• 締切済み

現行帰化法前の帰化法

あの人は戦中戦前日本人に帰化した人の子孫だという噂が流れたりしますが、現行の帰化法以前に、第三国人が帰化できる法の手続きがあったのでしょうか。 ラフカディオハーンなど、公務員の西洋人が帰化した例はあり、明治の代から帰化の制度があったことは知っていますが、西洋人以外の帰化の実態はどのようなものであったでしょう。 個人のプライバシーの事は詮索無用ですが、歴史の事実として、またある意味である種の誤解を解くためにも、知りたく思います。

みんなの回答

回答No.1

現行の国籍法が制定される前の、明治32年の旧国籍法にも帰化の規定はあり、内容的には現行法と大差はありません。 しかし、朝鮮・台湾等が我が国の領土であった時代には、当該地の住民は日本国籍を持つ帝国臣民であったわけで、我が国に帰化する、ということは、彼らが公式に日本国籍を失う昭和27年以前にはありえません。 (戸籍については、「朝鮮戸籍令」および「台湾戸籍令」等に基づき、いわゆる内地戸籍とは別個の戸籍が編成されており、外地の戸籍から内地の戸籍に入ることは、婚姻・認知・養子縁組等の身分行為によってはありえましたが、就籍や転籍によって内地戸籍に入ることはできませんでした。)

angloobliged
質問者

お礼

一つ疑問な所が判明になり、すっきりとしました。 有難うございます。 またお願い致したく思います。

angloobliged
質問者

補足

帝国の臣民とされたというのは、いわゆる創氏改名の強制的な戸籍届出政策の事と思ってよいのでしょうか。 すると,年表によると、1940年度の事であります。 それ以前の長い近代史における帰化状況は調べたものがないのでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 渡来人の帰化

    ふと疑問に思ったのですが、渡来人は外国人でしょうか、それとも帰化人でしょうか?? 古代に大陸や朝鮮半島から渡って来た人たちのことを渡来人(そのまんまですね)と呼ぶということを確か高校の教科書で見ました。 でも、この言葉はニュアンスが掴みにくいんです。 つまり、その渡ってきた人たちやその子孫はその当時から歴史上ではどういった位置づけだったのかわかりにくいということです。 呼んで字のごとく、『渡来した外国人』という位置づけだったのでしょうか?それとも『渡来し帰化した外国人』だったのでしょうか? また、現代では渡来人と呼ばれる人たちはいないように思います。(末裔の方はいらしても、日本人であるように思います)ということは、歴史上いつごろの時代に帰化したのでしょうか? 何か知っている方いらっしゃれば教えてください!! お願いします!

  • 「戦前派」といえば、どんな人を想像されますか。

     「戦前派」、「戦中派」、「戦後派」というと、どんな人を想像されますか。  私は次のような感じで使ってきましたが、間違いでしょうか。 ●戦前派:主として明治生まれの人で、前の大戦では老齢で兵隊に取られなかったか、取られても老兵だった人 ●戦中派:主として大正生まれの人で、前の大戦で兵隊に取られた層 ●戦後派:主として昭和一桁生まれの人で、兵隊に行かずに済み、ものの考え方が新しい人  小泉潤一郎さんや小沢一郎さんは終戦前に生まれた人ですが、戦争の記憶はほとんど無いのではと思います。ですから、戦後派というよりは「戦無派?」かな、と思います。

  • 在日韓国・朝鮮人はなぜ帰化したくないの?

