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形而上学とは

現在、国語の授業で 「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。 文章の雰囲気は分かるのですが形而上学 というテーマそのものがよく分からないので どうも、しっくりこないでいます。 「形而上学」というものをくだいて説明して 頂きたいのですが。。。 中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが) 宜しくお願いします。

noname#78654
noname#78654

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  • TY79
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回答No.3

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。 もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか? No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。 まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。 あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。 人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。 その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。 けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。 ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。 そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。 たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。 じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。 ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。 ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。 広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。 おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

noname#78654
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 お察しの通り岩井克人さんの論文です。 国語の教師も大学レベルだという話はしていました。。 回答、非常に分かりやすくて驚きです。 お仕事はこちらの方面なのですか?? ソシュールの言語論を理解するとこんなにも分かりやすかったんですね。 2回程読み返して深く深く納得してしまいました。 ソシュールの言語論は何故書かれているのか よく分からなかったのですがここへきて 初めて意味のある文章だったんだと知りました。。 丁寧な回答、本当にありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

簡単に言うと、形而上学とは存在そのものを問うということです。 例えば、kazanaさん自身の存在です。 kazanaさんは、「○○という名前で、××という所に住んでいて、……」という人間であると疑わないでしょう。 しかし、それはkanazaさんという存在があるという前提に立てばの話であるはずで、あなたがどうしてここに「存在する」のかは名前や住所からは分かりません。 形而下学というのがあって、これは形而上学の反対です。つまり、これこれの存在が保証された前提で、議論をするのです。 形而下学のよい例は自然科学(数学とか物理とか)です。物理などは典型例で、「物質が存在する」という前提があるこそ物理法則が意味を持つのです。 逆に、形而上学は存在そのものを問題にします。 「なぜ私は存在するのか?」とか、「なぜ、私は私であって、私はあなたではないのだろう?」とか。 だから、形而上学は形而下学と比べて、メタ(上という意味)なのです。 「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文はよく知らないのだけど、推察するに、 『広告というものは宣伝のために使われているけれど、なぜ広告というもは存在しているのだろう? なぜ広告という形でなければならなかったのだろうか?』 というのが論点なのではないでしょうか。 もちろん、その論文を読んだことがないから、私の論点の解釈が間違っている確率が高いだろうけど。。。

noname#78654
質問者

お礼

お礼、大変遅くなり申し訳ありませんでした。 皆さんの回答を読み、形而上学をやっとこさ 捉えられました。(理解にはほど遠いですが。) 回答、ありがとうございました。

noname#155689
noname#155689
回答No.2

ANo.1です。 もう少し一般論的な説明を追加します。 目の前に咲く花を見て「美しい」と感じることがある筈です。 このとき多くの人間は、目の前の花が一番美しいのではなく どこかにもっと美しい「完璧な姿」のようなモノがあると 思い込みます。 もちろん多くの人間は本当に「完璧な姿」が存在したとしても 自分の目の前に現れることは多分ないと予測します。 しかし「完璧な姿」は概念的/論理的には語ることが出来る筈だと考えます。 ちなみに「完璧な姿」を哲学用語で「イデア」といいます。 完璧な美を「美のイデア」みたいに言います。 また「概念的/論理的には語ること」を「ロゴス」といいます。 この「イデア」を「ロゴス」で解き明かすのが「形而上学」です。 以下は蛇足。 1960年以降になると「ポスト形而上学」が主流になります。 ポストとは「後の」といった意味で メタの「上の」と近い意味があります。 ポスト形而上学は、形而上学のロゴスに焦点をあてました。 ロゴス(概念的/論理的には語ること)は「言語」を使います。 簡単に言えば「人間は言葉で思考します。」 20世紀の初頭にフロイトに代表される精神分析学が「無意識」といった概念を提出します。 ここに「無意識は言葉で表現できないだろう」といった疑問が生まれます。 つまり「言葉は思考の道具として完璧なのか?」といった研究が始まります。 これは「記号論」などと呼ばれます。ソシュールなんて人が有名です。 この記号論を応用して、形而上学が打ち立ててきた「真の善とは何か?」などの論理的概念を 言葉のレベルでズタズタに解体したのが「ポスト形而上学」です。 ジャック・デリダなんて人が有名です。 ※ポスト形而上学というよりは「ポスト構造主義」と呼ぶ方が一般的。

noname#78654
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 NO1の回答と合わせてお礼させて頂きます。 やはり、目に見えないものと言うが基本なのですね。 教科書の補足だと物事の根本的なものを解明する~ と言った感じでしたが、一段上から捉えると した方が分かりやすいですね。 ロゴス、イデアでの解説非常に分かりやすかったです。 丁寧な回答、本当にありがとうございました。

noname#155689
noname#155689
回答No.1

うっへ~ 私は広告を生業とする者ですが 広告の形而上学・・・なんて難しい響きでしょう! 形而上学ってのは「哲学」の一種で 簡単に言うと「一段上から見直してみる」ことなんです。 例えば、幼稚園のころ分からなかったことで 中学生になって改めて見直すと 簡単に分かってしまうようなことって沢山あるでしょう? 幼稚園のころは物そのものしか見てなくて かえって盲目的になってしまって分からなかったことが 中学生になって、他の物との比較や関係などを考えながら 一段上から眺めてみたら「何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう!」みたいな。 形而上学は英語で「metaphysics(メタフィジックス)」といいます。 metaは「上」の意味。 physicsは「物理学」の意味。 物理学ってのは物そのものの特性などを探求する学問ですよね。 metaphysicsってのはphysicsの上から、物そのものでなく 相対化したり抽象化して見直してみよう、という学問です。 数学って今、勉強していると思うんですけど 数学はまさに数字の法則や使い方を学びますよね。 メタ数学(metamathematics)っていう学問もあるんですけど それは例えば「数学は正しいのか?」みたいなことを問うんです。 もう少し数学的に言うと「数学は数学の正しさを証明できるか?」みたいな。 蛇足ですが、ゲーデルという人の「不完全性定理」なんてのが有名で それによると「数学は数学の正しさを証明できない」そうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB 形而上学というのはヨーロッパ哲学の主流なのですが そこにはキリスト教的な視点があって 形而下(時間・空間の中に、感性的対象として形をとって現れるもの)が 人間の視点だとすれば 形而上というのは、詰まるところ「神」の視点なんです。 「広告の形而上学」とは、つまり「広告を人間の生活や経験の領域でなく その上の視点で考える」といったような意味です。

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