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韓国併合について

最近、嫌韓派の方が「韓国併合は国際法上、合法であるから日本に罪はない」と主張しているのをネットで知りました。 「併合は、韓国最大政党一進会が望んだ」ともいってました。 しかも、「安重根が伊藤博文を殺したから併合が促進された」という解釈まで‥‥。 歴史の細部には詳しくないですが、日本の韓国併合が現地の人たちの感情を無視し、政府を乗っ取るようなカタチでおこなわれたというのが一般の認識なはずですが。 本当のところはどうなのでしょうか?

  • 歴史
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みんなの回答

  • T-320
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回答No.14

ホントにもう、韓国が自力で改革と近代化をやってくれていたら、何も問題なかったんですけどね。 当時の日本は貧しく遅れており、国内整備にいくらお金があっても足りない状態でした。 それなのに、韓国まで抱え込まねばならなくなって・・・。 当時の日本人の努力には、頭が下がります。

  • gammo194
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回答No.13

合法でしょう。 では罪はあるか。 それは、人それぞれの考え方ではないですか? 「韓国併合は国際法上、合法であるけれど日本に罪はある」とした場合、 それだと当時の列強なんてあっちもこっちも罪だらけになってしまいますね。 ある意味、自力で独立するだけの気概を持たなかった李朝にも自国民に対する罪があると言えます。 欧米では今以上に激しい人種差別が当然のようにまかり通っていた時代の事です。 今の感覚で考えればおかしいと思える事は山程あるでしょう。 「あの併合は不当だ!罪がないなんて言うのは人として冷酷だ!」と言う人は、 何故か決まったように「アメリカの原爆投下は落された日本側にも非がある」などと言ったりします。 ここまでくるともう滅茶苦茶な話ですよね。 結局そういう人の場合、どんな問いを投げてもその罪はブーメランのように「日本」と言う国に返ってくる。 「左」に寄るのもいいですが、寄り過ぎて歩道に乗り上げ歩行者を轢くハメにならないよう 注意が必要かと思います。 「安重根が伊藤博文を殺したから併合が促進された」については、 多少促進はされたのかもしれないけど結局併合する事にかわりはなかったのではないかと思います。 ただ、伊藤博文が殺されていなければ、もっとまともに事が運んだかもしれないものを、 寺内正毅が朝鮮総督に就いた事でその後の統治が多くの誤解と不幸を生んだという事と思います。 このあたりの事はこちらの御本をお勧めします。朝鮮側の事情が詳しく書かれています。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828410686/249-2723551-5337940 また、併合の話では知られたコンテンツと思いますがこちらもご参考まで。 ざっとですが大体の流れがわかります。 http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/nikkanrekisi.html

参考URL:
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/nikkanrekisi.html
  • Sombart
  • ベストアンサー率16% (45/267)
回答No.12

 多少の補足です。  「日本の韓国併合が現地の人たちの感情を無視し、政府を乗っ取るようなカタチでおこなわれた」といいますが、ここで言う「現地の人たち」というのは誰のことでしょう。  一般民衆という観点からすると、朝鮮人特別志願兵応募状況を見るに、軍への募集に対する応募人員は、7倍から50倍という数値を示しています。  これは、一般民衆が日本による統治を受け入れて、その体制を守るために募兵に応募したと言える数字です。この意味においては、「現地の人たち」は日本の統治に賛成しているわけですね。  併合された瞬間には、それはむろん、いわゆる「はねっ返り」はゼロではないでしょうし、目立つ反対活動もしたでしょう。しかし、上述の倍率が示すように、日本の統治は民衆の心を掴むという意味において成功していたのです。  しかもそれは、米軍の日本に対する War Guilt Information Program のような詐術によるものではなく、膨大な費用を投下してのインフラ整備などの官の方針や、民間の日本人による韓国との共生方針によるもので、健全な統合政策の結果であったと言えます。  そういう事実関係を無視しているのが、現状の反日日本人の活動であり韓国政府の発言ですから、そういう妄言に騙されないためにも、まずは事実関係を確認することをお勧めします。

