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「人の生命は地球より重い」

よく死刑存続論議に上記のような言葉(多少違うかもしれません)が出てきますが、「地球」の意味がよくわかりません。 「地球にある全資源」という意味なのか「金銭等の財産」の意味なのでしょうか。 仮にそれらが失われた場合は、直接的間接的に相当数の人命が失われるのは明らかでしょう。 ということは「人の生命」は「全人類の生命」という意味なのでしょうか。 そういう意味なら、1人2人の死刑に当てはまらないと思うのですが。 お教えいただければ恐縮です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • puni2
  • ベストアンサー率57% (1002/1731)
回答No.4

これはもともと,最高裁判所の判決文に出てくる言葉です。 死刑制度は,憲法が「残虐な刑罰」を禁じている(第36条)のに反するのではないか,という点が争われた裁判で,昭和23年3月12日の最高裁大法廷判決は,次のように述べました。 「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる窮極の刑罰である。それは言うまでもなく、尊厳な人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去るものだからである。」 これを読む限り,ご質問のように「地球とは何か」という点を正面からとらえて出てきた言い回しではなく,命の重み,尊さを述べるための,単なる比喩と考えるのが妥当ではないでしょうか。 ちなみに,最終的には「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法」ならば憲法違反であるが,現在の方法(絞首刑)はそうではない,と結論づけています。 (もしかしたら,この判決以前からあった言い回しなのかも知れませんが,特に死刑問題に関してこの表現が使われるようになったのは,この判決文がきっかけだと思います。)

sunekosuri
質問者

お礼

どうもありがとうございました。 私も自信がなかったので、質問欄には明記しなかったのすが、確かに最高裁判決は、「一人の」生命でしたね。 でも、事故や災害でこう一人の命が粗末になってきている時代にこの最高裁判決が例え比喩とはいえ、説得性があるかどうか疑問です。 例えば交通事故で日本だけでも年間7000人の方が亡くなっているのですから、「車くらいはなくせ」という理屈になりますものね。

その他の回答 (6)

  • puni2
  • ベストアンサー率57% (1002/1731)
回答No.7

最高裁判決のことをご存じの上でのご質問だったのですね。 それでしたら,私からあれこれ申し上げることはほとんど無かったようです。 まあ,原典での意味合いから離れて,この言葉自体のもつ意味をあれこれ議論することも可能でしょうが,そうだとしても,私には,No.6へのお礼欄にある >「地球」とは物質的なもの、「命」とか精神的なもの、を象徴したのでしょうか。 >そうするとそもそも比較すること自体が意味がなかったかもしれませんね。 という解釈が,すんなり納得できる気がします。

sunekosuri
質問者

お礼

ありがとうございました。 最高裁で言った言葉は知っていたのですが、その背景・詳細は知りませんのでしたので、質問させていただきました。 皆さんからいろいろなご意見をいただいておりますが、「死刑の是非」という重要な問題にもかかわらず、今ひとつ曖昧な言葉だったので。

  • puni2
  • ベストアンサー率57% (1002/1731)
回答No.6

No.2の回答があったので,ちょっとネット検索してみると,1977年のダッカ人質事件のときに福田首相が言ったのが最初,と書いてあるサイトがたくさんあります。 確かに,一般人の間では,このときの首相のセリフで有名になったのは事実ですが,最高裁のほうは1948年ですので30年も前になります。 まして,死刑制度に関する議論ということであれば,少なくとも福田首相の提唱とは言えないでしょう。 彼が最高裁判決を知っていて述べたのか,それとも偶然の一致か,はたまたもっと古い起源があって最高裁も福田首相もそこから引いたのかは,ちょっとわかりませんが。 ちなみにこの事件は,1977年9月28日,パリ発羽田行きの日本航空機が,日本赤軍という過激派(わかりやすくいえば日本人のテロリストグループです)に乗っ取られ,バングラデシュのダッカ空港に着陸させられたものです。 このとき日本赤軍側は,政府に対して,獄中の赤軍派の仲間を釈放するよう要求し,当時の福田首相が「人質の生命は地球より重い」としてその要求をのんだという事件です。

sunekosuri
質問者

お礼

ありがとうございました。 現実的ではない言葉と思っていたら、やはり超法規的措置に対応したものだったのですね。

  • kanpyou
  • ベストアンサー率25% (662/2590)
回答No.5

法のカテとは関係ないのですが、 ウィキペディア(Wikipedia)「質量」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%AA%E9%87%8F 重さ (おもさ) あるいは重量(じゅうりょう) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E3%81%95 の通り、意味が違います。 地球の、俗に言うところの「重さ」を表す数値は、『質量』でかんがえられ、『重量』を表すことは物理的に不可能です。 なぜ不可能かといえば、ご存知の通り、宇宙にぽっかりと浮かんだ状態で、自分で自分を量ることはできないのです。 『もし仮に、量ることができるのであれば、非常に重いであろう。』という仮説の基に、考えられているのではないでしょうか?

sunekosuri
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど。 「地球」とは物質的なもの、「命」とか精神的なもの、を象徴したのでしょうか。 そうするとそもそも比較すること自体が意味がなかったかもしれませんね。

  • ARX7
  • ベストアンサー率15% (36/233)
回答No.3

「人の生命は地球より重い。」  「人の生命より地球の方が重い。」    どちらも正しい。  個人の側から見れば、自分が死んでは全てお終いである。だから、自分の生命は地球より重い。  全体の側から見れば、地球がなくなってはお終いである。地球がなくなったら、みんな死んでしまう。だから、地球は個人の生命より重い。 たとえですからそのままの意味に取らない方がいいと思います。

sunekosuri
質問者

お礼

どうもありがとうございました。 そうですね。 確かにあまり深刻に意味を追求しない方がいいかもしれません。 でもあまりに多く引用されていますね。

noname#15285
noname#15285
回答No.2

ちょっと分かり辛いですが。 http://www.aiarashi.jp/humanlife1.html

参考URL:
http://www.aiarashi.jp/humanlife1.html
sunekosuri
質問者

お礼

ありがとうございました。 このHPに書かれたことは初めて知りました。 政治家は比喩的な表現をよくされるのですが、確かによくみるとわかりづらいですね。

  • grindcore
  • ベストアンサー率17% (115/664)
回答No.1

「それぐらい大切なものだ」という比喩的表現で、 具体的に何かを言っているものではないと思いますが?

sunekosuri
質問者

お礼

ありがとうございました。 確かに比喩的な表現でしょうね。 ただ、理論的整合性が要求される判決理由でそういう表現が使われることに若干の違和感を感じます。

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