• ベストアンサー

「那个人坐在門外」と「那个人在門外坐」

不特定の物体の存在に気付いたというときは、いわゆる存現文を使って、 (1)門外 坐着 一个人(門の外に人が座っています。) となるかと思います。 また、それが特定の人であれば、 (2)那个人 坐 在門外(その人は門の外に座っています。) となると文法書には書かれています。 他方で、 「その人は門の外に座っています。」という文は、 (3)那个人 在門外 坐 とも表現できるかと思います。 (2)と(3)の違いは何なのでしょうか? どういう場合にどちらを使うのでしょうか? 教えて頂ければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hoke
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.1

2番目の文をわかりやすいように区切ると、那个人 坐在 門外 となり、この時の在は、坐と組み合わさって「座っている」という意味になります。つまり、このときの意味は、wang2an1shi2さんの仰るとおり、「その人は、門の外に座っています」となります。しかし、3番目の文は、文法的に間違っています。無理やり訳すと、「その人は、門の外にいる、座る」になります。在門外の在は、すでに動詞ですから。

wang2an1shi2
質問者

お礼

ありがとうございます。

wang2an1shi2
質問者

補足

ありがとうございます。また、目からウロコがあるようです。 そもそも「那个人 坐在門外」と「那个人 在門外 坐」は意味からしてイコールになっていないんですね。「座っている」を表現したいのなら、後者は文法的に間違っているということ。 ○~に座「る」(動作):坐 ○~に座っ「ている」(状態):×坐 → 坐着や坐在にする必要あり。 確かに文法書をよーく見直すと、「那个人 在門外 坐着」と、坐に着が付いていました。 これを前提に補足で、確認質問をさせて下さい。 皆さんからの御回答から推測すると、 (1)まず、 ・座っ「ている」(状態)の意味を表現したいなら、結果補語「在」を使って「那个人 坐在 門外」が常用。 ・「那个人 在門外 坐」では、強いて言えば、坐は~に座「る」(動作)という意味になり(ここでは介詞「在」)、座っ「ている」(状態)という表現にはならない。 という理解でよろしいでしょうか? (2)また、 ・論理的には、座っ「ている」(状態)の意味を表現するには、「坐」という座「る」(動作)を「坐着」という座っ「ている」(状態)の形に変えて、「那个人 在門外 坐着」で表現することも可能。ただ、「那个人 坐在 門外」が常用されるので、使われない。 という理解でよろしいでしょうか? (3)ついでに、在を介詞として、また、坐を座「る」(動作)という意味で使った、 「那个人 在門外 坐了」(その人は、門の外に座った)という表現は、常用しても問題ない普通の表現なのでしょうか。それとも、論理的にはありえるが、普通でない表現なのでしょうか?

その他の回答 (1)

  • cubics
  • ベストアンサー率41% (1748/4171)
回答No.2

(3)は、「門外に座る」という介詞として使った普通の文。 (2)は、結果補語として使っているので、「座って門外にいる」つまり、そこで落ち着いたんですね。 ですから、日本語だと「座り込む」という表現を使った方がよいでしょう。 まあ、確かに(3)は、 那个人在門外、他坐着。とか言った方が、落ち着きがいいように思います。「門外にいて、座ってる」ですね。