  • ZeroFight
  • ベストアンサー率15% (30/189)
回答No.11

質問者は〈現地の人たちの感情を無視し〉と書いています。現在の韓国では、激しい反日運動があったような話になっていますが、現実はどうだったでしょうか。 合邦一年後の1911年、憲兵7千人、文民警察官6千人、合計1万3千人でした。そして、憲兵も、文民警察も、6割は朝鮮人です。 当時の人口は1400万人でしたから、憲兵、警察官1人当たりの負担人口は、千人程度です。いわゆる3.1独立運動の頃は、警察官が増員されますが、それでも警察官1人当たりの負担人口は、700人でした。朝鮮人警官が6割という比率は、変わっていません。 現在の日本では、警察官1人当たりの負担人口は、600人です。イギリスとアメリカは380人、フランスは280人ですから、植民地時代の朝鮮は、最も独立運動が激しかった頃でも、非常に治安がよかったことになります。 朝鮮駐留軍は、反日義兵運動の時でも、2千人でした。左翼系の歴史学者は、大変な暴動が起こったかのような書き方をしていますが、たった2千人の軍隊によって鎮圧される程度の騒動だったというのが、歴史の事実です。 それから、本当に日本の支配を嫌っていたなら、日本にいた朝鮮人は全て強制連行で無理矢理連れてこられたということになるはずです。しかし、それがウソだということは、もうばれてしまいました。 合邦後、朝鮮半島から労働者が本土に殺到しようとしたので、朝鮮総督府は渡航を制限しました。東亜日報は、渡航制限を、〈朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法〉と批判し、渡航制限を訴える5万人の大集会が釜山で開かれました。密航も後を絶ちませんでした。 こういう事実があるわけですから、〈現地の人たちの感情を無視し〉というのは、戦後になって生まれたウソで、当時の朝鮮人は、日本の統治を喜んでいたと考えるのが自然だと思います。

参考URL:
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/kenpei.html
回答No.10

併合以前の朝鮮半島の統治方法について見れば幾分かは理解できるでしょう。 キーワードは「事大」です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9 これは強国に従って命脈を守るという考え方です。 主に中国の王朝、即ち唐・明・清などの支配下で王の地位を拝命して統治をしてわけです。 それが、日清戦争(1894-95)後に日本が講和条件に清の朝鮮半島からの影響力を削ぐ要求をしたため、晴れて独立国となります。(日本にとっては朝鮮半島を対清、対露の防波堤として育てたかったのでしょう) しかし、いきなり独立させられたために時流に乗れず、結局は保護してくれる強国を探さざるを得なくなります。 そんな中、南方を窺うロシアに目をつけ韓国国内に南方攻略のための橋頭堡を築くことを許しつつ、中立と言い張る外交上のミスを犯します。(これは露韓が組んで南方攻略を画策していると考えることができる) 結果、日露戦争(1904-05)となり、辛うじて「朝鮮半島からロシア勢力を駆逐」という目的を達することができます。 同時に、日本は相方を戦わせるような外交をした韓国から外交権を剥奪します。(ルールを守れない者が自由にすることを禁じた) にも拘らず、韓国が許されていない外交の場に日本批判の使者を送ったために、それを知った日本にルール破りを指摘され内政権限の縮小をされてしまいます。(1907・ハーグ密使事件) と見ていきますと、寄りかかれる強国は日本しかなかったことが分かります。 すでに単独で生き残る道が無かった状態(外交力の欠如、内政の主体性の無さ、相戦わせる生き残り方という火種の所持)において、その中で考え得る最善の選択をしたに過ぎないわけです。(誰が最善を望まないでしょうか?) その後の朝鮮半島はインフラも整備され衛生状況も改善、食料生産も人口も爆発的に増えるという大発展をしたわけです。それが朝鮮半島の民にとって幸せだったかどうかは分かりません。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.9

ご質問の内容はみなさんが答えていますので、ちょっと違った話を。。。 日韓の歴史を遡っていくと1876年(明治9年)の日朝修好条約まで行きます。 黒船で日本に来たペリーが「艦砲外交」といわれる武力で脅すやり方で日本に開国を迫ったのと同じ方法で日朝修好条約も交わされているんです。この条約は朝鮮にとっても、初めての国際的条約であり開国だったんです。つまり、もうこの時点から現在に至る道筋が始まっていたと言えると想います。 この問題の背景には複雑に入り乱れる欧米列強の影があったにせよ、西郷隆盛のような信義を貫く姿勢をとっていたら(もし岩倉使節団の帰国がもっと遅かったら)日朝関係、日中関係もまったく違っていたものになっていたかも知れません。 歴史に「もし」は無いんですが、その可能性があったとことは知っておくべきだと想います。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog212.html URLの話の後、1875年(明治8年)に江華島事件があって、翌1876年(明治9年) の日朝修好条約(江華島条約)に至っています。 この日朝修好条約(艦砲外交による)を聞いた西郷隆盛は「天に恥ずべき行為だ・・・」と怒り、嘆いたそうです。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.8

