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マドンナ古文の助動詞「む」に関して

学研の、超基礎国語塾マドンナ古文に関してです。 教科書や、僕の使っている古典のドリルでは、助動詞の「む」には 推量 意志 仮定・婉曲 勧誘・適当 の4つの意味があるとされていますが、マドンナ古文では 適当 推量 当然 命令 可能 意志 仮定婉曲 と7つに分類されています。推量と意志と適当と仮定・婉曲の部分は良いと思うのですが、 当然、命令、可能があるのはおかしいのではないかと思いました。そのことに関して、学研のほうに電話をすると、「それは間違っていない」と言っていたのですが、やはり教科書にも載っていないようなことであったので、現在戸惑っています。 実際のところ、このマドンナ古文の「む」の分類の仕方はあっているのでしょうか。ちなみに、マドンナ古文には、助動詞「む」を べしの意味+仮定婉曲 と覚えるとよいとかも書いてありました。

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回答No.3

#1の方も仰っているように、筆者、ないしは出版社(編集)の考え方であって、間違ってはいないと思います。 ほかの学参では、次のように説明しています。 「古文読解の切り札」(高橋一夫 河合出版) >>「む」の着眼点 意味は、推量(時に無関係な推量)・婉曲・意志・適当勧誘の四つを覚えておけばよい。  諸説あって、予想・未来・可能・仮定・強意・希望・決意・当然・要求などの意味用法を細分化する場合もあるが、一応四つの意味用法で処理するようにすればよい。 (中略) 「む」を可能の意味をこめて訳すとよい場合もある。 (イ)疑問文または反語文の中にある場合  【例】世の人いかが堪へむ。 (ロ)上に仮定条件がある場合  【例】飛びおるともおりなむ 高橋先生始め、普通の考え方に立つ者は、まず「四つの意味用法」を覚え、それを適宜解釈に応用するのがよい、といいたいのです。結果的に、それが可能その他の意味を表すこともある、ということです。 それに対し荻野先生は、「む」の意味用法として考えられるものを網羅的にあげておこう、という考え方に立っています。 それぞれ、考えがあってのことですから簡単に判断は下せませんが、#1の方が仰るように、網羅的に意味用法を挙げるなら、その例文を載せておくべきですね。つまり、文法的に間違っているわけではないが、学習参考書として不備があるということでしょう。「不備」は、あなたに疑問を抱かせ、戸惑わせたが、その疑問を解決する方法や道筋を記載しなかったという点にあります。 ただ、荻野先生を責めるのは酷かなという気もします。網羅的に意味用法を挙げる方法は間違っていないと思う(四つの意味用法しか挙げないと、それを応用してほかの意味に訳すことの適否を学習者は判断できないからです。)し、その例文を載せることはスペースその他の面で不可能な場合もあるからです。 教材作成者の事情をあなたに愚痴っても無意味なので、これ以上はやめますが、特に古文の文法に関しては、いろいろな立場や考え方があって、一概にどれが正しいとはいえないこともあることを知っておかれるといいと思います。そういった批判的な視点で学べば、より深いところまで理解できるでしょう(楽観的で無責任な言い方ですが)。 また、付属語の多くは、根本的な意味があって、それが文脈や文法的な諸条件によって更に細かな意味用法を表す、ということをふまえておかれるとよいでしょう。例えば口語の格助詞「から」には、 動作作用の起点・物事の始まり・経由点・原因理由根拠・原材料・「それ以上」の意 などさまざまな意味がありますが、これらはすべて「起点」という根本的な意味でくくることもできます。例えば因果関係の「起点」を探せばそれは「原因」になるし、製品の「起点」を探せばそれは「原材料」になるというように。同じこと(あるいはそれ以上のこと)が、文語文法に、そしてもちろん「む」にも言えるわけです。根本的な意味は「推量」で、それがまず「四つの意味用法」に細分化され、それがまた文脈や文法的条件により、更に細かな意味を表すわけです。 なお、基本的な四つの意味用法と上記の「可能」を除く、当然、命令ですが、「当然」は「適当」であると強く「推量」した結果得られる判断、「命令」は相手を強く勧誘しようという意志のあらわれ、と考えればよいでしょう。「要求」も、「適当」と判断し強く「勧誘」すれば「要求」になる、といえるでしょう。 例文は、古語辞典を探せばきっと載っていると思いますよ。なければ、探してみます。その場合は「補足」してください。  