wang2an1shi2
質問者

お礼

いつもご指導ありがとうございます。

wang2an1shi2
質問者

補足

ありがとうございます。また、目からウロコがあるようです。 そもそも「那个人 坐在門外」と「那个人 在門外 坐」は意味からしてイコールになっていないんですね。 座っ「ている」を言いたいのなら、後者は文法的に間違っているということですかね。 ○~に座「る」(動作):坐 ○~に座っ「ている」(状態):×坐 → 坐着や坐在にする必要あり。 確かに文法書をもう一度よーく見直すと、「那个人 在門外 坐着」と、坐に着が付いていました。 これを前提に補足で、確認質問をさせて下さい。 皆さんからの御回答から推測すると、 (1)まず、 ・座っ「ている」(状態)の意味を表現したいなら、結果補語「在」を使って「那个人 坐在 門外」が常用。 ・「那个人 在門外 坐」では、強いて言えば、坐は~に座「る」(動作)という意味になり(ここでは介詞「在」)、座っ「ている」(状態)という表現にはならない。 という理解でよろしいでしょうか? (2)また、 ・論理的には、座っ「ている」(状態)の意味を表現するには、「坐」という座「る」(動作)を「坐着」という座っ「ている」(状態)の形に変えて、「那个人 在門外 坐着」で表現することも可能。ただ、「那个人 坐在 門外」が常用されるので、使われない。 という理解でよろしいでしょうか? (3)ついでに、在を介詞として、また、坐を座「る」(動作)という意味で使った、 「那个人 在門外 坐了」(その人は、門の外に座った)という表現は、常用しても問題ない普通の表現なのでしょうか。それとも、論理的にはありえるが、普通でない表現なのでしょうか?

関連するQ&A

  • 中国語:~に座っ「ている」:状態(在~坐着、坐在~) と ~に座「る」:動作(在~坐) の区別

    (1)まず、 ・座っ「ている」(状態)の意味を表現したいなら、結果補語「在」を使って、例えば、「那个人 坐在 門外」が常用。 ・なお、「那个人 在門外 坐」(とりあえず、これが普通に使われる表現かどうかとい問題は別に置いておいて。)での「坐」は、~に座「る」(動作)という意味になり(ここでは「在」は介詞)、座っ「ている」(状態)という表現にはならない。 という理解でよろしいでしょうか? (2)次ぎに、 ・座っ「ている」(状態)の意味を表現するには、ほかに、「坐」(座「る」:動作)を「坐着」(座っ「ている」:状態)の形に変えて、「那个人 在門外 坐着」と表現することも可能。この場合、「在」は介詞。 ・「坐在」の文と若干ニュアンスが変わるがこれも同様に常用。 という理解でよろしいでしょうか? (3)また、「坐」を座「る」(動作)という意味で使えば、「在」を介詞として使った、例えば、「那个人 在門外 坐了下来」(その人は、門の外に座った)という表現も常用の表現となる。 という理解でよろしいでしょうか?

  • 「个人」と「人」では?

    ●「(一)个人」と「人」のイメージの違い ※ 既存の質問と同様です。ただ、前回は、「一位人」という不適切な例を持ち出してしまったせいで、質問の意図から外れた議論を惹起してしまいました。質問の意図を推し量って回答いただければ幸い。 【疑問の出発点】 ・中国語の「(一)个人」と「人」との違いは、 例えば、「an apple」(具体的な1個のリンゴのイメージ像)と「apple」(得たいの知れない「リンゴ」なる物質)のように、 英語で「an」が付かないと「具体」名詞から「抽象」名詞になりその名詞から受けるイメージが全く変わるというのと 同じような違いかと勝手に認識していました。 【さて質問】 以下の理解(1)、(2)、(3)それぞれでの間違いを御教授下さい。 理解(1)「(一)个人」と「人」との違いは、英語で「an」が付くか付かないかで表現される具体名詞か抽象名詞かの違いとは違う。 理解(2)裸の「人」も英語でいう抽象名詞のイメージではなく、「(一)個人」と同様にあくまで具体的なイメージを持つ名詞である。 理解(3)「(一)个人」はそういう具体的イメージを持つ「人」という名詞に、単に「一个」(「一つの」を強調又は「ある~」)という新しい情報が加わっているだけの違い。

  • 「伝えられることが出来る」について

    先日、某サイトで「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」という表現を見て違和感を覚えました。「られる」「出来る」という“可能”の表現(正式な文法用語について無知なので、このように表現することにします。どうかご了承ください)を続けて使った文を初めて見たからです。 「何を伝えられるのだろうか」もしくは「何を伝えることが出来るのだろうか」のように“可能”の表現が1つの文はよく見るのですが・・・。 そこで質問ですが、以前から、このように“可能”の表現を続ける手法が存在していたのでしょうか?それとも、最近の日本語の傾向なのでしょうか?どうかご教示願います。