    仕事で韓国と交流を持つようになって約20年になります。 現地では親友も多くいます。 ただ、在日の人とは縁がなく実態はよく知りませんでした。 漠然と強制連行で無理やり連れて来られた人たちと、その子孫というイメージを持っていたのですが、全くのウソだったようです。 私の質問 NO. 973587 をご覧頂けるでしょうか。 本国にいる韓国人の在日に対するイメージは、実は極めて悪い事を知って驚きました。  つまり 「在日の人間は韓国人を名乗りながら、戦争の時にも兵役が免除され日本でヌクヌクと生活していた。 それに本国政府に税金などビタ一文も納めず全く国家に貢献していない。 何が僑胞か」 ともらしていました。 また在日の人で、韓国語を話せる人は本当に数少ないようです。  そのうえ在日の人が本国を旅行すると日本人と同じような態度で接するとか言っていました。  結構、感情のギャップを第三者として感じました。 そこで質問なのですが、外国に居住して本国には永遠に戻るつもりがなければ、その国の国籍を取得するのが普通ですよね。  いわゆる移民というものになると思います。  選挙権も取得できますよね。 ところが日本国内で在日韓国・朝鮮人の人口は65万人にもなるのに、依然として本国の国籍にこだわるそうですが、なぜでしょうか?  帰化しない事に何かメリットはあるのでしょうか?   ただ素行不良などで帰化が許可されない人は別ですが ・・・ アイデンティティーが大事と言うのであれば、本名を名乗り、最低、本国の言葉くらいは話せて、日韓の架け橋になるくらいの意気込みがあって当然と思いますが、どうも違うような気がします。  何となく在日である事は隠しながら生活しているのに、逆に韓国・朝鮮籍にこだわっているような矛盾と言うか、感じます。 あと、本名を名乗ると何か 「法的・公的」 な差別がまだあるのでしょうか?

  • なぜ法の欧米化がドイツ法を基礎とするのか

    明治20年代に法典論争が起きましたが、フランス法でもなく、 英米法でもなくドイツ法学が、法典論争以降ながく戦前の主流を迎えることができたのか、 そして、何が達成されたのか? ドイツ法重視へ舵を切ったのが穂積陳重で 彼をリーダーとする東京大学法学部の人達が 基礎法学の分野でのドイツ法の成果の吸収と普及に精力的に動いたのはなぜですか? 文献を読みつつ論点をどこにおくか考えています よろしくお願いします。

  • 田中裕子主演だったと・・・思います・・・

    私の記憶がとてもあやふやで、どれもはっきりしませんがテレビ東京の2時間くらいのスペシャルドラマで放送は お正月(年末?)だったような気がします・主演 田中裕子で7から8年くらい前ではないかと・・・思います。 内容 戦前戦中の娘と父(嫁と舅かも?)の日常を描いたドラマで原作のある実話にもとずいたドラマのようでした。    父と云う人が大変なグルメ?食にこだわりのある人のようで、だしの取りかた、素材の調理法をこまかく田中裕子に指示し    戦前の正月準備のシーンでは、古きよき作法をとても細かく描いていました。    豪華な正月から一転、戦中の侘しさを描いたりもしていました。戦中(後?)で父は亡くなったかも・・・    いま気になるのは、その父が誰をモデルにした、作品だったのか?もちろんもう一度見たいので、タイトルなどです。    原作の情報でもかまいません。詳しい方がいたら回答ください。

  • 沖縄人(おきなわじん)という表現は・・・

    主人が沖縄出身なのですが、会話中「おきなわじん」という言葉を使うととても怒ります。主人いわく「沖縄の年寄りが聞いたら怒られるぞ」と・・・。でも「沖縄のひと」はOKで「沖縄人」は×なんだそうです。差別用語というか沖縄の人にとってはイヤな言葉のようです。確かに沖縄は戦前・戦中・戦後とその時代時代にいろんな相手から虐げられた歴史が複雑に絡み合っています。人類館事件もありましたし・・・。でも私にとっては「関西人」と同じニュアンスで口から出てしまいます。「沖縄人」の言葉の背景・歴史をもっと知りたいのですがご存知の方いらっしゃったらぜひ教えてください。

  • 涙できる歴史小説を推薦してください

    浅倉卓弥著「君の名残を」のような歴史を舞台に、かつ恋愛要素もあり涙できる(これは人それぞれですがw)小説を推薦してください。 フィクションでもノンフィクションでもファンタジーでも何でも結構ですが、歴史背景が比較的史実に沿っているものでお願いします。 ちなみに、歴史モノは色々読みますが、特に江戸後期~明治あたりの動乱期が好きです。 一方、西洋史は実感が湧きにくいためあまり手にしません。 みなさんが読後に深く胸に残った作品を是非教えてください。 よろしくお願いします。