upon12
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 『特に古文の文法に関しては、いろいろな立場や考え方があって、一概にどれが正しいとはいえないこともあることを知っておかれるといいと思います。そういった批判的な視点で学べば、より深いところまで理解できるでしょう(楽観的で無責任な言い方ですが)。』 古文の文法ってそういうものだったんですね。 非常識で、申し訳ないです。 たしかに、色々な解釈の仕方があるのに、 最初からこの解釈の仕方を覚えろ、 と詰め込めさせられると、融通が利かない面がありますね。 やっぱり広く知れ渡っている4つの意味を抑えることが重要ではありますが、 違う解釈の仕方もありますよ、と念頭に置いておくだけでも、 広い視野を持つことができますよね。 今のところは、マドンナ古文の内容については、軽く参考程度にしておこうと思います。 というのは、今はまだ、「む」の基礎的なところを学んでいるところだからです。 きっと、これから発展的なことをやっていくにつれて、 広い意味での解釈の仕方が必要になってくると思います。 『付属語の多くは、根本的な意味があって、それが文脈や文法的な諸条件によって更に細かな意味用法を表す、ということをふまえておかれるとよいでしょう』 細分化したものを必死に覚えるより、根本的な意味を知ってそれを応用して身につけていくことが重要だと、感じました。 やはり限定的になるのではなく、批判的になり、広い視野を持つべきだと改めて考えさせられました。 『例文は、古語辞典を探せばきっと載っていると思いますよ』 旺文社の古語辞典には、基本的な意味が4つ、 そしてさらにその4つのうちのいくつから、 またさらに3つ、4つぐらい・・・。 やはり、kyouzaiya-kさんがおっしゃるとおり、 根本的な意味があって、それが文の内容によって、 木の枝のように解釈の仕方が広がっていってました。 古語辞典を見るのを忘れていた僕が、浅薄でした。

その他の回答 (2)

  • jasko
  • ベストアンサー率24% (478/1966)
回答No.2

学研の答えは間違ってはいません。 「む」にも当然や命令の意味はなくはないようです。 マドンナでは「べし」を中心に文法を語っているので古文法の一般常識と齟齬が生まれてると思います。普通は「む」が基本ですから。 推量系の助動詞の基本は「む」。それを強めたのが「べし」。 だから「べし」を弱めたのが「む」だともいえますが、ベースを「む」とおいたほうが、他の「けむ」や「らむ」との関係上も是でしょう。 適当を当然に、勧誘を命令と強気に解釈するのがマドンナ流だということなのでしょう。 適当 自衛隊に入るとよい。 当然 自衛隊に入るはずだ。 勧誘 自衛隊に入ろう。 命令 自衛隊に入りなさい。 実際には「大して」変わりがありませんが、強気な解釈は「当然」と「命令」でしょう。「む」は普通は「当然」や「命令」では訳したりしないので、『受験上の留意事項』ということなのでしょうが、あまり役にはたたないと思いますけどネェ。「べし」はそれこそ「べし」と解釈するか「はず」と解釈すれば大概はオッケーでしょう。 「む」は「ス(推量)イ(意志)カ(仮定)カ(勧誘)エ(婉曲)テ(適当)」。「べし」は「ス(推量)イ(意志)カ(可能)ト(当然)メ(命令)テ(適当)ヨ(予定)、べし!」べしは推量にしても意志にしても強気で解釈する。こう覚えておけば間違いないと思います。54、55ページの図はちと変ですよね。

upon12
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、マドンナ流ということなんですね。 古文を独学でなんとかしようとして、 マドンナ古文を選んだわけですが・・・ ちょっと失敗したような、しなかったような、 曖昧な感じです。 『あまり役にはたたないと思います』 そうですか。jaskoさんのその「む」の解釈の仕方は、 とても良いですね。ぜひ参考にさせていただきます。 『54、55ページの図はちと変ですよね』 古文に関して無知な僕は、 「ああ、こういうものなんだ。この相関図重要そうだな」 とか思ってました・・・。 いえ、今考えると、もちろん変だと思いますよ。 もう少し、偏りのない、堅実な参考書を選ぶべきでした。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

国語学会とかでの定説ではなく、学研の見解だと思います。 なので、学研に問い合わせる場合には、 助動詞「む」の命令の用法を具体的に古典のテキストの中から 例としてあげてください、と要求すべきです。 それをここに出して、合っているかどうかを議論すべきと。

upon12
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 たしかに、ANASTASIAKさんが仰るとおり、質問者側としてやるべき事はまだまだあったようです。 しかし、古文を専門分野にするわけではないので、 これ以上ここばかりにこだわっていては先にすすまないので、 学研にこれ以上のことを問い合わせるのはやめようと思います。 助言をいただいたのに、否定的で申し訳ございません。 今は、教科書のほうの解釈の仕方に従うことにします。

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