国家同士のことに、合法とか違法という視点は意味を持ちません。国際的に認められるか認められないかという視点が有用で、その基準は極めてファジーなものです。同じことでも、力が強い国なら認められ、弱い国には認められなかったりします。国際関係とはそういうものです。 例えば、第二次大戦の結果、サンフランシスコ平和条約で日本は南樺太と千島列島を放棄しました。ソ連に引き渡すとは一言も言っていませんし、ソ連が南樺太と千島列島を当然に領有する権利があると言うわけでもありません。ですので、日本の地図では、ウルップ島以北の千島列島と南樺太を、ロシアとは別の色で塗って「帰属未定」にしている例があります。日本とロシア=ソ連の間で平和条約がない以上、日本は南樺太と千島がソ連に帰属したことを承認していませんので、それが正式な立場です。 しかし、事実としては、千島列島(クナシリ島以南を含む)と南樺太は、第二次大戦末期にソ連が参戦した結果としてソ連に占領され、ソ連の国内法でソ連領土に編入され、現在に至っています。それに対して、国際的に異議は唱えられていず、日本政府も特に抗議してはいません。この際、旧領有国である日本がそれを承認していず、条約の裏づけがないことは「どうでも良い」のです。ソ連の南樺太・千島列島併合は国際法上「違法」かもしれませんが、それを論じる意味はほとんどありません。 あるいは、韓国による竹島占拠。これは、国際法上は韓国には全く分はないでしょう。ですので、韓国は国際司法裁判所への提訴には全く応じません。しかし、国際法上違法であっても、韓国が現に竹島を実効支配しているのは事実です。日本が竹島を武力で奪還しない限りその状態は継続されます。 本題の1910年の日韓併合は当時の世界においてどの国も異議を唱えず、国際的に認められていたのが歴史的事実です。日韓併合条約と言うれっきとした条約があるだけ、ソ連や韓国の上記の行為よりよほど「合法性」が高いでしょう。