  • 在日韓国人の方、あるいはその事情に詳しい方に真面目な質問です。

    在日韓国人の方、あるいはその事情に詳しい方に真面目な質問です。 民主党が打ち上げた外国人参政権については、国内に強い反対意見があり、菅総理は今回の選挙では外国人のガの字も言わなかったと思います。 メディアも全く取り上げなかったはずです。 民主党がなぜこの法案に積極的かと言えば、民団組織からの陳情が強かったからと聞きます。 国内に数十万人くらいいるので、民主党としてこの票は無視できないとの事 (全員が全員、民主党に投票するとは思えませんが ・・・)。 それでも賛否は別として民主党の打算は分かります。 で、民団の方は? となった時、「日本に帰化する人が年々増えているので、在日韓国人としての人口は右肩下がり、そのため帰化を少しでも防ぐために選挙権を獲得し、民団組織としてのパワーを何とか維持したいから ・・・」 という事でした。 一見、なるほど ・・・ と感じたのですが、ちょっと違和感を覚えました。 というのが、選挙権を得たからと言って、日本に帰化せずに、いつまでも韓国籍を維持する事を選択する人って、本当にいるのかな? という疑問です。 選挙権だけが帰化の理由になっている人って、本当にいるのでしょうか? 私が考えるに、日本に帰化する人って、自分も子供も子孫も、日本人として日本の国の発展に少しでも貢献しようと決意した人が多くて、極端に言えば、選挙権なんてその 「付録」 みたいな物ではないかと ・・・ もし私が外国に帰化するとなれば、多分そういった事が理由であり、選挙権なんてそんなに大きな要因にならないように思います。 それでも、やっぱり民団が考えるように、「選挙権が入手できれば日本に帰化する人は少なくなる」 のでしょうか? 詳しい方にお聞きしたいと思います。

  • 埋葬と法律

     今、私は国が人の死について明治時期から管理し始め、それから、戦争後の法制度の改革による法改正によってどのように変化したか(現行法に至ったか)、をしらべております。  人が死んだ場合、現行法である墓地埋葬等に関する法律に基づき、処理されます。  24時間は、火葬してはならないと条文があります。  では、いつまで、放って置いていいか、ということは、「知っておきたい暮らしの法律得事典」(自由国民社)に、死亡の事実を知った日からその日を含め、7日以内に届け出なければならない。と記していました。これは、上の法規にはありません。  このような各論的なこと、事務手続きなことはどの法律を参照すればよいでしょうか?  あとこの法律は昭和から施行されたものです。明治時期は、死亡してからの、その後の事務手続き、処理方法をどのように調べればよいでしょうか?  明治時期は、現在廃止されている墓地及埋葬取締規則があり、それにはそのような、具体的な、届け出方法などは条文には見あたりません。  ご存じな方がいらっしゃいましたら教えてください。よろしくお願いします。

  • 戦前の日本は何故東南アジアに進出したのでしょう?

    先日ある老人と話をしているときに、ふと東南アジアの話になりました。 老人は元軍人で、次のような独自の歴史観を語りました。 「戦前の東南アジアは、西洋諸国の植民地支配下にありとても独立国といえるものではなかった。独立してたのはせいぜいシャムぐらい。そこへ日本軍が解放軍として進出した。だから現地の8割ぐらいの人間が日本に感謝している。戦後独立国になれたのも、半分は日本のおかげである」  戦前の東南アジアについては無知ですので、このことがどれほど本当かは知りません。  日本は中国と長く戦っていました。それにも関わらず戦線を拡大して東南アジアへ進出していったのはなぜでしょうか?  東南アジアの人は日本軍に対してどのような感情を持っていたのでしょう?  よろしくお願いします。