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交代寄合の岩松家

交代寄合の岩松家は家康の怒りを買って、わずか百二十石しか与えられなかったみたいですが、御家人並みの石高で御家を維持できていたのでしょうか? 岩松氏以外にも千石以下の交代寄合は何家もあったという事で少し驚きです。 大名格というよりは村の領主といった感じだったのでしょうか…

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

岩松家はもともと新田を名乗っており正統を自負していますから、同じく新田流と称する徳川家にとってはやりにくい家だったでしょう。それで最初は岩松家の対応がまずかったということで20石しか与えず、新田から岩松に改めたときにやっと100石加増されました。 まぁ、捨扶持みたいなものだったのでしょう。 足利流の喜連川家に比べると冷遇といえるでしょう。 そのほかに交代寄合で千石以下といえば、三河衆で440石の松平、600石の中島、無高の米良があります。、

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 捨扶持みたいなものだったのですね。 冷遇と言えば、平島公方も蜂須賀にかなり冷遇されていたみたいですね。改姓もさせられて… 家柄だけは良い旧政権の末裔というのは目障りな存在だったのでしょうか…

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