  • 高校物理、熱力学第2法則

    (教科書の記述) 熱力学第2法則=与えられた熱全てを仕事に変換する熱機関は存在しない。 すなわち、熱機関を動かして、熱エネルギーーを他のエネルギーに変えようとするときは、必ず、高温の物体と低温の物体が必要であり、高温の物体からもらったエネルギーの一部を必ず低温の物体に放出しなければならないとあるのですが、どういうことですか? いくつかサイトもみたのですが、この教科書の文の言っていることを特定するヒントにはなりませんでした。

  • helpとhelpedの使い分け

    help +「人」 to 原形のときに helpになるときとhelpedになるときの違いは表現の違いですか? それとも文法として三単現だからとか決まってるのですか?

  • 書き下し文にできません・・・よろしくお願い致します。

    書き下し文にして、訳す・・・という宿題で、漢文がさっぱりなので、書き下し文が全くできません。 分かる所だけや、だいたいでもすごく助かるのでよろしくお願いします(涙) 金森出雲守可重宛書状     御同道満足可申候、八比すきより可参候     と存候、乍去御城かたより少用御坐候間、ほと     おそき事候、可有御出候哉、かしく、  於法印、内府様御機嫌能御仕合共之由、珍重  候、仍紹知所者、今晩にて候、もはや御隙も明  候と存候間、御同道候へかしと存候、是安と唯二  人にて候、御出可辱候、以面申度事計にて候、恐  惶謹言、     六ノ廿三日       政宗(花押)               羽越前   (墨引き)  金森州様   政宗               御報

  • 小説で多用される~かしらの表現

    小説(特にドストエフスキイの翻訳とか)で、自問自答するときや、会話文で質問するときに、よく「なになにかしら」とか「なになにかしらん」と出てきますが、これは小説独自の文法なんでしょうか?日常表現として使われることが少ないので、会話文に出てくるとその都度奇異な感じがしてなりません。最近の小説でも、「~かしら」と会話文にでてきます。これは小説を書くときの約束事なんでしょうか。(1)この表現を誰が使い始めたのか、(2)皆こぞってこの表現を使いたがる理由をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。そんなひと、いないかしら。

  • 英訳とその前に日本文も分かりやすく直していただきたいのですが

    インドネシアの大学で日本語を勉強しているメル友が次の日本語を英訳して欲しい言ってきました。私は日本語の文もよく分かりません。まず分かりやすい日本語にしていただけませんでしょうか。お手数ですが、それを英訳していただけると嬉しいです。 文章は以下です。 置換は先行する談話の表現の特定部分を受けるという形で 既出の情報を引き継ぐという点である。 言い換えれば、後者は表層的な特定の文法構造の部分を他の特に定められた表現でもって置き換えるという形をとる。

  • 【英語】翻訳、どれが適してますか?

    「田中はペンが大嫌い」と似たような一文をメールアドレスにしたいです。 ペンというのは「特定の1本のペン」ではなく「ペンそのもの」という解釈です。 簡単な文なのですが、メールアドレスの中に簡潔に入れるにはどのような英文にしたらいいかご助言お願いします。 (1) Tanaka hates a pen. (2) Tanaka hates pen. (3) Tanaka hates pens. (1)だと「特定の1本のペン」というニュアンス? (2)だと「a」を略すのは文法的におかしい? (3)のようにペンを複数形にするのが普通? どれが一番自然な英文でしょうか? もしくは他に適当な表現がありましたら教えて下さい。 宜しくお願い致します。

  • 隠語というものの存在の意味

     日本語を勉強中の中国人です。隠語というものはなぜ存在するのでしょうか。たとえば、寿司店では、醤油を「むらさき」、お茶を「あがり」、ご飯を「しゃり」、玉子を「ぎょく」、お勘定を「おあいそ」とよく言うようで、職人さんをはじめお店の人どうしが使うようです。特定の社会や集団、仲間うちだけで通用する、いわば業界用語と言える隠語というものはなぜ存在するのでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。