• 締切済み

地球に優しいエコ

上記のようなお題目を唱える人を時折見かけますが、何故「地球に優しい」 のでしょうか。そして地球に優しいとはどういう意味なのでしょうか。 私自身はエコとは人類の為に行うものであり、決して「地球に優しく」する 為ではないと考えています。 資源がどうたら、動植物がこうたら言ってますが、結局は人類が損益を被る 可能性があるためにそれを事前に防ぐ活動をエコと称しているのだと考えておりました。 故に地球に優しいの意味がわかりません。 地球にはもしかしたら私には知覚できない意思はあるのかもしれません。 食物連鎖や気象など、ネットワークは存在するので「ない」と断定する ような事は私にはできません。 もしかして地球に優しいとは、そんな地球の意思と疎通できる人がいるの でしょうか? 私にとっては自明なこと(人類のため)というのをあたかも客観的に地球という言葉に置き換えて善人として活動しているようにも思えます。 そして、そのような発言を聞くたびに、それは人類の為に行っているのか、 本当に地球の為に行っているのかということを聞きたい衝動に駆られます。 人類の為に行っているなら非常に偽善的であるし(正直に言えば良い)、地球の為に行っているのなら、何故それが地球の為になるのか。ということをご教示願いたいです。 地球に優しいとはどういう意味なのでしょうか?

みんなの回答

  • emeny
  • ベストアンサー率39% (79/202)
回答No.3

 環境論の視点や考えについてのみ書きます。  地球環境を人間が守っているや保全しているは嘘です。正しくは、地球温暖化が進むと人間が環境適応するまでに全滅してしまう。つまりは、人類の進化の速度では追いつかなくなるのです。そして、それは生物の種が3000万種といわれていますが、その大半は絶滅します。しかし、その絶滅が生態系の多様性をなくすかといえばそうではありません。生態系の頂点が消えると、今まで小型でしか生活できなかった動物が大型化する。そして、生き残った種が進化し分科して新たな種が生まれる。いわゆる、人類絶滅後の世界は別の種が生態系の頂点になるだけです。それは、氷河期の恐竜の絶滅から、哺乳類の大型化や人類の祖先の誕生となったからです。つまり、環境論は人間の生き残るために環境維持するための営利で地道な作業です。いわゆる、エゴです。  人間が生き残るための環境の主張ですが、人間の経済活動や生活スタイルの変革のみの問題です。つまり、継続して行うためには自分の目標を作るように、環境を守る目標は現在の生態系の維持にしたいわけです。つまりは、経済の見直しとは環境に配慮した製品や製造や再利用や再生利用の問題です。荒廃している里山を植林して二酸化酸素を吸収させるや、人間の手入れにより人工林として二酸化酸素の吸収の効率を上げることです。人間が持続可能な社会を目指すのは人間の存続のみの問題ですが、現在の生態系の8割以上が消滅するのも問題です。簡単に言えば、人間が他の動物を巻き込んで自滅つまりはテロを仕掛けてもいいかという事です。環境問題の原因は人間による経済社会活動が原因です。だから、環境面に配慮した経済を目指して、地球環境への負荷の低減を考えていく。そういう時代になったのです。  人と自然の共生についてですが、そんなものはありません。自然環境の破壊を恐れているのは人類だけです。自然や生態系は絶滅しても再生していきますが、元の生態系ではないです。ただし、種と遺伝子を除けば完全回復です。つまり、困るのは人間のみです。なんて、人間は意地っ張りで自然を守るのが務めと言ってしまうのでしょう。その原因は欧米のキリスト教圏の人間中心主義の影響をいまだに受けています。自然中心主義は人間は自然に対して諦める気持ちがあり、自然本来の姿を愛します。しかし、人間中心主義の自然保護は人間の偏見から来ています。シマウマが可哀想だから、ライオンを減らすとか言い、結局はライオンの個数が激減して生態系が崩れました。そのため、緑が豊かな草原を維持できるかは疑問です。

gwagaw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 環境論に関しては概ね同意いたしますが、地球に優しいエコの掲げる方たちは何故それが「地球に優しい」と断言しているのか、ということに関して疑問がありました。 質問が悪く、申し訳ありませんでした。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.2

>地球に優しいが何故「資源を消費しないこと」になるのでしょうか。 無論、限りある資源なので人類の為といえます。  地球は約12000キロ、人類が使う資源なんて精々表面数キロの単位、地球全体に及ぶ影響なんて皆無に近いでしょう。  大気に関しても長い地球の歴史からみれば、数百度から地球凍結まで考えると人間が何をしようと地球から見れば関係ないでしょうね。  ただ環境学において地球とは広域的にみて地学的な地球を差すのではなく地球に住む別の生命を含んでの事といえます。  いわゆる生態系ですね   その場合エコで一番言い例が森林伐採でしょうか。 森林の木材・パルプなど乱獲しなければ森に住む生態系は守られるでしょう。

gwagaw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私が持っている疑問は地球に優しいエコは、何故それが地球に優しい といえるのか、と言うことに関してでした。 説明不足で申し訳ありません。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.1

>地球に優しいとはどういう意味なのでしょうか?  各資源を消費しない事

gwagaw
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 各資源を消費しないこととありますが、資源を資源と規定しているのは人であると考えております。 地球に優しいが何故「資源を消費しないこと」になるのでしょうか。 それは人類の為ではないのでしょうか。

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