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近代的自我について!

noname#1423の回答

noname#1423
noname#1423
回答No.1

 事典的に説明すれば、「近代の到来に伴い、前時代の封建的、宗教的遺制から解放された個人が自覚した、自由で平等な自己の姿」とでも言えるのでしょうが、こんな説明では、満足してもらえませんよね。  たとえば、森鴎外の「舞姫」の主人公太田豊太郎は、国家の命によってドイツに留学したにもかかわらず、エリスという踊り子と出会って恋に落ち、これまで信じてきた「滅私奉公」だの「立身出世」だのといった価値観を疑い、自由な一個人として生きようと考えますね。こういうところに、「近代的自我の目覚め」が見出せるわけです。  ところが、結果的に豊太郎は、妊娠しているエリスを残し、功名のために帰国してしまうわけですが、こういうところに今度は、未成熟な日本的「近代的自我」を見出すこともできるわけです。  おおよそおわかりいただけたでしょうか?

tomu
質問者

お礼

ありがとうございます! とてもわかりやすかったです! 川端康成「雪国」の演習発表でこの語の説明に困り果て・・・。 なんとなくはわかるんですが、うまく言葉にできなくて・・・。 ちなみに卒論は「舞姫論」かきます!

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