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自然現象などの謙譲語?について

「秋がやってまいりました」 「この町に、台風が上陸いたしました」 「今回の報道により、事件の全容が判明いたしました」 「先日、弊社に抗議文がまいりました」 上の表現で、話者の行為にではなく、事物や自然現象に、一般に謙譲語とされる「まいる」や「いたす」を使用することについての分析、または解釈をお伺いします。 例: (1)これも謙譲語の一種であり、へりくだっているのは話者である。 (2)話者に間接的に関係する事物であるので謙譲語を使用している。 (3)単なる丁寧語である。 (4)誤用であり、「秋がやってきました」等が正しい。 (5)その他 また、「まいる」「いたす」以外の謙譲語ではこの種の表現がないと思いますが、もしあれば教えてください。

  • shkwta
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回答No.2

「いたす」や「まいる」などの語は、学者によって分類や呼称が異なります。(例えば宮地裕氏の「丁重語」など) 確かなのは、誤用ではないということです。そして、丁寧語と違い、2人称は主格にできません。また、いわゆる謙譲語(客体に対する敬意を表すもの)とも異なり、必ずしも客体を必要としません。(謙譲語はへりくだりを表さない) これらの語は、1人称やそれに属するものを主格としたへりくだりの用法と、今回のような用法の2つがあります。 これら2つの用法に通じるのは、敬意が話し手から聞き手に対するものであるという点です。(これは丁寧語とも共通する) 今回の用法は、主格が1人称などではないので、話し手がへりくだっているかは、とらえようによりますが、もう1つの用法から、通じる点はあると考えられるでしょう。

shkwta
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。これらの語の扱いは諸説あり、丁寧語でも謙譲語でもない分類にすることもできるということですね。

その他の回答 (1)

回答No.1

 ひらたく言えば(3)の丁寧語ですが、(2)の意味合いも 含んでます。 「まいる」「いたす」で辞書を引くとわかりますが、 それぞれ「行く・来る」「する」の謙譲語のほかに、 「行く・来る」「する」の丁寧語との記述があります。  話し相手に敬意を示す言い方のようですね。

shkwta
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。「まいる」「いたす」は他の謙譲語と異なり、謙譲語と丁寧語の中間に位置すると考えるのがよさそうですね。

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