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「安かろう悪かろう」の「う」
「安かろう悪かろう」という言葉がありますよね。 私の持っている辞書では 「値段が安ければそれ相応に品質も悪いこと。また、それを当然とするような考え方。」 と書いてありました。 私の中学校時代の国文法の教科書に従うと、 (この言葉が例としてのっていたわけではないですけど) 「安かろ」「悪かろ」が形容詞の未然形で、「う」は助動詞ということになるようです。 問題は、二つある「う」の意味です。 上記の教科書には、助動詞の「う」について、次のように書いてあります。 ――――ここから引用―――――― 助動詞「う」「よう」は、(1)話し手が他を推量する意味を表したり、(2)話し手の意志を表したりする。 (1) あすは よい 天気に なろう。 幕が きって 落とされようと いう ときで あった。 (2) この 家の 中に はいって みよう。 そして、 一曲 ひいて やろう。 ―――引用おわり――― 「安かろう悪かろう」の「う」は、上記の(1)(2)のいずれでしょうか。それ以外の意味でしょうか。 二つある「う」は同じ意味でしょうか。 「安かろう悪かろう」とは語源的にいうと、 「安いだろう。悪いだろう」 という意味でしょうか。 なぜ、それが「安ければそれ相応に品質も悪い」という意味なのでしょうか。 「安かろう悪かろう」の「う」と同じ意味の「う」の例文(回答する方の創作可)はありませんか?
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補足
とても詳しくありがとうございました。 なるほど、「高かろう良かろう」が前に付く言い方もあるのですね。 江戸時代からあることは間違いないですね。 > 意味については同じく 「(略)安い物は粗悪であろうと思うのが人の常」云々と説明がありますので、「この品物は安い(高い)だろう、〔したがって〕品質が悪い(良い)だろう」と、やはり「う」は推量と取るのがよいと思います。 「安かろう悪かろう」の「悪かろう」の部分が、「品質が悪いだろう」という推量なのは素直に理解できるのです。 不思議なのは「安かろう」という部分が推量なのはなぜなのか、です。 わたしは、店に買い物に行ったら、品物一つ一つに値札が付いているような様子を想像してしまいます。 そうしたら、品物の値段は明らかなので、「安いだろう」という推量である必要性がないと思います。 品物に値札はなくて、店員に値段を聞く前の状態を考えればよいのでしょうか。 「『この』品物」という表現は、品物が近くにある場合の表現です。 私が#1の補足で書いた「遠くで推量する」というのはあたっていないことになりますね。 (当然・適当の「う」についても書かれていますが、 当然・適当の「う」もあるということで、「安かろう悪かろう」の「う」は推量というご回答ですね。とても参考になりました。 )