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.7

キーワードは「合法不当」です。「合法ならば正当」と考えるのは単純過ぎます。まずは、岩波新書を読んでみましょう。 『韓国併合』(海野福寿 著、岩波新書、1995年) (244ページから引用) 日本の朝鮮「植民地」支配は、その成立に合法的根拠がなく、不法・不当な強占(かんちょむ=軍事占領)が1945年の解放までつづいたのだ、と彼ら(引用者注:北朝鮮の歴史学者たち)は主張する。韓国でも同じような意見が少なくないが、日本の朝鮮支配をどのように規定するのか、「植民地か強占か」という問題は、まもなく再開されるであろう日朝国交正常化交渉の「基本問題」として論議されるであろう。歴史学のうえでもとりあげられるに違いない。本書の主要テーマもこの点にかかわる。 しかし、にわか勉強の私がたどりついた結論は、共和国(引用者注:北朝鮮)の歴史学者の主張とはやや異なる。韓国併合は形式的適法性を有していた、つまり国際法上合法であり、日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である、という平凡な見解である。 だが誤解しないでほしい。合法であることは、日本の韓国併合や植民地支配が正当であることをいささかも意味しない。当時、帝国主義諸国は、紛争解決手段としての戦争や他民族支配としての植民地支配を正当視していた。彼らの申し合わせの表現である国際法・国際慣習に照らして、適法であるというにすぎない。日本はその適法の糸をたぐって、国際的干渉を回避しながら韓国を侵略し、朝鮮民族を支配し、「朝鮮の人民の奴隷状態」(カイロ宣言)をつくりだしたのである。 (引用終わり) カイロ宣言 http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html 前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隸状態に留意し、朝鮮を自由かつ独立のものにする決意を有する。 ポツダム宣言(言うまでもなく、日本はこれを受諾して降伏しました) http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html 八 カイロ宣言の条項は履行され、 (引用終わり) さて、Etineshia さんは謙遜して「歴史の細部には詳しくないですが」とおっしゃっています。けれども、日本が朝鮮(当時は大韓帝国)に硬軟両用の圧力をかけて段階的に主権を奪い、併合していった経緯は、ご存知のことと思います。 > 日本の韓国併合が現地の人たちの感情を無視し、政府を乗っ取るような > カタチでおこなわれたというのが一般の認識なはずですが。 その通りです。不当と言うしかありません。朝鮮内部にもいろいろな動きがあったと言われていますが、日本はそれに付け入ったわけです。それにもかかわらず、「当時の」国際法では合法だったという考え方があり、要するに「合法不当」ということになります。 しかし、「合法であるから罪はない」と主張するのは、いわば「知恵のある獣」でしかありません。人間の心が欠けています。Etineshia さんが疑問を感じたのは、もっともなことでした。物事には、法的・政治的・社会的・心理的とさまざまな側面がありますね。法的責任を免れても、心が欠けていれば、どこの世界でも批判を免れません。友好関係を傷つけるでしょう。 先ほどから国際法、国際法と申していますが、成文法は少なくて、慣習法の割合が多いのが特徴です。つまり、国際慣習(及び法的確信)が、成文法と並び立つ法源となるわけです。そして、第一次大戦(1914~18)の前と後とで、諸国の慣習は大きく変化しました。「植民地の保持は不法ではないにしても、新たな植民地争奪は慎む」に変わったのです。しかし、日本はこれを無視しました。そのせいもあって、大戦前の韓国併合(1910)は国際的に承認されたのに、大戦後の満州国建国(1932)は国際的に承認されませんでした。このように、「当時の国際法」の「当時」は漫然と使わずに、十分注意する必要があります。 なお、海野が述べているように、北朝鮮・韓国では「不法不当」説が有力らしいです。対する日本政府は「合法」説に依拠しており、日本の歴史学者(近現代史)は、「合法不当」説と「不法不当」説に分かれる(あるいは正当不当を論じない)ようです。 「合法正当」を声高に主張するのは、大学教授といっても門外漢の学者に見られますね。例えば、藤岡信勝は教育学者(専門は教材研究?)であり、専門の歴史学者からはあまり相手にされていない様子です。近現代史の大御所であり保守派である伊藤隆は、「新しい歴史教科書をつくる会」理事ですが、藤岡と同席したシンポジウムの記録などを見ますと、伊藤は官僚的とも言うべき保身術を発揮して、藤岡との間に微妙な距離を置いているのが笑えます。 新しい歴史教科書をつくる会 役員の紹介 http://www.tsukurukai.com/02_about_us/06_supp_01.html 韓国併合が合法だったか不法だったかは、日韓交渉の際にも取り沙汰されました。この交渉は、日韓国交正常化を目指して1951年に始まったのですが、李承晩(韓国初代大統領、在任1948~60)の反日政策や、植民地支配を美化する日本代表の失言などで、揉めに揉めました。条約調印(65年)まで、何と14年もかかっています。 結局、合法か不法かは、竹島の帰属問題と同様「棚上げ」となり、「(韓国併合時の条約は)もはや無効」という玉虫色の表現で、決着が図られました。それにしても、「もはや無効」とは何時から無効なのでしょうか?「とにかく65年の時点では既に無効だった。いつから無効なのかは分からない」ということです。これでは、「併合は不法であり当初から無効だった」という韓国の主張を、完全には否定できません。逆に、積極的に肯定もできないでしょう。どうとでも解釈できる、まさに玉虫色の条文です。 このように、合法だったか否かは、棚上げのまま条約が結ばれました。そういう経緯がありますから、今でもこの件について日韓の主張が食い違うのは、残念ながら仕方ないとも言えます。仕方ないでは不甲斐ないと、確かライシャワーセンターなどの肝煎で、日・韓・米・英・その他の学者による国際シンポジウムも開かれました。前出の海野も参加しています。しかし、議論は平行線のまま終わりました。 要するにですね、難しい話なのですから、どうか Etineshia さんに置かれましては、くだらないネット右翼などを相手にせずに、まともな学者の書いた本を図書館などでお読みになることをお勧めします。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.6

