ、孤独をかんじるものです。 でも、一人ぼっちではありませんよ。 目に見えない応援が私には感じられます。 「証拠はありません」が、確信があります。 月並みな言葉ですが、頑張ってください!

manabu3345
質問者

お礼

>質問者様の嘆きはよく分かります。 ありがとうございます;;;; >人は自分のことしか理解できません。 自分の考え以外の考えは理解したり <省略>(制限です;;) ですから自分と自分の周りの状況をみて 「そんなキトクな人はこの世にいない。」 となるのではないでしょうか。 なるほど・・・納得しました。 >質問者様はきっと「例え、お金が絡んでも、奉仕を喜びにしよう!したい!」と考えている方なのでしょうね。 そうなんです!私は例えお金が絡んでも、目的は奉仕、この一点は絶対に変えません。 私が富を稼いでいるのをよそに『アイツは金の亡者だ』と言われても、私も本当にそれが目的ではないと言い切れます。 しかし、現実はなんと否定的なんでしょう。悲観的に感じてしまいます^^; >いますよ!質問者様のような方は少ないけれど確実にい ます! そういう方は真の魂の永遠の喜びを知っている幸せな方です。 霊的に1歩も2歩も先を歩む方です。 一般の人々の手本となり、目標となるべき使命を負った方です。 時代の霊的進化を先取りしている方です。 心に感動が流れました。。。ありがとうございます;; >だからこそ、少数派で心細くもあるのです。 でも、周りを気にせず信念を貫いてください。 貴方様の目に見えない味方、応援者がきっと沢山いるはずです。 そういう方々からきっと力強いパワーが注がれているはずです。送られてくるはずです。 うんうん><ありがとうございます。一つ一つの文章が本当に本当にありがたいです。 >一般受けはあきらめて下さい。 先を歩む人は常に大変な辛さと心細さ、孤独をかんじるものです。 でも、一人ぼっちではありませんよ。 目に見えない応援が私には感じられます。 そうですね^^;一般受けはもう諦めました!今ここでです!諦めた!!! 私にも見えない応援・・・なんとありがたい>< >「証拠はありません」が、確信があります。 月並みな言葉ですが、頑張ってください! 確信ですね!! いえいえ、月並みだなんて・・・その一般に言う月並みの言葉が、とても心温かく感じます^^ 本当に本当にありがとうございました!!!

noname#50219
noname#50219
回答No.8

心に張った一張りの弦で、木の葉の衣擦れを、聴くことができる。志は、そういう意味も持ってる。 志は、耳ではないかな。 静かな耳。 喋る耳は、周りの声を聴けない。 静かな耳に話をすれば、ふと解を得る。話をした人が、自分の声を聴くから。 志の在る者は、自ら動くのでなく、その周りが自然に、動いてゆく。 だから、ゴーイングマイウェイに見えちゃう。当人は動かないから。違うかな。 >『知らないというのはある意味幸福なんです。 物を考えないというのも楽で幸福です。』   静かな耳は、それ自体は、何も知らないし、考えて居ないともいえるかなあ。聴いているだけで。木の葉は彼に、何を聴くのだろう。波は彼に、何を聴くのだろう。彼はどんな音を聴いているのか、耳を澄まして尋ねてみたい。

manabu3345
質問者

お礼

>静かな耳は、それ自体は、何も知らないし、考えて居ないともいえるかなあ。聴いているだけで。木の葉は彼に、何を聴くのだろう。波は彼に、何を聴くのだろう。彼はどんな音を聴いているのか、耳を澄まして尋ねてみたい。 なんと詩的だろう・・・素晴らしい><そういうの大好きです! ありがとうございました!

noname#34252
noname#34252
回答No.7

少し遠回りですが、日常的なところで思う事ありますよ。 他人の子供に犬(=子分)をけしかけては、嫌がらせをしては気に入らない従業員を退職に追い込む管理職のやり方は、近年に限らず世の中では”普通にある”事だと思います。 最近ですが、この”他人の子供に犬をけしかけて退職に追い込む”やり方について、ここで質問をしたら「特定世代を中傷・非難するものだ」との回答もあり、早々に削除されました。 その後、少し自分の疑問を再考したのですが、どうもまとまりません。 ”従業員を辞めさせる能力の無い者は管理職職に向いていない。 なぜなら会社の利益を守れないからだ”という意見もあるようです。 ですが、実際は利益とは関係無く、嫌がらせ退職させた後で外注化して低額発注で受注させるという、やり方が(地方ですが)国の予算関係(土建屋)では、あたりまえになっていたものの、労働運動が下火になったせいか民間事業に当然の様に普及したものだ。 と聞いておりました。 ”子分を使った嫌がらせ退職”は本来「強制退職」を「自主退職」に置き換える手口になるはずですが、さっぱり法的・社会的問題として取り上げられません。 こうしたやり方に対しての対抗手段はもはや存在し無いのでしょうか。 下請けが低賃金でコスト削減している間、予算関係者はゴルフなどで遊んでいる程度なら可愛いくらいで、女性従業員との噂なども絶えません。 挙句に低額受注に耐えられず、営業・事業機会を切替える動きをすると”相手先への妨害行為”を働きます。 しかも法家は「我関せず」です。 これは政治・行政の問題であるため、法家は国の予算関係者を庇うだけでしたが近年は民間事業にも普及し(ソフト関連がひどかったと思います)、強制労働の意味を法家は理解しません。 「拉致問題」と同様の問題が「絶えず存在する」世の中であるならば「子供達の、未来の・・・」という建前は、実体の無い政治口上にしかならないでしょう。 世の中は右傾化した馬鹿と、自分と自分の家族さえ良ければ良いと考える間接殺人者しかいないのです。このまま景気が良くなれば「全ては忘れる」べきことになってしまう気がするので投稿します。 イラク参戦も痛手は無かったのだから憲法改正が正しいとう訳です。 実際私も、自分がどう考えたら良いのか分からないのです。 「信じられない」のでは無く、「そんな馬鹿もいるが我関せず、質問があったので批判回答しておこう」が世の人達なのだと思うこの頃です。

manabu3345
質問者

お礼

>実際私も、自分がどう考えたら良いのか分からないのです。 「信じられない」のでは無く、「そんな馬鹿もいるが我関せず、質問があったので批判回答しておこう」が世の人達なのだと思うこの頃です。 参考になります! 確かに!そういうものですよね!あんまり深く考えないようにします! ありがとうございました!

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