まず、 > 韓国併合は国際法上、合法 であったことは、疑問の余地がありません。合法であれば罪もないのは道理というものです。また > 併合は、韓国最大政党一進会が望んだ このことも、複数の文書などで確認できます。 #3の方は、一進会の勢力はそれほど大きくなかったのではないか、との指摘をしています。 しかし、一進会の会員数が九万人との事ですが、人口1300万人のうち、文字を読めない人は白丁(農奴に近い階級)なので、識字率20%から260万人、したがって、3.5%程度になります。 少なく見えるかも知れませんが、日本最大の政党である自民党の党員数は141万人であり、人口の1.4%強です。単純な比較は難しいですが、少なくとも最大の政党の一つであったことは間違いないです。 ただ、 > 日本の韓国併合が現地の人たちの感情を無視し、政府を乗っ取るようなカタチでおこなわれた とのことですが、ここで言う「現地の人たち」は誰を指しているのでしょうか。少数の貴族階級でしょうか。大半を占める白丁でしょうか。 前者であれば、一進会の例もあるようにどちらかといえば併合に前向きですし、後者であれば、江戸時代の小作農のように、そもそも為政者が変わる事には関心がなく、年貢や直属の「地主」が良いか悪いかが関心事であったと考えられます。 したがって、...誰なんでしょうかね?

  • KINGBIRD
  • ベストアンサー率53% (597/1108)
回答No.5

 2,3年前に同様の主張を知りました。  質問者さんが仰る「朝鮮併合は、当時の現地の人たちの都合や感情を無視した、一方的な政府乗っ取りであった」という解釈は正しいと思います。  同時に、その当時の国際法に他国を侵略するのは悪である、という条項がなかったというのも事実だと思います。  「罪がない」というのは、非常に難しい言葉ですね。善悪はやはり、社会の中でどのような行為が善悪であるのか教えないと人の意識には育ちません。  したがって明治の日本人が、列強の日本侵略をくい止めるためには、日本自身が打って出て力をつけることである、と考えたのは当時としては理解できる感情です。  私はこうした人々が、当時の価値観を現在にも適用して議論を強制的に終わらせようとするのをあまり好みませんが、同時に、韓国にも、現在の価値観を当時に適用して「だから日本は絶対悪である」といった展開をするのも知っていますし、好みません。  そして両者の強硬な主張は、お互いのお互いに一方的な主張によっても出来上がったように見えます。    当時の朝鮮最大の政党が何を望んでいたのか、これを詳しく知ろうとしたことはないので、たいしたことは言えませんが、戦前の朝鮮も列強の圧力、侵略に対する不安はひしひしと感じていたらしいこと、朝貢による平和路線で発展した国らしく、日本のような他国侵略ではなく、宗主国を選ぶことで生き延びようとしたということは聞いています。(事実かどうかは確認していません)  しかし、これが事実だとしてもそれを「日本による侵略を望んでいた」かのように主張するのは、あまりに誤りだと思います。    伊藤博文ですが、理由はどうあれ韓国併合の慎重派であり、総理大臣を幾度も務めたような存在の大きな政治家であった彼が排除されたことで推進派が力を得たのもまた事実です。これだけ華やかな経歴の政治家が暗殺されたということで当時の世論も朝鮮憎しに傾いたのではないでしょうか?  その反対派であった彼が朝鮮総督府の総統に就任した理由は急進派との折衷案であったといったようなことのようです。  おそらく、韓国の人々にとって「安重根が伊藤博文を殺したから併合が促進された」という主張が受け入れられない理由は、安重根の人格を否定し、伊藤博文を人格者であったかのように持ち上げる行為と感じられるからではないかと思います。  実際に私が史料から感じる安重根は現在の平和主義的な価値観とも通じるもののある人間であり、義侠心も厚く、テロリストという言葉から想像されるような卑劣な人間ではありません。  また歴史にifはありませんから、彼が伊藤博文を暗殺していなかったとしても1910年に日韓併合が行われていたかもしれません。  それでも、解釈としては伊藤博文の暗殺により日韓併合派が力を得たことは事実です。「併合が促進された」が事実かどうかの検証は難しいとしても、そのように見える流れがあるというのは事実です。  歴史的事実と、個人の人格とはまた別、という#2さんの言葉と、日韓併合を望んでいたとしても、実際に行われた日本による植民地化とは違う、という#3さんの言葉に私も賛成です。  話がややこしくなっているのは、それぞれの感情が混ざりこんでいるからと思います。

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